2020年12月31日

大晦日。「初夢・宝船」。

宝船1231。 2020年の大晦日,“年越し寒波”の襲来で,朝から積雪のニュースがありましたが,当地は青空でした。
 しかし気温は日中でも零度・氷点下と低いままで寒~い一日でした。


 今年も,氷上姉上神社でお祓いをしていただいた「宝船の絵」(初夢七福神縁起)が届きました。
 宝船の絵は,初夢で良い夢が見られるよう,“枕絵”としたものです。

 宝船は,毎年に話題にしていますので,そちらを参考に。◇枕絵「宝船」(2020/01/02)。

 落語『七福神(かつぎや)』に,初夢の話が出てきます。
 呉服屋の五兵衛旦那は,大変な縁起かつぎで,正月元旦ともなると,縁起かつぎもすさまじいのです。
 下働きの清蔵を呼ぶと「まずは井戸神様にダイダイを入れて和歌を供えて若水を汲んでおくれ」と言いつけ和歌を教えます。
 「新玉の 年とちかえる あしたより 若柳水を 汲み初めにけり」
 ところが,こう教えられた清蔵は,「目の玉の でんぐり返る あしたより 末期の水を 汲み初めにけり。 これは,わざっとお人魂。」とやらかします。
 怒った五兵衛旦那は清蔵にクビを言い渡します。清蔵は「ついでだから後九日置いてれ,丁度三十五日になるから…」。
 庭に降りて頭を下げる清蔵に,五兵衛旦那が「お前は何をしてるんだ。」と聞くと,「草葉の陰から手を合わせている。」
(略)
 さて,そうこうするうち,二日の晩,お宝船売りがやって来ました。番頭に声をかけさせ,お宝船売りを呼び込むと,一枚四(し)文,十枚で四十(しじゅう)文というので,縁起でもないといって追い返します。
 次にやってきた宝船売りに番頭が,「うちの旦那は大変な縁起かつぎだから…。」と言って入れ知恵をします。
 宝船売りは,店に入るやいなや,「お宝の入り船です」と言う。
 五兵衛旦那は喜んで,全部買うと言います。
「何枚あるんだ」と聞くと,「へい,旦那の年ほどもございます。」
「何枚だ」
「千万枚でございます。」
 五兵衛は,縁起がいいと大喜び,しかも酒をを勧めると
「亀の子のように…」。
 酒を注ぐと
「黄金色のよう…」
「こんなイイ酒で酔うと宝船に乗っているようだ」
 喜んだ五兵衛旦那,
「いつでも遊びにおいで。で,何処に住んでいるんだい」
「本郷の蓬莱町にいましたが浅草寿町に,そこから下谷の長者町に移りました」
「それ以上引越させないでくれ」
 その都度ご祝儀をはずんでもらい,反物まで貰いました。
 宝船売りは,ご機嫌になり「旦那の姿は大黒様,美しいお嬢様は弁天様。七福神がお揃いで,おめでとうございます」と帰りかけた。五兵衛が「それじゃぁ,二福じゃないか。」と言うと,
「いいえ,それでよろしいのです。ご商売が,呉服(五福)でございます。」
 2020年から2021年へ。
 よい初夢から始まる2021年に! 夢の実現する2021年に!
 みなさん,よいお年を!



おまけ;除夜の鐘を聞きながら…】
 1988年の大晦日,FM放送で朗読され,その後“大ブーム”となったお話です。大晦日に改めていかがですか。
  ◇小説『一杯のかけそば』(2017/12/26 集団「Emication」)
  ◇『一杯のかけそば』(解説付き)(2017/03/18 Ronshi)

屠蘇1231。
  


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2020年12月30日

木挽さん(2) (つくで百話 最終篇)

煮魚1230。 暖かい雨の朝,強く降っていました。
 日中,強い風が吹いたようで,出かけるときは濡れていただけの路面が,帰りは“台風の後”のように枯葉や枝が路面を覆っていました。日中,嵐のように風が吹き続けたようです。
 みなさんのところは,いかがでしたか。
 今夜から強い寒波で,記録的てな積雪も予想されます。寒さへ備え,大晦日をお迎えください。



 『つくで百話 最終篇』(1975・昭和50年7月 発行)の「民族と伝承」の項からです。
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    木挽さん   鈴木元一

