2018年12月31日
大晦日「本年もありがとうございました」

一年を感謝し,今に感謝し,家族と過ごしています。
当ブログ『集団「Emication」」への訪問ありがとうございます。
正月はブログをお休みします。次の更新は3日あるいは4日です。
本日は,年始の話題です。
今年も,氷上姉上神社でお祓いをしていただいた「宝船の絵」(初夢七福神縁起)が届きました。
宝船の絵は,初夢で良い夢が見られるよう,“枕絵”としたものです。
(以下,今までも紹介したことがある話ですが,よろしければお読みください。)
室町時代を起源としたこの習慣は,戦国時代の武将も行っていたほど縁起のいいおまじないだそうです。江戸時代には,年末になると宝船と七福神の絵を売って歩く人もいたほどの人気のおまじないでした。
初夢用の宝船と七福神の絵には,「長き世の とをのねふりの皆めさめ 波のり舟の音のよきかな」という回文の歌が書かれています。この上から読んでも下から読んでも同じ文句の歌を,三回唱えて寝るのが幸運の鍵だそうです。もしも,夢見が悪かったなら,翌朝この絵を川に流せば大丈夫だそうです。
初夢について,こんな小咄があります。
「この野郎,やっと見つけたぞ,ちくしょうめ,金返せ!」
「何ですぅ?旦那ぁ,えらい剣幕で?」
「盗人猛々しいとはおめぇのこった!さぁ,きりきり金を返しやがれ!」
「待ってくんねぇ,いってぇどうしたんで?」
「おめぇから買った,七福神図の紙を枕にひいて寝たら,これがどうでぇ。
正月早々,夢の中で福神のくせぇしやがって大喧嘩だ。
こんな縁起の悪いこたぁねぇ。判ったらきりきり銭を返えさんかい!」
「判った旦那,ところで旦那は寝相は良い方かい?」
「てやんでぇ,こちとら江戸っ子でぇ,勝手気侭に眠るってもんだ」
「そりゃぁ,いけねぇ。帰って紙を見てみねぇ。」
「どうだってんだよ?」
「枕の下で,紙が揉めている。」
よい初夢から始まる2018年に!
みなさん,よいお年を!
【おまけ】
昨年の記事。
1988年の大晦日,FM放送で朗読され,その後“大ブーム”となったお話です。大晦日に改めていかがですか。
◇小説『一杯のかけそば』(2017/12/26)

2018年12月30日
『天地に燦たり』(川越宗一・著)

お仕事ですか?
図書室の書架にあった『天地に燦たり』(文藝春秋・刊)
第25回松本清張賞を受賞した作品で,秀吉の朝鮮出兵が題材となっています。
作家の三浦しをん氏は,
「論語、難しい……」と最初は不安だったのだが,登場人物たちのやりとりにそこはかとなきユーモアがあり,ぐいぐい惹きこまれた。どの人物も実在したのではないかと思うほど魅力的で,本作で描かれる時代にタイムスリップした気分だった。と評しており,帯にも「激しく心揺さぶられた」の言葉がありました。
この作品は,戦を描く主軸に,義でも忠でもなく,儒教の“礼”の概念受容を置いています。それをテーマとして,島津の侍,朝鮮国の非差別民の少年,琉球国の密偵,それぞれの視点から描かれています。
本書を紹介する文章に,
物語は島津の侍大将・大野久高が,「俺は,いつまでこんなことをしているのだろう」と思うところから始まる。この思いは,その後もしばしば出てくるもので,久高が幼い頃に学んだ儒学の影響によるものだ。儒学では人が人たる所以が“礼”であるとされる。人は「天地ト参ナルベシ」(天地と並び立つ崇高な存在)になれるのだろうか,と戦場で戦ってきた久高に“礼”は遥か遠いものでしかなかった。“凄い作品”なのですが,読み切れませんでした。
儒学の“礼”を『礼記』などから引用して,久高,明鐘,真市,道学先生に語らせて儒学問答のようなペタンチックな面はあるが,登場人物たちの生き方の模索と密接に結びついているために邪魔にはならない。
久高,明鐘,真市の三人の“礼”に対する思いはそれぞれに異なるものの,現代の国際情勢を考える上で貴重な考察を与えてくれる。
まだ作品を読める“力量”が備わっていないようです。
みなさん,年末年始の時を,久高(島津),明鐘(朝鮮国),真市(琉球国)と過ごしてみてはいかがですか。
目次
禽獣
異類
をなり神の島
天地と参なるべし
天下と四海
洪明鐘
碧蹄
万物生生
何ぞ死なざる
誠を尽くす
恃険与神
琉球入り
天地に燦たり
タグ :読書
2018年12月29日
「ジモト動画アワード」から

