2019年05月31日

世界禁煙デー。「ポンスケ」(山か)(つくで百話)

花0531。 日差しを感じることはありましたが,朝から雲が厚く,雨の降りそうな一日でした。


 今日は,「世界禁煙デーWorld No-Tabacco Day)」です。世界保健機関(WHO)が,1989年に制定した国際デーの一つです。
 2019年のテーマは「Tobacco and lung healthタバコと肺の健康)」で,世界中でキャンペーンが行われます。

 あなたにとって“タバコ”は…?



 『つくで百話』(1972・昭和47年 発行)から「村の起原と人物」から紹介です。
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    ポンスケ(山か)

 昔は,夏から秋へかけて,幾組ものポンスケ(ポンともいう)がやってきて天幕を張って生活をしておりましたが,戦後は全然みかけなくなりました。ポンスケは山窩というのが正しい名称ですが,戦前は,全国に約十万人の山窩がいて,よく連絡統制を保っていたものだったときいていました。
 大和田へ来たポンスケは,彦坊地内で空沢川が巴川へ流れ入る合流点の小高い平坦な場所に天幕を張ることにしていました。この山は昔から佐宗浜男家のものでした。大川のほとりであり,用水としては,空沢川の綺麗な水も使用できますし,獲ものの保存にも便利で陽当たりはよく,しかも暴風も,真正面から吹きつけることもないので,キャンプ場としては,最適の条件を具えておりました。
 ポンスケは川原へ穴を掘って入浴をしました。この穴の中へ川水が滲透して一メートルくらいの深さにたまるようにしておきます。夏の炎天でカンカンに焼けついた川石をこの穴の中に投げこむと,風呂の湯のようになるから,ここで入浴をするのでした。少々涼しくなると,火を焚いて石を焼き熱くしたのを,穴の中へ投げいれていたそうです。
 ポンスケが張る天幕は,今日,一般のキャンプ用として使用されているような頑丈な帆布製のものではなく,通常衣類として使用するような薄い木綿の布地を使用していましたが巧妙に,この天幕を張り,平等に力がかかるように工夫しておりましたので,相当の大風の日でも,平気でキャンプをしておりました。また,テントの二重張りと勾配の研究で完全に雨漏りを防ぐなどよくも,あれだけ,研究工夫したものと頭が下がるほどでした。
 私共は,ポンスケの本業は漁師だとぱかり思っていましたが,最も大きな収入源となっていた生業は,箕や笊作りと,その修繕などでありました。竹,藤蔓,桜の皮などを使用して精巧な箕を作り,女房が,部落の農家などに売り歩るいて生計をたてておりました。もちろん川で獲った魚も売って金に替えておりましたが本職は箕や笊つくりでありました。
 彼等は義理堅く,真面目な生活を営んでおり,仲間の中に,窈盗など不正行為をするものがあると,山窩社会の面汚しとして,非難せられ,きびしいリンチも加えられたそうです。
 ある時,ポンスケの代表が佐宗家を訪れて,
「長いとこお世話になったがお別れに一杯やりたいから私どもの天幕へお越し願いたい。」と招待してくれました。それではというて,佐宗家の主人が天幕へでかけますと,立派な膳部にいろいろなお椀がならんでおりました。お酒は茶碗についでくれたから呑みましたが,お椀の蓋をあけると中味は十銭,二十銭,五十銭などの銀貨が二,三枚ずつ入れてありました。
 その時に,ポンスケの親方が申しますには「私共のつくった料理では,お口に合わないと思ったから,これでご辛抱を願います。」という口上でありました。その日,佐宗の主人は,沢山の銀貨を頂いて,家に帰ったそうですが,兎に角ポンスケは中々の金持ちであったらしいともらしておりました。
 しかし,大和田の竹下茂八さんや塩瀬の河合一重さんなどは,釣りの名人で,世間の人が「ポン」というくらいでしたから,ポンスケの方でも気楽に,親しく交際しておりましたので時々,天幕ヘ遊びに行っておりました。これらの人に対しては,ポンスケも手料理を振舞ってくれたそうです。天幕で,ご馳走になった鰻の蒲焼など素晴しい味わいで煎茶もこたえられないうまさであったときいております。
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【関連】
  ◇World No Tobacco Day 2019(WHO ; World Health Organization)
  ◇たばこと健康に関する情報ページ(厚生労働省)

性別・年代別喫煙率の推移0531。

  


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2019年05月30日

相談。「材木屋」(つくで百話)

鳥0530。 気持ちよい晴れの日で,青空が綺麗でした。

 午前中,小学校を訪れ,校長先生に依頼と相談をしました。
 「保護者の思いを知る」「子供のようすを知る」「地域の動きをつくる」…
 そのために…

 校長先生の貴重なお話をうかがえました。ありがとうございました



 『つくで百話』(1972・昭和47年 発行)から「村の起原と人物」から紹介です。
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    材木屋

