2025年01月20日
2025年01月02日
「初○○」

「初○○」では、初商い、初荷、初市、初売り、初買、初袷、初懐紙、初鏡、初釜、初肥、書初め、初硯、初刷、初稽古、初肥、初席、初風呂、姫始め、初夢…があり、それらは正月2日に行うことでした。
「書初め」では、若水で墨をすり、恵方(2025年は、西南西やや西)に向かって詩歌を書きました。その詩歌は「長生殿裏春秋富 不老門前日月遅」という漢詩が多かったようです。
書き初めは、小正月の左義長で燃やします。正月飾りや書き初めなどを燃やす煙に乗って年神様が天上に帰って行くとされています。
「初夢」は、31日から1日の間、1日から2日の間、そして2日から3日の間と諸説あるようですが、事始めの日である正月2日の夜(2日から3日の間)に見る夢を「初夢」とするのが相応しいと思います。
古く、夢で吉凶を占い、初夢でよい夢を見てよい年になるよう願いました。
よい夢として、「一富士、二鷹、三茄子」が言われます。これは、天下人 徳川家康にあやかって出世したいという願望から、縁起がよいものとされています。
あなたの「初○○」は、何でしたか。
【再掲;「初心に帰ろう」】
以前(2017・2013年)にも紹介した、メキシカン料理チェーンCHIPOTLEのミュージックビデオ「Back to the start(初心に帰ろう)」です。
ある農場主が、産業型農場をやめて初心にかえるというストーリーです。
今の暮らし、今の生活、今の考え…、“Back to the start”するのは何かな。
※ 以前(かなり前)、カンヌライオンズ国際クリエイティビティフェスティバル「フィルム部門 グランプリ」を受賞した作品です。このミュージックビデオを含むCHIPOTLEの「カルティベイト・キャンペーン」は、「Cultivate a better world(より良い世界を作っていこう)」をテーマに展開され、ブランデッドコンテンツ&エンターテインメント部門のグランプリも受賞しています。
2024年10月08日
お休みしています 「寒露」

今日は、二十四節気の一つ「寒露」です。
草花に冷たい露が宿り、秋が深まる頃で、山の木々が紅葉の準備を始めます。
朝夕の気温も肌寒さから“寒さ”に変わってきます。
季節の変化を愉しみ、自然への感謝を。
2024年01月07日
「人日の節句」(七草)

今日1月7日は、五節句の一つ「人日の節句」、「七草」です。
昔は、「6日年取り」と言って、七日を新しい年が始まる日と考えたため、この日に、「一年間 、外敵が来ないように」と祈ったのだそうです。
7日の“人の日”には、邪気を祓うために、七草の入った粥を食べ、一年の無事を祈ったのです。
「春の七草を摘み、これを神前に供えてから食べれば、その年は病気にかからない」という春の行事として、中国から日本へ伝わりました。
君がため 春の野に出でて 若菜つむ 我が衣手に 雪は降りつつこれら春の七草が、すべて近くの野で採れるという場所は少ないと思います。7種を揃えるには、セットのお世話にならないとダメかもしれません。
光孝天皇(15番) 『古今集』春・21
せり,なずな,ごぎょう,はこべら,ほとけのざ,すずな,すずしろ,これぞ七草
四辻の左大臣(源氏物語の注釈書『河海抄』より?)
最近では、本来(?)の意味合いはなくなり、年末年始の飲食で疲れた胃を休める”ために、七草粥を食べるという話が一般的になっているようです。
「春の七草」「秋の七草」などの草花が育つ土地であることが、これからの“豊かさ”の指標として価値のあることだと思います。暮らす地が、そうあり続くところであってほしいものです。
ところで、七草粥のエキスには、弱った胃腸を助けて食欲を増進する他に、糖尿病合併症防止、活性酸素除去といった働きが医学的に報告されているそうです。
○セリ [効能] 健胃・食用増進・解熱・利尿・去痰先人は、知識ではなく知恵で、これらに気づいて「七草粥」を取り入れていたのでしょう。
○ナズナ [効能] 止血・消炎・鎮痛・利尿・解熱・下痢止め
○ゴギョウ [効能] せき止め・去痰・扁桃腺炎・利尿
○ハコベラ [効能] 利尿・乳汁分泌促進・歯痛・消炎
○ホトケノザ [効能] 利尿・乳汁分泌促進・歯痛・消炎
○スズナ [効能] 消化促進・解毒・せき止め・そばかす
○スズシロ [効能] 消化促進・せき止め・去痰・利尿
先人の知恵に学び、身に付けていきたいものです。
気象庁 最新の気象データ |
◇今日(1/7)の全国観測値ランキング |
☆2024年のスタート の気温は…。 |
◇輪島(石川県) 2024年1月(日ごとの値) 気温(グラフ)(過去の気象データ検索) ※ 地震発生後、観測値が途切れています。 |
◇富士山(静岡県) 2024年1月(日ごとの値) 気温(グラフ)(過去の気象データ検索) |
◇最新の気象データ |
Pray for Noto Pray for Japan |
I pray for everyone who is affected by the earthquake.
I pray for the coast guards and their family.
被災地への支援が行きわたり、一刻でも早い復興を応援します。

