2019年02月28日

『AIに勝てるのは哲学だけだ』(小川仁志・著)

花0228。 予報通り,朝から強めの雨が降る日でした。
 気温は低くありませんが,肌寒く感じる一日でした。



 午後,○○の会長と打合せ相談をしました。
 これまでのこと,今後のこと,地域のこと,組織づくりのこと…
 楽しみなアイデアが出ました。
 ありがとうございました。よろしくお願いします



 テレビや新聞,雑誌などでは,「AIのこと」を毎日取り上げているように思います。
 AIについては,2013年に発表された論文「The Future of Employment雇用の未来)」(オックスフォード大学 カールフレイ氏ら)により,コンピューター・AIによる技術革新によって「10年後に無くなる職業」の予測が,大きな話題となりました。
 その“職業”を見て,一喜一憂された方も少なくなかったと思います。

 それから5年,AIは確実に生活の中に入ってきています。
 あなたの仕事は,AIに脅かされていませんか。
 分からないことはAIに訊けばいい,AIは何でも知っている,AIは絶対正しい──これが常識となってしまう日を,私は「×(バッテン)デー」と呼んでいます。
(略)
 では,どうやって×デーを阻止するか。
 答えは簡単です。AIだけに頼らず,自分で考える習慣を身につければいいのです。これはAIを使うなと言っているではありません。あくまで人間のすばらしさを失わないようにしようと言いたいのです。
と呼びかける『AIに勝てるのは哲学だけだ――最強の勉強法12+思考法10(祥伝社新書)を読みました。


 著者は,テレビ番組で哲学を知らない人たちに向けてわかりやすく名著を紹介したことでも話題になった哲学者です。商社マン,引きこもり,市役所職員…,さまざまな経験からの知見から,勉強法と思考法を語っています。

 では,その勉強法,思考法とは
勉強法12
1 課題解決勉強法
2 娯楽でも知識でも教養でもない読書術
3 「役に立たないもの」習得法
4 質問・千本ノック
5 回答・千本ノック
6 物語創作勉強法
7 ながら勉強法
8 ソーシャルキャピタル勉強法
9 お金に物を言わせる勉強法
10 好きなものだけ&飽きたらやめる勉強法
11 ご褒美勉強法
12 全身勉強法

思考法10
1 セルフ問答法
3 プラグマティック思考法
3 感情思考法
4 本音思考法
5 身体思考法
6 記憶生成法
7 瞑想思考法
8 宇宙一体化思考法
9 記号思考法
10 メタ思考法
 勉強法も思考法も,特別に新しいものではないと思います。“自分で考えてきた”方であるなら,「知っている」「したことがある」ことかもしれません。
 そうであっても,「今も意識している」「身についている」ことばかりではないでしょう。

 本書から,AI社会を“豊かに生きる”ことのできる術を見つけ,実行してみませんか。


   目次

はじめに
第1章 考える人と従う人
第2章 哲学こそ、最強の学問である
第3章 AIに勝つ、最強の勉強法12
第4章 最強の哲学思考法10
第5章 未来の生き方



【関連】
  ◇小川仁志 (@tetsugakusha)(Twitter)
  ◇哲学者の小川さん(ウェブリブログ)

  ◇『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』(新井紀子・著)(2018/07/01 集団「Emication」)
  
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Posted by ガク爺 at 18:00Comments(0)読書

2019年02月27日

フランス料理。「むかしの子ども」《父母が子どもの頃 10》

フレンチ0227。 曇り空でしたが,日中には日差しもありました。寒い朝から日中は気温が二桁になっていました。
 “”が一歩ずつ近づいています。



 今日,昨年度から始まったキッチンクラブつくでが行う「作手小学校6年生☆先輩に学ぼう」が開かれました。
 朝からつくで交流館の調理室で準備が始まり,多目的会議室で“事前講座(食育)”があり,会場を作手小学校のランチルームに移し“フランス料理”をいただきます。
 今日のメニューは,
【オードブル】
 石川県産ブリのミキュイとガルグレイ
【スープ】
 玉ねぎとベーコンのフランズワイガニのスープ
【メイン】
 国産若鶏のバロティーヌドフィノワ添え
【デザート】
 寒熟イチゴとブランマジュ
でした。
 教えてもらっていますが,テーブルマナーに戸惑う子もいましたが,美味しい料理をゆったりと味わい愉しんでいました。
メニュー0227。

