2021年03月31日

桜満開。不思議な狩人 (つくで百話 最終篇)

桜0331。 「暑~~い!
 寒暖の変化に,まだ体がついていっていません。気温が上がり,暑い一日でした。

 作手高原(標高500m)の桜も満開を迎えています。樹種や場所によりますが,いつもより早く開花しています。
 明日から4月。感染予防をして,高原のを愛でに作手高原へお越しください。


 2020年度の最終日,そして明日から2021年度が始まります。お手伝いしていることは,新年度が“期限”となります。「の…」を捜しながらの新年度が始まります。もう少しお手伝いたいできることは…。



 『つくで百話 最終篇』(1975・昭和50年7月 発行)の「昔話と伝説」の項からです。
********
    不思議な狩人

*「狩漁の達人犬千代さ」に続いて
 山で狩などしていた者の中には,平地の人々が想像も及ばぬような不思議な感応や経験をもった人物があった。つい近頃聞いた話などもその一つである。実は,不猟つづきに弱り込んだ狩人たちが何処からか聞き出して頼みこんで来たのが最初で,評判になったと言うた。まだ四〇代の体の小締りに締ったというほか,格別見たところ変ってもいなかった。ただ不思議なことは,山へ入ったと思うと,猪のいるかいないかすぐ判ったそうである。鼻で嗅ぎ出すのだろうとも言うたが,話の様子ではそればかりでもないようだ。それについて,自分の知っている狩人の一人が言ったことがあった。猪の後を索めて歯乃をわけて行く時など,今の先,猪が通ったと言うようなことが,ふっと胸に浮ぶのが,殆んど間違いなかったと言う。そうした官能の働きで,所在を知ることは,驚く程確かだったそうである。しかも山を跋渉することの自由自在で,少しも倦むことを知らぬには,一緒に狩りをした者が,何れも舌を巻いたという。心持ち上半身を前屈みにした中腰の構えで,頭を前に出して小股に歩いて行く様子が,まことに尋常でなかった。如何な茨のボロウの中でも,たちまちくぐり抜けるにはとても真似など出来なんだと言う。犬千代と渾名があると言うから,千代何とかの名前らしいが,逢ったわけではないから詳しいことは判らない。南設楽郡川手の者だ,とは聞いた。
 獣のことや猟の方法など,何から何まで気持ちのよいほど知っていたそうである。狩りをすますと同時に,三日ほどいただけで何処かへ去ってしまったと言う。お蔭で頼んだ狩人たちは,思いの外獲物があった。何なら毎年頼みたいと言うたとも聞いた。あまり珍しいから,いろいろな噂を聞いてみた。
 生家は,村でもかなりな家柄だそうである。相当教育もあって,村長ぐらい出来るなどと言うた。ただ,持って生れた病と言うのか,狩をしたり魚を捕ることが好きなために,家にもいつかれないで方々を渡り歩いていると言う。至って仕事が嫌いで,宿屋を泊り歩いていても,一間に閉じ籠もって朝から酒ばかり飲んでいた。宿銭が溜った時分に,釣の道具を持って,ふいと出て行ったと思うと,晩方までにはびっくりするほど鰻をとって来たそうである。それで払いを済ますと,また暫らくは遊んでいたと言う。魚に不自由な山の中の宿屋などでは重宝がった。ただ長くいつかぬので困ると言う。鰻など一日に三貫目も,提げて来るかと思うほど,速く捕って来たと言うが,どうして捕るかなどと質問すると,ふっと無口になって,話そうともしなかったそうである。鰻にしても鯉でも,餌で釣っていたことは確かであったと言う。何だか悉く信じられないような点もある。
 時とすると,まだ,こんな人がいたのである。
   (早川孝太郎全集第四巻より)  峯田通悛
********
 注)これまでの記事は〈タグ「つくで百話最終篇」〉で
 注)『続 つくで百話』の記事は〈タグ「続つくで百話」〉で
 注)『つくで百話』の記事は〈タグ「つくで百話」〉で  


Posted by ガク爺 at 17:00Comments(0)日記作手

2021年03月30日

『コロナと潜水服』(奥田英朗・著)

ビットコイン0330。 暖かい日になりました。肌寒さを感じる風もなく,柔らかい日差しで気温が上がりました。
 ただ,当地も“黄砂”が飛来したようです。視野が遮られるほどではありませんが,床を拭くと色が変わりました。困ったことです。



 昨日のニュースで,「VISAが米ドルに連動するステーブルコインを決済に利用する計画が報じられた後、反発した」と報じていましたが,それ以前から仮想通貨の価格が上昇しています。株価も30,000円に迫っています。
 こうした“上昇”と“実体経済”が乖離しているとも言われますが,これからの動向は…。



 表紙に描かれた"星座”,それを眺める"親子”,そして題名の"コロナ”が気になった『コロナと潜水服』(光文社・刊)を読みました。

 5作が収録された短編集で,表題作は4番目です。
 読み終え,奥付の前に「Spotifyプレイリスト」があり,そのQRコードも掲載されていました。作品に,いろいろな曲が登場しており,そのプレイリストでした。この曲を聴きながら読むと,作品の読み方が変わったかもしれません。
 本書を読む前に,プレイリストの確認をしておくとよいと思います。


 最初の「海の家
 ひと夏,家族と離れて暮らすことになった。
 村上浩二は四十九歳の小説家で,二歳年上の妻と,大学生の娘と息子がいた。
 この小説家が暮らすことになった葉山御用邸近くにある"築九十年くらい”の日本家屋です。
・ ペットボトルの水を飲み,一息つく。そのとき背中に視線を感じた。
・ そのとき,二階の廊下を誰かが走る音がした。トントントン。浩二は子供の足音だと思った。
・「走らないでください」
 浩二が教師のような口調で声を上げた。ピタッと音がやむ。
 その家で耳にしたのは…。
 家の近所で,海で出会ったのは…。

 怪談のような話,怖い話かと思いながら読みますが,主人公のところに現れる「見えない何か」が,存在感をもって語りかけてきます。
 5作それぞれの「見えない何か」が伝える"こと”に,心が温かくなってきます。
ファイトクラブ」早期退職の勧告に応じず,追い出し部屋に追いやられた三宅邦彦(46歳)が,新たに始めたこととは…
占い師」人気プロ野球選手と付き合うフリー女性アナウンサー 浅野麻衣子が,恋愛相談に占い師を訪ね…
コロナと潜水服」テレワークとなった渡辺康彦(35歳)が,5歳の息子から"命令”のように言われて…
パンダに乗って」ずっと欲しかった古いイタリア車を手に入れた小林直樹(55歳)が,新潟で受け取り,運転を始めると…
 どの話も,ちょっと不思議なファンタジーです。
 読み終えて,ほっこり,笑顔で,優しい気持ちになれる作品です。