年末年始の休みに入った人達の“帰省ラッシュ”が始まり,各所で混雑・渋滞をしているようです。さらに悪天候による交通機関の乱れもあり,その影響で困っている方もみえることでしょう。
当地の朝は晴天でしたが,早い時間に“ボタン雪”が降り出し,短い時間に景色が白くなっていきました。
出かける方々が予定通りに移動ができ,帰省先や宿泊地で,ゆっくり過ごせるといいですね。
先日,深夜に「ジモト動画アワード2018」が放送されていました(関東で5月7日に放送されたもの)。
全国の「ご当地PR動画」や「地方CM」をジモト動画と称し,最もオモシロい作品を勝手に表彰する番組博多華丸さんの進行(MC)で,部門ごとに動画が紹介され,審査委員がコメントをしていました。
ジモトを紹介・アピールする“力”の入った作品ばかりで,感心して観ました。
作品の多くは,ネットで発信されたものであり,今も見られました。この番組で取り上げられた他にも「魅力的なジモト動画」がたくさんあるんでしょうね。
審査委員長の博多大吉さんが選んだ「大賞」は…。
『自虐でアピール!地元あるある部門』から
◇宮崎県・小林市「田舎女子高校生」
◇岡山県「岡山トヨペットCM・Bubblepack Town 」
◇沖縄県「歩くーぽん」
◇兵庫県「ギンギラ銀山パラダイス」
『観たらハマる!地元クリエイティブ部門』から
◇大分県「プレミアムフロイデー」
◇青森県「キュンする、イッピン」
◇静岡県「三幸コーポレーションCM・ハイパーマン」
◇大分県「別府競輪CM」
『ご当地グルメ部門』から
◇宮崎県「Sound of hinata food」
◇香川県「うどんの意外な効果」
◇鳥取県「カニニュース」
『感動ハートフル部門』から
◇静岡県「江崎新聞店WEB動画・父と、娘と、新聞と。」
☆アワードの部門とは別に紹介された 島ぜんぶでおーきな祭 沖縄国際映画祭 JIMOTO CM REPUBRIC から。
◇スリランカ「ニデルセン君の今」
◇ネパール「ネパールの夢学校」
◇与那原町「プロポーズ」
◇京都府・京丹後市「便利さよりも、安心を」
☆審査員の紹介から
◇大里 菜桜さん
◇吉崎 綾さん
2018年12月28日
「今と昔の生活のちがい」《生活の移り変わり 10》

今朝は,家の周囲が薄っすら白くなっていました。夜中に雪が舞ったようです。ニュースが伝える北海道や東北のように吹雪くことはありませんでしたが,“冬の到来”を強く感じる天候でした。
今日12月28日は,多くの会社・事業所が「仕事納め」で年内最終の営業日です。公官庁は「御用納め」で首長からの訓示(?)があったことでしょう。
仕事納め・御用納めの方々は,明日から年末年始の休みですが,この時期が“忙しい”と言われる方々も少なくないと思います。
昨今の「働き方改革」では,こうした“休日に働く方”には,どのような方策を考えているのでしょう。
国民全員が“休み”にしたら…。
みなさん,年末年始をどのようにお過ごしですか。
文集「こうやまき」から,「生活の移り変わり」の一話です。
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『今と昔の生活のちがい』 (文・協和5年 女子)
わたしのおばあさんは,今,六十一才です。
おばあさんが,およめに来たころの作業着は,着物を着て仕事をやったそうです。かすりの着物や,しまの着物に,はばのせまい帯をしめ,たすきをかけて,足にははばきをして田えをしたそうです。
田値えのときは,ぶよがくったり,とても,かなしかったそうです。
雨降りには,牛おいがさをかぶって,ござや,みのを着て仕事をしたそうです。
田は,自分たちの手でおこしたり,牛にすかせたりして,昔の人たちは,たいへん苦労したことだと思います。
それに比べると,今では,良い作業服ができて,田植えには,長ぐつをはくので,足をぬらさなくてもできるし,雨が降っても,ビニールのかるいカッパを着るので仕事がやりやすくなったと,おかあさんが話してくれました。
田も,こううんきでおこすようになったし,田植えも機械で植えるようになったので,はやく,らくにでき,ほんとうにべんりになったと思います。
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お子さんは,お爺さんお婆さんから「昔の話」を聞く機会がありますか。
【おまけ】
新城市立作手小学校の「校歌」を作曲したたにぞうさんが,12月16日の「たにぞうさんと仲間たちのクリスマスコンサート ~みんな集まれ、ブンバ・ボーーン~」でプログラムに入れてくれました。
歌詞に込めた思いが歌に乗って伝わってきました。
2018年12月27日
子供と家庭そして社会と…。