※ 画像をクリックすると「Yahoo!ネット募金」サイトが開きます
※ イラスト「昇龍」の紹介は、2024年1月5日(金)の記事にて。
タグ :今日は何の日
2023年12月13日
今日は「正月事始め」。 WestJet Christmas

このまま年末そして新年を迎えて、大丈夫でしょうか。
今日13日は「正月事始め」です。
正月に新しい年神様を迎えるたための諸準備を始める最初の日とされました。
正月事始めは、江戸時代の宣明暦が由来と言われ、その後の改暦、旧暦を経て、現在の暦でも「12月13日」を、正月を迎える準備を始める日としています。
正月事始めの最初は「煤払い」です。昔はどこの家にも竈や囲炉裏があったことから、一年間に溜まった煤を取り除き、家の内外を大掃除を行い、煤掃き・煤納めの行事とも言われました。
現代の暮らしでは、煤が溜まっていないでしょうが、いつもより丁寧な掃除をしてはいかがでしょう。
煤払いの後は「松迎え」です。雑煮を炊くための薪や門松に使う松を山に取りに行きます。新年の年男が新年の恵方の方向にある山に出かけました。
こちらも、今の生活では必要ないかもしれません。せめて、新年の恵方(東北東やや東」)に手を合わせてはいかがでしょう。
この後、新年までに、餅つき、鏡餅、お節料理、門松、松飾りなどの用意をしていきます。
みなさんのご家庭の「正月事始め」は?
【おまけ;クリスマス】
正月事始めの記事に、クリスマスの話題は似合わないかもしれませんが、先日 Coca-Cola の動画を紹介しました。
この時期に気にして見るもう一つ、カナダの航空会社 WestJet の動画を紹介します。
以前(昔?)に記事にしましたが、2013年に初めて“クリスマスのサプライズプレゼント(Real-time Giving)”を見てから、毎年、「今年は、どんな物語が観られるかな」と楽しみにしています。
WestJet のサンタクロースが、毎年、多くの人を笑顔にしてきました。新型コロナ禍のクリスマスも、思いのこもったプレゼントでした。
さて、2023年は…。
これまでのWestJet Christmas Miracle。
◇WestJet Christmas Flash Mob(3:04 YouTube,2012年)
◇WestJet Christmas Miracle: Real-time Giving(5:25 YouTube,2013年)
◇WestJet Christmas Miracle: Spirit of Giving(5:33 YouTube,2014年)
◇WestJet Christmas Miracle: 12,000 mini miracles(4:49 YouTube,2015年)
◇WestJet Christmas Miracle: Fort McMurray Strong(3:55 YouTube,2016年)
◇WestJet Christmas Miracle: 12 Flights of Christmas(4:03 YouTube,2017年)
◇WestJet Christmas Miracle: Uniting Through Traditions(4:17 YouTube,2018年)
◇WestJet Christmas Miracle: To Give or Receive(4:24 YouTube,2019年)
※ 2019年12月初旬、COVID-19(新型コロナウイルス感染症) 感染者の第1例目報告。
◇WestJet Christmas Miracle: The Season to Give(1:54 YouTube,2020年)
◇WestJet Christmas Miracle: A Wish Come True(4:47 YouTube,2021年)
◇WestJet Christmas: Miracle Miles(2:58 YouTube,2022年)
◇WestJet Christmas Miracle | Connecting Holiday Heroes(2:59 YouTube,2023年)
◇WestJet Christmas Miracle(WestJet official site)
2023年11月15日
七五三。 『大将のいましめ』

