2023年10月31日

Halloween。 5-4.4 生きて働くきまりに(4) (昭和に生きる)

菓子1031。 今日「11月1日の前夜10月最終日)」は、「Halloweenハロウィンハロウィーン)」です。
○ ハロウィンは、キリスト教の行事で、毎年11月1日にあらゆる聖人を祝う「諸聖人の日」の前夜に行われるお祭り〈All Hallows’ Day〉です。10月31日から11月2日までの期間を指します。
○ 大昔のケルト民族の儀式である「サウィン祭り」が始まりだと言われています。今から2000年以上も前のことで、古代ケルト歴では一年の終わりが10月31日と定められていました。
○ その日、死んだ人のお化けがこの世に帰ってきて、人間に取り付いてあの世へ連れて行こうとしました。そこで、人々は,『同じお化けの格好をして仲間だと思わせてしまおう』と考えました。お化けたちは、お化けの格好をした人々を仲間だと勘違いして、中には格好が怖すぎて逃げていくお化けも出てきました。
○ ハロウィンは、子供から大人のみんなで仮装をして楽しむ日となりました。
 最近のようすは、ここで話題にするまでもなく、「本来は…」「元々は…」とは別の、新しい“日本のイベント”となっています。
 各所で“厳戒態勢”となっているようですが、楽しく過ごしましたか。



 故・渥美利夫氏が還暦の年に著した『昭和に生きる』(1987(昭和62)年刊)からです。
 渥美氏の教育実践、教育論は、“昔の話”ですが、その“”そして“”となるものは、今の教育に活きるものです。これからの教育を創っていくヒントもあると思います。

 この項は、「第三章 学校をつくる──見はてぬ夢を追って」から構成されています。
 この章では、「子どものいる学校、子どものいる教室」をモットーにして、学校経営の実践を具体的に述べています。若い先生にとって、これからの「授業を考える」ことができるといいなあと思います。
********
    新城小学校での夢

    (2) 生きて働くきまりに ──きまりを減らす努力──
(つづき)
   教師の姿勢の転換
 いずれの場合も、まず教師の姿勢の転換が急務であって、いわば“教師の論理”を変えないことには、このような状態を変えることはむずかしい。
 そして共通していることがらは、最初から教師はその禁止事項、すなわち“きまり”がすべての子どもに守られるとは、頭から思ってはいないのである。だからつねに手形を乱発して、指導のあとしまつをしない。したがって”手形の乱発”を控えるようにすることと、゛あとしまつ”をしっかりするように具体的な体制を整えることが、もっとも重要な対策ということになる。
 この二点に目を向けようとすれば、きまりを壁に貼布して、知らず知らずのうちに教師としての責任を回避するということはなくなるであろう。あたかもどこかの役所のように一片の通達を出すことによって「おれたちは知らないぞ」責任は現場が背負うべきだというあの感覚とは質的にちがってくる。責任回避の論理は無用のものとなる。
友達1031。 きまりと称せられるものには、いろいろなスタイルがある。(1)には、生活上の規範に類するもので、あいさつ、言葉づかい、身だしなみといったもの、(2)には、健康や生命の安全にかかわるもので、給食のきまり、登下校のきまり、運動場、施殷、道具の使う上でのきまり、(3)には、集団としての機能を果たすための秩序にかかわるもので、学習のきまり、児童会の約束などがはいるもの、などに大別されよう。これらもそれぞれによって性格のちがいがあるし、性格のちがいは指導のあり方にも大きな影響が及ぶ。
 いずれにしても、学校にはきまりが多すぎる。身だしなみに始って一挙手一投足にいたるまで、がんじがらめであっては子どもは窒息をしてしまう。ここにおける画一化は管理主義的傾向につながり、指導がおいてきぽりをくう危険性をもっている。
(つづく)
********
※ この項は、雑誌「学校運営研究」の昭和61年10月号に「学校のきまりを考える」特集に執筆されたものです。
 注)これまでの記事は〈タグ「昭和に生きる」〉で
 注2)掲載しているイラストは、昭和の中学生が「班ノート」に描いたもので、図書との関連はありません。  


Posted by ガク爺 at 17:00Comments(0)雑記先人に学ぶ

2023年10月30日

柵撤去作業。 5-4.3 生きて働くきまりに(3) (昭和に生きる)

花1030。 午前中、保全会の作業があり、参加しました。
 先日から、十数年前に設置した“金属柵”を撤去する作業です。
 イノシシやシカが農地に侵入をするのを防ぐように、地域を囲むように設置しましたが、当時と状況が変わってきています。それを移動する準備です。

 しっかり建てられた柵を外し、山道を運び出し…。
 設置したころは、まだ元気だったけど…。まだ続きます。



 故・渥美利夫氏が還暦の年に著した『昭和に生きる』(1987(昭和62)年刊)からです。
 渥美氏の教育実践、教育論は、“昔の話”ですが、その“”そして“”となるものは、今の教育に活きるものです。これからの教育を創っていくヒントもあると思います。

 この項は、「第三章 学校をつくる──見はてぬ夢を追って」から構成されています。
 この章では、「子どものいる学校、子どものいる教室」をモットーにして、学校経営の実践を具体的に述べています。若い先生にとって、これからの「授業を考える」ことができるといいなあと思います。
********
    新城小学校での夢