 地域に育つ子供達が,地域の食材を味わい,先輩の技に魅了されて,素敵な時間を過ごしました。
 キッチンクラブつくでのみなさん,ありがとうございました



 文集「こうやまき」(1970年・刊)から,「父母が子どもの頃」の一話です。
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   『むかしの子ども』 (文・巴小4年 女子)

 母が小さかったころは,家の中には電灯のほかには電気製品はなにもなく,水道もなかったそうです。井戸がすいじ場よりも遠くにあったので,つるべで水をくんだあとは,バケツでなんべんもはこんで大きなおけにためて,それをすいじに使いました。中学校へ行くころになって,おじいさんがすいじ場の近くに井戸をほり,ふろ場には,“たつ”というしかけを作って,ふろおけに水がはいるようにしました。そうしたら,バケツで水を運ばなくても,ただ,ポンプを押すだけでふろおけに水がたまったので,なんとべんりになっただろうと,おかあさんはうれしかったそうです。“たつ”は,三十センチくらいの四角な木に穴をあけて,そこに竹をさしこみ,それを地面にいけて,ふろ場までつないだもので,ちょうど,いまの水道のバイプの役目をするものです。
 父が小学校に入学した時は着物でしたが,二年生になると洋服を着るようになり,学校でまとめて買いました。でも,おとなの人たちは着物の人が多く,仕事をするときにはももひきをはき,しぱさげというかっこうで働いたそうです。
 そのころは,どこの家でも,いろりがあり,このいろりをかこみながら食事をしました。夏には,仕事をよくするので,一日に四回もごはんを食べたが,おかずはやさい類が多く,肉やさかなを食べるのは,お正月くらいのものだったそうです。
 父かこどものころの遊びは,かくれんぼ,ぞうりかくし,じかくし,じんとりなどで,女の子は,まりつき,おじゃみ,なわとび,おはじき,あやとり,じんばあ,などだったそうですが,こういう遊びは,わたしたちも時どきやります。
 でも,どの子も家の仕事を多くしたので,あまり遊ぶひまはなく,母は,いつも子もりばかりしていたので,そのため,せいが伸びなかったといってくやしがります。

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 今の子供達が,普段の遊びで盛んにすることはないでしょうが,「かくれんぼ,ぞうりかくし,じかくし,じんとり,まりつき,おじゃみ,なわとび,おはじき,あやとり,じんばあ」といった遊びを“知っている”こと,そして“できる”ことは大切だと思います。
 子供達に体験させたいですね。

 ところで,「じんばあ」って,どんな遊びか知っていますか。
  


Posted by ガク爺 at 18:15Comments(0)作手教育

2019年02月26日

2.26。予算大綱・教育方針。「一つの言葉」。

梅0226。 暖かい日になりました。当地の気温も2ケタでした。


 今日2月26日は「二・二六事件の日」です。
 陸軍の皇道派の青年将校が,対立していた統制派の打倒と国家改造を目指し,約1500名の部隊を率いて首相官邸等を襲撃しました。内大臣・大蔵大臣等が殺害され,永田町一帯が占拠されました。
 『置かれた場所で咲きなさい』の著者 渡辺和子氏は,陸軍教育総監 渡辺錠太郎氏の次女で,4人兄弟末っ子でした。1936年2月26日,9歳の渡辺和子氏の目前で“父が殺害”されました。

 “歴史”と“人の心”を思う2・26でした。



議会0226。 国会をはじめ地方議会も,新年度の施策や予算を審議する定例会が開かれています。
 新城市は,今日が定例会第1日で,市長の予算大綱説明と教育長の教育方針説明がありました。
 予算大綱は「“新しい酒は新しい革袋に”の格言をもって,第2次総合計画に進む…」を,教育方針は「共育(ともいく)で人をつなぎ,社会をひらく」を主題(ねらい?)としていました。

 言葉にすることで…。
 言葉を聞くことで…。
 誰に伝えるか,聞かせるか…。
 難しい。



 “言葉”について考えるなかで,一つのを思い出しました。
 子供達に紹介することの多かった詩ですが,作者や出典については不明です。
 作者として,谷川俊太郎,北原白秋,淀川長治などを挙げているものもありました。
   「一つの言葉」