3歳、5歳、7歳のお祝いで神社など賑わったと思いますが、最近は10月、11月の休日に行われるご家庭が多いようです。
七五三の起源は、三歳の男女の「髪置き」、五歳男子の「袴着」、七歳女子の「帯解き」のお祝いです。
江戸時代には、武家や裕福な商人の間でも行われるようになり、明治時代になって3歳・5歳・7歳の三つの祝い事をまとめて「七五三」と呼ぶようになり、庶民の間にも広まりました。これが現在の「七五三」の由来です。
【由来】子供達が健やかに成長することを願っています。
○ 3歳の男の子・女の子「髪置きの儀」。別名「櫛置き」「髪立て」。《髪置き》 平安時代には、男女とも生まれて7日目に産毛を剃り、3歳までは坊主頭で育て、髪を伸ばし始めるのは3歳の春からでした。この髪を伸ばし始める際に「髪置き(かみおき)」の儀式が行われました。○ 5歳の男の子「袴着の儀」。別名「着袴」。また「深曽木の儀」「碁盤の儀」。《袴着》 平安時代、男女とも5~7歳になると、初めて袴をつける「袴着(はかまぎ)」あるいは「着袴(ちゃっこ)」という儀式が行われました。この儀式は室町時代に11月15日と定められ、江戸時代以降は男子のみの風習となりました。現代でも宮中では古式にのっとった「着袴の儀」が行われています。○ 7歳の女の子「帯解の儀」。別名「紐落し」「四つ身祝い」。《帯解》 鎌倉時代、紐をつけて着付けていた子供の着物の紐をとって帯を結ぶ儀式が始まりました。これが室町時代に「帯解の儀」となりました。男女ともに9歳で行われていましたが、江戸末期から男子は5歳、女子は7歳となりました。【11月15日は】
○ 徳川綱吉の息子の健康を祈る儀式に関する説
○ 陰陽道や鬼を由来とする説
○ 旧暦の11月が、陰陽道の「一陽来復」という縁起の良い月だったという説
○ 収穫祭を由来とする説 など
先日訪れた記念館に、いくつかの書簡がありました。
その一つに、徳川家康の『大将のいましめ』という言葉が載っていました。徳川家康が亡くなる直前に書いた文章で、自分が教訓を得た文章だとありました。
書簡から許しを得て記録したものから、備忘録として転載します。(縦書きでした)
大将のいましめ 徳川家康読んでいて、気になる区切れがありますが、拝見した書簡(縦書き)では、このようになっていました。(この区切れにも、教訓となったことが表れているかもしれません。)
大将というものは
敬われているようで その家来に
絶えず落度を探られているものだ
恐れられているようで侮られ
親しまれているようで疎んじられ
好かれているようで憎まれているものじゃ
大将というものは
絶えず勉強せねばならぬし
礼儀もわきまえねばならぬ
よい家来をもとうと思うなら
わが食へらしても家来に
ひもじい思いをさせてはならぬ
自分一人では何もできぬ
これが三十二年間つくづく思い
知らされた家康が経験ぞ
家来というものは
禄でつないではならず 機嫌をとって
はならず 遠ざけてはならず
近づけてはならず 怒らせてはならず
油断させてはならぬものだ
『ではどうすればよいので』
家来には惚れさせねばならぬものよ
元和二年六月(一六一六年)
今年は、NHK大河ドラマ「どうする家康」の放送により、さまざまな場所、事柄が話題になっています。
この言葉も、すでにご存じの方が多いかもしれません。
みなさん、ご参考に。
あなたは、どのような感想をもたれましたか。
2023年11月05日
白鳥神社 秋の大祭