当地は,強く冷たい風が吹く日でしたが,日中は晴れて活動しやすい日でした。夕方,霙(みぞれ)が降ったようです。
明日も寒波の影響が小さいことを願っています。
午前中,中学校の校長先生と「次年度からの○○」について相談をしました。
これまで,現状を確認し,これからの“子供と家庭,地域”を考え,それを実現していく方策の一つを検討しました。
次年度に向けての一歩が始まりそうです。
よろしくお願いします。
子供や家庭の話から,家庭,家族に関してのエッセイも多い藤原智美氏の『なぜ、その子供は腕のない絵を描いたか(祥伝社黄金文庫)
執筆当時,「4~5歳児に絵を描かせると腕のない絵を描く子供がが急激に増えている」という状況だったのです。
10年近くたった今,子供達の状況は,どうなっているでしょう。
“腕を描かない絵”というのは,あくまで特徴的なことであって,その他にも川を描かせると四角いプールみたいな絵になったり,遠足の思い出の絵に弁当の唐揚げ一個しか描けなかったりしたようです。
語彙も少なく,一個二個は分かるが一つ二つという単語が理解できなかったり,「目をつぶってきゅうりを想像して絵を描きましょう」と言われて目をつぶるということが理解できない子もいるのです。
“普通にできていた”ことができない,普通ではなくなっていると警鐘を発していました。
また,何をしていても集中力が続かない,我慢ができないという子供に,そのことを注意すると「疲れた」「めんどくさい」と答えるのです。
藤原氏の報告する“絵の周辺”は,今でも見られるでしょう。違う形になって表れているかもしれません。
それを,「子供達の発する信号」で済ませてはいけません。その信号は,その子の生活そのものです。
どんな生活を送らせたいのか,親と大人,社会が考え,行動をすることが,“普通にできる”ことにつながると思います。
「普通って何?」と言われる方もみえるでしょうが,子供達にとって「社会の“普通”」を知り行動できることは,大切なことです。
校長先生との話が,その糸口になりそうです。
【参考】
◇『家族の勝手でしょ!写真274枚で見る食卓の喜劇』(岩村暢子・著/新潮社・刊)
◇『残念和食にもワケがある - 写真で見るニッポンの食卓の今』(岩村暢子・著/中央公論新社・刊)
◇『もっと変な給食(幕内秀夫・著/ブックマン社・刊)
タグ :子育て
2018年12月26日
お正月に向けて…(3) 「お節料理」

