2024年12月19日

連絡は? 15-6 古宮城址(3) (作手村誌57)

荷物1219。 今朝、LINEに“登録のない通知”が届きました。
 西濃運輸からの荷物配達の通知でした。配達先の電話番号をもとに通知されたものです。
 よく配達のある郵便局(ゆうパック)ヤマト運輸佐川急便は、ID登録をしていますが、西濃運輸は初めてです。
 「本日の配達…」のお知らせで、昼の20分間ほどだったので、この時間に家に戻って待ちました。
 「???…」 14時くらいまで待ちましたが、届きません。
 もう待てないので、出先へ向かいました。

 15:07 新しい通知が届きました。
 「えっ? 無理です。

 荷物配達は大変なことで、とても感謝しています。
 しかし、この通知システムで、大丈夫?



 『作手村誌』(1982・昭和57年発行)から「第二編 歴史 - 第二章 中世」-「第九節 作手の城址」の紹介です。
 「歴史」について、これまでに『作手村誌』(昭和35年版)の記事を紹介しています。
 項目立てを変えて述べられいる本版から、執筆当時の“想い”や“願い”を感じながら、作手の歴史を辿っていきたいと思います。
********
    第二編 歴史 - 第二章 中世
     第九節 作手の城址

  *古宮城址
 〔所在地〕 作手村大字清岳字宮山 (図19
(つづき)
〔東城〕 西城と東城をつなぐ通路は、幅5m、長さ20mの地峡を通る。東城に至るには白鳥神社境内の東端をとおり、摂社松尾神社を右にみて登る路がある。これも古図に出ているから搦手口であろう。白鳥神社は1983(天和3)年創立で、松尾神社はそれ以前からあり、里俗に米福長者の奉斎した神であるという。登りつめると三角形の東城東南曲輪に出る。ここに東西28m、南北10m、深さ2.4mの空濠があるが、あるいは底に粘土を叩いて天水溜としたのかも知れない。この曲輪の左奥で西城から来た帯曲輪と合し、その北に東西15m、南北10mはの小曲輪があり、本丸へ入る虎口がある。往時は帯曲輪との境に柵又は矢来を設けて桝形としたと思われるので、桝形曲輪と呼びたい。
 本丸虎口の左右には、一辺10mほど、高さ3.2mの方形土塁が並び、その間に2.8mの虎口がある。この左右土塁は規模からみて櫓址かと思われ、右土塁には目通り6mの老桧が千年の風雪に耐えており、作手村指定の天然記念物である。右土塁の奥には、北方に伸びる長さ30m、幅10m、高さ3mの土塁があり、その右に周囲を高さ2mの土塁で囲まれた本丸がある。南北38m、幅10mの庖丁形で、虎口土塁の左に東西7m、南北18mの方形曲輪が付属している。二の丸は中央土塁の東側にあり東西20m、南北50mの先細り不正方形で、南方は虎口土塁より東に向う、高さ2mの土塁に限られるが、北東二方にはこれがない。本丸との接合部から北方へ、東北隅から下方へ向う自然の谷(竪堀)が走っている。二の丸東南隅に、6m下方の東南曲輪に通ずる虎口があるが、多年の風雨で土砂が流失し、現状では4.2mしかない。
 東南曲輪は幅5-7m、途中竪濠によって中断されるが、東から北へかけ二の丸をめぐり本丸下大竪濠まで全長200mに及ぶ。この曲輪下に上幅10m、長さ20mの空濠があり、東南曲輪から伸びる高さ1.5mの土塁がこれを包んでいる。
 東城の東斜面は傾斜が急なため、このほかに目ぼしい曲輪はないが、北斜面は比較的緩かなため、北大竪濠と第一竪濠との間に4段の帯曲輪が、第二竪濠との間に5段の帯曲輪があって、防備に万全を期しているが、煩瑣にわたるので詳しくは述べない。
 最下段は全長278m、幅10~30mの壮大な平坦面があり、溜池につづき外周に1.5mの土塁が断続しているから、旧時は連続していたであろう。奥から125mの所に、高さ1.5mの土塁があたかも土橋の如く存在しているので、あるいは水を湛え水濠としたかも知れない。第二竪濠を過ぎるころから向きを東南に転じ、やがて南に向かい県道に達する。里俗にこの曲輪を馬場の址といい人々を首肯させる。この曲輪の外方は大湿原で今は水田化している。
 以上で塁郭の点検は終るが、これを古図と対照するに、細部では幾多の相違点もあるが大要では一致し、中世城郭が一部社地・農家屋敷を除くと、ほぼ完全に保存されていることは珍らしい。現在までの調査では、完全に計測把握し得たとは言えない。築城当時の1571(元亀2)年の社会的背景を考慮し、馬場美濃守の甲州流縄張りを考察し他日精密測量を行い学術研究に資するとともに、遺跡の公有化により貴重なこの文化遺産を永久に保存すべきで
ある。
(つづく)
********
分布図s-1209。 注)これまでの記事は〈タグ「作手村誌57」〉
 注2)本文内で、縦書き漢数字で書かれている数値を横書きに改めて表記した箇所、年号に西暦を追記したところがあります。
 注3)右図「作手村の城址・古石塔・寺院分布図」をクリックすると拡大表示します。


【関連】
  ◇古宮城址 (作手の名勝と史跡めぐり)(2021/05/11)
  ◇古宮城址 (作手見聞録)(2022/11/04)

 《参考》◇「地域の話題」から(リンク集)(2024/10/04)


タグ :作手村誌57

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Posted by ガク爺 at 17:00│Comments(0)日記作手
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