2019年05月28日

「百姓」(つくで百話)

花0528。 “暑さ”を静め,“水不足”を解消するような雨が恋しい今日この頃。

 思っていたより早く,雨が降り出しました。日中,傘を手放せませんでした。
 水源地への雨は…。



 『つくで百話』(1972・昭和47年 発行)から「村の起原と人物」から紹介です。
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    百姓

 大和田村が,いつごろから開けたものか正確なことは推定できませんが,白鳥神社の上方の道路改修のときに,畑土の中から石器が数個発掘されているところから判断して,石器時代から住民がいたものと思われます。原住民は,陽当たりのよいとこで,用水の便もあり,しかも洪水のおそれのないとこを選んで住居を構えるのが,太古民族の習性であったそうですから,峯や徳衛が,先づ最初に開らけたものと思われます。そして,次に大川沿いの平坦部が開発されましたが,この辺一帯は,五百年くらい前の古戸崩で,一時壊滅的の打撃をうけました。現在ある耕地も家屋も,大体それ以後に復興されたものと思はれます。
 建設に使用された道具といえば,鍬,鶴嘴,じょれん,もくこうくらいしかなかった時代に大きな石を運んで石垣を築いたり,田畑を造ったりする仕事は,並々ならぬ重労働だったろうと考えられます。村人の努力で,耕地面積もだんだん拡張されて,トビユウや柿の入,はては,徳衛の新切りまでも田圃が造られていきました。大峯の峠にも数戸の人家と若干の耕地があった跡がのこっています。
(註)五公五民はまだしも六公四民などという重い年貢にも堪え忍んで,ひたすらに開田に励んだ,ご先祖様たちの苦労を思いますと,惜し気もなく,これらの田畑を荒して,植林をしたことがもったいないように思われます。
 明治以前から,大正時代の初めまでは,水田作業は,備中と鍬が主な道具でした。春田超こしを備中でやるとき一日三畝も打ち起せば一人前とされておりました。その時代には水田は一戸三反歩が四反歩を耕作するのが普通でした。五反歩も作っているのは大百姓で,一町歩も田を持っている人は,大旦那衆で,それらの人は小作人に一部分を作らせておりました。江戸時代には,畑には,麦,稗,粟,蕎麦などを作っておりました。米,麦五分五分の飯が平常の食べものでございまして白米飯を食べるのは,裕福の人のみが,盆,正月や人寄せの時に食べるだけでありました。野菜を切りこんだ味噌汁と,漬物,梅干くらいしかとらないで,激しい労働をつづけていた昔のお百姓さんが,よくも栄養失調にならなかったものと不思議に思われるくらいです。
 稲,麦の収穫は手鎌で刈りとり,架にかけて乾燥してから,コバシで,コツコツ脱穀して唐箕にかけて選別したものでした。しかし麦だけは,焼麦といって,乾燥した束に火をつけて焼いて,実を落とすこともありました。
 脱穀乾燥した籾を唐臼にかけて調製するのは,大抵家の中の土間でやりました。唐臼は二,三人の男が,天井から吊るした引手を引いて臼を回しました。主として女衆が,唐箕にかけたり,万石にかける仕事をやりました。臼ひきの日には家の中はもうもうと立ちのぽる埃で充満しておりました。その日には,隣近所の人たちも手伝いに来て,朝から夜半まで一日四回の食事の外に夜食までだして,賑かにやったものでした。
 調整された米は,一俵四斗ずつの俵に入れて,お年貢として,お役人に差出したものでした。明治になってから,祖税として金納にかわりましたので,自家用米として使用し,余分は,米穀商に売って,まかないにあてることになりました。
 冬になると,百姓仕事は,畑の麦作りと薪作りをやりますが,大部分の百姓は,炭焼きをやりました。そのころの炭は,大体白炭ばかりで一俵ハ貫(三二キロ)入れの萱俵につめて売りました。新城方面からくる駄賃つけが一人で二頭くらいの馬をつれてきて,買って行きましたが,女房や娘さんたちも八貫俵を背負っては,雁峯越えで新城の町まで売りに行きました。かえりには,炭を売った金で,味噌や溜りその他の日用品を買ってかえるのが楽しみでした。新城までは往復六里,(二四キロ)の道程ですが,山坂越えして,これだけの荷物を背負って往来しても,格別疲れも知らなかったほどに昔の人は健脚でありました。
(註)五公五民 収穫をお上が五分百姓五分にわけること。
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情報
  ◇宇連ダム - ダム流況表(水資源機構中部支社)


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Posted by ガク爺 at 17:30│Comments(0)作手
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