一つの言葉でケンカして
一つの言葉で仲直り
一つの言葉で傷ついて
一つの言葉でしあわせに

言う人は鈍感で
聞く人は敏感なもの

言葉は傷つける武器にもなります。
言葉は心の鏡です。
一つ一つの言葉を大切に。

 書き出しは同じですが,次のように表現にしているものもあります。
   「ひとつの言葉」

ひとつの言葉でケンカして
ひとつの言葉で仲直り
ひとつの言葉で頭が下がり
ひとつの言葉で笑い合う

ひとつの言葉はそれぞれに
ひとつの心を持っている

きれいな言葉はきれいな心
やさしい言葉はやさしい心

ひとつの言葉を大切に
ひとつの言葉を美しく
 「言葉」は,人間がもつ素晴らしい文化であり,道具です。
 それが,あるとき“舌刃”として,まるで刃のごとくグサッと切り裂きます。
 また,柔らかく温かい言葉が,優しい気持ちにさせ元気にさせてくれます。

 今日の言葉は,聞く人を,元気に,笑顔にするものでしたか。
 そして,今,あなたの「心」を表す言葉は…。



【関連】
  ◇市議会(新城市)
  ◇市教委だより(新城市教育委員会)

【備忘録メモ】
  ◇トクする!防災(日本気象協会)
  


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2019年02月25日

感謝する会。『らくごで笑児科』(斉藤洋・作,陣崎草子・絵)

感謝する会0225。 薄曇りの空でしたが,暖かい日になりました。
 暖かくなって花粉の飛散も増えているようです。何となく鼻がむずむずするようで…。



 今日,作手小学校から「お世話になった方々へ感謝する会」にお招きいただき,行ってきました。
 先週から給食の時間を使って開かれ,明日が最終日だそうです。この間,50数名の地域の方を招いたとのことです。
 子供達の学びや活動に関わっていただいた方は,さらに多いでしょうが,そうしたすべての皆さんに子供達の感謝を伝える機会でした。

 ありがとうございました
 美味しい給食を,子供達と一緒にいただきました。ごちそうさまでした



 始まる前,5年生の子が「作手ハッピープロジェクトの案内」に,今日の招待者のところへやってきました。
 5年生が考案した「ジビエのすき焼き定食」が,作手田舎レストラン“すがもり”限定メニューとして登場することの紹介でした。
 すでに昨年も限定メニューとして出されましたが,好評で,3月にも出されることになったそうです。

 限定メニューは,3月10日(日)16日(土)の2日です。この日は,考案した5年生の希望者が接客もするそうです。
 ぜひ,子供達のメニューを味わいに,春の高原に足をお運びください。



 楽しい話に笑顔があふれる『らくごで笑児科』(偕成社・刊)はいかがですか。
 病院を舞台にした創作落語が7話収められ,どの話も笑いが止まりません。
 声を出して笑って大丈夫です。笑いは,人を元気にします。でも,電車やエレベーターの中は,止めておいた方がいいかな。…。


 病院に行き,「山田一郎さん,山田一郎さん,三番診察室にお入りください。」と呼ばれ,きれいな女医さんに診てもらいます。
 すると,
ああ,これは急性顔面赤色平熱頻脈症ですね。
と。
 そのまま入院です。

 第二話で,一郎くんの入院に慌てたお母さんが描かれます。その終わりは,
「奥さん。住所はこれでわかりますが,運転免許証じゃだめですよ。ここは病院ですからね。わたしは駐車違反をとりしまっている警察官じゃないですから。」
 なんていいますよね。すると,お母さんのひところ。
 「それはわかっていますよ。ここは病院なんでしょ? 注射は禁止できません。」
…,

 一郎くんは,おじいさんのお見舞いに来ただけだったはずが…。
 さあ,どうなるのでしょうか。



    もくじ

一 入院おめでとう…?
二 したくはしっかり
三 病院とことわざ
四 病院は旅館じゃありません
五 あしたは検査だ
六 病院のかいだん
七 退院おめでとう! 将来ぼくも…



【関連】
  ◇レストランすがもり @tsukudesugamori(Facebook)
  


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2019年02月24日

天皇陛下御在位三十年記念式典。「むかしのあそび」《父母が子どもの頃 9》

二重橋0224。 春の気配を感じられる天気の良い日になりました。

 午後,国立劇場で,天皇陛下御在位三十年記念式典が開かれました。
 今日は,式典の他,午前10時の「御代拝・祭典の儀」に始まり,御即位30年記帳祝賀・お祝酒・お祝御膳があり,明後日まで祝賀茶会が続くようです。
 また,各地では慶祝事業として,動物園や美術館,博物館などの施設が無料公開されています。