   Contents

海の家
ファイトクラブ
占い師
コロナと潜水服
パンダに乗って


【関連】
  ◇小説宝石(光文社)



【おまけ】
 朝刊に,愛知県・名古屋市の教職員異動が掲載されていました。
 中日新聞Webの「先生サーチ 教職員異動検索」でも異動が調べられます。先生サーチ0328。


 「あの先生は,どこに異動した?」に応えてくれます。

*検索項目
 「氏名
 「異動区分
 「職名
 「新勤務先
 「旧勤務先」  
タグ :読書


Posted by ガク爺 at 17:17Comments(0)読書

2021年03月29日

『デジタル・シティズンシップ』(坂本旬・芳賀高洋・豊福晋平・今度珠美・林一真・著)

花0329。 昨夜,警報の出るような豪雨でした。朝から青空になると思っていましたが,曇りでした。
 午後になって晴れ,気温も上がって暖かい日になりました。



 3月最終週,後半は4月,新年度2021年度)が始まります。
 学校では,新学習指導要領が小学校に続き中学校で完全実施されます。社会の構造的変化に対応できる「社会に開かれた教育課程の実現」を目指し,
○ 何ができるようになるのか(資質・能力の三つの柱)
○ どのように学ぶのか(主体的・ 対話的で深い学び)
○ 何を学ぶのか(教育内容の改善・充実)
そして,小学校「英語」の教科化,「使える英語」の習得,「プログラミング教育」の充実・必修化,「特別の教科 道徳」の開始などを改定のポイントとして,学校教育の改善・充実に取り組んでいます。
 小学校は,2020年度が臨時休校から始まったことで,"改善・充実”は十分に進められず,2021年度を"スタート”となっているかもしれません。

 不謹慎な表現ですが,新型コロナ禍で"新しい教育”が一気に進んでいます。その一つがGIGAスクール構想による"ICT環境の整備・運用”です。授業や学習に,子供達が1人1台の端末を利用できるようになりました。


 その「コンピュータ1人1台時代の善き使い手をめざす学び」を述べる『デジタル・シティズンシップ: コンピュータ1人1台時代の善き使い手をめざす学び』(大月書店・刊)です。
○ 「情報モラル教育」から、「世界標準」のデジタル・シティズンシップ教育へ。ネットの危険性を叩き込むのではなく、参加型学習によって対話しながらデジタル技術・思考を身につけ、社会を主体的につくる学びへと誘う。
○ デジタルという言葉が意味をなさないほどにデジタルとアナログが溶け合う現実。そんな子どもたちと共に生きるすべての大人が読むべき教科書。
 学校・教育に限らず,"新しいこと”に出会うと,自分がこれまでに経験した・知っていることから"似ているもの"で理解しようとします。
 しかし,新型コロナ禍で,それでは十分でないことを経験しました。新型コロナウイルス感染症への"予防対策・対応”は,新しい知見が明らかになり,その都度アップグレードされてきました。
 「デジタル・シティズンシップ」は,"情報モラル教育”が変わったというより,"新しい知見によりグレードアップしたもの”として学校・教育が受け入れていくことだと思います。
○ STEAM教育や1人1台のPC環境の整備など,ICT教育をより前進させるために不可欠な施策だ。
○ 未来の市民としてのデジタル・アイデンティを形成し,必要不可欠な資質や能力の育成を目的にしている。
○ 人権と民主主義のための善き社会を創る市民となることを目指すものである。
○ デジタル・シティズンシップは能力であり,スキルである。

 さらに,本書のなかでも"デジタル・シティズンシップ教育”という表現がでてきますが,"教育”を付けず,「デジタル・シティズンシップ」として捉え,進めていただきたいと思います。
 これまで,学校教育に,さまざまな"○○教育”が入って(求められて)きました。それに合わせ"研修”が企画され,"指導モデル”が示され,それをなぞって済ませてきたことは少なくありません。それと同じにはできない,異なるものです。

 本書で,保護者はもちろん地域のみなさんも,4月からの”1人1台PC時代の善き使い手”としての学びを知り,子供達を応援・支援していきたいと思います。
 みなさんにお薦めの一冊です。



 読書メモ
○ インターネットへのアクセスやオンラインのアプリケーションや音楽・画像を利用しようと思った場合に生じる著作権などのさまざまな問題について,自分が理解するだけでなく,身の回りの大人に教え,サポートすることが求められる。
○(情報モラル)脅かして抑制するという発想では,これからのグローバルな世界を生きる子ども・若者を育てることは困難だ。
○ このモラルを著作権の問題として指導することは,筋違いと言える。(略)
 この「交渉」は著作権法的に適法であり,何の問題もない。むしろ,著作権教育としては推奨すべき行為となる。
○ 学力や教育効果は総情報量の増加を前提にした二次的作用である。
○ 子どもや保護者から見れば,家庭では普段からデジタルべったりの生活をしているのに,学校に関わる部分だけはその常識が通じない。
○ 「オンラインおよびICTの利用を前提」とし,その環境で安全かつ責任を持って行動する「心情」ではなく「行動するための理由と方法」を主体的に学び,仕組みを理解するだけではなく「情報技術に関する人的,文化的,社会的諸問題を理解し,法的・倫理的にふるまう」ための「能力とスキル」を育成する
SAMRモデル0329。
   目次

はじめに
第1章 デジタル・シティズンシップとは何か ──坂本旬
第2章 情報モラルからデジタル・シティズンシップへ ──芳賀高洋
第3章 我が国の教育情報化課題とデジタル・シティズンシップ教育 ──豊福晋平
第4章 デジタル・シティズンシップ教育の実践 ──今度珠美・林一真


【関連】
  ◇坂本旬 note
  ◇芳賀 高洋 (Haga Takahiro)(マイポータル - researchmap)
  ◇豊福晋平: TOYOFUKU Shimpei (GLOCOM) (@stoyofuku)(Twitter)
  ◇今度珠美 Digital・Citizenship Educator (@TamaImado)(Twitter)
  ◇林 一真(Facebook)



