2017年12月31日
大晦日「本年もありがとうございました」

朝から曇り空で,雨も降ってきました。先日の雪が残っていますが,それを溶かすほどの雨ではありませんでした。
今日,帰省した子供達がお節料理の準備をしていました。
いつものように…,そして,少し工夫して…
一年の感謝
お節は,新年の食卓に並びます。
新しい年を迎えられることに感謝
年末に,一年を振り返り,新しい年を迎える準備をしながら,たびたび読み返す詩があります。
ロバート・フロストの『歩む者のない道(The road not taken)』です。
その書き出しは,
黄色い森の中で道が二つに分かれていたと始まります。
残念だが両方の道を進むわけにはいかない
一人で旅する私は,長い間そこにたたずみ
歩んできた道は,いくつかの分かれ道を通り,これからも分かれ道に出会います。
そこにどんな選択があり,どのように選択をするのか。
新年を迎える前に,もう一度考えようと思います。
今年も,ブログ『 集団「Emication」 』をご覧いただきありがとうございました。
みなさん,よいお年をお迎えください。
【関連】
『The road not taken(歩む者のない道)』(ロバートフロスト)(Ronshi)
2017年12月30日
屠蘇と雑煮の話。

お正月に用意するものについて,27日の「積雪。お正月の話。」で, 門松,しめ飾り,鏡餅について書きました。翌28日は「仕事納め。お節料理。」で,お節料理のことを長々と書きました。
その続きで,屠蘇と雑煮についてです。
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◇屠蘇
一年の邪気をはらう祝い酒です。「屠蘇延命散」とも言うそうです。
・屠……退治する,邪気をはらい寿命を延ばすという謂われがある。
・蘇……病を起こす悪魔のこと。
屠蘇散は,一般的には「白朮」「桔梗」「桂皮」「山椒」「防風」などの生薬を配合した漢方薬です。大みそかに屠蘇散,みりん,清酒を酒器に入れておいて「薬酒」にしたものを,屠蘇としてお正月に飲みます。
◇雑煮
お雑煮は,地方によって,家庭によって違いがあります。お雑煮の材料,調理法,餅の形はさまざまな種類がありますが,汁は関東風の「すまし仕立て」 ,関西風の「みそ仕立て」などがあり,餅は一般的に,東は「切り餅」,西は「丸餅」を入れる所が多いようです。
お正月にお雑煮を食べるのは,武士の時代の名残です。お雑煮は武士にとって一番大切な正式の肴でした。お雑煮を立派な秀衛椀に盛って出すのが,武士の宴会の始まりだそうです。
宴会に先だって,必ず主君と家臣の間で盃の応酬が行われました。これを“式三献”といいます。三つの盃が行ったり来たりしますが,その最初の盃が主客の間を回ることを「初献」といい,そのあと「二献」「三献」と続いて盃が納まります。それぞれの盃が回るごとに肴が変わります。その初献の肴が「雑煮」です。
つまり,雑煮がなければ式三献が始まらないし,式三献が始まらなければ宴会が始まりません。すべての宴会は雑煮から始まったのです。
一年の始まりである元旦の朝に雑煮を食べるのは,ここからきているといわれます。
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新年を迎える準備は調いましたか。
お節や雑煮は,地方により違い,それぞれの家庭に「我が家の味付け」があるものと思います。

さて,2017年も,あと一日です。
タグ :歳時
2017年12月29日
『孤独のすすめ』(五木寛之・著)

頼まれたことが進んでいないのに,“完全オフ”の日にして過ぎました。
頼んであった寒ブリが届き,上手ではない捌きで準備をしました。
あといくつ寝るとお正月…
ちょっと気になる“老い”に触れた広告のあった『孤独のすすめ - 人生後半の生き方』(中公新書ラクレ)
2015年に出版された『嫌老社会を超えて』に加筆され,「“人生後半の生き方手引書”との内容となっている」と出版社が広告文をつけています。
マスコミは,“高齢化社会”を切り口に社会生活,経済活動,将来設計を語っています。
「人生100年時代…」「高齢者のために…」「ブレーキとアクセルを踏み間違え…」…
そうしたなかで,“老いに抗わず…”“等身大で…”毎日を工夫して楽しむことで「賢老」という生き方を綴っています。
五木氏の“賢老”な日々を愉しんでみませんか。
読書メモ
○高齢化社会にどう生きるかを考えたとき,私の頭に浮かんだのは,減速して生きる,というイメージでした。それも無理にブレーキをかけるのではなく,精神活動は高めながら自然にスピードを制御する,という発想です。
○結果的に,私がやってきたのは,体の不具合を「治す」のではなく,「治める」ことでした。治療というより,「養生」です。
○古来,中国では人生を四つの時期に分けて考えたといいます。それが「青春(せいしゅん)」「朱夏(しゅか)」「白秋(はくしゅう)」「玄冬(げんとう)」です。この四つの季節を順番に進んでいくのが,人生というものです。
○「老人階級」が階級として世の中に受け入れられる条件。それは,不可能とも思えますが,「自立すること」につきると思います。
○古代ヒンズー教に生まれた概念に,(略)人生のそれぞれの年代には,それにふわさわしい生き方,役割がある,という非常に示唆に富んだ思想なのです。四つの時期は,「学生(がくしょう)期」「家住(かじゅう)期」「林住(りんじゅう)期」「遊行(ゆうぎょう)期」と言います。