    (2) 生きて働くきまりに ──きまりを減らす努力──
(つづき)
   禁止事項
 学校教育のなかで、あまりにもきまりといっては禁止をすることが、大きな顔をして一人歩きをしているようである。
 たとえば廊下を走らぬというきまりも、なるほど管理面だけからみるとうなずけよう。廊下を走らないようにするだけが目的であるならば、いろいろな対策が考えられる。しかし指導という観点からみれば、強圧によって違反者をなくすということが、どれほどの意味をもっているのか。そこには教師の眼が光っている場合と、そうでない場合との差は歴然とした結果となろう。指導のねらいが、いかなる場においても、このしつけを生かすことができるようにと願うならば、廊下を走るべきでないという理由を充分納得させることが根本になくてはならない。すなわち人の迷感にならないこと、けがをする危険があることがわからないまま、走る子どもがいなくなるということは無意味というより、むしろ危険というべきであろう。このことがほんとうに子どもに理解されたとき、はじめて急用で廊下を走る教師の行動も納得することであろうし、急を要するとき、あえて廊下を走ることもできるのではあるまいか。
 問題は廊下を走る子どもがいなくなるということではなく、子どもがいかに事態に対応するかが核心というべきであろう。
 廊下を走らないようにさせるしつけは、それが管理でなくて指導である以上、目的ではなく、迷感をかけない、安全に注意というねらいを達成するための手段なのである。
 ここでも教師の姿勢の転換が必要となってくる。端的に言えば無条件で押えつけるのではなくて、そこに“知的なもの”が含みこまれなくてはならないということである。

調理1030。
   ねらいの問題
 つぎに問題となるのは、週訓に代表される“めあて”のことである。
 朝礼時に週番という教師が、独断と鋼見によって「今週の週訓はこれこれである、みんなわかったね、よく守りましょう」というほぼ一定したスタイルで子どもに行動規範を強要する。子どもはいつものことながらとしてしぶしぶうなずく。担任も最初は真剣にとり組むが、週の後半ともなると、忘れられた存在となっていく。黒板にぶら下げられた週訓板のみが、わずかにその名残りをとどめているにすぎなくなってくる。いわば手形の乱発であって、そこには子どもはどうなっているのか、指導の“あとしまつ”は、なされないまま、ねらいだけが一人歩きをしているのだということには気づかないようである。
 この週訓に代表されるすべての“ねらい”は、ときに体育館の正面に、教室の正面に掲げられ、ときに声高らかに唱和されたりもするのである。具体的な中味は問題とはならず、それを掲げることによって責任を果たしたとでも思っているかのようである。
(つづく)
********
※ この項は、雑誌「学校運営研究」の昭和61年10月号に「学校のきまりを考える」特集に執筆されたものです。
 注)これまでの記事は〈タグ「昭和に生きる」〉で
 注2)掲載しているイラストは、昭和の中学生が「班ノート」に描いたもので、図書との関連はありません。  


Posted by ガク爺 at 17:00Comments(0)日記先人に学ぶ

2023年10月29日

大祭準備。 『老人ホテル』(原田ひ香・著)

お神酒1029。 天気のよい一日でした。

 午前中、地区の神社の大祭(11/5)の準備で、注連縄づくりと境内の掃除を行いました。
 新型コロナウイルス感染症の5類移行により、今年の大祭は“通常”に執り行われる予定です。しかし、どのように運営、何を準備…と、当番・担当も戸惑うこともあります。そして、氏子の年齢も進み…。
 社殿、境内が美しく、そして整いました。ありがとうございました

 白鳥神社に関わって古来から伝わる「白鳥伝説」について、昨年も紹介しましたが、今年もここに、「白鳥伝説」(2019/10/27)



 題名から、老人が経営するホテルなのか、利用が老人限定のホテルなのか、それが気になって(?)手にした『老人ホテル』(光文社・刊)です。
 表紙にホテルの清掃係と思われるモップとバケツをもった若い女性、裏表紙にドアから顔を出す高齢の女性が描かれており、主人公は表紙の若い女性のようです。
 そう思って本を開くと、
 天使がその人の部屋に入らせてもらうまで半年以上の時間がかかった。
 少し分厚い唇や、もったりした一重まぶた…
と、始まります。
 天使???