 杉や檜の立木を買って丸太にして,製材する人を元締めといっておりました。元締は,新城や鳳来寺にはありましたが,大和田にはありませんでした。元締は,店の方にいることが多く滅多に山へでかけることもなかったので,その代人というものが,山々を歩るいて山持ちと交渉して立木を買っておりました。立木売買が成立しますと,庄屋という役目の人夫頭が杣を使って伐採にとりかかりました。昔は,木の皮をひいてから伐採することが多かったようです。太い木は,四角に削って所謂角材に仕上げました。丸太ができると一本毎に元締めの符号を刻みこみました。これを切判といいました。昔は,丸太を川流しすることが多かったから,たとい洪水で押し流されて,幾人かの元締の丸太が入り交って土場についても,夫々のきり判で撰り分けることができるようになっていました。
 杣職人は地元にもいましたが,庄屋の仕事をする人は,鳳来寺や長篠方面の人が多かったようです。庄屋は,その部下として日傭を五,六人から拾数人を掌握しており,一かどの見識と技倆を身につけておりました。日傭には血気盛んな若い衆が多く,元締の名の入った法被をきて,股引,足袋,草鞋ばきの軽装で,六尺余りの長柄の鳶を唯一の道具として仕事をしましたが腰には,小さい鉈をつけており,簑と笠も持っておりました。この日傭の粋な姿は子供たちの憧れでもありました。
 山出しの時には,小屋掛けをして,山の中で生活することもありますが,到るところの部落に日傭宿という家がありましたから,庄屋が交渉して,この日傭宿に泊って仕事をすることが多かったようです。この庄屋の下にはかしきという小僧がおりました。これは小学校を出たての少年で日傭見習いともいうべきものでありました。このかしきの仕事は中々,きついものでした。日傭たちの食事当番を一切引きうけてやりますし,皆が仕事にでてから,一同の弁当を作って作業場まで運ぶことも,その役目の一つでした。小さいからだで拾数人の弁当や茶の道具まで運搬するのですから相当の重労働でもありました。自分の任務が片付いて,手すきになると,修羅出しや川狩りの手伝いもしなければならないのですから中々忙しかったようです。
 川狩りのときなど一本の丸太に乗って,急流を下る日傭の姿は勇ましい,スマートなものでしたが,寒い日に,川の中へ投出されて,ズプ濡れになるような苦労もつきまとっておりました。
 山出しをした丸太は,川岸の適当の所へ積みあげておきました。そして大雨が降って,川が増水する時を見計らって川狩りを始めます。ちょうどよい程度の出水だといいのですが,集中豪雨で,自然に,川岸の丸太が流れることもしばしばありました。それが下方の川岸の高い所へ引かかったり,水田や畑の中に流れ込むもの,豊橋の土場を越えて前芝や渥美の海岸まで一挙に流れ着くものもありますので,夫等を探しもとめて,とび回る日傭の仕事も大変でした。
 近年は,道路が発達して,トラックなどによる陸送に変わりましたので,昔なつかしい粋き姿の日傭衆も完全に姿を消してしまいました。
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 今,日本が抱える“社会問題”について,林業が“産業”として成り立つような社会になることで,解決(解消)への道が開ける気がしています。
 一地域,一行政で出来ることではないかもしれませんが,その仕組みが肝心です。

 現代の日傭衆が,社会を動かし,そこから産業が生まれます。
 そうは思いませんか。

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2019年05月29日

『勇者たちへの伝言』(増山実・著)

花0529。 雨が上がり晴れましたが,“節水”が続いている状況では,「もっと降って!」という声が聞こえそうです。

 「晴れ」と「雨」が適度に繰り返されるとよいのですが…。
 明日の天候は…。



 この本は,2019年04月10日に紹介した『「いい話の小さな図書館」の館主を募集しています 』で,5月に届いたものです。
 今回の小林書店さんの“カバー”は,ちょっと切なく読みました。

 今回の『勇者たちへの伝言 いつの日か来た道』(角川事務所・刊)は,読みながら“どのように読むか”を迷いました。

 主人公(?)の正秋出会う人出会う場所,そして向かう場所(夢)が,新しい“明日”を見せてくれるような作品です。

 “父の秘密”に出会った正秋が,出会うこと,見つけること…。
○ 安子はあの競輪場で,十年間,何を見て来たんやろか。
 どこへでも,行きたいとこに行けるねん…。
 安子のその言葉が,今も耳から離れへん。

○ 父ちゃんはさっきのことを安子に訊いた。
「安子,証ってなんや?」
「うち,北朝鮮に帰ったら,もうあんたのことは思い出さへん。きれいさっぱり(略)」
「北朝鮮で野球、観れるか?野球チームないんと違うか?」

○「いつの日か来た道をたどって,私はあなたに会いにきました」

 何を書いても「ネタバレ」になりそうな展開だと思います。

 読み進めながら「ここまでにしようか…」と思うこともありましたが,“日本と朝鮮の関係”を考えるきっかけを与えてくれる一冊だと思います。
 題名にもある「勇者」とは誰か?
 どのような「伝言」があったのか?