 記念式典はテレビやインターネットで中継されました。ご覧になりましたか。



 文集「こうやまき」(1970年・刊)から,「父母が子どもの頃」の一話です。
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   『むかしのあそび』 (文・巴小2年 男子)

 ぼくのおじいさんは,めいじ二十七年生まれです。おじいさんの子どものころには,今とちがって,これというあそびもなかったそうです。
 お正月には,かるたをしてあそんだのが,とてもたのしかったそうです。冬になると,竹うまを作ってもらい,それにのっておいかけっこをしたり,雪の中をあるきまわってあそぶのが,とてもたのしかったそうです。そのほかには,三人がが一組になって人馬を作って,赤白に分かれて,せんそうのまねをしてあそんだそうです。学校では,テニスがはやってきたので,みんなやったそうです。
 おばあさんの子どものころには,わたをしんにして,上に糸をたくさんまいてまりを作ってもらい,まりつきをしてあそんだそうです。まりつきの時には,いろいろおもしろいうたがあって,うたをうたいながら大ぜいでたのしくあそんだそうです。
 また,ぬのきれで小さなふくろをぬって,豆などを入れておじゃみを五・六こ作って,かずをかぞえながら上にあげたり,うけたりしてあそぶのがたのしかったそうです。
 このように,男の子と女の子のあそびはちがっていたので,今のように男の子と女の子が同じようにとびまわってあそばなかったそうです。

********
 子供の遊び道具は,今では“買ってくる”ものがほとんどですが,昔は“作る”のが普通でした。
 この作文を書いた頃は,買ってもらっていますが,まだ作ったものが多かったと思います。木切れ一つで,いろんな遊びができました。
 そこには,子供達の工夫想像力・空想力があふれていました。日本の“ものづくり”の源泉があったように思います。

 こうした体験,経験を,男の子も女の子も原体験として持てる生活が必要だと思います。
 できれば家庭,親子で体験したい。それを学校が補い高めていけるとよいのでしょう。
 みなさんの家庭,学校はいかがですか。



【関連】
  ◇天皇陛下御即位30年記念特集(宮内庁)
  ◇特殊切手 天皇陛下御即位三十年記念(ゆうびん.jp)

天皇皇后0224。

  


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2019年02月23日

地区総会。「郷土の話題」から。

資料0223。 朝は曇っていましたが,天気の良い日になりました。“暖かくなる”かと思いましたが,冷たい風が吹いて“寒く”感じる日でした。


 午後,地区総会でした。
 今年の活動報告があり,次年度の組織づくりをしました。

 “難しい問題”はありませんでしたが,“地域の活力”をどのように保ち育んでいくのかは“大きな課題”です。
 当地に限らない課題ですが,それに対応する“名案”はなかなかないものです。引き続き,皆で“知恵”を出し,“行動”していきたいと思います。

 一年間,ありがとうございました
 来年度,よろしくお願いします



 地区総会の機会に,10年ほど前の古文書教室・郷土史部会の資料にあった地区の話を読み返しました。
 備忘録として掲載。
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翔龍山甘泉寺
 臨済宗永源寺派 本尊は釈迦如来
 創建は,旧村誌に応安3年(1370)9月とあるが,大本山永源寺文書の『山上宗譜図』及び『瑞石歴代雑記』等に応安元年に創建して,彌天永釈大和尚(見性悟心禅師)を開山第一祖とした事が記されている。
 彌天永釈大和尚は,応安元年に岡崎市片寄町の広沢山天恩寺を創建し,続いて甘泉寺を,翌2年に川合のこ陀山禅源寺と手洗所の龍雲山乾徳寺を創建した。
 甘泉寺は,当地の有力者加藤某が彌天永釈の徳を慕い宅地を喜捨して寺となした。
 足利義満将軍から甘泉寺へ朱印高48石と山林境内20余町歩が寄進され,永徳元年(1381)伽藍殿堂が完成した。
 彌天永釈は,正眼寺(長者平)の汝舟元済,慶雲寺(大和田)の高嶽元正,総持院(田原)の月潭元円,養雲寺(不明)の大極元初,良雲寺(見代)の忍山玄甫,宗堅寺(杉平)の一澗明三等を輩出創建し法徳を広め,本山の永源寺二世となったが,応永13年(1404)6月5日79歳の高齢で入寂した。
 その後,天正の兵火で全焼し,同8年小堂を再建。慶長11年(1606)作手藩主 松平忠明により,高8石2斗9升を寄進された。
 文化財
  コウヤマキ…国天然記念物指定
  涅槃図…県指定
  鳥居強右衛門位牌及び宝篋印塔 その他多数