【おまけ】
 中日新聞Webで「先生サーチ 教職員異動検索」が開設されています。先生サーチ0328。

 教職員の異動が発表された県・市について検索が可能です。
 愛知県・名古屋市の教職員異動も,発表されています。

*検索項目
 「氏名
 「異動区分
 「職名
 「新勤務先
 「旧勤務先」  


Posted by ガク爺 at 17:00Comments(0)読書

2021年03月28日

オンライン勉強会。狩漁の達人犬千代さ(2) (つくで百話 最終篇)

花0328。 雨の日でした。朝のうちは時々小雨が降る程度でしが,午後になって本降りになりました。乾燥していた空気がしっとりした感じになりました。


 午前中,キャリアコンサルタント勉強会にオンラインで参加しました。
 前半は,「交流分析」について説明・解説を受け,自分の回答した"エゴグラムチェックリスト”をもとに交流し,学びました。
【参考】「自我状態ってなんだろう?」
○構造分析;親心,大人心,子供心
 P;親の自我状態(CP;父親のイメージ,NP;母親のイメージ)
 A;大人の自我状態
 C;子供の自我状態(FC;元気な子供の自我状態,AC;素直で従順な子供の自我状態)
交流分析0328。


 後半は,「キャリア教育」グループのキックオフミーティングでした。
 それぞれが考えている"関心”や"活動イメージ”を出し合い,短期目標と長期目標を考えました。
 今後の活動,そして次回までの活動・調査を確認して終えました。

 みなさん,ありがとうございました。そして,よろしくお願いします



 『つくで百話 最終篇』(1975・昭和50年7月 発行)の「昔話と伝説」の項からです。
********
    狩漁の達人犬千代さ

(つづき)
 ある時,猪ボイの一団が,二~三メートルもあるシダの密生地帯にうずくまっている大猪をとり囲んだことがあった。猟犬も中へ入ることができず,周囲を取り巻いているばかりであった。この時,犬千代さは上着を脱いで股引だけの素裸身となって,猪の正面からシダを掻きわけて進んだ。約二メートルの近距離に近付いて,猪の頭をねらって一発ブッ放すと同時に,上体を横倒しにして両脚を高くあげた。若し猪が手負いになって突進してきたら,脚の下を潜ってやり過ごさせる構えであったが,幸い,さしもの大猪も彼の一撃によって仕止められたのであった。正に超人的大胆不敵な彼の振舞いであった。
犬千代さ0328。 伝説的になっている犬千代さの特異な嗅覚も,俄かに信じられない一面もある。彼は猪のふみつけた草の状態や,草を喰いちぎった切口の状況などを仔細に調べて,猪が今日出たか,昨日通ったかを適確に判断した。また,土質の軟らかい段戸山の猪は後足のヒズメが磨滅することが少なく,作手のガラ石山の猪はそれがすり滅っているなど,細かく観察して,どの方向に向うかなどを考えたり,蹄あとの土の乾き加減から,いつ頃猪が通ったかを判断するなど,科学的な考察の上で策戦計画を樹てたところに彼の名人芸が生まれたものであろう。
 三月二日からは,あめのうおが解禁になる。これから夏の終りまでは,犬千代さの仕事場は川にうつる。巴川や寒狭川は,犬千代さにとっては自分の家の池のようなものであった。どこの渕には,あめのうおが何尾いるなどとも話していたが,この言葉はそのまま鵜呑みにすることはできないとしても,川の様子は細かく知っていた。
 近所の家で,祝言に使うあめのうお五〇尾を二〇センチくらいで揃えてくれとたのまれると,期日までにキチンと整えてくれたなどの逸話も残っている。
 彼が釣をしている時に小物がかかってくると,もう少し飼っておくのだと言って川へ逃がしてやったということも,釣り仲間の語り草の一つであった。
 鰹や鰻も,彼にねらわれると逃れることができなかったらしい。新城の弁天渕で釣をした人たちは,何かに釣糸を切られることがしばしばあった。「何かでかいものがおるぞ。」と言っている釣仲間の話をきいた犬千代さは,「俺が退治してやる。」と言って,大きな引っかけ針をもって渕底にもぐっていった。
 どす暗い水底の岩穴に,めざす獲物がひそんでいた。一メートルを超える大鯉だった。犬千代さは,確実にこの大鯉をひっかけると,急いで水面に浮かびあがってきだ。集まってきた釣師たちも,どこでも見たことのない稀代の獲物に舌をまいたそうである。
 犬千代さは,百姓仕事は女房のお松さにまかせきりで,一切手伝わなかった。女手一つで田畑の耕作をきり廻していたお松さは,毎日眼の廻るような忙しさであった。子供たちの世話など中々手がまわらなかった。子供たちは自分勝手に,両親のシャツや絆纒をはおって学校へ行った。履物など履かずに,裸足で遊ぶことが多かった。通学は勿論はだしだった。
 春の彼岸頃になると,子供たちは家の前の巴川へ飛び込んで水泳ぎを始めた。それでも風邪をひくことなど滅多になかった。
「おらがの子供は,いつも肉や魚をふんだんに喰べとるで丈夫だい。風邪なんか引くもんかい。」
とお松さは,いつも得意気に語っていた。
 犬千代さは男四人,女三人の子福者であった。その頃は,小学校の給食制度がまだ無かったので,子供の弁当づくりは家庭の大きな負担であったに違いない。子供たちは,それを良いことにして「今日は弁当をつくってくれんで休むぞい。」などと言って,学校をサボることもしばしばであった。欠席勝ちのため学校の成績はパッとしなかったが,どの子供も知能指数は相当なものであった。健康,機敏などの点では抜群であった。社会に出た子供たちは,夫々の分野でレペル以上の働きをしている。
 犬千代さは器用な男だった。ものを書かせると近所には見られないくらい立派な字を書いた。一時,村役場に勤めたことがあったが,「こんなことは俺の性に合わん。」と,言ってじきにやめてしまった。
 芝居は彼の道楽であった。実弟の玉さも芝居好きであった。地狂言では犬千代さと玉さは人気役者として騒がれたものであった。

 尚,この犬千代さについては,早川孝太郎氏によって,次のような話が発表されている

*次項「不思議な狩人」につづく
********
【「つくでの昔ばなし」掲載】
  ◇犬千代サ(いぬちよさ)