(つづき)
 この外に横挽きというのがありました。太くて長い材,廻り五尺,八尺,中には十尺もあり,長さも三十尺から六十尺という物は,地面に横倒しのまま横に挽きます。舟板などの類ですが,これは相当に上手な木挽さんでなければ挽けなかった。作間の木挽さんには無理でした。
鋸1230。 木挽さんの上手(キレイに挽く)下手(キタナク挽く)沢山挽く,挽かないは,鋸の作り方によるといい得ます。まずアサリを上手に出す。次にヤスリで上手に磨くことです。これがうまく出来ていないと鋸がきれないばかりか,真直に挽けないのです。
 木挽さんは重労働ですから,一日にご飯を四回食べ,一日の量が一升としたものでした。よく「一升飯を食わねば一人前ではない」と云われ,中には一升五合も食べた木挽さんの話を聞いたこともありました。
 板を挽くには長さ六尺の物の,巾一間でいくらというのが挽賃計算の基礎でした。普通三間位,四間,五間も挽く腕達者もあったのです。中には十間挽いたという人もあったと聞いております。
 当時,お米の値段が一升十五銭位で,一間の挽賃が十銭から十二銭しかお金がとれませんでした。
 その頃“二間木挽に勘定いらず”と,言われたものでした。ご飯を一升も食べて,二間ばかりの仕事では,余りなし,という戒めだったと思われます。
 木挽が木を挽くのには,丸太に墨壷を以って墨線をして,その墨の線を挽きますが,その墨掛けは木挽さんの仕事ではなく,他に先山といって,立木を伐採し,墨掛けをする人があったのです。
鋸1230。 墨掛けというのは,このような製材業の基礎となる大切な作業です。木の種類,材質,大きさ量によって用途を考え,どのような製品にすべきかを考えた上でなされる仕事なので,誰でもやれる仕事ではありません。それでも中には先山もし,墨掛けもし,木挽もした人もありました。先年故人となられましたが,作手の川手に,笹野忠松という人がおられましたが,全く人並勝れた人で,何をしてもよい仕事をされました。いわば木挽の神様とでも言うぺき人でした。
 木挽さんの全盛期は,明治・大正時代で,昭和に入ってからは,都市に沢山の製材所が出来たので,木挽さんの仕事は無くなり,時々新築される普請材を挽くか,特殊材(舟板など)を挽く位になり,その後,舟板も製材所で挽かれるようになったので,今は全く木挽さんの用はなくなりました。
  (前三河産業株式会社常務取締役)

《写真 上》 ① 横ビキ
  ② ヤ(樫の木)
  ③ ネジヤ(樫ノ木) 手挽板をひく時,板と板の間へ差しこんで前挽の通りをよくする
  ④ トビ 材木を移動さす時使用
  ⑤ ハピロ
《写真 中》 ① 菱やすり 断面が菱形で細長い。前挽鋸の歯先に三角の切込みをつけるに用う鋸の能率をよくするために発明されたやすり。
  ② 往復やすりともいう,昔の大やすりである。前挽鋸の歯をするに,やすりを前後についたりひいたりして歯をすったとのことである。
  ③ つきやすり やすりを前について歯をする,後へ戻さず前へつく一方である。近年はもっぱらこのやすりを使う。
《写真 下》 前挽鋸 木挽が手挽板をひくとき使用す
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2020年12月29日

『編集思考』(佐々木紀彦・著)

アマビエ1229。 「今季最強クラスの年越し寒波」という予報に,体が怯えているような感じですが,今日は“暖かい”日でした。


 今日,鎮魂の一日。
 新型コロナ禍で初めての葬祭場での葬儀でした。以前とは様変わりの施設の様子,運営の手順…,関係の方々の苦心を感じながらお手伝いしました。合掌



 表紙に,小さな文字の副題と題名の書かれた『異質なモノをかけ合わせ、新たなビジネスを生み出す 編集思考』(NewsPicksパブリッシング・刊)が気になって読みました。

 “編集”について,はじめに著者は
 メディア業界の枠を超え,多くの人と触れ合うほどに確信するのは,「編集という技術はメディア業界の外でこそ輝きを発揮する。すべてのビジネスパーソンが編集を身につければ,日本はもっとおもしろくなる」ということです。
と,狭い範囲のことではなく,さまざまな分野で活きる技術,発想だとしています。

 そして,編集思考を「セレクト(選ぶ)」「コネクト(つなげる)」「プロモート(届ける)」「エンゲージ(深める)」という4つの機能の集合だと定義しています。
 この4つのステップによって,ヒト・モノ・コトの“価値”を高めていきます。

 第2章「編集思考とは何か」で,4つのステップについて説明されており,「セレクト;選ぶ」を3つの法則,「コネクト;つなげる」を3つの法則とヒント,「プロモート;届ける」を3つの視点,「エンゲージ;深める」を6項目で述べています。

 第3章で,著者が編集長を務めたニューズピックスでの取組み,出来事を例にして,編集思考を具体的にイメージできるように述べています。
 編集思考を磨いて,新しい事業を創り,自らの運命を切り開いていくための方法を述べてきました。編集思考があれば,個人がより豊かな人生を生き,楽しい仕事をすることができるというのが1つのメッセージです。
 あなたも,著者のメッセージを受け取り,より“豊かな人生”を創っていきませんか。



 読書メモ
○ 2つ目の縦割りの原因は,大学教育のあり方です。(略)
 問題意識の鋭い人ほど,「ダブルメジャーが許されていないこと」と答えます。
○ 三流の創り手は,最初からストーリーを用意し,そこに台本どおりに埋め込もうとします。二流以上の創り手は,意図せざる話をむしろ楽しんで,自分と異なる意見も入れ込んでいきます。さらに,一流の創り手になると,この方向が違うと思ったら,これまでの自分の仮説を遠慮なく捨てていきます。そしてあらたな仮説,ストーリーを生み出して,納得いくまで練り直していきます。(略)
○ 新聞やテレビといった伝統的なメディア空間では,ネットに比べてクオリティは担保されているものの,どこも似たり寄ったりのコンテンツが多く個性がありません。シェフの顔が見えないチェーンのレストランのようなものです。
○ こうした手法は第2章でお話しした「3つのT(Timeline,Truth,Thought)」をもとに設計されています。
○ 7つの領域。「西海岸」と「東海岸」。「老い」と「若き」。「男性」「と「女性」。「リアル」と「バーチャル」。「地方」と「東京」。「日本」と「海外(特にアジア)」。「経済」と「文化」と「テクノロジー」。