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鴨ヶ谷白鳥神社
 祭神…倭建命 創立不詳 明治5年に村社となる。
 文政12年(1829)12月11日の棟札あり。

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退耕山蔵蜜院跡
 本尊…聖観世音菩薩
 応安7年(1374)9月に,甘泉寺第五世月潭元円により,甘泉寺の塔頭として鴨ヶ谷の北組が創建したが,明治維新に甘泉寺統合して廃寺になったのではないか。

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尺地神
 シャグチ・シャクジと呼ばれる神様で,漢字では社ロ・社宮子・赤ロ・社宮神など色々ある。ロ伝では田の測量をした縄(水縄)が埋められていると言う。検地に使われた物差し(尺)を埋めたところであろう。
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手洗所(ちゃらい)のお寺跡
 手洗所には応安2年(1369)に,甘泉寺第一世彌天永釈大和尚が龍雲山乾徳寺を創建した記録がある。記録によれば開山から第八世明峯和尚まで続いたようである。
 安政年間(1854~1859)に小堂があり,先年紛失した地蔵菩薩を更新したが,甘泉寺へ喜捨し現在も安置されている。

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手洗所のお宮跡
 その昔,日本武尊がご東征の折に,弓木村で柳の木で弓を作り,手洗所村で手を清めたと云われ,村名の基になったと伝わる。今も大山祇命が祭られている。
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「中山」の墓地
 字中山にある墓地で,日清戦争記念碑・風神・御嶽神社・金毘羅宮・秋葉様・大山祇命・八大竜王など多数の石碑や石仏がある。
**********湿原0223。
鴨ヶ谷湿原
 大野原湿原(約50ha)は,昭和40年から農業基盤整備事業により,水田の区画整理が行なわれた。そのため大半が失われ,現在は東端の0.3haのみが鴨ヶ谷湿原として残存する。
 同湿原は,昭和30年代県下唯一自生するヌマクロポスゲ・ミタケスゲ・ツルカミカワスゲと作手特種のツクデマアザミなど貴重種が発見され,一躍注目される湿原になった。その後,農道による分断や水質の悪化により大半は絶滅したかと思われたが,ヌマクロポスゲ・ミタケスゲなど絶滅危惧種が確認された。
 一方,湿原に広がるハンノキの中には,サクラバハンノキ・ケハンノキが混生し,オタルスゲやヤチカワズスゲ等が各所に自生する。当湿原にはノリウツギ・レンゲツツジが多く,カキツバタが自生しミカワバイケイソウが生育する。ヌマガヤの中にはカキラン・サワギキョウ・ツクデマアザミ・ウメバチソウ・サギソウ・ミタケスゲが混生する。説明板付近には,ヨシ・マコモが繁茂し,カキツパタ・レンゲツツジ他が混生する。
 昆虫類では,ヒメタイコウチ・ハッチョウトンボ・ヒメヒカゲ・ヒメシジミ等が生息する。
 注目される植物
  ヌマクロボスゲ…県下で当地が唯一の産地。
  ツルカミカワスゲ…これも県下で当地が唯一の産地。
  ツクデマアザミ…鴨ヶ谷湿原で発見され命名されたマアザミの変種。
  クサレダマ…円錐形の花穂に黄金色の花が蜜着し,開花期には湿原が華やぐ。

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2019年02月22日

『こころきらきら枕草子』(木村耕一・著)

魚0222。 昨夜,スマホの警報音に驚きました。地震速報を伝えるものでした。
 「北海道で震度6弱
 昨年の地震,被害状況が思い出され心配しましたが,前回ほどの状況にはなっていないようです。
 