社での神事、天狗も出て区内を巡り、御旅所で祭事、供物を配り、再び社で初参り神事、直会、お楽しみ、籤引き…、新型コロナ禍で縮小されてきたお祭りが、“これまでのように”催されました。
参列、参拝された皆さんと、地区の安寧と幸せを願いました。
ありがとうございました。
《以下、2017年11月05日の記事 をもとに》
全国の白鳥神社は、日本武尊が死後、白鳥になって飛びたって国へ帰る途中で立ち寄ったという伝説につながる話が残っています。
日本武尊(ヤマトタケル)の話作手の白鳥神社は、古来、作手高原に白鳥が飛来しており、その白鳥の糞によってお米がたくさんとれるようになりました。このようなことから白鳥への恩恵に感謝して11か所(全国最多)もの白鳥神社が建立されたということです。
大碓(オオウス)命と小碓(オウス)命の双生児がいました。しかし、誤って小碓は大碓を殺してしまいます。そのことに帝は怒り、小碓を熊襲征伐という名目で大和から追放してしまいます。
熊襲の国ではタケルの宮殿が新しく造られ、各国造の客人で宴がたけなわです。その時、宮殿が闇となり、その一瞬にタケルが殺されます。そして混乱の中で、自分を討った小碓に、自分の名をとりヤマトタケルと強者の魂を授けました。
大和国に熊襲より帰ったヤマトタケルでしたが、父帝は蝦夷征伐に行けと命じます。ヤマトタケル命は、伊勢の倭姫を訪ね、出発します。
相模の国造の計略で四方を火に囲まれ、倭姫にもらった火打石と剣で難を逃れます。次に走水の嵐の中で橘弟姫は海に身を踊らせ、海を鎮めます。
大和への帰りに伊吹山の神の退治に出かけ、病に冒され、能煩野で息を引き取ります。しかし、ヤマトタケルは白い鳥となり、飛び去ったと伝えられています。
そして、讃岐の国松原村に舞い降りて、白鳥神社として祀られました。
「種々の白鳥伝承は、初期農耕における穀霊信仰と、深くかかわりを持っている。稲刈りの終わったころから翌年の春まで、日本列島には多数の渡り鳥が飛来して、大量の糞を水田に残した。( ※渡り鳥は鶴や白鳥やカモ類、昔は湿田だったため冬も水がありました。)「作手(つくで)」は、今は水田地帯となっていますが、かつては泥炭が堆積した湿地帯であり、湿原の多いところでした。
鳥の糞には窒素、リン酸、カリの三要素をはじめ多くの養分が含まれるため、この糞による水稲の増収効果は著しいものがあった。渡り鳥の多く集まる水田と、集まらない水田の間で、コメの収穫量にも差異がみられたことから、古代農民は、渡り鳥を神の使いあるいは神そのものとして崇めるようになったと想像される。これが白鳥信仰の源流であろう。云々」(『作手白鳥神社と初期農耕』(芦野泉)より)
地名「作手」の由来として、元々は「津の久手」を意味しており、愛知の地名に多い「久手(湿地)」の一つとも言われます。
こうした土地の低温や還元条件が、鳥の糞が肥料として大きな役割をもっていたと考えられます。白鳥の飛来していた水田では米の収穫が多く、人々は白鳥に感謝し、それが11か所の白鳥神社となったのでしょう。
また、作手、岐阜の土岐、七宗、白鳥の各白鳥神社は、直線上に位置しており、これは、古代白鳥が日本海からの線上を往来していたことの表れでしょう。
こうした直線(ライン)は、他にも京都の福稲、奈良の室生を結ぶライン、富山の黒部、静岡の南伊豆を結ぶライン、石川の津幡、愛知の津具結ぶライン、愛知の岡崎、東郷を結ぶラインなどがあるそうです。それのラインは平行であり、南中線からの傾きが約24度だそうです。
“古の不思議”を感じ、“古の知恵”を思います。
現在も、“つくでの米”は、とても美味しいと評判です。
【参考】 ミネアサヒ。(2023/10/02 集団「Emication」)
五穀豊穣に感謝し、氏子の無病息災を祈る一日でした。
【関連】
◇白鳥神社(Wikipedia)
◇『白鳥神社について』(作手村のむかし)(文集『こうやまき』)
◇2.(1-3) 作手のあけぼの (わたしたちの村)(2021/06/06 集団「Emication」)
◇6(1-3) 国のはじまり (わたしたちの村つくで 改訂版)(2022/03/31 集団「Emication」)
【作手地区の11社(日本武尊を祀る神社)】
白鳥神社(新城市作手白鳥字宮下)
白鳥神社(新城市作手荒原字池田)
白鳥神社(新城市作手大和田字徳衛)
白鳥神社(新城市作手鴨ケ谷字門前)
白鳥神社(新城市作手清岳字宮山)
白鳥神社(新城市作手高里字宮山)
白鳥神社(新城市作手田原字小向)
白鳥神社(新城市作手中河内字宮下)
白鳥神社(新城市作手黒瀬字竹下)
白鳥神社(新城市作手木和田字前)
白鳥神社(新城市作手守義字郷下)
タグ :作手
2023年10月31日
Halloween。 5-4.4 生きて働くきまりに(4) (昭和に生きる)