   目次

はじめに 「編集」は、メディアの外でこそ活きる
第1章 「縦割り」の時代から「横串」の時代へ
第2章 編集思考とは何か
第3章 ニューズピックスの編集思考
第4章 世界最先端企業の編集思考(ネットフリックス,ディズニー,WeWork)
第5章 編集思考の鍛え方
第6章 日本を編集する
おわりに 編集思考は「好き」から始まる
注釈


【関連】
  ◇佐々木紀彦 (@norihiko_sasaki)(Twitter)
  ◇NewsPicks  
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2020年12月28日

最終週。木挽さん(1) (つくで百話 最終篇)

発表1228。 朝,小雨が降っていました。寒さは厳しくなく雪でなく雨でした。
 そして予報通りに昼前には晴れてきて日差しがありました。
 暖かい一日を過ごせました。


 地区の大正生まれの方が亡くなられました。感謝とお別れです。合掌


 2020年,最終週となり,「もう…」なのか「やっと…」なのか,あるいいは…
 いつもとは違う年末ですが,過ごした日々は“貴重な時”の積み重ねです。ていねいに振り返って,それを“未来(あす)”への糧とすることが大切です。
 そして,「一年の計は元旦にあり」と申します。新型コロナ禍で密回避や感染防止のため,「幸先詣」や「分散参拝」などが呼びかけられています。正月は寺社でなく自宅で,ゆっくりと“新年(20-21年)の姿・行動”を描きたいと思います。

 新型コロナ禍で春の予定が秋(冬?)に延期された試験の結果が,先日届きました。
 2021年,新しい活動に生かせるかな。


 
 『つくで百話 最終篇』(1975・昭和50年7月 発行)の「民族と伝承」の項からです。
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    木挽さん   鈴木元一

木挽1228-0。 昔,農繁期には木挽さんが大勢いました。この木挽さんを「作間木挽さん」と,呼んでいました。
 作手村内には,年中木挽を職業としていた者も少しはあったが,この木挽の大部分は他の土地(主に渥美や遠州方面)からの入村者が多かったようでした。
 木挽さんの作業場を「リン場」と,呼んでいました。その作業場は下リン・上リンといって二本の丸太を横に組んで作った。
 下リンは,地面から二尺位あげた位置に,上リンは,その下リンから五尺あげて作る。一つのリン場で,三人から五人位の木挽さんが仕事をしました。
 リン場で製品にする物は,主として板類,タルキ,貫,柱類でした。
 板は六尺の長さで,四分,六分,八分の類
 タルキは六尺,九尺,十三尺の三種類
 貫は十三尺物
 以上の製品は,普通の木挽さんならば誰でも挽ける材だったのです。
 夫々の長さの,夫々に墨かけされた丸太を,上下のリンに鎹で締めつけて挽くのですが,挽き始めは,下リンに丸太をもたせかけ,鎹で下リンの横木に締めつけ丸太の頭から大鋸を入れ,墨の線に従って挽きます。余程挽いたところで,今度は丸太を立てて,下のリンにもたせかけ,鎹で締め着けて挽きます。段々挽いて下リンに鋸歯が届くまでになると,今度は丸太を下リンの上に乗せて挽くのですが,挽離す処までは挽けないので,一寸ばかり挽き残して終り,残った部分は丸太を降ろしてから引離すのです。ですから,板でも柱でも,一方の端に引離された跡が残っ
ていたのです。
 この方法は縦挽きで,リンを使いますが,同じ縦挽きにツガイ挽というのがあります。
 直径が三尺以上もある木を挽く時には,木を垂直に立てて,両側に向い合った二人で,同じ鋸道を交互に鋸を働かせて挽きます。巾六尺もある樟の天井板とか,一枚板の帯戸だとか,広い板を見て,昔の人がどんな方法でこんな板を作ったのだろうと驚くのですが,それはこうしたツガイ挽でやったのです。

(つづく)
木挽1228。
《写真 左》横挽鋸 ①②は立木を伐り倒す時用う。又倒した気を玉切るに用う。
  ③④は大木を伐る時に首を長く継きたして用う。
《写真 右》① ヨキ 杣が木を伐る時用う。
  ② ハビロ 昔,角材をさめる時用う。
  ③ ダイギクののサヤ
  ④ ダイギリ 昔の横ビキ。用途は上に同じ。
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2020年12月27日

門松づくり。昔の炭焼(5) (つくで百話 最終篇)

門松1227。 天気が良く,気温が上がって,この時期にしては暖かい日でした。

 午前中,地区の白鳥神社の掃除と門松づくりでした。
 門松づくりでは,きちんと材料が用意され手際よく進みます。途中,一年ぶりで「縄はどう縛るんだった…。」と皆で頭をひねりながらも,正月を迎える門松が立ちました。
 ありがとうございました



 今年も,一年を振り返り,新しい年を迎える準備をしながら,いつもの詩を読み返しました。
 ロバート・フロストの『The road not taken(歩む者のない道)』です。
 黄色い森の中で道が二つに分かれていた
 残念だが両方の道を進むわけにはいかない
 一人で旅する私は,長い間そこにたたずみ
と始まります。
 新型コロナ禍のなか,いろいろな分かれ道に出会い“新しい選択”をしてきました。これからも分かれ道があり,初めての選択をすることが続くでしょう。
 そこで,どのように選択をするのか。
 新年を迎える前に,きちんと振り返り,次に向け考えます。