 注)これまでの記事は〈タグ「つくで百話最終篇」〉で
 注)『続 つくで百話』の記事は〈タグ「続つくで百話」〉で
 注)『つくで百話』の記事は〈タグ「つくで百話」〉で



【おまけ】
 中日新聞Webで「先生サーチ 教職員異動検索」が開設されています。先生サーチ0328。


 教職員の異動が発表された県・市について検索が可能です。

*検索項目
 「氏名
 「異動区分
 「職名
 「新勤務先
 「旧勤務先」  


Posted by ガク爺 at 17:00Comments(0)作手キャリア

2021年03月27日

地震動予測地図。 狩漁の達人犬千代さ(1) (つくで百話 最終篇)

花0327。 曇った日で,肌寒い日でした。


 昨日のニュースで,地震調査委員会から「全国地震動予測地図2020年版」が公表されたことが伝えられていました。
 最近も,"東日本大震災の余震”の続く,東北や関東の太平洋側で確率が上がっています。そして,南海トラフ巨大地震の影響が懸念される東海から四国の太平洋側地域を中心に高い確率となっています。

 地震に限らず,いつ災害が襲いかかってくるか分かりません。
 「もし,今,災害が起こったら」の意識をもって,"災害への備え”をしっかりとしておきましょう。



 『つくで百話 最終篇』(1975・昭和50年7月 発行)の「昔話と伝説」の項からです。
********
    狩漁の達人犬千代さ

 犬千代さの家は,作手村の川手部落にあった。県道沿いの犬千代さの家には,小さい子供が六・七人もいたので障子は破れ放題,街道からは家の中が,まる見えであった。とりつきの部屋には,米を入れた叺が四つ五つ並べてあった。叺の上には脱ぎすてた着物が散らばっていた。
 座敷の仕切戸には,犬千代さの愛用の猟銃が立て掛けてあり,そのそばに弾薬帯や背負袋が置いてあった。
 戸間口の板囲いには釣竿が五・六本掛けてあり,魚篭も二つくらい引っかけてあって,ポン千代さの家らしい装いがうかがわれた。
 雨降りの日などには,囲炉裡ばたで煙草きせるをくわえた犬千代さが,義太夫本に見いっている姿も見受けられた。
 この人は,犬のような鋭い嗅覚・視力を持っていて,猪や鹿などの跡を探すことに特別の技能を持っていたことから,世間の人たちが犬千代と呼ぶようになったのだと聞いている。犬千代さは,山の中では体を前かがみにして,小きざみに歩く。ボロウをくぐりぬけるさまは,さながら犬のような早さだと言われていた。
 犬千代さは,晩年の七十五・六才のころ,口癖のようによく述懐していた。
「俺ァ,この鉄砲で猪をどえらいこと射ったもんだ。あと四十五頭で三千ちゅう勘定になる。」
 十五・六の頃から猪ボイをしたと言っていたから,約六十年間に三千頭と言うと,年平均五〇頭射った計算になるが,これにはサバよみがあったらしい。しかし,猪ボイの達人として,東三河一帯に鳴りひびいていた犬千代さの口から聞かされると,そうかも知れないと錯覚を起こさせる程,犬千代さの名は知れわたっていた。
 犬千代さの猪うちのお台所は本宮山であった。毎年,猟期になると一宮町や額田町の定宿へ出かけて,冬中家へ帰らない年も珍しくなかった。本宮山の一のクボに飛び込んだ猪は袋の鼠も同然で,必ず犬千代さに仕止められたと聞いている。
犬千代さ0327。「おらァー発で二頭仕止めたこともあるぞ。」とも言っていた。二頭並んで歩いている奴を,横っ腹をねらってブッ放したら見事にたおしたとか。それが当歳のウリンボウであったとしても,犬千代さならではできない芸当である。
 こんな名人芸の犬千代さでも,九死に一生を得たような危険に出合った事もあったそうだ。間近で射った弾が,猪の急所をはずれたために,猛り狂った手負猪が突っかかってきたので,そばにあった松に飛びあがったものの,地上三尺くらいしか上には上られない。犬千代さの脚へとどきそうなところを,猪がグルグル廻って,いまにも噛みつきそうにするので,片手で山刃を振り廻してはいたものの,生きた心地はしなかったそうである。
 鳳来町只持辺の山で,トヤに寝ていた猪を見つけた猪ボイの一組があった。六名ばかりの仲間の中に犬千代さも混っていた。
「今日の猪ボイは俺にまかしてくれんかい。みんなはここで見物しておれよ。」と,犬千代さが言った。一同は,犬千代さのお手前拝見と決めこんで,焚火を囲んで雑談にふけっていた。
 仲間から離れた犬千代さは,猪のトヤを中心にして周囲をグルグル廻りながら,得意の義太夫のさわりをうたい始めた。廻りながら猪を囲む輪を次第に縮めて行った。猪は,義太夫の声があちらからも,こちらからも聞こえてくるので,どちらへ逃げたらよいか途惑ってしまったらしく,じっとすくみ込んでいた。一〇メートルばかりの距離に近づいた犬千代さは,猪の頭をねらってブッ放した。かくして大猪は一発で仕止められた。この日の犬千代さの策戦には,仲間の者も,ひとしく感歎の声を放ったそうである。

(つづく)
********
【「つくでの昔ばなし」掲載】
  ◇犬千代サ(いぬちよさ)

 注)これまでの記事は〈タグ「つくで百話最終篇」〉で
 注)『続 つくで百話』の記事は〈タグ「続つくで百話」〉で
 注)『つくで百話』の記事は〈タグ「つくで百話」〉で



【関連】
  ◇地震調査委員会関係報告書(地震本部)
地震地図0327。
  


Posted by ガク爺 at 17:00Comments(0)作手防災

2021年03月26日

新しい「平年値」。『うんこドリル空想科学読本』(柳田理科雄・著)

花0326。 天気の良い一日でした。

 昨日,「平年値を切り替える」との記事がありました。
 天気予報で"平年値”を耳にすることがあります。冷夏や暖冬,少雨や多雨などを判断する目安として使われます。
 この"平年値”を「過去○年の平均」と思っていましたので,毎年変わっていると思っていましが,違っていたようです。
 気象庁はこのほど、その平年値を10年ぶりに更新して、1991年から2020年までの平均値を5月19日から使うと発表しました。
 新しい平年値は、現在のものと比較して、1年間の平均気温が全国的に0.5度から1度高くなるほか、降水量が夏の西日本や秋と冬の太平洋側の多くの観測地点で10%程度多くなり、降雪量は多くの地点で少なくなるということです。
 現在は"1981年から2010年の平均”で,10年ぶりの更新になるそうです。新しく知りました。
 今年,どのような天候になるでしょう。