年末年始に向けた片付けと準備をするのを助けてくれた天候でした。
明日からは,予報通りに“寒波”がくるのかな…。
年末になり,お正月に用意するものについて,先週の「年末です。お正月に向けて…」(12/17),「お正月に向けて…(2)」(12/18)で蘊蓄(うんちく)を記事にしました。
今日は,お節料理についてです。
黒豆,かまぼこ,紅白なます,田作り,栗きんとん…
お節料理が,現在のような形になったのは江戸時代の後半だと言われています。お節料理は,江戸の粋やユーモアを凝縮した庶民文化から開花したものです。 江戸の人々の暮らしが豊かになり,正月の料理も様々なものができましたが,お節料理の意味や謂れに共通しているのは,豊かに暮らせること,一族の繁栄を願うことです。
そもそもの由来は,正月の「節供料理」で,宮中のお節供(おせちく)の行事からきています。
お節供は,節日に神に供えたものです。宮中では,1月1日(元日),7日(人日),3月3日(上巳),5月5日(端午),7月7日(七夕),9月9日(重陽)といった節日には ,神に神饌を供え祭り,宴を開きました。
お節料理は,宮中のしきたりが民間に広まったものです。それが,やがて正月にふるまわれるご馳走を「お節料理」と呼ぶようになりました。そして,その土地や時代によって変化してきました。
正月に神に供えた供物を下げてきて一族で分かち合って食べることを,「直会(なおらい)」と言います。正月には家族が集い,感謝と祈りをこめて新しい年を祝い,ご馳走を食べるのです。
お節料理の名前には,それぞれ意味があります。いくつかのいわれを並べてみました。
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☆黒豆
まめ(健康)に暮らせるように。
黒豆を上手に炊き上げることができれば,お嫁さんの及第点といわれたくらい,豆を軟らかく炊き上げるには,技術も経験も必要です。また,植物性の高タンパクである豆は, 肉食の風習がなかった昔では,欠くことのできない栄養食品でした。
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☆数の子
子孫繁栄。二親から多くの子が出るのを好き事とし,古くからおせちに使われました。かつて,数の子は日本中どこでも入手できる一般的なものでした。
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☆田作り
豊年豊作祈願。江戸時代の高級肥料として片口鰯(いわし)が使われ,豊作を願い田に肥料として撒いたことから名づけられました。
片口鰯の小魚を天日で干し上げたごまめを砂糖としょうゆで調理したものです。
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☆昆布巻
喜ぶの言葉にかけて,昆布はお正月の鏡飾りにも用いられています。
日本料理の必需品 ともいえる大切なもので,健康長寿がえられるといわれます。お節料理には,煮しめの結び昆布,昆布巻といろいろと使われます。
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☆紅白かまぼこ
かまぼこは,初めは竹輪のような形をしていました。やがて江戸時代,様々な細工かまぼこが作られるようになると,祝儀用として欠かせないものになっていきました。
紅はめでたさと喜びを表わし,白は神聖を表わします。上棟式や結婚式に紅白のもちを撒く習慣があるように,お正月は紅白の色で祝いたいものです。
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☆紅白なます
お祝の水引きをかたどったものです。生の魚介などを用いて,大根,にんじんと酢で作ったことから,「なます」の名がつけられました。
「大根の医者いらず」といわれるように,紅白のめでたい色合いばかりではなく,ビタミンCが豊富で,風邪もひきにくくなる食べものでもあります。
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☆錦たまご
黄身と白身の2色が美しい錦玉子は,その2色が金と銀にたとえられ,お正月料理として喜ばれます。2色を錦と語呂合せしているともいわれます。
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☆金平ごぼう
江戸初期に誕生したごぼう料理です。豪傑金平にちなんで,この滋養たっぷりのごぼう料理を金平ごぼうと呼ぶようになりました。強さや丈夫さを願いました。
ごぼうは,細く長く地中にしっかり根を張り,お正月料理やお菓子に重要な役割を果たしています。宮中でお正月に配られる花びら餅の芯にも,ごぼうが用いられ,大切に扱われてい ます。
たたきごぼうは,軟らかく煮たごぼうを叩き,身を開いて,開運の縁起をかついだものです。
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☆里芋
里芋は子芋がいっぱいつき,子宝に恵まれるようにの意味です。
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☆鯛
めでたいに通じる語呂合わせです。江戸時代に始まった七福神信仰とも結びつき,鯛はおめでたい魚として有名です。
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☆橙(だいだい)
代々に通じる語呂合わせです。子孫が代々繁栄するようにという願いが込められています。
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☆栗金団
黄金色に輝く財宝にたとえて,豊かな1年であるようにという願いが込められています。
「栗金団」というお菓子は室町時代に既にありましたが,いわゆる,おせち料理の栗金団とは別物だったようです。この頃の栗金団は栗餡を丸めたもの。現在の形になったのは明治時代のことです。「金団」とは黄金の団子という意味です。くちなしの実で黄色に色付けて仕上げます。名前の語呂合わせではなく,見た目の“黄金”の色合い,豪華に見える様子から使われるようです。
また,「勝ち栗」という言葉があるように,栗そのものが昔から縁起のよい食べ物として尊ばれてきました。日本中のどこでもある栗は,山の幸の代表格です。
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☆伊達巻き
「伊達」とは,華やかさ,派手さを形容します。華やかでしゃれた卵巻き料理ということで,お正月のお口取りとして用いられました。
伊達巻きは,蒲鉾を作る際,つなぎに卵白を使用しますが,黄味の部分が余ってしまうので,それを活用するために考えだされたものです。
お正月には巻物がよく出てきます。昔の人は,大切な文書は巻物に装丁し,絵は掛軸に仕立て,家宝にしていました。江戸時代,長崎に伝えられたしっぽく料理の中に,「カステラかまぼこ」というものがありました。これが江戸に伝えられ,伊達者達が着ていたドテラに似ていった事から伊達巻と呼ばれるようになったようです。
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☆えび
腰曲がりえびは,長いひげをはやし,腰が曲がるまで長生きすることを願ってお正月飾りやおせちに用いられます。
伊勢えびから,小川の川えびまでいろいろですが,お重詰の中には,小えびを串で止めた鬼がわら焼がよく用いられます。
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☆お多福豆
「阿多福」という字が当てられ,文字通り福を招く食べ物として,祝い膳にはよく登場します。
空豆の一種で,その形が,ふくよかなおたふくの顔に似ているところから,この名前がつけられました。
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☆菊花かぶ
大根とともにジアスターゼに富んだ大変消化よい食べ物です。これをおめでたい菊の形に飾り切りし,食紅であざやかな紅白に染めて,酢のものにしたてたのが菊花かぶです。
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☆小肌粟漬
小肌は,コノシロという魚の成魚になる前の名前。つまり,出世魚なので縁起がよいたべものとされています。
小肌粟漬は,小肌の切り身を蒸した栗と一緒に酢漬けにしたもの。栗はクチナシで鮮やかな黄色に染めています。栗は五穀豊穣を願ったものですが,防腐効果 もあるという知恵も隠されています。
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☆百合根
百合根は,球根の鱗片が多く重なっており,その鱗茎の数々が相合う事が和合に通じるとされています。
百合根は薬効もありますが,吉祥の象徴です。
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お節料理ができあがると,それらをお重に詰めます。その順番は,
一の重が「祝肴」。
二の重」「酢の物」。
三の重が「焼き物」。
与の重が「煮物」。(忌み数字の四をきらってこう書く)
五の重が「控えの重」。
とすることが多かったそうです。
しかし,地域によって二の重が焼き物だったり,どこでも通じる決まりごとはないようです。
お正月を祝いお節料理としてあげられる屠蘇の祝肴は,無病息災と子孫繁栄の願いを祈ったものです。その願いを,食べ物の形や名前の語呂合わせに託してしまうところに,ユーモアあふれる江戸時代町人文化のおおらかさ,大きさ,そして豊かさを感じます。
こうした願いや語呂合わせも,今では,差別であったり,価値観の違いであったりして,「受け入れられない」という声があるのかもしれません。
時代が変わったとしても,,謂われを愉しむ豊かさを持ってお節料理を味わいたいと思います。
そして,新たな年を祝う心,家族の息災や繁栄を祈る心を大切にして正月を過ごしましょう。
タグ :歳時
2018年12月25日
「おじいさんの若い時代と現代」《生活の移り変わり 9》