○ ハロウィンは、キリスト教の行事で、毎年11月1日にあらゆる聖人を祝う「諸聖人の日」の前夜に行われるお祭り〈All Hallows’ Day〉です。10月31日から11月2日までの期間を指します。最近のようすは、ここで話題にするまでもなく、「本来は…」「元々は…」とは別の、新しい“日本のイベント”となっています。
○ 大昔のケルト民族の儀式である「サウィン祭り」が始まりだと言われています。今から2000年以上も前のことで、古代ケルト歴では一年の終わりが10月31日と定められていました。
○ その日、死んだ人のお化けがこの世に帰ってきて、人間に取り付いてあの世へ連れて行こうとしました。そこで、人々は,『同じお化けの格好をして仲間だと思わせてしまおう』と考えました。お化けたちは、お化けの格好をした人々を仲間だと勘違いして、中には格好が怖すぎて逃げていくお化けも出てきました。
○ ハロウィンは、子供から大人のみんなで仮装をして楽しむ日となりました。
各所で“厳戒態勢”となっているようですが、楽しく過ごしましたか。
故・渥美利夫氏が還暦の年に著した『昭和に生きる』(1987(昭和62)年刊)からです。
渥美氏の教育実践、教育論は、“昔の話”ですが、その“根”そして“幹”となるものは、今の教育に活きるものです。これからの教育を創っていくヒントもあると思います。
この項は、「第三章 学校をつくる──見はてぬ夢を追って」から構成されています。
この章では、「子どものいる学校、子どものいる教室」をモットーにして、学校経営の実践を具体的に述べています。若い先生にとって、これからの「授業を考える」ことができるといいなあと思います。
********
新城小学校での夢
(2) 生きて働くきまりに ──きまりを減らす努力──
(つづき)
教師の姿勢の転換
いずれの場合も、まず教師の姿勢の転換が急務であって、いわば“教師の論理”を変えないことには、このような状態を変えることはむずかしい。
そして共通していることがらは、最初から教師はその禁止事項、すなわち“きまり”がすべての子どもに守られるとは、頭から思ってはいないのである。だからつねに手形を乱発して、指導のあとしまつをしない。したがって”手形の乱発”を控えるようにすることと、゛あとしまつ”をしっかりするように具体的な体制を整えることが、もっとも重要な対策ということになる。
この二点に目を向けようとすれば、きまりを壁に貼布して、知らず知らずのうちに教師としての責任を回避するということはなくなるであろう。あたかもどこかの役所のように一片の通達を出すことによって「おれたちは知らないぞ」責任は現場が背負うべきだというあの感覚とは質的にちがってくる。責任回避の論理は無用のものとなる。

いずれにしても、学校にはきまりが多すぎる。身だしなみに始って一挙手一投足にいたるまで、がんじがらめであっては子どもは窒息をしてしまう。ここにおける画一化は管理主義的傾向につながり、指導がおいてきぽりをくう危険性をもっている。
(つづく)
********
※ この項は、雑誌「学校運営研究」の昭和61年10月号に「学校のきまりを考える」特集に執筆されたものです。
注)これまでの記事は〈タグ「昭和に生きる」〉で
注2)掲載しているイラストは、昭和の中学生が「班ノート」に描いたもので、図書との関連はありません。
2023年08月13日
お盆(盂蘭盆会)。 「修身」。