 よく見ると、天使に「えんじぇる」とフリガナがついていました。
 この天使(えんじぇる)が、表紙の若い女性で、その人が、裏表紙の老女のようです。

 天使(えんじぇる)は、以前話題になった“キラキラネーム”の一つでしょう。途中で分かる兄弟姉妹の名も、キラキラでした。
 何度も「てんし」と読んでいましたが、天使を想像せず、主人公として読むので困ることはありませんでした。
 埼玉県の大家族で育った日村天使(えんじぇる)は、生活保護を受け自堕落な生活を送ってきた。大家族ファミリーとしてテレビにも出ていたが、16歳で家を出て、大宮のキャバクラ「マヤカシ」に勤める。そこでビルのオーナー綾小路光子と知り合った。
 数年後、訳あり老人が長逗留する古びたビジネスホテルにひっそりと暮らす光子と再会する。天使は、投資家だという光子の指南で、極貧人生から抜け出そうと、生きるノウハウを学ぶことになるが……。
 物語は、ホテルのスタッフと、そこに“暮らす”老人とで進みます。
 このホテルが「老人ホテル」と呼ばれるのは、
 最初、ホテル側も老人たちがここまで増えると思わなかったし…(略) 老人の長期滞在が増えると、どこかにまとめていた方が、管理が楽じゃないか、ということになった。
(略) …などと理由をつけて、老人は一階に集中させた。
(略) 社員たちは自嘲的に、ここを「老人ホテル」と呼んでいる。
と、ホテルを生活の場とする長期滞在の老人が利用しているからです。

 天使が、清掃員としてホテルで働くのは、一人の老人(綾小路光子)と会い、教えを得るためです。

 生活保護を受ける大家族で育った日村天使は、社会のことを知らずに育ちました。
 ホテルに長期滞在する老人は、経験豊かですが、何か影を持っています。
 天使と老人との“交流”が始まり、最初は分からないことばかりですが、少しずつ変わっていきます。

 物語の後半(終盤?)、やっと光子と話ができるようになり、さらに“指南”を受けるようになります。
 生活社会のことを、何も知らない、何もできない天使に、光子が一つずつ教えて、実行させていきます。
 天使は、素直に教えを実行し、“結果”が出ます。そして次へ…。帯にあった「投資版マイフェアレディ 」へと成長していきます。

 物語の終わりは…。
 ハッピーエンドではなく、ちょっと不穏な…。

 「節約、投資、女の誇り。老女が授けてくれたのは、独りでも生きている希望。」
 老人や大人よりも、若者にお薦めの物語でした。



【関連】
  ◇原田ひ香 10月12日『喫茶おじさん』(小学館)発売! (@LunchSake)(X;旧Twitter)
  ◇『母親からの小包はなぜこんなにダサいのか』(原田ひ香・著)(2022/02/23 集団「Emication」)  
タグ :読書高齢者


Posted by ガク爺 at 17:00Comments(0)作手読書

2023年10月28日

文化祭・作品展。 『ぼくらは星を見つけた』(戸森しるこ・著)

文化祭1028。 天気の良い秋の日でした。
 昨夜は、十三夜の月を愛でたすぐ後、急に大きな雷鳴と激しいとなり驚きました。


 今日、作手中学校文化祭(作中祭)がありました。
 今年、「Shapes in a moment ~みんなで創る物語~」をテーマに、クラス発表、絆講座、合唱コンクール、ダンス発表などが行われました。作品展示を鑑賞し、ホールでの発表を参観しました。

 会場のつくで交流館で、同時に開催されている「作手地区 子ども作品展」(11月5日まで)には、作手こども園作手小学校作手中学校新城有教館高校作手校舎の作品が展示されていました。工夫のある作品が並んでいました。

 素敵な作品、しっかりした発表に感心し、子供達の健やかな成長を嬉しく思いました。



 午後、小中学生が取り組んだ算数数学の自由研究作品について、先週に続き、いろいろと話をお聞きしました。
 子供達の作品に、「なるほど」「凄い」と感心しました。
 今日も、研究者の目、教師の目、大人の目、子供の目から見えるもの、感じたことから学び、刺激をいただきました。ありがとうございました



 図書館の児童書コーナーにあった『ぼくらは星を見つけた』(講談社・刊)です。
 丘の上の青い屋根のお屋敷に、彼女たちは住んでいました。ご主人のそらさんと、十歳の(セイ)。そしてハウスキーパーのシド、白猫のダリア。そらさんの旦那さんは、十数年前に亡くなった、天文学者の桐丘博士です。専属の庭師と、そらさんの主治医が出入りするほかは、現実から切り離されたように静かなところでした。
 ある日、「住みこみの家庭教師」という募集を知って、お屋敷にひとりの男性がやってきます。それがくん。この物語の主人公です。
 岬くんは元美容師で、手品や楽器という特技も持ち合わせています。そらさんは岬くんを家族の一員として迎え入れ、星は紳士的でユーモラスな岬くんにすぐに懐きました。けれど無愛想なハウスキーパーのシドだけは、なかなか心を開きません。不器用だけど本当はやさしく思いやり深いシドに、岬くんは惹かれていきます。

 その家族にはいくつか不自然な点がありました。「本当の家族」を求め続ける岬くんが、奇跡的な巡り合わせで「運命の人」にであう物語。
 表紙は、青い屋根の洋館の庭で、少年が猫と一緒にベンチ(?)に座っている“夜の絵”です。
 装画と挿絵は、イラストレーターのエミ・ウェバーさんによるもので、幻想的な物語へ誘ってくれています。

 帯に
 「運命の人」×「家族」を求める感涙小説。
 ロマンチックで、ちょっと切ない。忘れられない荷物をひとつ心に残してくれます。
とありました。

 誰が“運命の人”なのか…。
 どんな“家族”なのか…。
 どのように“運命の人”に出会い、気づくのか…。
 どのような“家族”になっていくのか…。作っていくのか…。