出かける時の気温が3度,車を走らせると-1度の所があり,日中10度を超えていました。大きな寒暖差に,体がびっくり。
出会う人たちは,コートなどを着て暖かそうです。そうした中に“薄着”の人を見かけ,「風邪をひかないかな…。」と心配になるだけでなく,見ているこちらも“寒くなる”ように感じます。
お願いできるわけではありませんが,PTOに合った服装をしてほしい。
週末からの寒さは,どれほどかな。
文集「こうやまき」から,「生活の移り変わり」の一話です。
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『おじいさんの若い時代と現代』 (文・協和小5年 男子)
ぼくたちの部落が今のような生活に変ってきたのは,大きく分けると,第ニ次世界大戦後で,日本が戦争に負けてからだそうです。
おじいさんの子どもの頃は,電気もひけておらず,たい松のあかりで生活をしていたそうです。それから,青年になってから,カンテラ・ランプなどという道具ができてきたそうです。
まだ,その頃は,田代から新城の町へ買い行くのにも,今のように自動車で行くでなく,かんぼう山の峠を越えて,片山という部落を通り,住復十六キロの道を馬や牛の背にたき木や木炭の俵を積んで,また,自分にも,しょいこで背負って行き,それを売って,塩,みそ,さとうなど,日用品を買い入れてくるという生活だったそうです。ぼくも,かんぼう山の山道を歩いて新城へ行ったことがありますが,毎日,荷物を背負って通うことは,とてもつかれてしまってえらいことだと思いました。
このような話を聞くたびに,昔の人たちは,ずいぶん苦労をしたのだなあと思います。終戦後,ぼくたちの村にも自動車の通れるような県道ができたり,また,昭和二十二年には,電燈もついたそうです。その頃のおじいさんたちは,明るい電燈の輝きを見て,アポロ十一号が月着陸に成功した時よりも感げきして,たいへん喜んだと話してくれました。また,道路ができてからは,トラックなどがはいるようになり,まきや木炭も,一度に,牛や馬の何十倍も運んでしまうようになり,仕事もはかどり,山道を歩いて通うようなことをしなくなりました。また,おみせ屋さんの車が,どんどんはいってくるようになり,なんでも,家にいて買えるようになり,便利な時代だとおじいさんが話してくれました。
ぼくは,おじいさんの話を聞いて思ったことは,やっぱり,村の発展は,道路が良くならなければいけないと思いました。もし,道路が悪ければみんな苦労をします。ぼくは,ハイウェーが通ればよいといつも思っています。
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さて,お爺さんに聞いた「若い時代」から「現代」,そして“ぼく”が描いた「今」を,“ぼく”はどのように見ているでしょう。
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タグ :文集「こうやまき」
2018年12月24日
古宮城に“武者”が…。