 『つくで百話 最終篇』(1975・昭和50年7月 発行)の「民族と伝承」の項からです。
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    昔の炭焼   遠山義一

(つづき)
 木炭改良  木炭の改良については,明治二十四年頃杉平村で,木炭製造の全国的権威者 田中長嶺先生を招いて講習会を開き,田中式といわれた黒炭窯の指導を受けたのが,改良炭がつくられることになった端緒であると思われます。その後,八名郡山吉田村に移られた田中先生は,同地の織田源松氏とともに研究改善された八名窯を創設されて,これを全国的に普及せられました。
 大正時代に入ると木炭組合が結成されて,品質改良・製品販売の合理化が企図せられ,自主的に検査をして,甲・乙・丙または一・二・三等級に格付されました。黒炭では,充分炭化していないために燻るものは不合格とされました。
 昭和時代になりますと,各地で製炭講習会も開催されて技術の向上が図られ,県営の木炭検査も施行せられ,従来の木炭と較べると,格段の向上進歩が遂げられました。太平洋戦争に突入しますと,エネルギー源としての木炭の価値は一層強く認識せられ,国営検査も行われることになり,品質・撰別・規格・俵装なども全国的に統一せられました。その頃になりますと,木炭の自由販売は禁止せられ,国を挙げて木炭の増産に邁進することになりました。木炭が,このように重要視されることになったのは,前後未曽有のことでした。
 昭和十三年から,木炭の燃焼によって発動機を動かすことが研究され,木炭瓦期発生機の発明から,これを装置した自勤車──新謂,木炭自勤車が走ることになり,木炭がガソリンの代用をしました。従って,これに適応した木炭の製法も研究され,焼き方も幾分変りました。これによってできた木炭を瓦期用木炭と称して別扱いされました。
  戦後の木炭事情  終戦後も,木炭の需要は少しも衰えず,数年間木炭ブームが続きました。当時木炭検査員をしておられた荒井一氏の要請で,昭和二十三年十二月五日から翌年一月五日まで,新信濃窯製炭講習会が中河内で開催され,私が育成した大沢甲子郎氏(長野県長水地方事務所製炭指導員)を派遺しました。また翌年は,黒瀬で開催された木炭講習会に,長野県上水間木炭改良組合指導員 峯村吉次郎氏を講師として派遣しました。その後,守義・木和田・田原・大和田などの講習会には私も参りまして,皆さんとともに研究いたしました。
 昭和三十年代になりますと,電力・石油事情の好転,プロパンガスの普及に伴って木炭は順次斜陽の一途を辿ることになりました。作手村でも昭和五十年の今日では,炭焼さんは十指に達しないのではあるまいかと思われます。
 私事にわたって恐縮ですが,私は鳳来町只侍の生れで,若い頃は郷里で炭焼に精をだしました。作手村には親戚もありましたので度々まいりました。
 郷里で炭焼をしている間に,遠山式製炭法を考案して,東三河の木炭技術の向上に微力をつくしました。大正十三年長野県林業技手として長野県庁に奉職,自来製炭の改良向上に専念しました。昭和二十六年六月,林業専門技術普及員国家試験(前高等官待遇)に合格し,引続き木炭改良につとめましたが,同二十九年六月希望退職しました。思えば木炭とともに生きてきた五十年の生涯でした。
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【関連】
  ◇『The road not taken(歩む者のない道)』(ロバートフロスト)(Ronshi)


備忘録;昨日のFacebookにメモした動画】
 先日の『サントリー1万人の第九』(MBS)の放送の中で流れたCM。
 日々のなかにある「希望」に目を向け,しっかり捉え,未来(あす)へ向かいたい。
 「2021の希望」へ。


 BOSSで「ことし(365日)」を振り返る。
 日々の歩みに目を向け,しっかり捉え,未来(あす)へ向かいたい。
 「すべての1歩に,感謝を。
  


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2020年12月26日

正月の蘊蓄(4) 「お節料理」

餅1226。 朝は雪が降ることの心配になる空模様でした。細かな雪が舞い,日が出ても寒い一日でした。



 正月の蘊蓄,最後は「お節料理」です。

 黒豆,かまぼこ,紅白なます,田作り,栗きんとん…
 お節料理が,現在のような形になったのは江戸時代の後半だそうです。お節料理は,江戸の粋やユーモアを凝縮した庶民文化から開花したものです。 江戸の人々の暮らしが豊かになり,正月の料理も様々なものができましたが,お節料理の意味や謂れに共通しているのは,豊かに暮らせること,一族の繁栄を願うことです。

 そもそもの由来は,正月の「節供料理」で,宮中のお節供(おせちく)の行事からきています。
 お節供は,節日に神に供えたものです。宮中では,1月1日(元日),7日(人日),3月3日(上巳),5月5日(端午),7月7日(七夕),9月9日(重陽)といった節日には ,神に神饌を供え祭り,宴を開きました。
 お節料理は,宮中のしきたりが民間に広まったものです。それが,やがて正月にふるまわれるご馳走を「お節料理」と呼ぶようになりました。そして,その土地や時代によって変化してきました。
 正月に神に供えた供物を下げてきて一族で分かち合って食べることを,「直会」(なおらい)と言います。正月には家族が集い,感謝と祈りをこめて新しい年を祝い,ご馳走を食べるのです。