○そんなある日。私の脳裏に,ふいにひとつの言葉が浮かびました。
「嫌老」。
私は,思わず膝を打ってうなずきました。「違和感」の正体を,突き止めた気がしたからです。
ある現象をシンプルな言葉に置き換えることによって,ものごとの本質がまざまざと浮かび上がってくる,というのはよくあることです。
○人間は,自分より「弱い」存在には優しくなれる動物です。(略)
ところが,そういう常識が現在は通用しなくなっているのです。現代日本に生きる高齢者層は,数のうえでメジャーになりつつあるだけでなく,とにかく元気で活発です。なおかつ,非常に目立ちます。
○「豊かな老人」と裏腹の関係にあるのが,「貧しい若者」です。
○『ハローワーカー』というそのマンガに描き出されているのは,(略)
そして,これは「炭鉱のカナリア」かもしれない,とふと感じたのです。
○国民は,こぞってそれに参加して,お祭り気分の中で,なんとなく日々が過ぎていくのです。
みんながするべき心配から意識的に目をそらし,お気楽に日々を送る日本の現実を,私は「心配停止」社会と名付けました。
○高齢者にお金を注ぎ込むのではなく,中心となって稼ぎ出してもらうという“逆転の発想”はまた,若者の職を奪うどころか,より高付加価値の仕事を彼らに提供することにもつながっていくはずです。
○それは嫌老ならぬ「賢老」という生き方です。そんな自立した老人たちが生き生きと暮らす世の中を,「賢老社会」といっていいと思います。
高齢者の目指すべきひとつの姿,高齢化した国家の着地点が,そこにあるのではないでしょうか。
目次
はじめに
第1章 「老い」とは何ですか
第2章 「下山」の醍醐味
第3章 老人と回想力
第4章 「世代」から「階級」へ
第5章 なぜ不安になるのか
第6章 まず「気づく」こと
おわりに
【関連】
◇ハローワーカー(Yasprey - ニコニコ静画 (マンガ))
◇ハローワーカー 禁老区(Yasprey - ニコニコ静画 (マンガ))
2017年12月28日
仕事納め。お節料理。

日当たりのよい道路などは雪が解けましたが,気温が低く“雪景色”は,そのままのような感じでした。
明日も天気がよさそうです。雪は解けるかな…。
12月28日,官公庁をはじめ企業・事業所の仕事納めところが多かったと思います。
一年を振り返り,新年の準備の一日でした。
よいお年をお迎えください。
◇来年は戌(いぬ)年 4日から開館します (つくで交流館)(市教委だより)
昨日の「お正月の蘊蓄」の続いて,今日は,お節料理についてです。
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黒豆,かまぼこ,紅白なます,田作り,栗きんとん……。
お節料理が,現在のような形になったのは江戸時代の後半だそうです。お節料理は,江戸の粋やユーモアを凝縮した庶民文化から開花したものです。 江戸の人々の暮らしが豊かになり,正月の料理も様々なものができましたが,お節料理の意味や謂れに共通しているのは,豊かに暮らせること,一族の繁栄を願うことです。
そもそもの由来は,正月の「節供料理」で,宮中のお節供(おせちく)の行事からきています。
お節供は,節日に神に供えたものです。宮中では,1月1日(元日),7日(人日),3月3日(上巳),5月5日(端午),7月7日(七夕),9月9日(重陽)といった節日には ,神に神饌を供え祭り,宴を開きました。
お節料理は,宮中のしきたりが民間に広まったものです。それが,やがて正月にふるまわれるご馳走を「お節料理」と呼ぶようになりました。そして,その土地や時代によって変化してきました。
正月に神に供えた供物を下げてきて一族で分かち合って食べることを,「直会(なおらい)」と言います。正月には家族が集い,感謝と祈りをこめて新しい年を祝い,ご馳走を食べるのです。
お節料理の名前には,それぞれ意味があります。いくつかのいわれを並べてみました。
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☆黒豆
まめ(健康)に暮らせるように。
黒豆を上手に炊き上げることができれば,お嫁さんの及第点といわれたくらい,豆を軟らかく炊き上げるには,技術も経験も必要です。また,植物性の高タンパクである豆は, 肉食の風習がなかった昔では,欠くことのできない栄養食品でした。
☆数の子
子孫繁栄。二親から多くの子が出るのを好き事とし,古くからおせちに使われました。かつて,数の子は日本中どこでも入手できる一般的なものでした。
☆田作り
豊年豊作祈願。江戸時代の高級肥料として片口鰯(いわし)が使われ,豊作を願い田に肥料として撒いたことから名づけられました。
片口鰯の小魚を天日で干し上げたごまめを砂糖としょうゆで調理したものです。
☆昆布巻
喜ぶの言葉にかけて,昆布はお正月の鏡飾りにも用いられています。
日本料理の必需品 ともいえる大切なもので,健康長寿がえられるといわれます。お節料理には,煮しめの結び昆布,昆布巻といろいろと使われます。
☆紅白かまぼこ
かまぼこは,初めは竹輪のような形をしていました。やがて江戸時代,様々な細工かまぼこが作られるようになると,祝儀用として欠かせないものになっていきました。