 「住みこみの家庭教師」としてやってきた岬くんが出会う家族の“ちょっと複雑な事情”は、児童書を手にする子供に難しい気がしました。
 “○○をテーマ”として、それについての母親の想い、子の想いに、感涙します。
 “家族”にお薦めの一冊です。


   もくじ

プロローグ
1 行合の空
2 星の空
3 眺めの空
4 心の空
5 旅の空
6 名残の空
エピローグ

【関連】
  ◇戸森しるこ (@circo_tomori)(X、旧Twitter)
  ◇EMI WEBBER (@eminaillust)(Instagram photos and videos)  


Posted by ガク爺 at 17:00Comments(0)読書教育

2023年10月27日

十三夜。 8-3 教育制度の変遷(大正・昭和) (作手村誌)

昼食1027。 今日は旧暦の9月13日、「十三夜」です。
 月を愛でる日としては「十五夜」が思い浮かびますが、十三夜十五夜に次いで美しい月とされています。栗や豆の収穫期に当たるので、「栗名月」「豆名月」と呼ばれることもあります。

 ニュースでは、大気の状態が非常に不安定なため、雷や大雨になったり、雹が降ったりという所もあるようですが、十三夜のお月見を楽しみたいですね。



 『作手村誌』(1960・昭和35年発行)から「第四編 文化 - 第一章 教育」の紹介です。
 教育制度が整えられていく頃の時代を記録しています。
********
    第四編 文化

    第一章 教育
   第三節 教育制度の変遷
(つづき)
  一、変遷の概要
 (五) 大正、昭和時代の教育(理科教育、労作教育、団体訓練、国民学校、青年学校)
 明治時代に引続いて国家主義、全体主義的な教育が根幹をなしていたが第一次世界大戦後に於てはこの戦争から受けた影響が教育の各方面に現れた。特に当時の戦楊に出現した独逸方面の科学兵器とそのバックに於ける生産産、国民の耐乏生活等から学ばされた科学教育で学校に於ては実験観察を重んずる理科教育として強調された。また労作教育や体育がとり上げられたことも特徴の一つであった。
 この時代の初期には一般的に戦後の好景気に見舞われ、思想的にはデモクラシーが擡頭して一時的華やかさを思わせたが、大正の後半には不慮の天災(大正十二年)に遭って人心漸く動揺を始め前途楽観を許さない状態に立ち至ったので国民精神作興の詔書が下された。
 昭和の五、六年頃経済界に未曾有の不況が訪れて産業の不振、人心の不安が深刻となった。これ等と関連して国内に於ては思想の混乱、対立が日と共に激しくなり、国際的にも面倒な事情に直面して国の内外に「事件、事変」と言われるものが相次いで発生した。これ等の時代に於て教育はよく中央の統制によって専ら作業、体育の面に重点が置かれ学、行一体、師弟同行の学風が強く叫ばれた。其の後外地に於ける事変の拡大すると共に国内態勢にも大きな変化が現われ、教育の形態内容も強い国家意識の軍事調に切換えられて行った。団体訓練と勤労奉仕とは学校の種類と男女の別とを問わず全国の学徒によく徹底した。
 たまたま昭和十四年の五月には青少年学徒に勅語の下賜があって学徒の意気は更に高まり続いて祖国の健国二千六百周年を迎えて肇国の大精神が打ち出された。八宏一宇の宜言と相俟って国民的感情はいやが上にも興奮した。そしてその頂点から太平洋戦争が始まった。これから終戦の日まで軍需品の生産と食糧の増産に学徒はよく挺身した。
 昭和の初期、即ち二年四月に旭と田代の両校に高等科が併設された。又昭和十六年四月太平洋戦争勃発に先だって国民学校令が制定されて小学校のすべては「皇国の道に則って国民の基礎的練成を目的とする国民学校」と改変された。猶おこの時代の特色として青年学校が創設された。青年学校は昭和十年四月一日勅令第四十六号青年学校令によって設置されたものでその教育目的は専ら青年の思想統一と予備的軍事訓練に置かれ、支那事変勃発以来は特に重要な位置にあって特攻隊航空隊への入隊は優先的に取扱われ太平洋戦争への大きな底力となった。
(つづく)
********
 注)これまでの記事は〈タグ「作手村誌」〉で

【関連】
  ◇小学生向け副読本『わたしたちの村 つくで』も参考に。〈タグ「わたしたちの村」〉から。
  ◇2.(8-3) 明治の初めの作手 (わたしたちの村)(2021/06/29 集団「Emication」)
   ※4 小学校ができるまで
  ◇2.(8-4) 明治の初めの作手 (わたしたちの村)(2021/07/01 集団「Emication」)
   ※5 小学校の始まり
  ◇2.(9-1) 日清戦争・日露戦争のころ (わたしたちの村)(2021/07/02 集団「Emication」)
   ※1 ととのってきた学校
  ◇2.(12-2) 戦後の作手村 (わたしたちの村)(2021/07/14 集団「Emication」)
   ※2 六・三制の出発  


Posted by ガク爺 at 17:00Comments(0)日記作手

2023年10月26日

8-2 教育制度の変遷(教育令時代) (作手村誌)