 でも,寒い,暗い中で,停電や断水が起こったら…
 地震はいつ起こるか分かりません。備えの点検と「もしも」への対応を。



 学生の頃,覚えませんでしたか。
 春は曙。やうやう白くなりゆく山際,すこしあかりて,紫だちたる雲の細くたなびきたる。

 夏は夜。月の頃はさらなり,闇もなほ,螢飛びちがひたる。雨など降るも,をかし。

 秋は夕暮れ。夕日のさして(略)…言ふべきにあらず。

 冬はつとめて。雪の降りたるは(略)…白き灰がちになりて,わろし。
 『枕草子』の冒頭(第一段)です。
 平安時代中期に中宮 定子に仕えた女房 清少納言により執筆されたと伝わる随筆です。
 “世界初の随筆文学”であり,兼好法師の『徒然草』,鴨長明の『方丈記』と並び,日本三大随筆の一つになっています。


 枕草子を素材・題材とした書物はいろいろありますが,先日,「面白かった。これを読んでから,他の“枕草子”の本を読みたくなる。」と薦められた『こころきらきら枕草子 ~笑って恋して清少納言』(1万年堂出版・刊)を読みました。

 表紙を開くと,日の出の写真を背景にして,
春は,あけぼの。
  日の出前が好き。
  真っ暗な空が,だんだん白んできて,
  黒い山と夜空の境が,
  ちょっと明るくなり始めると,
  心がときめくのです。
とあり,夏,秋が続きます。
 その後は,第68段と第136段,第72段と第119段が,それぞれ見開きで写真を背景にあり,写真を背景とした最後は第128段でした。
 そこに,冬は登場しませんでした。


 約300の章段から32段が,著者の“訳”によって描かれています。現代に平安時代が舞い降り,話のなかにすっと入っていけます。
 それぞれの話(段)を楽しめます。
 本書を薦めた方の言うように,他の本を読んでみたくなります。

 そして,改めて“昔の人の凄さ”,“教養の高さ”を感じました。
 第280段を,
 雪が降って,庭に高く積もった朝のことです。
(略)
 すると,定子さまが,突然,
「清少納言よ,香炉峰の雪は,どうであろう」
と,おっしゃったのです。
 はて,私に,何を求めておられるのでしょうか。
と述べています。
 清少納言は,白楽天の詩を思い出しますが…。
「(略)…思いつきませんでした。皇后定子さまは,一流の知性と教養を身につけておられます。そんな定子さまにお仕えする私たちは,もっともっと感覚を磨いていかなければなりませんね」
 “漢詩や和歌をひいて話ができる”という暮らしは,素敵です。愉しい暮らしだと思います。

 そうした平安時代の知性と教養も楽しめます。
 「枕草子」を覚えている人も忘れてしまった人も,本書の描く「枕草子」の世界へいかがですか。



   もくじ

『枕草子』を読む前に 清少納言の人生を,大きく変えた出会いとは
◇意訳で楽しむ枕草子
 1 心きらめく日本の四季。本当の美しさに,気づいていますか?
 (第1段 春は曙)
 4 嫌いなことが多いですよね。こんなこと感じるのは,私だけかな
 (第25段 にくき物)
 7 人間なんて,心変わりすると,全く別人になるんですよ
 (第68段 たとしえなきもの)
 13 冬は,冬らしく。夏は,夏らしく。
 (第113段 冬はいみじゅう寒き)
 16 雨上がりの朝は,菊の花にも,クモの巣にも,新鮮な感動があります
 (第124段 九月ばかり,夜ひと夜)
 23 男と女の間には,遠い距離がありそうで,実は,近い
 (第160段 とおくてちかき物)
 27 月の明るい夜に,川を渡ると,キラキラ輝く水晶が見えるんです
 (第215段 月のいとあかきに)
 30 「あの人が,あなたのことを心配していましたよ」と聞くと,うれしいものです
 (第250段 よろずのことよりも,なさけあるこそ)
 32 「あなたは,いつも,大騒ぎして褒めてくれるね。ホメオスタシス殿などのおわしまさでのち)

  
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2019年02月21日

「戦争中の食物と農民たち」《父母が子どもの頃 8》

福寿草0221。 天気がよく,外に出るのに上着を忘れても大丈夫な気温でした。でも,長くいると寒さがありました。
 「再び寒く…。」と予報は伝えていますが,もう“冬の寒さ”や“降雪”は心配しなくても大丈夫そうです。

 ニュースで「はしか患者の増加」を伝え,予防の呼びかけがされています。田舎で切実感なく過ごしていますが,気づかずに“感染拡大に手を貸す”ことになってはいけません。年齢と記憶では“大丈夫”とは思いますが,念のため抗体検査をしておくとよいかと思います。
 みなさんは,ワクチン接種や抗体検査をされていますか。



 読んだ雑誌,原稿に,気になる文章がありました。
 メモとして
○ポジティブに受け取れる人は,一体何が違うのだろうか?
 ポジティブに考える(受け取る)には,一体何が必要なのだろうか?