紅はめでたさと喜びを表わし,白は神聖を表わします。上棟式や結婚式に紅白のもちを撒く習慣があるように,お正月は紅白の色で祝いたいものです。
☆紅白なます
お祝の水引きをかたどったものです。生の魚介などを用いて,大根,にんじんと酢で作ったことから,「なます」の名がつけられました。
「大根の医者いらず」といわれるように,紅白のめでたい色合いばかりではなく,ビタミンCが豊富で,風邪もひきにくくなる食べものでもあります。
☆錦たまご
黄身と白身の2色が美しい錦玉子は,その2色が金と銀にたとえられ,お正月料理として喜ばれます。2色を錦と語呂合せしているともいわれます。
☆金平ごぼう
江戸初期に誕生したごぼう料理です。豪傑金平にちなんで,この滋養たっぷりのごぼう料理を金平ごぼうと呼ぶようになりました。強さや丈夫さを願いました。
ごぼうは,細く長く地中にしっかり根を張り,お正月料理やお菓子に重要な役割を果たしています。宮中でお正月に配られる花びら餅の芯にも,ごぼうが用いられ,大切に扱われてい ます。
たたきごぼうは,軟らかく煮たごぼうを叩き,身を開いて,開運の縁起をかついだものです。
☆里芋
里芋は子芋がいっぱいつき,子宝に恵まれるようにの意味です。
☆鯛
めでたいに通じる語呂合わせです。江戸時代に始まった七福神信仰とも結びつき,鯛はおめでたい魚として有名です。
☆橙(だいだい)
代々に通じる語呂合わせです。子孫が代々繁栄するようにという願いが込められています。
☆栗金団
黄金色に輝く財宝にたとえて,豊かな1年であるようにという願いが込められています。
「栗金団」というお菓子は室町時代に既にありましたが,いわゆる,おせち料理の栗金団とは別物だったようです。この頃の栗金団は栗餡を丸めたもの。現在の形になったのは明治時代のことです。「金団」とは黄金の団子という意味です。くちなしの実で黄色に色付けて仕上げます。名前の語呂合わせではなく,見た目の“黄金”の色合い,豪華に見える様子から使われるようです。
また,「勝ち栗」という言葉があるように,栗そのものが昔から縁起のよい食べ物として尊ばれてきました。日本中のどこでもある栗は,山の幸の代表格です。
☆伊達巻き
「伊達」とは,華やかさ,派手さを形容します。華やかでしゃれた卵巻き料理ということで,お正月のお口取りとして用いられました。
伊達巻きは,蒲鉾を作る際,つなぎに卵白を使用しますが,黄味の部分が余ってしまうので,それを活用するために考えだされたものです。
お正月には巻物がよく出てきます。昔の人は,大切な文書は巻物に装丁し,絵は掛軸に仕立て,家宝にしていました。江戸時代,長崎に伝えられたしっぽく料理の中に,「カステラかまぼこ」というものがありました。これが江戸に伝えられ,伊達者達が着ていたドテラに似ていった事から伊達巻と呼ばれるようになったようです。
☆えび
腰曲がりえびは,長いひげをはやし,腰が曲がるまで長生きすることを願ってお正月飾りやおせちに用いられます。
伊勢えびから,小川の川えびまでいろいろですが,お重詰の中には,小えびを串で止めた鬼がわら焼がよく用いられます。
☆お多福豆
「阿多福」という字が当てられ,文字通り福を招く食べ物として,祝い膳にはよく登場します。
空豆の一種で,その形が,ふくよかなおたふくの顔に似ているところから,この名前がつけられました。
☆菊花かぶ
大根とともにジアスターゼに富んだ大変消化よい食べ物です。これをおめでたい菊の形に飾り切りし,食紅であざやかな紅白に染めて,酢のものにしたてたのが菊花かぶです。
☆小肌粟漬
小肌は,コノシロという魚の成魚になる前の名前。つまり,出世魚なので縁起がよいたべものとされています。
小肌粟漬は,小肌の切り身を蒸した栗と一緒に酢漬けにしたもの。栗はクチナシで鮮やかな黄色に染めています。栗は五穀豊穣を願ったものですが,防腐効果 もあるという知恵も隠されています。
☆百合根
百合根は,球根の鱗片が多く重なっており,その鱗茎の数々が相合う事が和合に通じるとされています。
百合根は薬効もありますが,吉祥の象徴です。
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お正月を祝いお節料理としてあげられる屠蘇の祝肴は,無病息災と子孫繁栄の願いを祈ったものです。その願いを,食べ物の形や名前の語呂合わせに託してしまうところに,ユーモアあふれる江戸時代町人文化のおおらかさ,大きさ,そして豊かさを感じます。
さて,お節料理ができあがると,それらをお重に詰めます。その順番は,
一の重が「祝肴」。とすることが多かったそうです。
二の重が「酢の物」。
三の重が「焼き物」。
与の重が「煮物」。(忌み数字の四をきらってこう書く)
五の重が「控えの重」。
しかし,地域によって二の重が焼き物だったり,どこでも通じる決まりごとはないようです。
形式にとらわれるよりも,新たな年を祝う心,家族の息災や繁栄を祈る心が,一番大切なことです。
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長々と蘊蓄(うんちく)を綴ってまいりましたが,みなさんは,どの「お節」が好きですか。
今年は,どのような「お節料理」を用意されますか。
よい年をお迎えください。
2017年12月27日
積雪。お正月の話。

今朝,外を見ると“真っ白”で,しかも雪が“吹雪のように”降っていました。