作品1026。 天気のよい一日でした。

 先ほどテレビをつけると「プロ野球ドラフト会議」の中継でした。
 “プロスポーツ”はさまざまありますが、試合や競技でなく中継されるのは野球だけでしょうか。
 みなさんは、関心がありますか。



 『作手村誌』(1960・昭和35年発行)から「第四編 文化 - 第一章 教育」の紹介です。
 教育制度が整えられていく頃の時代を記録しています。
********
    第四編 文化

    第一章 教育
   第三節 教育制度の変遷
(つづき)
  一、変遷の概要
 (三) 教育令時代の教育(守義学校、菅守学校、保永学校、大和田学校、杉平学校)
 明治十二年九月に学制は廃せられて新たに教育令が出た。教育令では前時代の学区側を全廃して各町村に小学校を設置せしめ選拳にする学務委員を設けた。又義務教育年限を十六ヵ月とし児童に対する体罰を禁ずるなどフランスの自由民権思想の反映と見られるものも相当に多く、こうした面に於ては前時代に比べて一段の飛躍を思わせたが翌十三年十二月には改正教員令が発布され義務教員年限は三ヵ年に延長され、之に対し町村は県令の指定に従って学令児童を教育するに足るだけの学校を設置すべきことが定められ、学校の設置、廃止の管理が厳重になった。これらの時期の前後に於て村では守義学校、菅沼学校、保永学校、大和田学校、高里学校等がそれぞれ前身校から派生して学校の数も多くなった。これ等の時代に於ける我国の教育思潮はスペンサーの教育論等に刺激された実利主義、功利主義の教育が強調されたが又一方に於てはペスタロッチの開発主義が盛んに専伝せられた。然しこれ等の思潮が共に主知主義に偏向していると言うので一部人士の中には国粋の保存を唱えて欧化を牽制しようとする傾向も現れた。明治十五年には軍人勅諭の下賜があり、漸く各方面から国民道徳の振典が計られて来た。

 (四) 学校令時代の教育(巴小学校の独立、農林補習学校の創設、菅守に高等科設置)
 明治十八年官制の大改革があって新しく学校令が発布され、小学校の設置区域、位置等は凡て府県知事が之を定めることとなり就学義務年限を尋常小学校四ヵ年としたが、土地の状況によっては三ヵ年以内の小学簡易科を置いて之に代えることが認められた。又小学校の経費は児童の授業料を以って主要の財源とした。村ではこの時代に田代、保永、高松、大和田の各学校が何れも簡易科に切り替えられたがこの制度も二十三年十月の小学校令改正と共に廃止となり、修業年限三乃至四年の尋常小学校が出来た。それと同時に義務教育の授業料制も廃止されて町村の支出と変った。
 村では二十二年から二十五年にかけて前記四つの簡易科が尋常小学校となり開成、巴の両校が昇格して現在の小学校となった。二十二年に憲法発布、二十三年に教育勅語下賜等のことがあって教育の向う所が明示されこれより長きに亘って独逸帝国主義に似た国家主義の教育が行われたが初期に於てはヘルバルト派の教育傾向が多く入れられた。
 二十七・八年戦役の後で実業教育の必要が強調され、村ではこの期に於て全国に魁けて農林学校の前身を創設して郷土中堅人物の育成に努めたことは特筆に価することである。越えて三十七年四月には菅守尋常小学校に始めて高等科が設置された。
 当時の風潮は二十七、八年及び三十七、八年の両戦役を中心として忠訓愛国、富国強兵の思想は一世を風靡し国家主義的教育が高調に達した。然し戦後戌申詔書の下賜などもあって浮華軽佻の風が戒められ徳育の振興と勤険が強く奨励された。
(つづく)
********
 注)これまでの記事は〈タグ「作手村誌」〉で

【関連】
  ◇小学生向け副読本『わたしたちの村 つくで』も参考に。〈タグ「わたしたちの村」〉から。
  ◇2.(8-3) 明治の初めの作手 (わたしたちの村)(2021/06/29 集団「Emication」)
   ※4 小学校ができるまで
  ◇2.(8-4) 明治の初めの作手 (わたしたちの村)(2021/07/01 集団「Emication」)
   ※5 小学校の始まり
  ◇2.(9-1) 日清戦争・日露戦争のころ (わたしたちの村)(2021/07/02 集団「Emication」)
   ※1 ととのってきた学校
  ◇2.(12-2) 戦後の作手村 (わたしたちの村)(2021/07/14 集団「Emication」)
   ※2 六・三制の出発  
タグ :作手村誌


Posted by ガク爺 at 17:00Comments(0)作手

2023年10月25日

学校運営協議会。 5-4.2 生きて働くきまりに(2) (昭和に生きる)

枯葉1025。 朝は曇っていましたが、日中は青空が綺麗な日でした。


 今夜、第2回作手地区学校運営協議会が予定されています。
 前回(4/24 第1回)以降の活動のようす、今後の予定などをうかがい、意見交換をします。
 会場のつくで交流館では、週末の作手中学校文化祭の作品展示がされています。余裕をもって出かけ、中学生の作品を鑑賞したいと思います。