 お節料理の名前には,それぞれ意味があり,それを記しておきます。
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黒豆
 まめ(健康)に暮らせるように。
 黒豆を上手に炊き上げることができれば,お嫁さんの及第点といわれたくらい,豆を軟らかく炊き上げるには,技術も経験も必要です。また,植物性の高タンパクである豆は, 肉食の風習がなかった昔では,欠くことのできない栄養食品でした。
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数の子
 子孫繁栄。二親から多くの子が出るのを好き事とし,古くからおせちに使われました。かつて,数の子は日本中どこでも入手できる一般的なものでした。
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田作り
 豊年豊作祈願。江戸時代の高級肥料として片口鰯(いわし)が使われ,豊作を願い田に肥料として撒いたことから名づけられました。
 片口鰯の小魚を天日で干し上げたごまめを砂糖としょうゆで調理したものです。
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昆布巻
 喜ぶの言葉にかけて,昆布はお正月の鏡飾りにも用いられています。
 日本料理の必需品 ともいえる大切なもので,健康長寿がえられるといわれます。お節料理には,煮しめの結び昆布,昆布巻といろいろと使われます。
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紅白かまぼこ
 かまぼこは,初めは竹輪のような形をしていました。やがて江戸時代,様々な細工かまぼこが作られるようになると,祝儀用として欠かせないものになっていきました。
 紅はめでたさと喜びを表わし,白は神聖を表わします。上棟式や結婚式に紅白のもちを撒く習慣があるように,お正月は紅白の色で祝いたいものです。
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紅白なます
 お祝の水引きをかたどったものです。生の魚介などを用いて,大根,にんじんと酢で作ったことから,「なます」の名がつけられました。
 「大根の医者いらず」といわれるように,紅白のめでたい色合いばかりではなく,ビタミンCが豊富で,風邪もひきにくくなる食べものでもあります。
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錦たまご
 黄身と白身の2色が美しい錦玉子は,その2色が金と銀にたとえられ,お正月料理として喜ばれます。2色を錦と語呂合せしているともいわれます。
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金平ごぼう
 江戸初期に誕生したごぼう料理です。豪傑金平にちなんで,この滋養たっぷりのごぼう料理を金平ごぼうと呼ぶようになりました。強さや丈夫さを願いました。
 ごぼうは,細く長く地中にしっかり根を張り,お正月料理やお菓子に重要な役割を果たしています。宮中でお正月に配られる花びら餅の芯にも,ごぼうが用いられ,大切に扱われてい ます。
 たたきごぼうは,軟らかく煮たごぼうを叩き,身を開いて,開運の縁起をかついだものです。
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里芋
 里芋は子芋がいっぱいつき,子宝に恵まれるようにの意味です。
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 めでたいに通じる語呂合わせです。江戸時代に始まった七福神信仰とも結びつき,鯛はおめでたい魚として有名です。
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(だいだい)
 代々に通じる語呂合わせです。子孫が代々繁栄するようにという願いが込められています。
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栗金団
 黄金色に輝く財宝にたとえて,豊かな1年であるようにという願いが込められています。
 「栗金団」というお菓子は室町時代に既にありましたが,いわゆる,おせち料理の栗金団とは別物だったようです。この頃の栗金団は栗餡を丸めたもの。現在の形になったのは明治時代のことです。「金団」とは黄金の団子という意味です。くちなしの実で黄色に色付けて仕上げます。名前の語呂合わせではなく,見た目の“黄金”の色合い,豪華に見える様子から使われるようです。
 また,「勝ち栗」という言葉があるように,栗そのものが昔から縁起のよい食べ物として尊ばれてきました。日本中のどこでもある栗は,山の幸の代表格です。
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伊達巻き
 「伊達」とは,華やかさ,派手さを形容します。華やかでしゃれた卵巻き料理ということで,お正月のお口取りとして用いられました。
 伊達巻きは,蒲鉾を作る際,つなぎに卵白を使用しますが,黄味の部分が余ってしまうので,それを活用するために考えだされたものです。
 お正月には巻物がよく出てきます。昔の人は,大切な文書は巻物に装丁し,絵は掛軸に仕立て,家宝にしていました。江戸時代,長崎に伝えられたしっぽく料理の中に,「カステラかまぼこ」というものがありました。これが江戸に伝えられ,伊達者達が着ていたドテラに似ていった事から伊達巻と呼ばれるようになったようです。
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えび
 腰曲がりえびは,長いひげをはやし,腰が曲がるまで長生きすることを願ってお正月飾りやおせちに用いられます。
 伊勢えびから,小川の川えびまでいろいろですが,お重詰の中には,小えびを串で止めた鬼がわら焼がよく用いられます。
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お多福豆
 「阿多福」という字が当てられ,文字通り福を招く食べ物として,祝い膳にはよく登場します。
 空豆の一種で,その形が,ふくよかなおたふくの顔に似ているところから,この名前がつけられました。
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菊花かぶ
 大根とともにジアスターゼに富んだ大変消化よい食べ物です。これをおめでたい菊の形に飾り切りし,食紅であざやかな紅白に染めて,酢のものにしたてたのが菊花かぶです。
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小肌粟漬
 小肌は,コノシロという魚の成魚になる前の名前。つまり,出世魚なので縁起がよいたべものとされています。
 小肌粟漬は,小肌の切り身を蒸した栗と一緒に酢漬けにしたもの。栗はクチナシで鮮やかな黄色に染めています。栗は五穀豊穣を願ったものですが,防腐効果 もあるという知恵も隠されています。
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百合根
 百合根は,球根の鱗片が多く重なっており,その鱗茎の数々が相合う事が和合に通じるとされています。
 百合根は薬効もありますが,吉祥の象徴です。
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 さて,お節料理ができあがると,それらをお重に詰めます。その順番は,
一の重が「祝肴」。
二の重」「酢の物」。
三の重が「焼き物」。
与の重が「煮物」。(忌み数字の四をきらってこう書く)
五の重が「控えの重」。
とすることが多かったそうです。
 しかし,地域によって二の重が焼き物だったり,どこでも通じる決まりごとはないようです。