 それを見つけるのはあなたです。



    目次

ふたつの夏
父の秘密
手紙
窓に映る顔
あの空の向こうに



【参考】
 「いい話の図書館」は,兵庫県の小林書店(店主 小林由美子さん)のオススメ本の頒布会で,お薦め本が毎月1冊届きます。
案内0410。
 あなたも,館主になりませんか。
   


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2019年05月28日

「百姓」(つくで百話)

花0528。 “暑さ”を静め,“水不足”を解消するような雨が恋しい今日この頃。

 思っていたより早く,雨が降り出しました。日中,傘を手放せませんでした。
 水源地への雨は…。



 『つくで百話』(1972・昭和47年 発行)から「村の起原と人物」から紹介です。
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    百姓

 大和田村が,いつごろから開けたものか正確なことは推定できませんが,白鳥神社の上方の道路改修のときに,畑土の中から石器が数個発掘されているところから判断して,石器時代から住民がいたものと思われます。原住民は,陽当たりのよいとこで,用水の便もあり,しかも洪水のおそれのないとこを選んで住居を構えるのが,太古民族の習性であったそうですから,峯や徳衛が,先づ最初に開らけたものと思われます。そして,次に大川沿いの平坦部が開発されましたが,この辺一帯は,五百年くらい前の古戸崩で,一時壊滅的の打撃をうけました。現在ある耕地も家屋も,大体それ以後に復興されたものと思はれます。
 建設に使用された道具といえば,鍬,鶴嘴,じょれん,もくこうくらいしかなかった時代に大きな石を運んで石垣を築いたり,田畑を造ったりする仕事は,並々ならぬ重労働だったろうと考えられます。村人の努力で,耕地面積もだんだん拡張されて,トビユウや柿の入,はては,徳衛の新切りまでも田圃が造られていきました。大峯の峠にも数戸の人家と若干の耕地があった跡がのこっています。
(註)五公五民はまだしも六公四民などという重い年貢にも堪え忍んで,ひたすらに開田に励んだ,ご先祖様たちの苦労を思いますと,惜し気もなく,これらの田畑を荒して,植林をしたことがもったいないように思われます。
 明治以前から,大正時代の初めまでは,水田作業は,備中と鍬が主な道具でした。春田超こしを備中でやるとき一日三畝も打ち起せば一人前とされておりました。その時代には水田は一戸三反歩が四反歩を耕作するのが普通でした。五反歩も作っているのは大百姓で,一町歩も田を持っている人は,大旦那衆で,それらの人は小作人に一部分を作らせておりました。江戸時代には,畑には,麦,稗,粟,蕎麦などを作っておりました。米,麦五分五分の飯が平常の食べものでございまして白米飯を食べるのは,裕福の人のみが,盆,正月や人寄せの時に食べるだけでありました。野菜を切りこんだ味噌汁と,漬物,梅干くらいしかとらないで,激しい労働をつづけていた昔のお百姓さんが,よくも栄養失調にならなかったものと不思議に思われるくらいです。
 稲,麦の収穫は手鎌で刈りとり,架にかけて乾燥してから,コバシで,コツコツ脱穀して唐箕にかけて選別したものでした。しかし麦だけは,焼麦といって,乾燥した束に火をつけて焼いて,実を落とすこともありました。
 脱穀乾燥した籾を唐臼にかけて調製するのは,大抵家の中の土間でやりました。唐臼は二,三人の男が,天井から吊るした引手を引いて臼を回しました。主として女衆が,唐箕にかけたり,万石にかける仕事をやりました。臼ひきの日には家の中はもうもうと立ちのぽる埃で充満しておりました。その日には,隣近所の人たちも手伝いに来て,朝から夜半まで一日四回の食事の外に夜食までだして,賑かにやったものでした。
 調整された米は,一俵四斗ずつの俵に入れて,お年貢として,お役人に差出したものでした。明治になってから,祖税として金納にかわりましたので,自家用米として使用し,余分は,米穀商に売って,まかないにあてることになりました。
 冬になると,百姓仕事は,畑の麦作りと薪作りをやりますが,大部分の百姓は,炭焼きをやりました。そのころの炭は,大体白炭ばかりで一俵ハ貫(三二キロ)入れの萱俵につめて売りました。新城方面からくる駄賃つけが一人で二頭くらいの馬をつれてきて,買って行きましたが,女房や娘さんたちも八貫俵を背負っては,雁峯越えで新城の町まで売りに行きました。かえりには,炭を売った金で,味噌や溜りその他の日用品を買ってかえるのが楽しみでした。新城までは往復六里,(二四キロ)の道程ですが,山坂越えして,これだけの荷物を背負って往来しても,格別疲れも知らなかったほどに昔の人は健脚でありました。
(註)五公五民 収穫をお上が五分百姓五分にわけること。
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情報
  ◇宇連ダム - ダム流況表(水資源機構中部支社)
  