 故・渥美利夫氏が還暦の年に著した『昭和に生きる』(1987(昭和62)年刊)からです。
 渥美氏の教育実践、教育論は、“昔の話”ですが、その“”そして“”となるものは、今の教育に活きるものです。これからの教育を創っていくヒントもあると思います。

 この項は、「第三章 学校をつくる──見はてぬ夢を追って」から構成されています。
 この章では、「子どものいる学校、子どものいる教室」をモットーにして、学校経営の実践を具体的に述べています。若い先生にとって、これからの「授業を考える」ことができるといいなあと思います。
********
    新城小学校での夢

    (2) 生きて働くきまりに ──きまりを減らす努力──
(つづき)
   しつけについて
 しつけとはいったいなんであろうか、しつけられた内容、すなわちよい習慣を育成するということであろう。よい習慣をつくることには、だれも苦情を申し入れるということはなかろう。しかもよい習慣は必ず役立つものと多くの人たちは考え、その効用に対する人びとの信頼は絶対的とさえ思っているかのようである。
 学校のきまりを生きて働くきまりにしていくためには、このしつけについての検討が根底になくてはならないのではないかと考える。
  「おはよう」というかんたんなだれにでもできるあいさつを足がかりにしてみよう。このかんたんなあいさつはだれでも言うことができる。しかし生きたあいさつというものは、ただたんに言えばよいというものではない。あいさつは、あいさつを言う人、言われる人、その両者のつながりの上にどういう時でありいかなる場であるかということも含みこんだケースによって、微妙なちがいがあらわれてくるものであろう。いつでもニコニコ親しみをこめて言えばよいというものではない。やわらかくそっと語りかけるように言わなければならないときも、ときには力強くぶっきらぽうに言い放つときもなくてはなるまい。
 いずれにせよ、あいさつができるということは、だれもが反対を唱えることはないあたりまえのしつけだと言ってよいが、だから廊下に貼ってつねに見させているのだと短絡的に結びつけては困るのである。
 けれどもこの自明とみられるあいさつであっても、知的な追究を試みると、そこにはいくつもの疑問がでてくるのである。いったいどうすることがあいさつなのか、あいさつはだれにするのか、なぜするのか、だれにも頭を下げることがあいさつになるのか、だれにも同じあいさつをするのであれば、そんなのいらないという人もでてくるのではないか。尊敬する人とゆきずりの人と同じあいさつでよいのか。こんなことを考えてみると、まことにあいさつというものは複雑なものである。家庭科1025。「あいさつをせよ」というしつけは、いったいこのことにどのように答えることができるのであろうか。知的なものとのつながりがなくてはならないということが、ここで知らなくてはならない教訓である。
 あいさつをするということは、親しみを自然に表現すると同時に、そこには打算がもりこまれているのもまたたしかであるといってよい。あいさつにはつねに損得がつきまとっているのではないか。それはあまりにも不純な考え方と指摘されるかもしれないが、しかしそれでは、あいさつをすべきでない人に、勇気をもってあいさつをしないでよいという
ことを、しつけ万能論者は、なぜ教えないのであろう。
 あいさつできるようにしつけるということは、その場の状況に応ずる判断の重要性が強調されなくてはならない。このむずかしい判断の成立をどう考えたらよいのであろう。つまりしつけの対象となる内容は、きわめて複雑であるのに、そこを単純明快に割り切って、ただあいさつせよ、だけではどうにもならないのである。教師の指導のかまえ、姿勢を転換させなくてはならなくなってくるのである。
(つづく)
********
※ この項は、雑誌「学校運営研究」の昭和61年10月号に「学校のきまりを考える」特集に執筆されたものです。
 注)これまでの記事は〈タグ「昭和に生きる」〉で
 注2)掲載しているイラストは、学年通信(1993・1994年度)用に教員が描いたもので、図書との関連はありません。  


Posted by ガク爺 at 17:00Comments(0)教育先人に学ぶ

2023年10月24日

「霜降」。 5-4.1 生きて働くきまりに(1) (昭和に生きる)

ススキ1024。 今日は二十四節気の一つ「霜降」です。露が冷気によって霜となって降り始めるころとされます。
 立冬までの間に吹く寒い北風を「木枯らし」と呼びます。

 日中は暖かくても、朝夕の寒さは身に凍みます。
 体調を崩して、風邪をひいたり、ウイルス感染をしたりしないよう、休養と滋養にお気をつけください。



 故・渥美利夫氏が還暦の年に著した『昭和に生きる』(1987(昭和62)年刊)からです。
 渥美氏の教育実践、教育論は、“昔の話”ですが、その“”そして“”となるものは、今の教育に活きるものです。これからの教育を創っていくヒントもあると思います。

 この項は、「第三章 学校をつくる──見はてぬ夢を追って」から構成されています。
 この章では、「子どものいる学校、子どものいる教室」をモットーにして、学校経営の実践を具体的に述べています。若い先生にとって、これからの「授業を考える」ことができるといいなあと思います。
********
    新城小学校での夢