 形式にとらわれるよりも,新たな年を祝う心,家族の息災や繁栄を祈る心が,一番大切なことです。
 よい年をお迎えください。
お年玉1226。
  
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2020年12月25日

昔の炭焼(4) (つくで百話 最終篇)

ケーキ1225。 今朝は厳しい冷え込みはありませんでした。
 天気のよい日だと思っていましたが,雪混じりの雨が降っていました。気温は低かったですが,日陰にあった雪も雨で溶けたようです。

 写真のケーキは,先週の「クリスマスフェスタ2020」のイベントで作っていたものです。家族で美味しく味わったことでしょう。
 年末に向け,寒さが増してくるようです。暖かくして過ごしましょう。



 『つくで百話 最終篇』(1975・昭和50年7月 発行)の「民族と伝承」の項からです。
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    昔の炭焼   遠山義一

(つづき)
 ネラシができた炭(窯口に近い方の)から「いぶり」で窯の外に掻き出して「スベ」(灰と砂を混ぜて水で湿したもの)をかけて火を消します。こうして出来た炭を白炭と言いました。これは堅いから堅炭とも言いました。
 「スペ」は,消し粉または素灰ともいい,土と粉炭を混ぜてつくり,何回もくり返すほど良質のものとなりました。
 時代の流れとともに,白炭に代って黒炭が次第に多くつくられるようになりました。これは,燃焼が終ると,空気穴やフドを密閉して空気を遮断し,窯の中で消火する方法で,現在最も多く採用されております。
 こうしてつくられた炭は,表面が黒いので黒炭といいます。また,白炭よりも軟かいので,軟炭とも呼んでいます。
 黒炭の窯は,二十俵から五十俵も出るぽど大きくなりましたし,原木を窯の中へ入れて出炭するまでに一週間から十日もかかり,中には,月二回出炭というものもありました。窯は土でつくったので,土窯炭ともいいました。
 木炭の品質は,製炭技術とともに原木の種類や良否によって左右されるのもやむを得ませんでした。栗・椎・キハダ・シナ・ヤマウルシなどの原木からつくられたものは並等品で,中白・中黒などと呼ばれました。
炭焼き1225。 右の種類の原木以外の雑木類でつくられたものは,上白・上白一本撰・浅上一本撰などと撰別せられ,長さ五寸(約一五センチ)に切り,一本一本撰んで俵に入れたものを一本撰といいました。櫟・楢などは優良品で,樫上の一本撰は最高品でした。
 木炭の販売  作手の南部方面で出来た炭は,多くは女子衆が背負ったり,馬につけて新城の問屋ヘ運びました。中部・北部方面のは,田原の炭屋へ運ばれました。大勢の女房どもが,列をつくってがやがやしゃべりながらの炭運びは,中々の壮観でした。問屋では,すぐに現金で勘定してくれましたので,昧噌・醤油・塩・反物などの日用品を買って帰るのでした。また,主人のためにドブロクの一升徳利を仕入れたり,子供のために飴玉を買うなどの微笑ましい風景もみうけられました。

(つづく)
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2020年12月24日

子供達の学びと成長。Xmas。

夜景1224。 朝は日差しがありましたが,雲が広がり曇りの一日でした。


 県内の小中学校は2学期の終業式を終え,今日から冬休みです。夏休みは,臨時休校の遅れを取り戻すように短縮されましたが,冬休みの短縮は行われないようです。

 昨日の学校では,残り3か月の過ごし方についてお話(指導)があったと思います。
 新型コロナ禍で,学校生活のすべてが見直され,変更されてきました。臨時休校で始まった1学期(夏休みまで)に比べ落ち着いてきた2学期(冬休みまで)は,子供にとって新しい学校生活の「創造」と,未知・未開への「挑戦」の日々だったと思います。
 そのような“時間”と“活動・行動”について,先生と子供は,どのように“総括(振り返り)”したでしょうか。
 そのことが,終業式の式辞で校長先生から語られ,学級で話し合われたことでしょう。帰宅したお子さんは,どのような話をしていましたか。


 一方で,新型コロナウィルス感染の拡大(第3波)の現状から,学年末に向け“決断”を迫られることが出てきています。
 例えば,卒業式の開催方法をどうするのか。昨年度の混乱した状況は避けたいでしょうが,一昨年までのようにはいきません。“新たな卒業式の形”の準備は始まっています。
 今週(21日)の記事で,校長先生が生徒に「苦渋の決断」や「断腸の思い」を伝えたことを紹介する学校ホームページがありました。
  ◇<校長室の窓> 思い出深い卒業式にするために(一宮市立南城中学校)

 この冬休み,校長先生はじめ先生方は,改めて“「教育の目的」の再確認”や,“「学習指導要領の目標と内容」の確認”を行い,4月からの教育活動,カリキュラムの“創造”に取り組まれることでしょう。