日本の伝統的な風習の一つ「お盆(盂蘭盆会)」となり、今日(13日)は迎え火を焚き、先祖の精霊を迎えます。
盆は“7月の行事”で、すでに先月に終えている地域があり、旧暦7月、月遅れの8月に行う地域があります。
月遅れの8月を盆とする地域が多く、働き方改革が進んでいるとはいえ、会社などの夏休みも、この時期が多くなっています。
この時期、さまざまな新旧の地域行事が行われます。台風7号の接近で中止となることもあるでしょうが、家族で楽しんだり、子供が手伝ったりして、“伝統”を体感できるといいなあと思います。
あなたの地域では、いかがですか。
以前の記事を読み返していて、雑誌が載せていた「修身」を紹介していました。
この「修身」は、旧制学校で教えていた教科の話でなく、「自分の行いを正しくするようにつとめること」という視点での特集です。
修身は、「四書五経」の一つ『大学』において、人間がステップアップするための8条目(格物、致知、誠意、正心、修身、斉家、治国、平天下)の中で最も重んじるとされているものです。
雑誌では、薄衣佐吉氏が、「修身」の度合いを心理学的に考察し、それを「7つの段階」で述べていました。
第一は「自己中心の心」。人は歳月とともに身体的年齢は増えますが、心の発達は歳月に比例しません。
赤ちゃんがそれである。自分の欲求だけに生きている。
第二は「自立準備性の心」。
幼稚園児の頃である。用事を手伝ったりする。
第三は「自立力の段階」。
成人を迎え自立する。
第四は「開発力の時代」。
困難に立ち向かい、開発改善していく力を持つ。年齢的には三十~四十代か。
第五は「指導力」。
四十~五十代になり部下を指導していく。
第六は「包容力」。
好き嫌いを超えて人を包容していく。
第七は「感化力」。
その人がいることで自ずと感化を与える。最高の状態といえよう。
薄衣氏によれば、「年はとっても75%の人が第二段階の状態で終わり、第三段階までいくのは15%、第四段階以上に至るのは10%」だそうです。
齢を重ね、どのように“修身”を捉えていくのか、ふと考えました。
“脳のオーバーヒート”を感じるのは、暑さのせいか、考えていたせいか…。
【参考】
◇8月13日はお盆の迎え火。ご先祖様の霊を迎え入れよう(季節・暮らしの話題 2020年08月12日)(日本気象協会 tenki.jp)
台風情報 ◇台風7号(ラン・LAN)◇ |

◇最新の台風NEWSならウェザーニュース
◇台風情報 - Yahoo!天気・災害
◇台風進路予想図(Google Maps版)(デジタル台風)
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タグ :今日は何の日
2023年07月06日
4-3.7 あとがき (昭和に生きる) 七夕の話題

荷物を運ぶ用事がありましたが、雨の心配もなく気持ちよく作業ができました。
故・渥美利夫氏が還暦の年に著した『昭和に生きる』(1987(昭和62)年刊)からです。
渥美氏の教育実践、教育論は、“昔の話”ですが、その“根”そして“幹”となるものは、今の教育に活きるものです。これからの教育を創っていくヒントもあると思います。
この項は、「第二章 授業を考える──子どもにつきささる教師の目」から構成されています。
この章では、実践者として、研究者として、「授業を創る」視点を具体的に述べています。若い先生にとって、これからの「授業を考える」ことができるといいなあと思います。
********
実践者の論理
(3) しやべる授業から見守る授業ヘ
(つづき)
あとがき
子どもたちを見つめながら、がむしゃらに歩んできました。ふりかえってみますと、もうすでに四年の歳月がたっていました。
名古屋大学の三枝、日比両先生にうながされて、四年間の試行錯誤の歩みをまとめることにしました。先生方のお力添えがなければ、ほんとうにできるしごとではなかったと思っています。これを直接的なご指導とすれば、その根源にあったのは、教育実践がゆきずまりがちで、ともすると堕落しそうになる怠惰なわたしに対して、きびしい叱正とあたたかいご指導をしてくださった上田薫先生の存在でした。
先生の『知られざる教育』『人間形成の論理』『ずれによる創造』そして『絶対からの自由』(いずれも黎明書房刊)という一連の教育哲学に導かれたわたしは、その考えを教育現場に滲透させるための“橋渡し”をすることこそ、自分の役目ではないかとひそかに考え、誇りをもって実践を続けてきました。
校長になってほぼ十年、「社会科教育の拠点校」をつくろうと懸命に努めてきました。思うように成果はあがりませんでしたが、とにかく教職生活最後の新城小において、今までの実践を集大成しようと考え、子どものカラを破ることを出発点とする“あたりまえのこと”にただ徹底する教育を目ざしてきました。そして、そこに社会科指導を組みたてることが、子どもを育て、さらには社会科を“だれにでもできる社会科”にするものだと考えるようになりました。現場の先生方の実践に学び、討論を重ねながら、“新城方式”なるものを創造しようと努めたのが、この小著のすじ書となっているものです。