    (2) 生きて働くきまりに ──きまりを減らす努力──
 雑誌「学校運営研究」の六十一年十月号に「学校のきまりを考える」特集に執筆したものである。
   
学校のきまり
 いま学校には、多くのきまりと称せられるものが数多くある。そのきまりについて、教師と子どもの間には、うけとめ方にズレがあり、教師と教師との間にも微妙なズレ、ちがいがある。そしてさらには子どもたちのなかにも、かなりなくいちがいがみられるといってよかろう。
 学校のきまりについて、たかがきまりぐらいのことではないかと、たかをくくって対応の仕方、指導のあり方を一歩誤れば、教師と子どもの間にひび割れが生じ、歪みに発展しさらには教師不信にまでエスカレートしかねない深刻な状態となるおそれは充分にあるといってよい。
 ところで学校のきまりといっても、はっきりしただれでも知っているきまりもあれば、きまりであってもきまりでないようなものもあるし、きまりでないようであって、きまりとなっているようなものもある。また、あるきまりを例にとっても、そこには質においてかなりな幅があって、とらえ方もまた、千差万別であるといってよいかもしれない。
 ここでは“きまり”とはなにかということに正面から対決することを避けて、具体的な学校現場の現実に立って、そこで生きて働“きまり”をどのように創り出していったらよいか、そこでの教師のかまえ、姿勢を中心にして考えてみたいと思う。

   教師の考え方
 廊下には「廊下を走るな」階段には「手すりをすべるな」そして便所には「げたを乱雑にするな」というような禁止事項が標語として貼られ、さらには上部団体のいう「あいさつ、先手」「はい、というへんじ」「はきものをそろえる」の三つのしつけとやらの努力目標が所狭しと貼ってあるようである。お茶1024。その上教室には、校訓、級訓、週訓ときては、子どものまわりはすべて守らなければならないこと、努力しなくてはならないことばで埋っているのである。このような伝統は、戦前、戦後を通してあいも変らぬ学校らしい一つの風景といってもよいかもしれない。もし、これが多くの学校の水準的な状況であるとすれば、ここを拠点にしていくつかの問題点を探ってみたいと思う。
 一つは、しつけをめぐって教師の考え方を、二つには、きまりという名のもとの禁止事項を、三つには、週訓に代表されるねらいの問題である、この三つの問題点は互いに関連し合い、その背後には、教師のかまえ、姿勢、すなわち教育観、指導観が横たわっているのである。
(つづく)
********
 注)これまでの記事は〈タグ「昭和に生きる」〉で
 注2)掲載しているイラストは、学年通信(1993・1994年度)用に教員が描いたもので、図書との関連はありません。  


Posted by ガク爺 at 17:00Comments(0)日記先人に学ぶ

2023年10月23日

5-3.14 研究体制(3) (昭和に生きる)

弁当1023。 天気のよい、暑い秋の日でした。
 新幹線が法面火災の影響で運休・遅延がありました。仕事や移動が予定したようにいかず、困った方も多かったようです。
 「予定通り」って、ありがたいことですね。



 故・渥美利夫氏が還暦の年に著した『昭和に生きる』(1987(昭和62)年刊)からです。
 渥美氏の教育実践、教育論は、“昔の話”ですが、その“”そして“”となるものは、今の教育に活きるものです。これからの教育を創っていくヒントもあると思います。

 この項は、「第三章 学校をつくる──見はてぬ夢を追って」から構成されています。
 この章では、「子どものいる学校、子どものいる教室」をモットーにして、学校経営の実践を具体的に述べています。若い先生にとって、これからの「授業を考える」ことができるといいなあと思います。
********
    新城小学校での夢

    (1) しろあとの記
(つづき)
   研究体制(3)
  ──第三年次を迎えて
 新しい研究体制に入って三年目を迎える。過去二年間、めざして歩んできたことは、一つは“50%発言”であり、二つには“教師発言対子どもの発言を一対四以上”にするということであった。この“二つの目標”は、楽観的なみ方というそしりはあろうが、ほぽ全学級達成の域まで達したかにみえる。具体的にもう少し詳しく述べるべきであろうが、ここでは触れる余裕がないので、割愛させていただきたいと思う。
 この“二つの目標”を達成するために、各人が自分の得意とする教科で、一時間の授業で腕を磨くということを基本的に進めてきたのである。そしてかなりハードな授業研究を連続的に行なったし、授業検討もほぼここに焦点を定めて実施をしてきた。その甲斐あってかほぽ目標が達成できたといってよいであろう。
 授業案の作成については、枠組みを最少限度にして自由裁量を多くするということに努めた。その枠というのはなんのへんてつもないことだが、単元構想、本時の展開、そして座席表をそれぞれワラ半紙各一枚にまとめるということであった。
 しかるに教材のえらび方、子どものとらえ方、展開の仕方について、社会科を例にするならば“二つの目標”が達成されるころからおもしろいことに、なんというか指導案そのものが、こちらの考える“なべのなかに”入ってきたのである。
 そもそも、いままでの慣習のなかにある授業と授業形態の上にのっかかって進む“ふだん着”の授業を、あくまでも基本にしながら“二つの目標”を達成しようと努力をしてきたのである。子どもの授業に対する対し方が根本的に変わってくるようになるに伴って、教師の教材に対する考え方、指導のあり方も徐々にその趣を変えてきたのは注目さるべきことであった。そうならなければ、二つの目標は達成できないということでもあった。
三国志1023。 それは、子どもの動きを主体に考える授業、子どもの側に立つ授業というのは、やはり落ちつくべきところに落ちつくというのか、子どものカラを破るところから出発していけば授業の構造も、あるべき社会科の授業像、ないしはその方向のなかに見えかくれするようになったということでもある。
 子どもが主体的になってきた、そして教師の考え方にも大きな変化がみえてきたことが大きな成果といってもよいと思われる。
 ここで、第三年次を迎えるわけであるが、つぎなる目標をどうするかが大きな課題となって前面に立ちふさがるのである。
 社会科を核として、単元の構成をどのように考え、子どもを前面に打ち出していく姿勢を堅持しながら、そこにまつわるロスを最少限にとどめていくモデルを確立することではないかと思う。具体的な手だてをはっきりさせていくことをしないことには、現場の実践の前進はありえないのではないか。そこにはいくつかの問題点があろう。それを一つずつ解決して“新しい方式”を確立していくことだと思う。
   (昭和五十八年から「考える子ども」に連載)
(つづく)
********
 注)これまでの記事は〈タグ「昭和に生きる」〉で
 注2)掲載しているイラストは、昭和の中学生が「班ノート」に描いたもので、図書との関連はありません。