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2019年05月27日

「狩人釣人(大和田村)」(つくで百話)

花0527。 「体が慣れていなくて…」という言葉も使いにくいほどに,好天の暑い日が続いています。
 まだ湿度が高くないので,この暑さも過ごせていますが,徐々にムシムシした暑さとなってくることでしょう。それに耐えられる体力をもっていたいと思います。



 『つくで百話』(1972・昭和47年 発行)から「村の起原と人物」から紹介です。
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    狩人釣人(大和田村)

 昔は,この地方にも猪,鹿,熊,狼などの猛獣もたくさん棲んでおりましたし,山道を歩いていても,狐,狸,兎から山鳥,雉子などをみかけることも珍らしくはありませんでした。秋から,冬にかけては,空の色が変わるくらい多くの渡り鳥が飛んでくることもありました。大川には,アマゴ(あめのうお),白ハエ,アカブトなどの大きいのが群れて游いでいるのが,至る所でみられました。その頃は毎年,水田で鯉を飼いましたので,田から逃げだした鯉が淵にかたまっていることもありました。三〇センチ以上の真鯉,緋鯉が大川でみかけられるなど,今の人たちには想像もできないことでございましょう。子供たちが,夏の夕方ふて針をしておくと,あくる朝は,四百グラムからの鰻がかかっていることも珍しくはなかった時代でした。
 こういう恵まれた環境でありましたから,狩りや釣りの名人,天狗も多勢おりました。それらの人の中から,記憶に残っている方を想い出してみることにいたします。
 茂八さんは,山でも川でも,すぐれた腕をもっておりましたが,若い時から声が大きいのが特色でした。十四五才のときに,狩の名人といわれていた国太さんが
「お前は声が大きいから猪ぼい(追い)の勢子をやってくれないか」と誘われたのが,病みつきで,一生鉄砲かつぎをして,その道のボスの地位におさまりました。どちらかというと,茂八さんは,直接猪を撃ちとめることよりも,猪退治作戦の参謀長という格好で活躍しました。
 ある所に猪がいることをつきとめると,その日に集まった狩人の数と能力をみて,誰はどこへ,彼はどこへとそれぞれのマチ(猪の通る関所)を割りふりすることに特殊の感をもっていました。人数が足りないときには,自分で二つも三つものマチをうけもちました。
 先づ第一の地点へ行って大きな声で呼ばりますと,寝屋にいた猪は,その方向に人がいるのを知って警戒します。それから第二の地点へ行って石を谷底の方へ転ろがします。猪は,ここにも人がいるのを知って,そちらの道も避けます。そして最後に自分のマチで張りこむのです。いよいよ一同が部署につくと呼子を嗚らして合図をします。猟犬は一斉に行動を起こして猪に向かって突進するのです。猪には,通路がきまっていますから,その通路によって逃げ出すのをマチに張りこんでいた狩人が仕止めるというのが猪ぽいの方式なのでした。こういう策戦計画を樹てることが茂八さん得意の分野でありました。
 源作さんは,どちらかというと鈍重という性格でしたが,大胆不敵といいましょうか猪を手近かに引き寄せてから,覘いを定めて一発で仕とめる名人でした。その覘いは,猪の頭部で,百発百中源作さんが殺した猪は,皆頭をやられていました。
 昔の鉄砲は,今のように精巧な,連発式のものではなかったのですが,国太さんは,早射ちの名人でした。先頭を走ってきた猪を仕とめた後,つづいて走ってきた猪を覘って撃ちとめるという離れ業をやってのけました。銃身の先の方から一つ弾をつめて,発射するには素晴しい機敏さと落ちつきが要求されていましたが,それをやってのけた国太さんは確に名人といわれるべき人物であったと思われます。
 ある時,村の衆が集まって雑談をしていたときに,十四,五メートル離れた大木と大木の間に,大きな女郎蜘蛛が巣をはっておりました。「あのくもを一発で射ちとるものに一升(酒)やる。」という話がでました。すると半平さんは「よし俺が引きうけた。」といって,愛銃を持ってきて,見事一発で,この蜘蛛をうちとったほどの名手でした。ちょっと暇があると,山へ行って山鳥や兎を射って持ちかへりました。ひよどり,かしどりなど,極く簡単に射ち落としましたので,私は子供のころ,半平さんの獲物に始終ありついたものでした。川の淵に,大きなアマゴが泳いでいると,これも一つ弾で仕止めてくれました。水中に游いでいる魚を射つということは,抜群の技倆の持主であった証拠だと思われます。
 大和田村のすぐ川上の川手村には,教氏さんという狩りでも釣りでも無敵に強い名人がおりました。この人の幼名を千代之助といいました。この人は,犬のような特殊の嗅覚をもっていて,あたかも猟犬のように獲物のにおいと足跡をたよりに追跡することができましたので,犬千代の通称でとおっておりました。
 教氏さんは少年時代の十四,五才から八十才を越えるまで,鉄砲をかつぎ,釣竿を肩にして,山や川を,その職場としていた,この道の達人でありました。彼が喜寿を迎えるころには,
「あと四十六頭射てば,この鉄砲で三千頭の猪を仕止めたことになる。」などと吹聴しておりました。彼が猪ぽいの名人であることは,南設楽郡内はもとより隣郡までも喧伝されておりましたが,これには,ちょっと水増しがあるのではないかと噂されておりました。彼は一発の弾九で猪三頭を仕止めたと得意気に話しておりましたが,いくら子猪のウリンボウでも一発で三頭を倒すということは至難の業と思われますが,彼なら,それもできたかも知れんと世間の人が考えるまでに,彼の名声は素晴しいものがありました。
 ある時に,大猪のトヤ(寝場所)をみつけた時に,仲間の狩人たちを制して「今日は俺一人で仕止めるから,みんなは見物していてくれ。」といって,その日の策戦にうつりました。彼は義太夫をうなりながら,輪を描いて,猪の寝ている山を遠巻きにグルグル歩るき回わりました。そして次第に,その輪を縮めて行きましたが,猪は,義太夫の声が,あちこちから聞えてくるので,どの方向へ逃げたらよいのか判断ができなくなりました。次第次第に輪を圧縮して行った彼は,最後には十メートルくらいの近距離まで迫り,ものの見事に,ただ一発で大猪を仕止めたそうです。この時は,多勢の仲間が,彼の非凡の技倆を参観していたので,間違なしと証明しておりました。
 ある時,近所の家に婚礼があって,四,五十人のお客さんの料理に六,七寸の鯇(あめのうお)をつけたいからとたのまれますと,きちっと揃った鯇をととのえました。小さい魚や,大きすぎる魚は,当分川で飼っておくのだといって,釣針りにかかっても,川の中へ逃がしてしまったといわれていたほどに,彼の釣は抜群でした。
 半平さんでも,茂八さんでも川釣りも上手なものでした。鯇や白ハエなど,一度に食べきれないほどたくさん釣ってきては竹串にさして乾燥して保存してありました。藁束を作って,乾かした魚の串を数十本もさしたのが囲炉裡のある座敷の天井からつるしてあるのを,よくみかけたものでした。
 昔は,この辺の川には鮎はおりませんでした。鮎の稚魚を放流して,友釣りをするようになったのは昭和の初頭以後のことでございます。放流した鮎が成長しても,これを釣る技術を知っていたのは,大和田の竹五郎さんだけでした。竹五郎さんは一宮村東上から大和田へ養子に来た人だったから,若い時に,東上辺の豊川で鮎の友釣りをやっていたベテランでしたので竹五郎さんを講師として,友釣りの指導をうけたのでした。この点についての竹五郎さんの功績は特筆されるべきものでありましょう。
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 最初に「猪,鹿,熊,狼などの猛獣もたくさん棲んで…。狐,狸,兎から山鳥,雉子などを…。」とありますが,現在でも,猪,鹿,狐,狸,山鳥,雉子などを見かけることができます。
 小さなとき,綺麗なときにみれば「カワイイ」のでしょうが,その数や生息域が変化し,猪,鹿などの獣害にはとても困っています。