 『うんこ漢字ドリル』シリーズの"問題集”は,2017年に発売され話題となりました。
 "禁断のネタ”を取り扱っており,顔をしかめる大人も多かったようですが,子供は大好きです。

 その「うんこ漢字ドリル」の例文を"科学的に空想”した『うんこドリル空想科学読本』(文響社・刊)です。
 ドリルを本屋で手にした著者は,爆笑を堪えながら読みました。ここで「面白いドリルだ」で終えず,1年から6年までの6冊を購入し,"走って家に帰った”そうです。
 この著者の好奇心が,ドリルの例文を科学的に空想し,サイエンスの世界に誘います。
 どんな勢いでうんこをすれば,体が浮くの!? うんこ大陸って何なんだ!?
 だが,笑い転げながら,ふと気がついた。(略) ややっ,これらは意外に科学的な記述なのでは…!?
 そう思ってドリルをもう一度読み直すと,科学の心を刺激する例文が続々と見つかったではないか。
 最初は,例文に出てくるうんこのサイズを探る「大きさ」の項です。
「ぼくは 小学生だが,うんこは 大きい」(ドリル1年・学)
「ぼくのうんこを見たおばあちゃんが「化け物!」とさけんだ」(ドリル3年・化)
などをあげ,「どのくらいの…」「どれほどの…」の疑問をもたせます。
 ここから,"科学的に空想”のできる例文を示していきます。
「砂場の中から,約三メートルもあるうんこが見つかった」(ドリル6年・砂)
「ろう下の はじから はじまで ある,長い うんこ」(ドリル2年・長)
などから”計算”していきます。
 太さについては情報がないから,うんこの断面が直径4cmの円だとすれば,体積は,2cm×2cm×3.14×300cm=3768cm3。健康な人のうんこの密度(体積あたりの重さ)あ1cm3あたり平均1.06g。すると重さは,3768×1.06=3994.08g。およそ4kgである。日本人は1日に平均250gのうんこをするといわれるので,なんと16人分!
と,具体的な数値で説明されていきます。

 うんこ漢字ドリルの例文には,父や兄,姉,弟が登場します。それぞれの"人生”までもが例文から読み取っています。


 "うんこ”でサイエンスを楽しみ,もっと知りたいと思える"日本一笑えるサイエンス本”です。
 あなたも"サイエンス”してみませんか。

   もくじ

大きさ/父1/もらす/売買/運輸/父2/電磁気/流す/きょうだい/運動/スタントマン/状態変化/がまん/すごい能力/冒険家/化学反応/祖父/哲学/謎のうんこ/要求
うんこドリル0326。

【関連】
  ◇うんこ学園
  ◇うんこ先生【公式】さん (@unkokanji)(Twitter)

  ◇平年値の更新について ~平年値(統計期間1991〜2020年)を作成しました~(気象庁)  
タグ :読書


Posted by ガク爺 at 17:17Comments(0)読書雑記

2021年03月25日

新型コロナ禍の一年。ポンスケ一家(2) (つくで百話 最終篇)

水芭蕉0325。 曇りで,小雨も降る肌寒い一日でした。
 用事の途中で,先週に続いてミズバショウを見ていきました。美しく咲き,数が増えていました。とても綺麗でした。



 先日,小学校から文集,委員会から教育史をいただきました。それらを読んで思うのは,新型コロナ禍の一年は「タイヘンなこと」が多かったでしょうが,それは"大人の都合”なのかもしれないということです。
 文集の巻頭に
 しっかりと自分の思いを綴っています。コロナに対する不満を書いている子は一人もいません。(略) 確実にたくましく成長しています。
と子供達の"姿勢”が述べられていました。
 子供達は,力強く"”を過ごし,着実に"未来(あす)”を創っています。それは新型コロナ禍であっても変わっていませんでした。

 子供達は,以前のフツウよりも,"新しい生活”を強く求めているのだと思います。
 一週間後に始まる2021年度は,子供達の創る"未来(あす)”に向かって,力強く進んでいける舞台と道具が用意できているでしょうか。
 先生,よろしくお願いします。地域のみなさんは,新型コロナ禍での協働を惜しみません。