○YouTubeで学べる機会が増えた。独学で学ぶ意欲的な人は昔もいたし,今もいるだろう。そして,これからどんどん増えるかもしれない。
 でも,そうでない人が本当にたくさんいる。これからも,いなくはならないだろう。
 YouTubeで頑張れない(学べない)タイプの人が仕事をするには,どうしたらよいのか。

○教科の名前を銘打った学会がある。その多くが,昭和20年代後半に生まれた。
 (※ 日本数学教育学会が大正8年設立。例外的に早いのはなぜ。)

○「あなた」しかできない研究テーマを持つべきです。



 文集「こうやまき」(1970年・刊)から,「父母が子どもの頃」の一話です。
********
   『戦争中の食物と農民たち』 (文・協和小6年 男子)

 今ごろ,毎日のようにテレビや新聞で“米が余っているから,田を減らすよう”に言っている。そして,十アール減らすと四万円くれると言っている。
 ところが,その米が,昔は 作っている農民でさえ食べれない時があったのである。おばあさんの話によれば,戦争中は特にひどく,ずい分苦労したそうです。この頃は今と違って,山やぼたの草を刈り,それを肥料にしていた。だから,米は今の三分の一位しかとれず,それを補うために農民は ひえやあわを作った。あわ,ひえと言えば,今の鳥のえさである。そんな物をご飯に入れたり,おかゆにしたりして食べた。その時分の人たちは腹がヘるから食べるのであって,うまいとか,まずいとかは,考える余裕がなかったそうだ。だから,今でも時々おばあさんは“よく食べたものだ”と言う。
 このように,あわ,ひえ,小米,野山の若草,木の芽などを食べて暮らした戦争中は,今のように自分の家で,いくら米を供出する,と申し込むのでなく”何俵出せ”と命令的にきて,その年にいくらとれなくても,出さなければならなかったそうです。だから,農民でありながら,米が食べれない年もあったのです。また,砂糖や魚などは,“お前の家の人数は 何人だから これだけ”と言って配給した。配給するものが不足してくると,部落の人たちは くじを引いたりして,当たった人だけが持ち帰って食べた。
 そして今は,一生けんめいくふうし,自分に与えられた農業で,お金をもうけようとしても,米はいらないと言う。百姓は,昔からいい時がなく,かわいそうに思う。だから,これから農民になろうとする人たちは,この辺のところをよく考えてからやらないと いけないと思う。

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 文集が発行された頃,日本の稲作は,「減反政策」により作付けが年々減っていく時期でした。
 戦争中の食糧事情を聞き,小学生が,社会の状況へも目を向けて綴っていることに意味・意義を感じる作文です。

 今,学校で子供達が書く文章・作文は…。
  


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2019年02月20日

「父や母の戦争のころ」《父母が子どもの頃 7》

伊賀0220。 暖かい日になりました,



 午前中に書類の作成ができ,午後はAmazonビデオで,おすすめに出てきた『くちびるに歌を』を,全編を観てしまいました。
 登場する,柏木ユリ(新垣結衣),仲村ナズナ(恒松祐里),桑原サトル(下田翔大)の言葉や作文に,心が響きました。
 ゆったりとした一日でした。



 文集「こうやまき」(1970年・刊)から,「父母が子どもの頃」の一話です。
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   『父や母の戦争のころ』 (文・作手中1年 女子)