 “自然”を,どのように守り育てていくのか,知恵と行動が必要ですね。

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2019年05月26日

『本当に頭のいい子を育てる世界標準の勉強法』(茂木健一郎・著)

花0526。 暑い日でした。
 みなさん,元気に過ごしていますか。



 書店の書架で「読んで」と“聞こえて”きた『本当に頭のいい子を育てる 世界標準の勉強法(PHP新書)です。
 茂木氏は,これからは探究学習が重要・必要だと,強く訴えています。

 これまで,そして今も「記憶力・知識量」が重視され,受験の成否も,この多少によって決まっています。
 しかし,それもコンピュータには敵いませんし,AIの登場で,さらに“差”が広がりました。
 しかし今後,今までのような「いい大学に入れば一生安泰という社会がいつまで維持できるでしょうか? おそらく,人工知能の発達により,そう遠くない未来には今の教育も会社の在り方もすっかり様変わりしているでしょう。

 AIに“負けない力”(?)は,「思考力・判断力・表現力」が肝心であり,それには「地頭の良さ」が試されるといいます。
 地頭力は,「既存の知識にとらわれず,自分の頭で考えられる力や自分なりの切り口で問題を探究できる力」のことです。
 この地頭を良くするのが,探究学習なのです。
 ここで大事なのが,ただコーヒーのことを調べるだけでは調べ学習(図書館やインターネット,聞き取りなどをして結果をまとめること)と何ら変わりはないということ。探究学習とは,調べて知識を深めていく過程で,新たな疑問が生まれ,それがどんどん課題の本質に迫っていくものであるべきです
 茂木氏は,探究学習を「能動的な学習」「答えを導き出すための力をつける学習」と定義づけています。
 親は子どもに広い世界を見せてあげてください。
 いろんな人に会う機会をつくってあげるのも大人の役割です。