昨夜からの強い風が続いており,日差しはあるのに“冷たさ”を強く感じました。
週半ばから強い寒気がくると予報されています。できれば“暖かいお正月”が嬉しいのですが,“冬らしい天候”も自然にとっては大切なのだと思います。お天道様,ほどほどに…。
今朝,古宮城に向かって進むと,いつもと違う“赤っぽいもの”が見えました。「何かな?」と思いながら,近づいていくと,「甲冑を着けた子供」です。
隣では,お父さん(多分)が忍者のような黒装束に着替えています。
古宮城が続日本100名城の一つに選ばれ,関心が高まりました。さらにスタンプラリーが始まると,全国から訪れています。
元亀2年(1571年),甲斐の武田信玄が三河の徳川家康攻略の拠点として,馬場美濃守信房に命じて宮山(標高580m,比高差80m)に築城,県内唯一の甲州流築城術といわれた。
要害を誇ったこの城も,天正元年(1573年)8月,奥平・徳川連合軍の攻撃により自焼陥落した。

次は,どこへ向かったのでしょう。
冬休みに入った子供達は,学期中のように“規則正しい生活”ができているでしょうか。
子供達は,日ごろから「早寝・早起き・朝ごはん」と言われており,家庭も一緒に取り組んでみえます。
大丈夫ですよね。
“朝が大切”なことは,「早寝早起きは三文の徳」という諺でもいわれてきました。
世界にも,同じような言葉があるようで,ある本で紹介していました。
『早起きに三光あり,寝坊に三慌あり』(中国)年末年始は,夜更かしや朝寝坊をしがちです。子供も大人も,「早寝・早起き・朝ごはん」を意識した過ごし方が,体によさそうです。
『キツネを捕まえたければ鶏とともに起きよ』(ドイツ)
『太陽とともに起きぬ者は1日を楽しく過ごせない。』(スペイン;セルバンテス「ドンキホーテ」)
『朝は夕より賢い』(ロシア)
『晩には寝て,夜明けに行け』(ウイグル族)
『夜明けが起こしに来てくれるのは1度だけ。曙は1日の始まりなり,黄昏とともに夜が来る。』(ヨルバ族)
『夜明けのひと時は,1日の舵だ。』(アメリカ;ヘンリー・ピーチャー「プリマスの説教壇から生まれた諺」)
分かってはいるのですが…
【おまけ;クリスマス・イブ】
サンタクロースが寒さも苦にせず,世界中を駆け巡ります。サンタクロースを追跡するサイトがオープンしています。
どこでプレゼントを配っているか教えてくれています。サイトでは,ゲームも楽しめます。
◇NORAD Tracks Santa
◇Google Santa Tracker
今夜,サンタクロースに会えそうですか?
【関連】
◇古宮城跡(新城市)
◇続日本100名城(公益財団法人日本城郭協会)
◇古宮城(Wikipedia)
2018年12月23日
大掃除。「天皇誕生日」。