 今から,二十五年前あのおそろしい戦争が,ありました。私はまだ生まれてなかったから,戦争のおそろしさなんて,ぜんぜん知りはしません。
 でも,おとうさんやおじいさんはよく知っています。私のおとうさんは,運よく戦争にいかずにすんだと,いうことです。戦争なんてだれでもしたくはないのです。
 それでも,地球のどこかでは,戦争をしていると,思うととてもおそろしくなってしまいます。
 おとうさんの話ですが,戦争当時は食物も数すくなく,今のようにぜいたくな食べものが,ほしくてもとても食べられなかったそうです。ですから,今はあまりありませんが,水あめなどをよくかって食べたそうです。
 おとうさんは,よく私たちにいいます。
「今の子どもはぜいたくだ。」
 こんなことをいわれたことを皆一度はあると思います。それに,私のおとうさんは,昔の歌がだいすきです。きっと,戦争当時のことを思い出すのかもしれません。テレビでそのころの歌をやれば必ずみせてあげます。私のおとうさんだけではないと思います。どこの家でもそうだと思います。
 おとうさんやおかあさんは,私たちにはわからない苦労をしていると思います。そして,また今度あのおそろしい戦争がはじまらないようにと,心のどこかで願っているでしよう。
 だから私ははやくおとなになって,おとうさんやおかあさんのような人になりたいと思います。
 私の願いは,私自身でいえばたくさんあります。
 一ばんに私のなりたいものになれること。二ばんめには苦労したおかあさんやおとうさんが,長生きしてもらうこと。それと,戦争やそのほかのおそろしいことが,おきないことです。
 私は,平和ということばがすきです。もっともっと,そのことばがすきになると思います。

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 「平和」を感じることは…。
  


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2019年02月19日

雨水。「戦争中の生活」《父母が子どもの頃 6》

花0219。 今日は,二十四節気の一つ「雨水」です。雪が雨となって,氷も溶けて水となる時季です。
 昔の農家では,冬の作業に代えて,農耕の準備を始める目安となる日です。

 例年は,「雪が雨となって…」にわくわくするのですが,雪の少ない今年は,「このまま春になってしまっていいの?」と心配が先にわきます。
 さて,この先の天候は?



 今日,つくで交流館には,テスト勉強に励む中学生の姿がありました。
 勉強する姿を見ながら,「梅の木学問」と「楠学問」という言葉を思い出しました。
 梅の木は早く生長するが大木にはならないところから,進み方は早いが学問を大成させないで終わる学問。
 そして,楠(クスノキ)は生長するのは遅いが大木になるところから,進歩は遅いが着実に成長し大成する学問。
 子供達が身につけている「学問」は,どちらでしょうか。あるいは,別の形のものでしょうか。



 もう一つ,思い出した話です。
 国会議員をはじめ立場のある方々の「ことば」が,何かと話題になります。
 議員の失言が目立った頃,伊吹文明氏(自民党)が,『避けるべき六つの「T」』(失言しないコツ)を述べていました。
〈1〉 「正しい」と思い込んで不要な発言をする
〈2〉 「立場」をわきまえず,言ってはいけないことを言う
〈3〉 人を見下すような「態度」を取る
〈4〉 話す「タイミング」を間違える
〈5〉 「旅先」で気がゆるむ
〈6〉 笑いを取ろうと「例え話」をする
 いかがですか。



 文集「こうやまき」(1970年・刊)から,「父母が子どもの頃」の一話です。
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   『戦争中の生活』 (文・作手南中1年 男子)

 戦争中に食糧管理法ができて,食糧増産に一生けんめいだったそうです。そして,何もかも配給制度でした。農家も自分が作った米でも思うようにならず供出をたくさん出さねばならぬので,いつも腹をへらしていたそうです。でも,町にいる人よりは,食糧があり,その点多少はよかったようです。
 畑は,桑を作っていましたが,食糧を作るようにいわれ,夏はさつまいも,冬は麦を作りました。そして,ほとんどの物が点数せいで,着る物も思うように買えなかったそうです。そして,山の木も強制的に切らされたそうです。戦後は,兵隊が,復員してきたり,外地からの引きあげ者などで,人口がふえたため戦争中よりもっと食糧がたりなくなったようです。
 家でも,おじたち一家が台湾から引きさげてきたので,毎日かぼちゃ・ふき・いもなどをいれた,ごはんを食べたそうです。配給だけでは,とても生活できないので,ヤミ米を買ったり,もっている衣類・物などと交かんして,「タケノコ生活」をしたということです。

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 最近,いろいろな場面で「食品ロス」が話題になります。話題になる“ブーム”やイベントによって,需要と供給など関係なく生産され陳列されます。
 “食糧”を得るのに,配給制や点数制にされては困りますが,過剰な“供給”は止められそうな気がします。
 止めなくてはいけないのでは…。
  


Posted by ガク爺 at 17:30Comments(0)日記作手