 『つくで百話 最終篇』(1975・昭和50年7月 発行)の「昔話と伝説」の項からです。
********
    ポンスケ一家

(つづき)
 夕飯は,まだ陽のある中に天幕の入口に菰をしいて,ご馳走を並べた。親父が釣りあげたあめのうおの塩焼が大皿に山盛りにされていた。
 ポカポカと暖かい晴天が幾日も続いた。松造の箕作りは能率よく進んでいった。隣りの竹さや梅さの家でも,新しい箕がうず高く積まれていた。
「メメらァ塩瀬から布里の辺まで行って売ってこいよ」
「ウン,まあ米も味噌もへったでのん。ミチ(塩)もきれたで。」
「ついでに俺のきざみ(煙草)と,小僧の一里玉(黒砂糖でつくった菓子)も買ってこい。おっと忘れとったが,山でトゲをふんだで布里のムクライ(医者)ンとこで薬をもらってきてくれんか。」女房は,隣りの女房たちとつれだって商売に出て行った。
 春もだんだん深まっていった。大和田の道端の柿の木は花盛りとなった。
 柿の花が咲く頃になると鰻がつれると言われていた。松造は,竹さや梅さを誘って弓木の沼田へどじょうを捕りに行った。田の溝や沼田でどじょうをつかまえて帰ると鰻針に刺して,ふて針にでかけた。長い間の体験から,ポンは鰻の寝床をよく知っていた。鰻のいる石穴の辺に,どじょうをつけたふて針を仕掛けておいて,あくる朝,早くこれをあげに行くと百匁(約二五〇グラム)もある鰻がかかっていた。鰻釣りはポンの特技の一つであった。鰻のいる場所を見つけるのもうまかったが,見つけたら必ず釣りあげる技術も身につけていた。ポンが釣ったとこには,鰻が残っていないと言われていた。
「オイ,松サおるかい」と言って,腰に魚篭をつけ,釣竿をかついだ二人の男がポンの天幕にやってきた。この男達は,大和田の茂八サと塩瀬の一重サであった。二人とも釣の名人で,ポンという渾名があった。茂八サも一重サも,ポンの仲間とは特別親しく交際していた。
 松サは二人を天幕の中へ招じ入れた。松サは,秘蔵の玉露の銘茶をふるまった。
「いつ来ても,ここのお茶はうまいなァ。うちの番茶とは桁違いだ。」と,茂八サが言った。
「そんなこともないずら。お前さんたち山茶をいぶして,その茶をのんでごらんじろ。とても良いぞい。」
 茂八サは,松サに教えられたようにボタ茶を焚き火でいぶして,茶釜へほうり込んで飲んだら,とてもうまかったと言っていた。
「今日は久しぶりだで,鰻の蒲焼で一杯やるか。」と言って,松サは川端においてあった魚籠から五・六尾の鰻を持ってきて,手際よく蒲焼をつくった。一升徳利には,町の方で仕入れたらしい上等の銘酒もあった。上戸の客人は,酒と蒲焼を鱈腹ご馳走になって帰った。
「あの蒲焼のうまさったらどうだい。たれが良いんだな。ほんとに顎が落ちそうだった。」と,二人の男は述懐していた。
 数日後,茂八サと一重サは,魚釣のついでに再び松サの天幕を訪れた。二人は背負袋に白米を一杯入れて持ってきた。
「こないだは,ご馳走さま,こりょうとっておいておくれや。」と言って帰っていった。
 秋も終りに近づいたある日,ポンの松サは長保山の地主の源造サを訪ねた。
「やっと(長い間)お世話になったが,奥郡(渥美郡)の表浜へ行ってくるが来年はまた来るでおたのう申します。そんで,今日はお別れに一杯やって貰いたいで,おらんとこへきておくれんかい。」と言った。
 源造サは酒好きだったから,一杯よんでくれるというので,いそいそと松造について出かけた。ポンはどんなくらしをしているか見たいという好奇心も手伝って,天幕の中へ入った源造サはびっくりした。黒塗のお膳の上には,いくつかのお椀が並んでいた。酒の銚子も置いてある。
「サアサア」と,勧められるままに,茶呑み茶碗につがれた酒を,たて続けに三・四杯飲んだ。
 酒の肴を,と思って椀の蓋を取った源造サは再びびっくりした。椀の中には,五拾銭銀貨があった。他の皿にも五拾銭や拾銭の銀貨が入っていた。
「わしらの作った料理は喰ぺてもらえんだらァと思ったで,これで勘辨しておくれん。」と,松サが言って頭をさげた。
 源造サは,いくつかの銀貨をもらって家に帰った。
 そのあくる日,ポンの一家は半年あまり生活していた長保ヶ山の天幕をたたんで,次のキャンプ地,奥郡の太平洋岸へ移動して行った。
   (峯田通悛)
********
 注)これまでの記事は〈タグ「つくで百話最終篇」〉で
 注)『続 つくで百話』の記事は〈タグ「続つくで百話」〉で
 注)『つくで百話』の記事は〈タグ「つくで百話」〉で


【おまけ】
 中日新聞が,今年も「先生サーチ 教職員異動検索」を開設しました。
 異動の発表された県・市について検索が可能です。
先生サーチ

 ここでは,「先生の氏名」で検索することができますし,「異動区分」「職名」「勤務先」でも調べられます。
 勤務先は「新勤務先 (異動先)」と「旧勤務先(現勤務)」があり,新聞では分かりづらい「○○先生は,どこへ異動したの?」に応えてくれます。  


Posted by ガク爺 at 17:00Comments(0)作手教育

2021年03月24日

ポンスケ一家(1) (つくで百話 最終篇)