 みなさん,充実した冬休みをお過ごしください。



 明日(25日)はクリスマスです。
 新型コロナ禍のクリスマス,そして聖夜を,どのようにお過ごしですか。

 今年のサンタクロースは,どのようにしているでしょう。
  ◇Official NORAD Santa Tracker
  ◇NORAD Tracks Santa(YouTube)
  ◇Official NORAD Tracks Santa! (@noradtrackssanta_official)(Instagram photos and videos)


 この頃になると聴きたくなるの曲の一つが「HAPPY XMAS (WAR IS OVER)」(John & Yoko)です。
 ジョン・レノン(John Lennon)の生誕80年,没後40年を迎えることで,特集などで取り上げられる一曲でもあります。
 次の動画(リンク)は,“戦争(WAR IS OVER)”を深く考える機会が得られますが,年齢制限(視聴制限)が付けられています。
 親子でご覧になっては,いかがでしょう。
  ◇HAPPY XMAS (WAR IS OVER). (Ultimate Mix, 2020) John & Yoko Plastic Ono Band + Harlem Community Choir(YouTube)

 次の動画「Happy Christmas(War is over) 2020」は,クリスマスの雰囲気いっぱいです。



【おまけ】
 10年(?)ほど前,『Happy for No Reason: 7 Steps to Being Happy from the Inside Out』(邦題;「脳にいいこと」だけをやりなさい!)』という本が発刊され,そのなかで「幸せへの7つのポイント」が述べられていました。
 今ではよく耳にする言葉,もっと具体的な表現もありますが,この頃は珍しい視点(ポイント)と解説でした。

 新型コロナ禍で,何となく気持ちの沈んだ感じになっています。ポイントを意識して“幸せ”に向かいましょう。
1 ネガティブ思考の「大そうじ」をする。
2 プラス思考で,脳にポジティブな回路をつくる。
3 何事にも「愛情表現」を忘れない。
4 全身の細胞から健康になる。
5 瞑想などで脳を「人智を超えた大いなる力」につなげる。
6 目標をもち,脳に眠る才能を開拓する。
7 つき合う人を選んで,脳にいい刺激を与える。


【参考】
  《検索》 もしも校長だったら(集団「Emication」)  


Posted by ガク爺 at 17:00Comments(0)日記教育

2020年12月23日

D.LEAGUE。昔の炭焼(3) (つくで百話 最終篇)

温泉1223。 天気の良い日が続き,空気が乾燥しています。これまでなら「風邪に気を付けましょう」というところですが,今は,風邪はもちろん,新型コロナウィルスを家に持ち込まないように感染予防に努めるとともに,体力維持休養をしっかりと!



 来月,D.LEAGUE(Dリーグ)開幕するのをご存じですか。
 子供達にも人気のダンスのプロダンスリーグが8月に発足し,その最初のレギュラーシーズンです。
 「D.LEAGUE」は、“世界中すべての人に、「ダンスがある人生」をもたらす”を Mission に、リーグの活動を通しダンスの裾野を広げ、ダンスが誰でも楽しめる、全ての人の「人生に欠かせないもの」になる 『NEW STANDARD』 の創造を目指します。
 子供達が目標とする新しい“舞台”ができました。
 Dリーガーの熱い戦いが始まります。



 『つくで百話 最終篇』(1975・昭和50年7月 発行)の「民族と伝承」の項からです。
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    昔の炭焼   遠山義一

(つづき)
 三河方面にも,美濃の国から炭焼族が大勢入り込んできました。美濃衆は,製炭技術が進んでいて,良質炭を沢山つくりましたので,その技術がだんだん取入れられました。所謂,美濃窯の普及によって,作手郷の炭焼も一段と向上しました。
 つぎに,窯の天井つくりについてお話いたします。窯腰ができあがると,窯の中へ炭木を積込んで,その上に甲形盛といって,大・中・細材を長短各種に切り,窯の奥に向って縦に大材から並ぺ,だんだん中材,細材の短いものとならべ盛りあげて亀の甲形とします。高い所は窯幅の最も広いところで,高さは横幅の半径の三割~四割高くこんもりと造る。その上に莚類を披ぶせて,その上に火に強い粘土を七・八寸厚みにのせて,槌で打ち固めて天井とします。この外に,白炭窯で天井を石でつくる場合は,土をのせる前に,火に強い長さ一尺二・三寸の細長い石を窯腰から甲形にそって一周り並べ,その上に粘土をよく練ったものを打ち込み,それが終るとまた並べ,また粘土を置く。こうして徐々に廻って行くと天井ができあがる。石と石の間に礫を打ち込み,更に石が見えないくらいの厚みに,五寸くらい粘土を被ぶせて槌で打ち固める。これを半石半土法といい,石天井の一種でありました。炭焼が始った当初の窯は、一俵か二俵だしの小さいもので,夕方原木の詰めこみをして口焚きをする。火がついてからも盛に空気を入れて,翌朝までに焼きあげるものでした。出来上ったものは量も少く,軟かで品質も劣っていましたので,原木に火が燃えつくと空気穴を小さくして燃焼に時間をかける,留窯という方法が採用されました。これは製炭技術の一大変革でありまして,これから後は,隔日または三日・四日おきに出炭することになり,収量も多く,一段と上質の炭ができるようになりました。
道具1223。 この頃の窯は,四俵から八俵(一俵は八貫)出しのものが多く,窯を築くのに石を使うことが多かったので石窯といって,できた炭を石窯炭といいました。
 製炭の方法  原木の詰めこみが終ると,口焚きといって枯枝や枯木で火をつけました。始めはフド──煙道から水蒸気を主とした白い煙がでますが,原木に火が完全につくと,黄色味を帯んだ鼻をつくような煙に変ります。これを「キナになった」と言います。一日もたつと,だんだん青い煙がでるようになります。これを「青になった」と言いました。時間が経つと青も次第に少くなり,終いには全然煙がでなくなります。これで完全燃焼ができた証拠です。その時,窯口の部分に点々と空気穴をあけ空気を入れると,炭は真赤になり,黄金色となり,硬くなりま
す。これを「ネラシ」(精煉)または「ネラシをかける」と言います。