【参考】
  ◇「愛知県新城市立新城小学校における校内授業研究の基盤構築―渥美利夫による校長室通信『考える』の分析をもとに―」(2023/01/16 愛知教育大学学術情報リポジトリ)
  ◇「学習指導案の事前検討における協働研究の方法―愛知県新城市立新城小学校の校内授業研究に焦点を当てて―」(2021/04/07 愛知教育大学学術情報リポジトリ)  


Posted by ガク爺 at 18:00Comments(0)先人に学ぶ

2023年10月22日

自由研究。 『月夜行路』(秋吉理香子・著)

花1022。 今季一番の冷え込み、寒い朝でした。“季節が変わった”と感じる日になりました。


 今日、この夏、小中学生が取り組んだ算数数学の自由研究作品について、関係の皆さんと検討しました。
 着想、実験、整理、考察…、とても感心させられるものばかりでした。

 教師の目、研究者の目、大人の目、子供の目、それぞれの見方から学び、刺激をいただきました。ありがとうございました



 今日、新幹線で移動しました。目的地に向かうのに、途中下車したのではありませんが、新幹線を乗り継いで行きました。その訳は…。



 表紙に、コートを着てマフラーをし、スマホを手にした暗い表情の女性が描かれています。脇にあるキャリーバックにレモンと本が乗っています。
 前に足が見えます。カバーを広げると、サングラスをした女性がいます。
 この二人が大阪を旅する『月夜行路』(講談社・刊)です。

 表紙の女性は、専業主婦の涼子と、銀座のバー Marquee Moon のママ ルナでした。
 わたしは誕生日すら祝ってもらえない――。
 冷えきった夫との関係や子どもとの生活に孤独感を募らせていた沢辻涼子は、我慢の糸が切れたある日、家出を決行する。
 飛び出した夜の街で出会ったのは、洞察力と推理力に優れた美しいBARのママ、野宮ルナ。
 ルナに自分が抱える報われなさの正体が「大学時代の元彼」であることを言い当てられた涼子は、彼女と二人で元彼を探すため大阪へ旅に出ることに……。
 元彼探しが難航する中、次々と事件に巻き込まれる二人は、無事に想い人と再会できるのか――。
 45歳の誕生日に家族を捨て、家を出た涼子が、バーのママと大阪旅に出かけることになります。
 涼子の人探しに出かけた大阪旅は、“文学オタク”のママが望む文学スポット巡り旅にもなっています。

 二人は、人探しと文学スポット巡りの途中で、思わぬ事件に巻き込まれます。その事件を解決するのが、ルナの文学知識からの“名推理”です。文学作品の内容、背景をヒントに、“ロジックが飛躍”して事件の核心に迫ります。
 文学に疎い涼子には、その推理が不思議で、思いつかないことばかりです。

 ルナの推理で“一件落着”しますが、涼子場つぶやく一言で、ルナが…。


 ルナの推理が痛快です。
 ルナの豪快な金遣いが痛快です。
 探していた人に出会い…。涙。
 ルナの優しさに…。涙。
 涼子は…。ルナは…。そして…。

 本に挟まれる「FreePaper」に、〈書き下ろし〉の「特別掌編」と「大阪文学旅MAP」(14か所)が載っています。
 本書を読む前か、読みながらか、読み終えてからか、お気に召すままにどうぞ。

 涼子とルナと一緒に、事件の謎を解きませんか。お薦めです。


   目次

 序章 「暗夜行路」
第一話 「曽根崎心中」
第二話 「春琴抄」
第三話 「黒蜥蜴」
最終話 「月夜行路」


【付録】 大阪文学旅MAP
大阪文学旅MAP1022。
  


Posted by ガク爺 at 18:00Comments(0)読書教育