今季初めての道路への積雪です。出勤の方は,どきどきしながら慎重に運転されて出かけたことと思います。
自分も,道路のようすを楽しかめながら気を付けて運転しました。
出先から昼過ぎに戻りました。雪は降っていませんでしたが,気温は-1度でした。今日は「真冬日」だったかもしれません。
しばらく,この強い冬型の気圧配置が続くようです。
寒さへの対策をしっかりして過ごしたいと思います。
さて,間もなくお正月です。
最近は,「お正月も特別なことはしない…」といった話も聞きますが,みなさんはいかがですか。
お正月の蘊蓄(うんちく)です。話のタネにどうぞ。
◇お正月に用意するもの
門松,しめ飾り,鏡餅,おせち料理,屠蘇
◇門松
神様が家々に降りてこられるための依り代です。門前を清めて年神様を迎えます。
新年を祝って,家の門口等に立てられる松竹の飾りです。松飾り,門の松とも言われるそうです。
古くは,木の梢等に神は宿るとされ,門松はその依り代として,そこに年神様を迎えて祭りました。
門松は,松とは限らず,榊,栗,楢,椿等の常緑樹であれば,何でもよかったのですが,今では松がほとんどです。竹を一緒に飾るようになったのは,鎌倉時代からだそうです。
門松を取り付けるのに,12月29日は「苦立て」,12月31日は「一夜飾り」といい,この日に門松を立てるのを嫌います。
◇しめ飾り
しめ縄で作ったお飾りです。正面玄関の軒下に吊します。家の中にある古い年の不浄を払って,いつも神様をお迎えできますという印です。
正月に門松や,玄関,床の間,神棚などにしめ縄を張って,人間に災いをもたらす禍神が家の中に入ってこないように,呪いとして飾られます。
しめ縄は,左ひねりが定式で,これは左を神聖視する旧来のしきたりによります。
飾りには,輪飾りや,大根締め,牛蒡締めなどがあり,餅,昆布,松葉,魚,橙等を付けて飾ります。
◇鏡餅
神様へのお供えものです。最後に,それをさげていただくのが習わしです。
鏡餅は,生命力をもたらすとされました。
鏡餅のお飾りには,
・うらじろ …… 長命をあらわす
・ゆずり葉 …… 後の世代まで長く福をゆずる
・だいだい …… 家系が代々繁栄する
・昆布 …… よろこんぶ
・干し柿 …… 幸福をしっかり取り込む
・伊勢えび …… 海老の中でも最も立派な海老で,腰が曲がるほどの長寿を願う
みなさんのお宅では,どのような正月準備をされていますか。
タグ :歳時
2017年12月26日
小説『一杯のかけそば』

この時期になると思い出すお話(小説)です。
1988年の大晦日,FM放送で朗読され,その後“大ブーム”となりました。映画にもなりました。
この「出来過ぎた実話」は,やがて…。ブームは一気に沈静化しました。
“問題”のある作品なのかもしれませんが,この時期に読み返したくなる作品です。
この物語は,1972年(昭和47年)の大晦日の晩,札幌の時計台横丁(架空の地名)にある「北海亭」での出来事から始まります。
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そば屋にとって一番のかき入れ時は大晦日である。
北海亭もこの日ばかりは朝からてんてこ舞の忙しさだった。いつもは夜の12時過ぎまで賑やかな表通りだが、夕方になるにつれ家路につく人々の足も速くなる。10時を回ると北海亭の客足もぱったりと止まる。
頃合いを見計らって、人はいいのだが無愛想な主人に代わって、常連客から女将さんと呼ばれているその妻は、忙しかった1日をねぎらう、大入り袋と土産のそばを持たせて、パートタイムの従業員を帰した。
最後の客が店を出たところで、そろそろ表の暖簾を下げようかと話をしていた時、入口の戸がガラガラガラと力無く開いて、2人の子どもを連れた女性が入ってきた。6歳と10歳くらいの男の子は真新しい揃いのトレーニングウェア姿で、女性は季節はずれのチェックの半コートを着ていた。
「いらっしゃいませ!」
と迎える女将に、その女性はおずおずと言った。
「あのー……かけそば……一人前なのですが……よろしいでしょうか」
後ろでは、2人の子ども達が心配顔で見上げている。
「えっ……えぇどうぞ。どうぞこちらへ」
暖房に近い2番テーブルへ案内しながら、カウンターの奥に向かって、
「かけ1丁!」
と声をかける。それを受けた主人は、チラリと3人連れに目をやりながら、
「あいよっ! かけ1丁!」
とこたえ、玉そば1個と、さらに半個を加えてゆでる。
玉そば1個で一人前の量である。客と妻に悟られぬサービスで、大盛りの分量のそばがゆであがる。
テーブルに出された1杯のかけそばを囲んで、額を寄せあって食べている3人の話し声がカウンターの中までかすかに届く。
「おいしいね」
と兄。
「お母さんもお食べよ」
と1本のそばをつまんで母親の口に持っていく弟。
やがて食べ終え、150円の代金を支払い、「ごちそうさまでした」と頭を下げて出ていく母子3人に、
「ありがとうございました! どうかよいお年を!」
と声を合わせる主人と女将。
新しい年を迎えた北海亭は、相変わらずの忙しい毎日の中で1年が過ぎ、再び12月31日がやってきた。
前年以上の猫の手も借りたいような1日が終わり、10時を過ぎたところで、店を閉めようとしたとき、ガラガラガラと戸が開いて、2人の男の子を連れた女性が入ってきた。
女将は女性の着ているチェックの半コートを見て、1年前の大晦日、最後の客を思いだした。