 読んでいくと,“同じようなこと”が何度も出て,「あれっ」と感じることもありますが,“大切なこと”との訴えです。

 子育て中の保護者はもちろん,教員,会社員,大人…,これからを生きるすべの方にお薦めの一冊です。

 教員のみなさんには,あわせてこちらも。



 メモ
○ ところが,探究学習はテストの点数のような明確な基準がないため,評価をつけるのが難しい。そこで自分の基準を見つけて,自分で批評していくことができれば,それは一生の宝物になります。

○ 2016年1月の世界経済フォーラムの年次リポートによると,2020年には次のようなスキルが必要だといわれています。
 一.複雑な問題解決力
 ニ.クリティカルシンキング(多角的に考え,適切に分析する思考力)
 三.想像力
 四.マネジメント力
 五.人間関係調整力

○ 25~65歳の一六万人を対象にして行われた「国際成人力調査」のデータを分析しました。
 その結果,「十六歳の時点で家に紙の本が何冊あったかが,大人になってからの読み書き能力,数学の基礎知識,ITスキルの高さに比例する」ことがわかりました。そのデータを分析した研究者は…

○ ここでこそ人間の思考力が発揮されます。
 ここで求められる能力は,競合相手のいない新しい市場(ブルーオーシャン)を切り開ける思考力です。(略) これからは,既存のルールの中で高い成績をあげる人ではなく,自らルールをつくっていける人が必要とされます。


    目次

はじめに
第1章 脳が喜ぶ究極の勉強法―“探究”
第2章 超進学校ほど、探究を実践している
第3章 「本当に頭のいい子」の親が家庭でやっていること
第4章 「超地頭力」を鍛える五つの習慣
 1.探究心の鍛え方
 2.続ける力(=グリット)の鍛え方
 3.集中力の鍛え方
 4.記憶力の鍛え方
 5.思考力の鍛え方
おわりに


【関連】
  ◇茂木健一郎 (@kenichiromogi)(Twitter)
  ◇茂木健一郎 公式ブログ Powered by LINE


おまけ
  ◇今日の全国観測値ランキング(気象庁)
  
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2019年05月25日

「狸を追払った木剣」(つくで百話)

花0525。 “高気圧に覆われた日本列島”は,気温が上がり暑い日になりました。当地も,晴れた暑い日でした。

 猛暑日,5月の最高気温を更新…といったニュースが流れました。みなさん,熱中症などの心配はありませんでしたか。



 『つくで百話』(1972・昭和47年 発行)から「村の起原と人物」から紹介です。
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    狸を追払った木剣

 明治三十年代に,旧新城藩士であった嶋田鯉三郎正勝という人が杉平に住んでおりました。嶋田さんの奥さんの梨枝さんは,幕末の劔聖といわれた千葉周作の甥の娘で,神田お玉が池の千葉道湯で薙刃の稽古をしたこともあり,北辰一刀流薙刃の免許皆伝の腕前をもっており,京都の武徳殿の大会で,昭和の初年頃,総裁宮殿下の御前で薙刃の型を御覧に供したこともありました。又,その実兄倉光成資は,新城市平井に修武館と云う道場を開設して,南設楽郡地方の劔道中興の祖ともなった方でありまして,一族の中には,劔豪が沢山でております。
 嶋田鯉三郎さんが住んでいた家は,杉平の児神社の下にあたる辺にありましたが,夜になると裏山から狸がおりてきて,家の裏側をゴソゴソと音を立てて歩るき回り,安眠妨害になって仕方がないので,嶋田さん方では「このクソ狸めが」と怒っておりました。
 そこで鯉三郎さんは,山へ行って樫の木を伐ってきて,木劔を作り,狸を打ち殺すことにしました。一日かかって,木劔ができあがったので,今夜狸がでてきたら,一撃の下にやっつけて,狸汁のご馳走をしようと手具脛ひいて待っていると,今迄毎晩でてきた狸が姿を現わしません。
 それからは,いくら待っていても狸は出て来なくなりました。狸が嶋田さんの劔におそれをなして,逃げてしまったのではなかったでしょうか。この木劔は,ずっと嶋田家に保存されておりましたが,昭和二十年三月,名古屋の空襲で焼けてしまいました。
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 話の木劔は焼失したようですが,同じような由来のある“劔”がありそうな…。
 みなさんの地区に,ありませんか。

注)これまでの記事は〈タグ「つくで百話」〉で


 午後,ケータイが「警報音」を鳴らして,驚きました
地震0525。
 通知する地区に,関東を入れていたからですが,“久しぶりの音”にドキドキしました。
 当地への警報でないことは分かりましたが,別の心配が浮かびました。

 テレビで情報(状況)を確認すると,震源は千葉県のようで…。
 関東にお住いのみなさん,大丈夫でしたか?



