2016年06月03日

先人に学ぶ(6) 「白雲悠々」(1/4)

花603。
 天気は良いのですが,吹く風の冷たい一日でした。
 食卓に初物の大根,セロリがありました。それぞれ“辛さ”や“苦さ”がありました。自然の「力強さ」を味わいました

 大地に感謝



 先日,中西光夫氏の訃報と葬儀についてお知らせしました。
 改めて,初任の頃の記録を読み返しました。

 今振り返れば,当時の中西氏は三河や県の重責を担い,出張も多く学校にいる時間は少なかったと思います。
 その中西氏が校内を回って気づいたこと,考えたことを綴った『白雲悠々』には,細かく子供や職員を見ていただいていたこと,その優しさを感じました。そして,今だから気づく“戦略”もありました。

 年度初め,他校の記録を紹介しています。

   「曲尺手門」第3号について

 豊橋中部中学の先生方は,地域文化活動として,一年に一冊ずつ出版活動を続けてみえます。題して「曲尺手(かねんて)門」。(略) 今回は第3号,地域文化をさぐる特集の120ページ。取材の範囲も広く,写真も多くて実に格調高くスマートな冊子です。これはひとつ皆さん方にも見ていただきたいと思い(略)。
 兵東校長によれば「教師は知的集団であるはず,日々の教育の営みと共に,社会人として地域に密着し胸を張って生きたいものだ。その一つのあかしアクセサリーを…」との意図で,この曲尺手門が刊行されているとのことです。
 編さんに当たっては,(1) オリジナルなもの,(2) 郷土性・地域性をもつこと,(3) 専門家としてではなく,社会に生きるためのあかし…という基本的な方針を貫いているとのことです。(略)
 お隣の豊橋の先生方の地域文化活動へのなみなみならぬ意欲とその息吹に触れてみてください。

 この時,「曲尺手門」第3号を手にしたのでしょうが,その記憶はありません。
 ただ,いろいろな場面で「教師は知的集団で」「社会人として地域に密着し」という内容に触れた話をされていたように思います。

 教職にあったとき,「知的であったか」「社会人として地域に密着していたか」,振り返りました



【関連】
  ◇ある教え子の思い出話―中西光夫先生のこと(山の舟歌・第3章(新城市長ブログ))



【今日の小咄】
 近所のコピー屋でコピーをとった。写りがとても悪いので文句をいったら,店員いわく「元がコピーだからですよ。一度書き直してコピーしたら,よく写りますよ。」




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Posted by ガク爺 at 18:30│Comments(0)先人に学ぶ
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