(つづく)
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 注)『つくで百話』の記事は〈タグ「つくで百話」〉で


【関連】
  ◇D.LEAGUE(Dリーグ)
  ◇D.LEAGUE (@dleague_jp)(Twitter)
  ◇D.LEAGUE (@dleague_jp)(Instagram)  


Posted by ガク爺 at 17:30Comments(0)日記作手

2020年12月22日

最低気温。『あいまいな会話はなぜ成立するのか』(時本真吾・著)

イベント1222。 天気のよい日になりました。風がなく昨日までの寒さは和らいだようです。でも,寒い!

 昨日(21日),とても寒い朝でした。夜中,布団の中でも寒さを感じました。そのまま一日過ごして,夕方の天気予報で“当地における12月の最低気温”であることを知りました。
  ◇《新城市》 観測史上1~10位の値(12月としての値)(気象庁)
 寒い時期の2月でも10位に入る気温でした。

 今季は,寒い日の多い冬かな…。



 先週末から,つくらんと!つくで!主催の「クリスマスフェスタ2020」が,新城市つくで交流館で開かれています。
 地域の作品展やクリスマス関連図書の展示があり,さまざまなワークショップが行われています。24日(木)までです。お近くの方は,お立ち寄りください。
  ◇おいでん!クリスマスフェスタ2020 ーつくらんと!つくで!ー(つくでスマイル)
  ◇つくで交流館でクリスマスフェスタ2020開催中(三河山間地「新城及び作手郷」のチョット発見)



 本の表紙の帯部分に
コーヒー飲む?
明日,朝が早いんだ

哲学・言語学・心理学から
脳科学まで展望し
コミュニケーションの
謎にせまる
とあった『あいまいな会話はなぜ成立するのか(岩波科学ライブラリー)が気になって,手にしました。
 改めて裏面を見ると,
 日常会話は遠回しな表現でみちているにもかかわらず,聞き手は話し手の糸を直ちに理解する。 なぜ言葉になっていない糸を推測できるのか? なぜ推測はほどほどでおさまるのか? なぜ遠回しな表現をするのか? 3つの不思議を念頭に,哲学・言語学・心理学の代表的理論から,現代の脳科学に基づく成果まで紹介する。
と本書を紹介されていました。

 日本人の会話は,そこで表現される“言葉”は曖昧だと言われます。それで“困ること”はあまりありません。
 それが“今も同じ”かというと,「明確に…」「分かりやすく…」と言われる(指示される)ことが多くなっているように感じています。
 その“こえた”の見つかりそうな図書だと期待し,読み始めました。

 いつもは本を読み終えて「○○にお薦めです。」と書くのですが,それを躊躇します。
 本書を読んで「分かったような気がする…」のですが,話(説明?)の組み立てや内容が,自分が読み進むには“難しい”ものでした。
 研究論文や学術書を読みなれた方には,分かりやすい内容かもしれませんが,読んでいて“こえた”には辿り着けなさそうで,熟読は無理でした。そして飛ばすと分からなくなると,迷子になってしまいました。
A1「竹本さん,女の子が生まれたんだってね。」
A2「竹本さん,赤ん坊が生まれたんだってね。」
B「お祝いを贈る?」
C「女の子には服がいいね。」
 4人の会話です。それぞれの言葉(会話)の意図や,その後の行動(答え)が想像できますね。
 本書では,こうした“具体場面(会話)”が示され,その説明があります。
 この会話は「現在の意思についての間接的回答」であり,「脳波で見る合意の理解」の項でした。……

 ここまでにしておきます。
 興味のある方は,どうぞ。


 読書メモ
○ 「机」の意味がわかるということは,机と机以外のものを区別できるということに違いありません。でも,あるモノが机か,机でないかを決めるときに,色や形や素材は決め手になりませんので,「机」の意味をモノで表すことは,やはりできません。
○ ある行為xが相手の「顔」をつぶす危険度を見積もる公式
  危険度(x)=距離(話し手,聞き手)+力(聞き手,話し手)+負荷度(x)
   力:聞き手の話し手に対する力
   負荷度(x):ある文化における行為xの負荷度(深刻さ)
○ 協調の原理
  下位原則
   (1)(発話内容の)量の原則
   (2)(発話内容の)質の法則
   (3)(発言内容の)関係の原則
   (4)(発話の)様態・方法の法則
○ サリー・アン課題は,事実を知らないために他者が間違った判断をすることを予測できるかどうかを問うているので誤信念課題とも呼ばれます。

  目次

第1章 言わないことが伝わる不思議
第2章 会話は助け合いである
第3章 人間は無駄が嫌い
第4章 体面が大事
第5章 うやむやにした方が得
第6章 謎はどこまで解かれたか
参考文献
  
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Posted by ガク爺 at 17:00Comments(0)日記読書