おまけ
  ◇今日の全国観測値ランキング(気象庁)
  
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2019年05月24日

猛暑。「令和ニッポンから消えゆくモノ ランキング15」

空0524。 暑い暑いあつ~い 日でした。
 ニュースや報道番組のトップは,どれも「猛暑日が…。記録的な暑さで…。」と,今日の暑さの話題でした。
 気象庁が「高温に関する全般気象情報」を発表し,来週27日(月)にかけて“5月としては記録的な高温”となり,広い範囲で真夏日となると注意喚起をしていました。

 水分補給,日傘使用などの暑さ対策をとって,熱中症などの健康管理に気を付けましょう。



 先日のテレビで「令和ニッポンから消えゆくモノ ランキング15」(ホンマでっか!?TV)を紹介していました。
 「なるほど」「へ~」「そうかも」と声が出そうになりながら,ランキングを見ていました。
 みなさん,いかがですか。
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第15位 苦い薬が無くなりつつある!?
  最近の薬は飲みやすくするため,さまざまな味付けが工夫されている。
第14位 集合写真の上の隅表示が消えつつある!?
  写真の合成技術が発達し,休んだ子も“登場”する集合写真に。
第13位 美容室から「雑誌」が消えつつある!?
  雑誌でなく,タブレットに変わってきている。200冊以上の雑誌が読み放題。
第12位 トンネルの「オレンジ照明」が消えつつある!?
  LED化が進み,2016年以降白色照明になっている。
第11位 学校給食からパンが消えつつある!?
  文部科学省が米飯給食を通達したため。栄養バランスが良く,献立のアレンジが利きやすい。
  給食からソフト麺も無くなっている。
第10位 会社から「転勤」が消えつつある!?
第9位 ハイカットの「バッシュ」が消えつつある!?
第8位 日本で「赤いてんとう虫」が消えつつある!?
  徐々にいなくなっているのは,温暖化により年々暖かくなっているから(らしい)。
第7位 いちごスプーンが無くなりつつある!?
  いちごが品種改良により,昔よりも甘くなったため潰さずにすむから。
第6位 ドラマの雨の中での告白が消えた!?
第5位 エレベーターの天井にある「救出口」が消えつつある!?
第4位 日本から「和式トイレ」が消える!?
第3位 学校から飼育小屋が消えつつある!?
  子供のアレルギーを考慮して無くする学校が増えている。
  働き方改革に伴ない先生の休日出勤が難しいため。
第2位 「ネイリスト」がいなくなる!?
  ネイルプリンターに変わっていく。
第1位 結婚式の「ブーケトス」が消えつつある!?
  “独身ハラスメント”となるため,最近ではバルーンリリースなどが増えている。
************
 それぞれ消えていくのは仕方ないのでしょうが,学校(子供)やハラスメントのことは,「それでいいのか…」と感じる説明でした。


 第11位の給食の話から,『♪おべんとばこのうた』の歌詞が「おにぎり」ではなくなっていることが紹介されました。
 食生活が変わり,食卓から歌詞に登場する食材が消えたことによるようです。
これっくらいの おべんとばこに
サンドイッチ サンドイッチ ちょいとつめて
からーしバターに マヨネーズぬって
いちごさん ハムさん
きゅうりさん トマトさん
まるいまるい さくらんぼさん
すのはいった ベーコン
 人参,さくらんぼ,椎茸,ごぼう,蓮根,蕗… 子供達の弁当箱に入っていないのでしょう。

 時代に合わない歌は“消える”のが自然かと思いますが,歌詞が変わって“歌が残った”ようです。
 これは…。



【気象庁 今日の全国観測値ランキングより】
最高気温0524。



おまけ
 昨年の番組で,「現代の絶滅危惧種!?日本から消えゆくモノランキング」がありました。
第15位 リモコンの巻戻しが消えた!?
第14位 小学校の授業から理科と社会が消えた!?
第13位 ササニシキが食べられなくなる!?
第12位 暴走族が消滅した!?
第11位 ハンコが無くなりつつある!?
第10位 街からスズメがいなくなる!?
第9位 デパートの屋上から遊園地が消えつつある!?
第8位 料理本から4人分の表記が無くなる!?
第7位 スーパーからカリフラワーが消えた!?
第6位 英語の筆記体が無くなりつつある!?
第5位 教科書から坂本龍馬が消える!?
第4位 駐車違反のチョークが消えた!?
第3位 J-POPから愛が消えつつある!?
第2位 缶切りが消えつつある!?
第1位 コテコテの関西弁が消える!?
 お宅に「缶切り」がありますか?
  