「あのー……かけそば……一人前なのですが……よろしいでしょうか」
「どうぞどうぞ。こちらへ」
女将は、昨年と同じ2番テーブルへ案内しながら、
「かけ1丁!」
と大きな声をかける。
「あいよっ! かけ1丁」
と主人はこたえながら、消したばかりのコンロに火を入れる。
「ねえお前さん、サービスということで3人前、出して上げようよ」
そっと耳打ちする女将に、
「だめだだめだ、そんな事したら、かえって気をつかうべ」
と言いながら玉そば1つ半をゆで上げる夫を見て、
「お前さん、仏頂面してるけどいいとこあるねえ」
とほほ笑む妻に対し、相変わらずだまって盛りつけをする主人である。
テーブルの上の、1杯のそばを囲んだ母子3人の会話が、カウンターの中と外の2人に聞こえる。
「……おいしいね……」
「今年も北海亭のおそば食べれたね」
「来年も食べれるといいね……」
食べ終えて、150円を支払い、出ていく3人の後ろ姿に
「ありがとうございました! どうかよいお年を!」
その日、何十回とくり返した言葉で送り出した。
商売繁盛のうちに迎えたその翌年の大晦日の夜、北海亭の主人と女将は、たがいに口にこそ出さないが、9時半を過ぎた頃より、そわそわと落ち着かない。
10時を回ったところで従業員を帰した主人は、壁に下げてあるメニュー札を次々と裏返した。今年の夏に値上げして「かけそば200円」と書かれていたメニュー札が、150円に早変わりしていた。
2番テーブルの上には、すでに30分も前から「予約席」の札が女将の手で置かれていた。
10時半になって、店内の客足がとぎれるのを待っていたかのように、母と子の3人連れが入ってきた。
兄は中学生の制服、弟は去年兄が着ていた大きめのジャンパーを着ていた。2人とも見違えるほどに成長していたが、母親は色あせたあのチェックの半コート姿のままだった。
「いらっしゃいませ!」
と笑顔で迎える女将に、母親はおずおずと言う。
「あのー……かけそば……二人前なのですが……よろしいでしょうか」
「えっ……どうぞどうぞ。さぁこちらへ」
と2番テーブルへ案内しながら、そこにあった「予約席」の札を何気なく隠し、カウンターに向かって
「かけ2丁!」
それを受けて
「あいよっ! かけ2丁!」
とこたえた主人は、玉そば3個を湯の中にほうり込んだ。
2杯のかけそばを互いに食べあう母子3人の明るい笑い声が聞こえ、話も弾んでいるのがわかる。カウンターの中で思わず目と目を見交わしてほほ笑む女将と、例の仏頂面のまま「うん、うん」とうなずく主人である。
「お兄ちゃん、淳ちゃん……今日は2人に、お母さんからお礼が言いたいの」
「……お礼って……どうしたの」
「実はね、死んだお父さんが起こした事故で、8人もの人にけがをさせ迷惑をかけてしまったんだけど……保険などでも支払いできなかった分を、毎月5万円ずつ払い続けていたの」
「うん、知っていたよ」
女将と主人は身動きしないで、じっと聞いている。
「支払いは年明けの3月までになっていたけど、実は今日、ぜんぶ支払いを済ますことができたの」
「えっ! ほんとう、お母さん!」
「ええ、ほんとうよ。お兄ちゃんは新聞配達をしてがんばってくれてるし、淳ちゃんがお買い物や夕飯のしたくを毎日してくれたおかげで、お母さん安心して働くことができたの。よくがんばったからって、会社から特別手当をいただいたの。それで支払いをぜんぶ終わらすことができたの」
「お母さん! お兄ちゃん! よかったね! でも、これからも、夕飯のしたくはボクがするよ」
「ボクも新聞配達、続けるよ。淳! がんばろうな!」
「ありがとう。ほんとうにありがとう」
「今だから言えるけど、淳とボク、お母さんに内緒にしていた事があるんだ。それはね……11月の日曜日、淳の授業参観の案内が、学校からあったでしょう。……あのとき、淳はもう1通、先生からの手紙をあずかってきてたんだ。淳の書いた作文が北海道の代表に選ばれて、全国コンクールに出品されることになったので、参観日に、その作文を淳に読んでもらうって。先生からの手紙をお母さんに見せれば……むりして会社を休むのわかるから、淳、それを隠したんだ。そのこと淳の友だちから聞いたものだから……ボクが参観日に行ったんだ」
「そう……そうだったの……それで」
「先生が、あなたは将来どんな人になりたいですか、という題で、全員に作文を書いてもらいましたところ、淳くんは、『一杯のかけそば』という題で書いてくれました。これからその作文を読んでもらいますって。『一杯のかけそば』って聞いただけで北海亭でのことだとわかったから……淳のヤツなんでそんな恥ずかしいことを書くんだ! と心の中で思ったんだ。
作文はね……お父さんが、交通事故で死んでしまい、たくさんの借金が残ったこと、お母さんが、朝早くから夜遅くまで働いていること、ボクが朝刊夕刊の配達に行っていることなど……ぜんぶ読みあげたんだ。
そして12月31日の夜、3人で食べた1杯のかけそばが、とてもおいしかったこと。……3人でたった1杯しか頼まないのに、おそば屋のおじさんとおばさんは、ありがとうございました! どうかよいお年を! って大きな声をかけてくれたこと。その声は……負けるなよ! 頑張れよ! 生きるんだよ! って言ってるような気がしたって。それで淳は、大人になったら、お客さんに、頑張ってね! 幸せにね! って思いを込めて、ありがとうございました! と言える日本一の、おそば屋さんになります。って大きな声で読みあげたんだよ」