花0324。 晴れて暖かい日になりましたが,室内にいると"肌寒い”感じがありました。
 空気が暖かくなるには,もう少しかかりそうです。



 『つくで百話 最終篇』(1975・昭和50年7月 発行)の「昔話と伝説」の項からです。
********
    ポンスケ一家

 太平洋戦争の前頃までは,毎年春さきになると,どこからともなくポンスケの一団が作手郷ヘやってきた。彼等は二家族か三家族が一団となって移動していた。巴川筋では,大和田の空沢口と弓木の弓木渕の辺が彼等のキャンプ地として使用されていた。秋も半ば過ぎになると彼等はまた,どこかへ移動していった。夏中は同じ巴川筋で生活していたので,土地の人とも顔馴染みとなり,物資の交換などを通じて,親しく交際していたものであった。
 ポンスケは日本のジプシイでもあった。彼等は天幕・夜具・炊事道具・釣具・鋸・鉈などの商売道具と,一通りの世帯道具一式を背負って歩いた。波等は,村へ入ってくると代表者が庄屋(区長)・地主などの家へ立ち寄って,
「夏中また,こちらさまの山でご厄介になります。よろしゅうお願いします。」と,たのむと,庄屋も「ああいいとも,いいとも。火の用心だけは呉々もたのむぞい。」と言うわけで,夫々ゆかりのある山でキャンプを張るのであった。
 彼等がキャンプを張るとこは,川端で水の便のあるとこや,竹細工用の竹が容易に入手できる所が選ばれた。私共はポンスケと言えば川魚とりが本職と思っていたが,箕を作ったり,その修理をすることが彼等の本業であった。それに必要な竹や藤づる・櫻の木の皮などを採収することは黙認されていた。
 それは明治三十九年,作手村が誕生して間もない春のことであった。三世帯のポンスケの一団が大和田へやって来た。毎年の慣例によって,区長の家を訪ねてキャンプ地の使用をたのんでから,長保ヶ山の川原で天幕を張ることにした。長保ヶ山のキャンプ地は,川向うにあるので巴川を渡らねばならない。道端に荷物をおろすと,三人の男は川岸へおりて行って,そこらに引っかかっていた流木の丸太を二本ばかりかついできて橋を架けた。待ちかねていた子供たちは,ガヤガヤしゃべりながら真先に橋を渡った。
 去年天幕を張った場所には枯草が少しばかり生えていたが,そのまま使用することができる。
 リーダー格の男が大声でどなった。
「俺たちは天幕を張るから女衆はクドをつくれ。子供たちは薪拾いだ。いいか。すぐかかれ。」
 親父組・女房組と,それに子供組と,三つに別れて素早く行動を始めた。一時間半もすると天冪は張られた。男たちは,木蔭をみつけて笹竹をたてて便所の囲いを作った。もっともポンの便所としては川端で,たれ流しで用をすませたあと,川の水で尻を洗うことが多かった。
 便所ができると,男たちは川原に風呂場をつくった。深さ一,二メートルくらい,風呂桶のような穴を掘ると,そこへ川水が浸透してくる。これがポンの風呂場である。風呂へ入る前に川原で火をたいて,手ごろの石ころを中へ投げこんで焼いた。熱くなった石を風呂場にほうり込むと忽ちぬるま湯になる。これがポンの風呂である。
 その頃までには,女房どもが夫々の天幕のそばにクドをつくりあげた。子供たちが,川原や林の中から集めてきた枯枝や杉の葉が山と積まれた。
 女どもが,川端で鍋に入れた米をとぐ。ほかの鍋には野菜がきざみこまれる。クドの火がパッと燃えあがる。青白い煙がゆるく立ち昇る。
 設営を終った男たちは,早くも川岸に出て釣を始める。白ハエ・赤ブトなどが相次いで引きあげられる。獲物はクドの火で焼かれる。飯が炊きあがる。野菜のゴッタ煮・塩焼の川魚・野営料理は一時間足らずで出き上るのであった。
  ポンのくらし
 長保ヶ山の野営第一夜は静かに明けた。
 ポンの一団がここにやって来たことがわかると,残飯をもとめて雀や頬白がやってきた。遥か彼方の雑木山では鴬も鳴いている。山鳩もポウポウないている。
 川原の石ころには霜がおりて眩しく輝いていた。
 親父の松造は天幕の外へ出た。
「今日も上天気だ。仕事始めに竹きりだ。おっかァも,かんば(桜の木の皮)や藤づるでも採ってこいよ」
 囲炉裏ばたにいた小僧が,
「ガド(父)おいらもつれてってくれよ。兎とりの首っちょをかけるんだ。」
「よし,よし,みんなついてこい」と,言うわけで一家揃って出かけた。
 子供たちは兎の道をみつけて,首っちょを仕掛けた。
 箕をつくる材料の竹・藤づる・かんばなどが,次々に天幕の辺に運ばれた。
 箕や笊つくりの材料が全部ととのうと,親父は,
「夕飯のご馳走に,あめのうおでも釣ってこうか。」と,すぐ近くの弓木渕へでかけて,一時間ばかりの間に,三〇センチもあるあめのうおを二・三十匹も釣りあげて帰ってきた。
「やい,小僧,お前らハラカラ(兄弟)で明日ァ山芋ほりでもせよ。今日,竹ぎりのときに太いつるをみつけて根こをさがしておいたでナ。」
「よし,山芋はおいらが引きうけた。メメ(母)明日ァとろろ飯だぞい。」
 子供たちは,明日の山芋掘りをあれこれ想像してはりきっていた。

(つづく)
********
 注)これまでの記事は〈タグ「つくで百話最終篇」〉で
 注)『続 つくで百話』の記事は〈タグ「続つくで百話」〉で
 注)『つくで百話』の記事は〈タグ「つくで百話」〉で  


Posted by ガク爺 at 17:00Comments(0)作手

2021年03月23日

若者の力。『滅びの前のシャングリラ』(凪良ゆう・著)

ハルリンドウ0323。 天気の良い一日でした。


 第93回選抜高校野球大会が19日に開幕しました。選手宣誓は,仙台育英高校の主将 島貫丞選手でした。ライブでは聞けませんでしたが,3分12秒の宣誓文に思いを込め,言葉で「感謝」「感動」「希望」を届けました。
 今日ここに,高校球児の憧れの舞台である甲子園が戻ってきました。この1年。日本や世界中に多くの困難があり,それぞれが大切な多くのものを失いました。答えのない悲しみを受け入れることは,苦しくてつらいことでした。
 しかし,同時に多くのことを学びました。当たり前だと思う日常は,誰かの努力や協力で成り立っているということです。
 感謝。ありがとうございます。これは出場校すべての選手,全国の高校球児の思いです。
 感動。喜びを分かち合える仲間とともに,甲子園で野球ができることに感動しています。
 希望。失った過去を未来に求めて,希望を語り,実現する世の中に。
 そして,この3月で東日本大震災から10年となりました。日本,世界中に多くの協力や支援をいただき,仲間に支えられながら,困難を乗り越え,10年前,あの日見た光景から,想像できないほどの希望の未来に復興が進んでいます。これからの10年。私たちが,新しい日本の力になれるように,歩み続けます。
 春はセンバツから。穏やかで,鮮やかな春。そして1年となりますように。2年分の甲子園。一投一打に多くの思いを込めて,プレーすることを誓います。
 若者の思い・願い,そして若者の力の大きさと無限の可能性を感じます。
 新型コロナ禍の今,若者の力が活かされ,広がっていきますように。



 2021年の本屋大賞の候補作『滅びの前のシャングリラ』(中央公論新社・刊)を読みました。
 白い表紙に,スプーンを持った赤ちゃん,その顔にイチゴの花と実,2匹の蜂が描かれ,ちょっと不気味な感じがします。そして,"滅び”とは何時なの,"シャングリラ”は理想郷でいいの,と気になる題名です。

 題名の「シャングリラ」が第1章です。扉を開き,最初が
 江那友樹,十七歳,クラスメイトを殺した。
と,怖い一文で始まります。続く
 死んでももまったく悲しくないやつだったが,自分の手で殺すことになるとは思わなかった。額や鼻の頭に汗が噴き出してくる。なんて未来だ。すごい世の中だ。もうなんでもありた。
までの3行が,本文とは分けて綴られています。
 「えっ,何なんだ。殺人の先にシャングリラ(理想郷)があるの。」 戸惑いながら読み進めました。

 小説は4章で構成され,それぞれ主人公が異なります。
江那友樹,十七歳,クラスメイトを殺した。(第1章)
 ・──ぼくは一生,搾取される羊として生きていくんだろうな。
 ・妄想の中の獣じゃない,弱い羊のままのぼくで荒野を駆ける。
目力信士,四十歳。大物ヤクザを殺した。(第2章)

 ・──信士,頭ってのは考えるためについてんだぞ。
 ・生まれて初めて,俺は嬉し泣きというものをしている。
江那静香,四十歳。世界は死んだ人間ともうすぐ死ぬ人間に二分されている。(第3章)