また、本校の研究推進のために、直接ご指導をいただいた都留文科大学の上田薫、名古屋大学の三枝孝弘、日比裕、横浜国大の市川博、愛知教育大学の霜田一敏の各先生、「社会科の初志をつらぬく会」の重松鷹泰、仏教大学の長岡文雄、立教大学の武藤文夫、帝塚山授業研究所の竹中輝夫、信濃教育会教育研究所の加藤伸、静岡市千代田東小の星野恵美子の諸先生方からは懇切丁寧なご指導をいただきました。ここに感謝申し上げる次第です。
このささやかな本が授業研究、社会科研究の踏み台・捨て石となり、初等教育の現場の活性化のためにいくらかでも役立つことができれば、この上もない喜びです。お力添えいただいた黎明書房の高田利彦社長、武馬久仁裕編集長、編集部の瀬扶美子さんに謝意を表したいと思います。
昭和六十一年十月
(つづく)
********
注)これまでの記事は〈タグ「昭和に生きる」〉で
【おまけ】
明日「七夕」の先取り。
この日、一年に一度、牽牛(ひこぼし)と織女(おりひめ)が会える日です。この話(織女牽牛伝説)には、いろいろあるようですが、よく聞く話を。
織女牽牛伝説(しょくじょけんぎゅうでんせつ)明日の夜、空は…。
むかしむかし、天帝という神様が星空を支配していた頃、天の川の西の岸に、織女という天帝の娘が住んでいました。織女は機織りが上手で、彼女の織った布は「雲錦」と呼ばれ、色も柄も美しく、丈夫で着心地も軽い、素晴らしいものでした。
一方、天の川の東の岸には、牛飼いの青年 牽牛が住んでいました。牽牛は、毎日、天の川で牛を洗い、美味しい草を食べさせたりと、牛の面倒をよくみる働き者でした。
天帝は、くる日もくる日も働いてばかりいる娘を心配して、娘の結婚相手を探すことにしました。
そして、天の川の向こう岸に住む牽牛を見つけると、二人を引き合わせました。
「おまえたち二人は、まじめによく働く。牽牛よ、私の娘 織女と夫婦にならぬか?」
牽牛は恐縮したようすで、
「天帝様、私のような者には、夢のようなお話しでございます。ありがたくお受けさせていただきます。」
織女も、働き者の牽牛をたいへん気に入り、二人はめでたく夫婦となりました。
ところが、一緒に暮らすようになると、二人は、朝から晩まで天の川のほとりでおしゃべりばかりをしています。
これを見た天帝は、
「おまえたち、そろそろ仕事を始めたらどうだ?」
と戒めますが、牽牛と織姫は、
「はい、明日からやります。」
と答えるばかりで、いつになっても仕事を始めるようすがありません。
織女が布を織らなくなってしまったため,機織り機には埃が積もり、天界にはいつになっても新しい布が届きません。
また、牽牛が世話をしていた牛たちも、やせ細って、次々に倒れてしまいました。
業を煮やした天帝は、とうとう二人を引き離し、一年に一度、7月7日の夜だけ、天の川を渡って会うことを許しました。
今でも二人は、7月7日に会えるのを楽しみにして、天の川の両岸でまたたいているとのことです。
タグ :昭和に生きる