カウンターの中で、聞き耳を立てていたはずの主人と女将の姿が見えない。
カウンターの奥にしゃがみ込んだ2人は、1本のタオルの端を互いに引っ張り合うようにつかんで、こらえきれず溢れ出る涙を拭っていた。
「作文を読み終わったとき、先生が、淳くんのお兄さんがお母さんにかわって来てくださってますので、ここで挨拶をしていただきましょうって……」
「まぁ、それで、お兄ちゃんどうしたの」
「突然言われたので、初めは言葉が出なかったけど……皆さん、いつも淳と仲よくしてくれてありがとう。……弟は、毎日夕飯のしたくをしています。それでクラブ活動の途中で帰るので、迷惑をかけていると思います。今、弟が『一杯のかけそば』と読み始めたとき……ぼくは恥ずかしいと思いました。……でも、胸を張って大きな声で読みあげている弟を見ているうちに、1杯のかけそばを恥ずかしいと思う、その心のほうが恥ずかしいことだと思いました。
あの時……1杯のかけそばを頼んでくれた母の勇気を、忘れてはいけないと思います。……兄弟、力を合わせ、母を守っていきます。……これからも淳と仲よくして下さい、って言ったんだ」
しんみりと、互いに手を握ったり、笑い転げるようにして肩を叩きあったり、昨年までとは、打って変わった楽しげな年越しそばを食べ終え、300円を支払い「ごちそうさまでした」と、深々と頭を下げて出て行く3人を、主人と女将は1年を締めくくる大きな声で、
「ありがとうございました! どうかよいお年を!」
と送り出した。
また1年が過ぎて――。
北海亭では、夜の9時過ぎから「予約席」の札を2番テーブルの上に置いて待ちに待ったが、あの母子3人は現れなかった。
次の年も、さらに次の年も、2番テーブルを空けて待ったが、3人は現れなかった。
北海亭は商売繁盛のなかで、店内改装をすることになり、テーブルや椅子も新しくしたが、あの2番テーブルだけはそのまま残した。
真新しいテーブルが並ぶなかで、1脚だけ古いテーブルが中央に置かれている。
「どうしてこれがここに」
と不思議がる客に、主人と女将は『一杯のかけそば』のことを話し、このテーブルを見ては自分たちの励みにしている、いつの日か、あの3人のお客さんが、来てくださるかも知れない、その時、このテーブルで迎えたい、と説明していた。
その話が「幸せのテーブル」として、客から客へと伝わった。わざわざ遠くから訪ねてきて、そばを食べていく女学生がいたり、そのテーブルが、空くのを待って注文をする若いカップルがいたりで、なかなかの人気を呼んでいた。
それから更に、数年の歳月が流れた12月31日の夜のことである。北海亭には同じ町内の商店会のメンバーで家族同然のつきあいをしている仲間達がそれぞれの店じまいを終え集まってきていた。北海亭で年越しそばを食べた後、除夜の鐘の音を聞きながら仲間とその家族がそろって近くの神社へ初詣に行くのが5~6年前からの恒例となっていた。
この夜も9時半過ぎに、魚屋の夫婦が刺身を盛り合わせた大皿を両手に持って入って来たのが合図だったかのように、いつもの仲間30人余りが酒や肴を手に次々と北海亭に集まってきた。「幸せの2番テーブル」の物語の由来を知っている仲間達のこと、互いに口にこそ出さないが、おそらく今年も空いたまま新年を迎えるであろう「大晦日10時過ぎの予約席」をそっとしたまま、窮屈な小上がりの席を全員が少しずつ身体をずらせて遅れてきた仲間を招き入れていた。
海水浴のエピソード、孫が生まれた話、大売り出しの話。賑やかさが頂点に達した10時過ぎ、入口の戸がガラガラガラと開いた。幾人かの視線が入口に向けられ、全員が押し黙る。北海亭の主人と女将以外は誰も会ったことのない、あの「幸せの2番テーブル」の物語に出てくる薄手のチェックの半コートを着た若い母親と幼い2人の男の子を誰しもが想像するが、入ってきたのはスーツを着てオーバーを手にした2人の青年だった。ホッとした溜め息が漏れ、賑やかさが戻る。女将が申し訳なさそうな顔で
「あいにく、満席なものですから」
断ろうとしたその時、和服姿の婦人が深々と頭を下げ入ってきて2人の青年の間に立った。店内にいる全ての者が息を呑んで聞き耳を立てる。
「あのー……かけそば……三人前なのですが……よろしいでしょうか」
その声を聞いて女将の顔色が変わる。十数年の歳月を瞬時に押しのけ、あの日の若い母親と幼い2人の姿が目の前の3人と重なる。カウンターの中から目を見開いてにらみ付けている主人と今入ってきた3人の客とを交互に指さしながら
「あの……あの……、おまえさん」
と、おろおろしている女将に青年の一人が言った。
「私達は14年前の大晦日の夜、親子3人で一人前のかけそばを注文した者です。あの時、一杯のかけそばに励まされ、3人手を取り合って生き抜くことが出来ました。その後、母の実家があります滋賀県へ越しました。私は今年、医師の国家試験に合格しまして京都の大学病院に小児科医の卵として勤めておりますが、年明け4月より札幌の総合病院で勤務することになりました。その病院への挨拶と父のお墓への報告を兼ね、おそば屋さんにはなりませんでしたが、京都の銀行に勤める弟と相談をしまして、今までの人生の中で最高の贅沢を計画しました。それは大晦日に母と3人で札幌の北海亭さんを訪ね、三人前のかけそばを頼むことでした」