 ・──あたしたちは,なんで,まっすぐ生きられないんだろう。
 ・なのに,それでも,今あたしはとてつもない幸せを感じている。
山田路子,二十九歳,恋人を殺した。(第4章)

 ・そして第二章,アイドル桜庭美咲という暗黒時代がはじまる。
 ・幕開けなのか,幕引きなのか,幻聴かもしれない音楽をあたしは従える。
 それぞれの暮らしを語り,これまでを思い起こします。そこで起こる"一つの時”が,4人の主人公を繋ぎます。


 突然に宣告された「一ヶ月後,小惑星が地球に衝突します。」。
 人類が滅亡するまでの1か月間,世界はパニックに陥り,混乱状態のままカウントダウンが進みます。その"世間”と"自分”とが描かれます。

 読み終えて,「もし自分だったら…」,「自分の知らない自分は…」,いろいろ考えました。
 人類滅亡までの1か月を,主人公に寄り添って過ごしてみませんか。



 家に帰らずにいる藤森雪絵に,江那静香が「あれから親と連絡取ってる?」と尋ね,その答えの後
文字だけ見てると,本当に嬉しくなるの。お父さんもお母さんも真実子も,ほんとうにわたしのこと愛してくれるって思えるから。本当の家族みたいで,すごく嬉しくなるの」
 だから声は聞きたくないし,顔も見たくないと雪絵ちゃんは言う。実際に声を聞いたら,顔を見たら,余計な情報が入ってくるからと。あたしは黙って聞いている。
とありました。
 この「文字だけ」「余計な情報」から,オンライン授業やテレワークへの"これから”を創っていく方向がみえるような気がしました。
 江那友樹(第1章)の語る「いじめ」や「スクールカースト」は,教育に携わるみなさんと考えたい話でした。


【関連】
  ◇滅びの前のシャングリラ 特設ページ(中央公論新社)
  ◇本屋大賞(NPO 本屋大賞)
  ◇凪良ゆう (@nagira_yuu)(Twitte)



【関連】
  ◇第93回センバツ高校野球(毎日新聞)
  ◇ センバツLIVE! 毎日新聞×MBS (@SenbatsuLIVE)(Twitter)
  ◇ABC高校野球( ねったまくん ) (@koshienasahi)(Twitter)  
タグ :読書


Posted by ガク爺 at 17:00Comments(0)読書雑記

2021年03月22日

学校運営協議会。河童の火傷見舞 (つくで百話 最終篇)

桜0322。 昨日は"嵐の一日”でしたが,朝から天気の良い"春の日”になりました。
 出かける途中,道路に水があふれているところが何か所かありました。昨日の雨が山から流れ出ているようで,帰りにも変わらず流れ出ていました。しばらく続くかな…。



 夜,第4回作手地区学校運営協議会がありました。
 今年度は,新型コロナウイルスの感染拡大の影響で,会議の延期や変更がされてきました。第4回も3月初めに予定されていましたが,今日になりました。
○会長あいさつ
○議題
 ・作手小学校から報告
 ・作手中学校から報告
 ・作手こども園から報告
 ・検討事項
○意見交換
○その他
 会長の挨拶で,最近開催された"学校跡地検討委員会”で話題となった「学校のある意味…」について話がありました。
 その話は…。
 納得です。そして,今日の会議の参加者も同じように"価値”を持って抱けていると思いました。

 作手こども園,作手小学校,作手中学校から,新型コロナ禍の一年の"評価”と"課題”,そして"次年度の予定”の報告があり,次年度に向け,検討しました。
 みなさん,これからもよろしくお願いします



 『つくで百話 最終篇』(1975・昭和50年7月 発行)の「昔話と伝説」の項からです。
********
    河童の火傷見舞

 大和田村の稲吉庄右衛門応貞は,苗字帯刀御免の郷士で,文武の達人として近郷近在に聞えた名士でもあった。ある日,奥座敷の書斉で書見をしていると,遥か下手の往還を,こちらへ向って走ってくる馬の蹄の音が聞えてきた。きき耳をそばだてると,それは馬術の心得のあるものの乗馬であることがすぐわかった。近所の百姓ではない。何者だろうかと道路へ出てみると,逞ましい黒駒に乗っているのは裸の子供である。よく見ると,坊主頭には殆んど髪の毛らしいものもなく髯の毛がバラバラ生えているだけである。
「小憎,止まれ,どこへ行くか」と,大手を拡げて,道跡の真中へ立ちふさがった。
「わしは,今馬(大和田の下手の深い渕)じゃ。島川(大和田の上方二キロばかりの渕)さまが火傷さっしゃったと言うから,黒馬(大和田の下手の渕の主)さまと見舞に行くとこだ。急いでいるからどいてくれ」と,叫んだ。
 子供と思ったのは,今馬渕にいるという河童に違いない。よく見ると頭のまん中に凹みがあって少々水がたまっている。
 あとでわかったことであったが,島川渕から少し下手の弓木渕の川原でキャンプしていたポンの一団が,そこを引き払って矢作川の方へ移動することになったので,島川渕の河童が残飯あさりにでかけた。川原の炊事場跡へ来て窯跡の石へふれると,その石がまだカンカンに焼けていたので大火傷をした。島川の河童が火傷をしたことは,巴川の川魚から川魚へとリレー式に下流ヘ下流へと伝わっていった。
 今馬の河童へも,またたく間に伝達された。今馬の河童は,隣りの黒馬渕の主にもすぐ伝達した。そこで二人は,打ち揃って島川さまの見舞に出かけたのであった。
「貴様ら,火傷見舞に行くといっても手ぶらで行ったって仕方がないだろう。俺んとこに火傷の薬があるから,それをもって行って手当をしてやれ。」
 そう行った庄右衛門は家へ入って,徳利壺にいれてあった火傷薬──蟇の卵でつくった秘薬を,とり出して渡してやった。
 庄右衛門の厚意に感謝した今馬と黒馬は,島川めざして一散に馳け去った。
   (峯田通悛)
********
 注)これまでの記事は〈タグ「つくで百話最終篇」〉で
 注)『続 つくで百話』の記事は〈タグ「続つくで百話」〉で
 注)『つくで百話』の記事は〈タグ「つくで百話」〉で



【関連】
  ◇作手こども園
  ◇新城市立作手小学校
  ◇新城市立作手中学校
  ◇愛知県立新城東高等学校作手校舎
  ◇新城市つくで交流館  


Posted by ガク爺 at 22:00Comments(0)作手教育