タグ :猛暑情報


Posted by ガク爺 at 17:10Comments(0)日記雑記

2019年05月23日

「泥海の怪」(つくで百話)

花0523。 今日も,天気の良い日でした。


 久しぶりに出かけた先は,平日ですが賑やかでした。
 「まち・街・繁華街…」と「むら・里・田舎…」の違いと,そこへの“仕かけ”について考えさせられました。

 今,○○を仕かけたら…



 『つくで百話』(1972・昭和47年 発行)から「村の起原と人物」から紹介です。
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    泥海の怪

 子供の頃,祖母から聞かされた話です。
「大昔この辺一帯(鴨ヶ谷,市場,長者平,川尻など)が恐しい泥海になってしまったので家も田畑もみんな水の底に沈んでしまい,人々も泥海に呑まれて亡びたそうだ。而し舟を持っていた人だけが舟着山へ漕ぎ着けて生き残ったと云うことだが,またそんな恐ろしい世がくるかも知れん」といって戒めてくれました。その舟着山というのは今の大字鴨ヶ谷字神手地内でツガノ方面の耕地(田)へ向って半嶋のように出帳っている小高い山林なのです。
 私達の郷は,お隣の鳳来寺火山や設楽第三紀層という地盤が,まだ海中から頭を出さない以前に,すでに陸地に隆起しましたが陸地の一部には水を湛へて湖沼となっていた時代がありました。
 これ等の湖沼地は前に生い茂っていた植物を水底に沈め,其の上に長く泥などの堆積が続けられたと考えられます。
 若しその頃,人間が生きていたら荒涼たる静寂な泥と水の世界を見たことでありましょう。
 血の温かい哺乳類が地球に現れたのは第三紀の末であると云われておりますが,更に幾百万年も経って人類がこの世に現れ,地球が温和な気候になるにつれて終に地球を人類繁栄の場としてしまったのです。
 私達の郷も,嘗ての湖沼から水が引いて乾いた所は台地となり,軟かい湖底は湿原となり,人類の営みと共に耕地も拓けて現況の地形が出来上りました。
 而しその成り立ちが凡そ湖沼地であったような私達の郷土が其後も度々大規模な異変に見舞はれたことは想像に難くありません。私が祖母から聞かされた話も,恐らく昔々から伝った天災地変洪水の巻の一節であったかと思はれるのです。(鈴木太富)
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注)これまでの記事は〈タグ「つくで百話」〉で
  
タグ :つくで百話


Posted by ガク爺 at 19:00Comments(0)作手

2019年05月22日

『スタートライン』(喜多川泰・著)。「いい話の小さな図書館」。

葉0522。 朝から晴れて,暖かい日になりました。
 ニュースで「気温が上昇し…」「真夏日で…」と伝え,夏の暑さを伝えていましたが,当地は“暑さ”はなく気持ちの良い一日でした。

 しばらく暑い日が続くようです。まだ体が慣れていないので,気を付けながら過ごしたいと思います。
 みなさまも,お気を付けください。



 下記に再掲する「いい話の小さな図書館」の館主として届いた『スタートライン』(ディスカバー・トゥエンティワン・刊)です。

 239ページの本でしたが,出先の待ち時間で一気に読み切ることができました。
 「18歳のぼく」と「18歳のわたし」が描く「未来」に,わくわくして読み進められました。

 「ぼく」が主人公だと思いますが,対照して登場する「わたし」も主人公かもしれません。ではなく,二人が「夢」に向かって歩むのが“主人公”かもしれません。
 あるいは,主人公は「あなた」かもしれません。

 十八歳の「ぼく」が出会った宮下先生が,
Be the change you wish to see in other people.

Live as if you were to die tommorrow.
Learn as if you were to live forever.
と黒板に書きました。
 宮下先生は,日本史の先生なのに,英語の説明を…。
 この出会いから,“二人”を引き付けていきます。

 「ぼく」が友人に語ります。
「そうなれば,おまえは儲からないぞ」
「それでも,俺の夢だった〈人生〉という教科はこの国に定着する」
「なんだか夢みたいな話だな」
「だから俺の夢だって言っているだろう。本気で生きる人間がどんな奇跡を起こすか,おまえは知らないだろう。
 五年後の自分の可能性を舐めちゃダメだ。本気で生きる人間の五年後は,世の中の誰も想像することなんてできない」
と。
 「ぼく」は,奇跡を起こしたのか…。

 今を生きるあなたに,「夢」を思い出させ,考えさせてくれる一冊です。



 この本は,2019年04月10日に紹介した『「いい話の小さな図書館」の館主を募集しています 』で届いたものです。
 小林書店さんの“カバー”も楽しく読みました。
 次回の本が楽しみです。

 「いい話の図書館」は,兵庫県の小林書店(店主 小林由美子さん)のオススメ本の頒布会で,お薦め本が毎月1冊届きます。
案内0410。
 あなたも,館主になりませんか。
 

   もくじ

プロローグ
十八歳のぼく
十八歳のわたし
二十二歳のぼく
二十二歳のわたし
再会
スタートライン
エピローグ
あとがき



【関連】
  ◇いい話の広場 【運営】プチ紳士・プチ淑女を探せ!運動
  ◇小林書店さん(@cobasho.ai)(Instagram写真と動画)
  


Posted by ガク爺 at 17:15Comments(0)読書