うなずきながら聞いていた女将と主人の目からどっと涙があふれ出る。入口に近いテーブルに陣取っていた八百屋の大将がそばを口に含んだまま聞いていたが、そのままゴクッと飲み込んで立ち上がり
「おいおい、女将さん。何してんだよお。10年間この日のために用意して待ちに待った『大晦日10時過ぎの予約席』じゃないか。ご案内だよ。ご案内」
八百屋に肩をぽんと叩かれ、気を取り直した女将は
「ようこそ、さあどうぞ。 おまえさん、2番テーブルかけ3丁!」
仏頂面を涙でぬらした主人、
「あいよっ! かけ3丁!」
期せずして上がる歓声と拍手の店の外では、先程までちらついていた雪もやみ、新雪にはね返った窓明かりが照らしだす『北海亭』と書かれた暖簾を、ほんの一足早く吹く睦月の風が揺らしていた。
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2017年12月25日
小学1年生の冬休み(1984→1985年)

さらに風が強くなり,窓をがたがたと振るわせました。それが朝まで続きました。
朝には雨は上がっており,風も徐々におさまり,日中は日差しが出てきました。
寒気が入ってきたようです。冬の厳しい寒さに備えたいと思います。
当地の小・中学校は,先週22日に2学期が終わり,23日から「冬休み」に入っています。
小学1年生の学級通信で,冬休み前,次のように伝えました。
家の人に
○(12月21日) お正月を含む,小学校に入って初めての冬休みです。
ぜひ,子供に,昔からの習わし,行事を体験させていただきたいと思います。よい休みは,そんなところから生まれてくるのではないでしょうか。
○(12月22日) お正月に,一年生の子供は,どのくらいのお年玉をもらうのでしょう。そして,そのお金は,どのように遣うのでしょうか?
全額貯金では,せっかくいただいたお年玉が泣いてしまいます。この機会に,お年玉(お金)の遣い方も,教えてあげて欲しいものです。今から,計画なり予定を立てていけば,できるのではないせしょうか?
私は,子供達へ,そのお年玉で,自分で選んだ本(マンガではない本)を一冊買うように話をするつもりです。
冬休みを終え,「本を買った」という日記を学級通信に載せました。(1985年1月12日)
ユニーで,本をかいました。『ぞく せんせい あのね』という本です。そして,この日の「家の人に」では,
『うんこ』というのが,一番おもしろかったです。おもしろいところは…(略)
※お年玉でかった本だそうです。あなたのかった本は,どんなのですか。
また,先生におしえてください。
お正月のお年玉は,有効に遣えたでしょうか。
子供に聞くと,2,3人もらえなかった子もいますが,ほとんどは遣わずに貯めこんでしまっているようです。
よろしければ,子供は,お年玉をもらったのか,もらわないのか。いくらぐらいか。そのお金をどうしたか。など,教えていただきたいと思います。
13日,15日に,お年玉を一緒に遣うのもよいのでは…。
お正月,子供や来客にお年玉を渡しますか。いくら渡しますか。
お年玉は,いくらぐらいもらえそうですか。そのお年玉は,どうしますか。遣いますか,貯めますか,それとも…。
【今日の小咄】
電話で本を注文したとき,名前を聞かれたので,「英作です。英語のエイに,作ると書きます。」と答えました。
送られてきた郵便の宛名を見ると「A作 様」となっていました。
タグ :学級通信
2017年12月24日
『コーヒーが冷めないうちに』(川口俊和・著)

“放射冷却”がなかったせいか,暖かく感じる日で,活動をするには都合のよい天候でした。
今日は,クリスマス・イブ。
サンタクロースの出発は19時(日本時間)。
◇Google サンタを追いかけよう
あなたのところにも,サンタクロースは来ましたか。
2015年に発行された本ですが,2017年の年間ベストセラーの上位に入っている『コーヒーが冷めないうちに』(サンマーク出版・刊)
“タイムトラベル”の話ですが,タイムマシンに乗るのでも,ドラえもんが連れて行ってくれるわけでもありません。
また,“行った先”で,「何かをしてくる」とも違っています。
とある街の喫茶店「フニクリフニクラ」に,不思議な都市伝説がありました。
喫茶店の片隅のテーブル席に座ると,望んだとおりの時間に戻れるというのです。
でも…。
「その席に座ればよい」というのではなく,面倒なルールがあり,それを守らないと叶いません。
ただし,そこにはめんどくさい…
非常にめんどくさいルールがあった。
一,過去に戻っても,この喫茶店を訪れた事のない者には会う事はできない
二,過去に戻って,どんな努力をしても,現実は変わらない
三,過去に戻れる席には先客がいる
その席に座れるのは,その先客が席を立った時だけ
四,過去に戻っても,席を立って移動する事はできない
五,過去に戻れるのは,コーヒーをカップに注いでから,
そのコーヒーが冷めてしまうまでの間だけ
めんどくさいルールはこれだけではない
それにもかかわらず,今日も都市伝説の噂を聞いた客がこの喫茶店を訪れる
過去に戻ろうと席に座った女性はみな,大切な人との「別れ」を経験していました。
その人に会ったら…。
その場にいる三人は見慣れた現象なので,特に驚く事はなかったが,何も知らずその場に居合わせた客がいたら,相当驚くはずである。なので,その場合「手品です」と言ってごまかす事になっている。もちろん,種は聞かれても答えられない。