何となく元気が薄らいでしまう一日でした。
午前中,つくで交流館で大掃除を,登録団体やサポートスタッフなどが参加して行われました。
窓ふきを中心にして,“利用後の清掃”や通常清掃では十分できなところを掃除しました。
高い位置の窓ガラス,大きな窓ガラスなど,とても美しくなりました。
「こんな所に,こんなにほこりが…。」と,普段目のいかない所まで綺麗になりました。
みなさん,ご苦労さまでした。ありがとうございました。
今日は,国民の祝日「天皇誕生日」,“平成最後の天皇誕生日”でした。
85歳の誕生日を迎えるにあたり,20日に行われた記者会見の内容やようすが,ニュースや報道番組で放送されていました。そのお言葉には,これまでにない思いを感じました。
みなさまは,いかがお聞きになりましたか。
宮内庁の「天皇陛下お誕生日行事一覧」 を拝見すると,たくさんの行事が続いています。
「ゆっくりお祝い」していただきたいが,それは難しいことのようです。
たいへんなお立場です。
ところで,現在は「天皇誕生日」ですが,帝国憲法時代には「天長節」と呼ばれていました。
この「天長」は,老子の一節「天長地久」からとられています。明治以降,天皇と元号が一世一元ですから,天皇の治世が末永く続くことは,天皇陛下の長寿を祝うことにもなっている呼び名でした。
天皇陛下の誕生日を「天長節」と呼び,皇后陛下の誕生日は「地久節」と呼ばれ,これも老子から取られた言葉のようです。
資料によると,
天長節(明治5年まで) 9月22日と,天長節,天皇誕生日の日付があり,譲位され新天皇となられると「2月23日」が加わります。
天長節(明治) 11月3日
天長節(大正元年・2年) 8月31日
天長節祝日(大正) 10月31日
天長節(戦前) 4月29日
天皇誕生日(戦後) 4月29日
天皇誕生日(平成) 12月23日

ところで,4月29日は「みどりの日」そして「昭和の日」となって現在も祝日ですが,12月23日はどのようになっていくでしょう。
新元号,“10連休”の社会的影響とともに,その扱いが気になるところです。
【関連】
◇天皇陛下お誕生日に際し(平成30年)(宮内庁)
2018年12月22日
冬至。「“一陽来復”で陽気に向かう」

今日は,二十四節気の一つ「冬至」です。一年で昼が一番短く,夜が一番長い日です。
「冬至に柚子湯に入り,カボチャ(南瓜)を食べ…。」と言われます。
みなさんのお宅では,いかがでしたか。
冬至に柚子湯に入ると無病息災だといわれています。
「冬至」と「湯治」の語呂合わせであり,「柚子」だけに「融通(ゆうずう)が利く(効く)ように」という願いを込めているとも言われます。
柚子の精油成分には,蜜柑の皮と同じく血行を促進させる働きがあり,風呂に入れると身体を芯から温めてくれます。新陳代謝も活発になって,疲れや痛みがとれ冷え性にも効果があります。
カボチャは,ビタミンAが豊富で,風邪,肺炎などの予防,改善に効くとされています。
※ 「冬至の日に“ん”のつく食べ物を食べる」と言われ,カボチャは「なんきん」と呼ばれ,「ん」のつく食べ物であり,カボチャを食べると“中風”にならず,“長生き”するという伝承があります。
また,冬至に「一陽来復」という言葉を聞いたことがありませんか。
この言葉をもじった「一陽来福」があり,それは方違えで“福”を呼び込もうという願いを伝えているようです。冬至のお札に,この言葉か書かれていることがあります。
話を戻して,「一陽来復」は,五経の一つ「易経」に出てくる言葉です。

復,亨。出入无疾,朋來无咎。反復其道,七日來復。利有攸往。陰暦10月に陰がきわまり,冬至に陽が初めて生じます。そして,冬至を境に日が長くなることから,冬至に太陽の力が復活してくるのです。
「復は亨る。出入疾(やまい)なく,朋(とも)来たりぬに咎(とが)なし。反復その道,七日にして来復。往くところ有るに利(よろ)し。」
そこから,逆境や不運などの良くないことが続いた後,ようやく幸運が向いてくることをさして使われることもあるります。
現在の社会の状況や動きは,陰が極まった感じです。
ここから,“一陽来復”よろしく,陽の力がわいてくることを信じています。
自然と寄り添って生きてきた日本人の知恵を感じながら,冬至の「食」と「住」を楽しみましょう。