あなたの近くにも,喫茶店「フニクリフニクラ」があるませんか。あったら,その席に座りますか。
もくじ
プロローグ
第一話 『恋人』結婚を考えていた彼氏と別れた女の話
第二話 『夫婦』記憶が消えていく男と看護師の話
第三話 『姉妹』家出した姉とよく食べる妹の話
第四話 『親子』この喫茶店で働く妊婦の話
【関連】
◇川口俊和 (@jlaidk)(Twitter)
◇舞台「コーヒーが冷めないうちに」(1110プロヂュース)
2017年12月23日
「天皇誕生日」でした。

今日は,国民の祝日の一つ「天皇誕生日」でした。
天皇陛下(今上天皇)が2019年4月30日に“退位”する決まってから初めての誕生日です。
会見では,残された日々の過ごし方について語られたそうです。
この度,再来年4月末に期日が決定した私の譲位については,これまで多くの人々が各々の立場で考え,努力してきてくれたことを,心から感謝しています。残された日々,象徴としての務めを果たしながら,次の時代への継承に向けた準備を,関係する人々と共に行っていきたいと思います。
第二次世界大戦終結まで“天長節”と呼ばれ,明治以来,四方拝,紀元節,明治節とともに四大節の一つです。
この「天長」は,老子の一節「天長地久」からとられています。
明治以降,天皇と元号が一世一元ですから,天皇の治世が末永く続くことは,天皇陛下の長寿を祝うことにもなっている呼び名でした。
皇后陛下の誕生日は「地久節」と呼ばれ,これも老子から取られた言葉のようです。
資料によると,
天長節(明治5年まで) 9月22日と,天長節,天皇誕生日の日付がありました。
天長節(明治) 11月3日
天長節(大正元年・2年) 8月31日
天長節祝日(大正) 10月31日
天長節(戦前) 4月29日
天皇誕生日(戦後) 4月29日
天皇誕生日(平成) 12月23日
また,12月23日生まれの天皇は,過去に2名みえるようで,
光明天皇 (北朝2代 1321年~1380年)とありました。
後奈良天皇 (105代天皇 1496年~1557年)
陛下の退位が論議されるなかで,「四方拝から始まる元旦の一日」が分刻みで祭祀や儀式が続いていることが広く知られるようになりました。
寒さのなか,国家,国民の安寧を願ってみえます。
天皇誕生日に,正月元旦の過ごしか方を考えてはいかがでしょう。
【関連】
◇天皇陛下お誕生日に際し(平成29年)(宮内庁)
2017年12月22日
『君の膵臓をたべたい』(住野よる・著)

今日は,二十四節気の一つ『冬至』です。一年で昼が一番短く,夜が一番長い日です。「一陽来復」,日の長さは徐々に伸びていきます。
冬至の夜は,食卓にカボチャで風邪などの予防・改善を,風呂は柚子湯で無病息災を。
みなさんの「冬至」は,どんな一日でしたか。
映画が公開され再び話題になっている(?)『君の膵臓をたべたい』(双葉社・刊)
「本屋大賞」で賞をとったり,いろいろな「年間ベストセラー」「ランキング」で上位に挙げられていましたが,そのときは手にしませんでした。
先日,書架にある本書を見て「読みたい」と感じ,読み始めました。
書き出しは,クラスメイトの山内桜良(さくら)の葬儀が行われたからです。
“死”を扱った作品は,あまり気が進みません。以前,手に取らなかったのも,それが理由だったような気がします。
登場人物の少ない作品です。
主人公の「僕」が,偶然病院で拾った本(ノート?)から桜良との関わりが始まっていきますが,桜良との会話では“【 】付き”で,いろいろな表現がされ,「僕」の名が分からないまま進んでいきます。
その本(ノート)は,桜良が「秘密」を綴っていたもので,膵臓の病気で,彼女の余命が長くないことが記されていました。タイトルは「共病文庫」。
二人の“不思議な付き合い”が,さまざまな時と場で描かれていきます。
正反対の性格の二人ですが,それぞれに“憧れ”を抱き,心が通い始め…。でも…。
心が通い「友」となったのに,最期が近づくなかで,「えっ。そんな…」という終わに向かいます。
話題作であったことに納得する作品でした。
読書メモから
○知っていたはずで,理解していたはずだ。彼女という存在の前提ですらあったはずなのに,それを見てしまった僕は,息を呑んだ。
○「これが『真実か挑戦』ゲームだよ。もし君が答えたくなかったら『挑戦』を選ぶの。君が挑戦を選んだら,私が君に何かの指示をするからそれに挑戦する。真実か挑戦か,どちらかを絶対に選ばなきゃいけない」
○次の日も,僕は彼女と会話しなかった。僕とクラスメイトの間であったことと言えば,また親友さんに睨まれたことと,例の彼にガムをすすめられたことくらい。あとは,個人的な問題なのだけど,百円ショップで買った筆箱がなくなった。
○「きっと誰かと心を通わせること。そのものを指して,生きるって呼ぶんだよ」
○何度も,そうすることを選んだ。
違う選択もできたはずなのに,僕は紛れもない僕自身の意思で選び,ここにいるんだ。以前とは違う僕として,ここにいる。
○涙の意味が,僕には分からなかった。
○私はもうとっくに君の魅力に気がついているからね。
○生涯一度も言ったことのない言葉を使ったために,喉と心がひきつる。僕は必死で呼吸を整えるよう努める。自分のことに必死で恭子さんの心境を推し量るなんて余裕はなかった。
○僕は一年前,選んだんだ。君みたいな人間になることを。
【関連】
◇ 住野よる @978410350831_1(Twitter)