2025年03月11日
14年目の「あの日・あの時」。

「あの時」、2011(平成23)年3月11日 14時46分頃、マグニチュード9.0、最大震度7 の大地震でした。
今年2024(令和6)年1月1日 16時10分頃、マグニチュード7.6、最大震度7 を観測しました。これより前16時6分には最大震度5強 の地震があり、その後も6弱、5強の地震が続く能登半島地震が起こりました。
3月11日あれから14年、東北地方は“つくり直す”ことができているでしょうか。
ふつうに朝がきて、ふつうに一日すごして、ふつうに夜がくると思っていた。
地震と津波であっけなくこわされてしまった日常。
それをもう一度つくり直すのが、生き残ったわたしたちの使命だ。(中学生の言葉より)
東日本大震災から復興(福興・復幸)する東北に、縁をいただいた釜石、吉浜、南三陸などを何度か訪れました。
訪れるたびに街や野山の景色が変わり、そこに復興(福興・復幸)の姿がありました。そこで感じたことを、職場の人や子供達に語っていました。
○ 東北地方は「復興しなくてはならない地」である。被災地の生活を、早急に復旧しなくてはならないのは当然のことです。その上で、誤解を恐れずに記せば、「復旧に続く、復興の価値はどの程度か」を考え、判断、決断を迫られることがある、と話しました。
○ そのために、多くの資源(モノ、カネ、ヒト)が投入されている。
* もし、当地が被災地になったとき、「復興しなくてはならない地」であるだろうか。
* もし被災したとき、当地の「復興した後」は、どのような姿なのだろうか。
今の東北地方は…。
20年目の東北地方は…。
能登半島の今は…。
5年後、10年後の能登半島は…。
あなたの「防災、備え」は、5年後の暮らしに活きて…。
命を守りつなぐ「防災」、その先への「復興プラン・準備」は…。
10年後、あなたの暮らす地は…。
今日何を思い、明日何をする、その次は…。
【これまでの記事・3.11】
◇10年目の「3.11」を前に。(2021/03/09 集団「Emication」)
◇13年目の「あの日・あの時」、そして「今年」。(2024/03/11 集団「Emication」)
◇12年目の「あの日・あの時」。(2023/03/11 集団「Emication」)
◇11年目の「あの時」(2022/03/11 集団「Emication」)
◇10年目。(2021/03/11 集団「Emication」)
◇9年目の「3.11」に。(2020/03/11 集団「Emication」)
◇8年目。(2019/03/11 集団「Emication」)
◇「3.11」。「『東北お遍路』巡礼地めぐり」(2018/03/11 集団「Emication」)
◇『あきらめないことにしたの』(堀米薫・著)(2017/03/11 集団「Emication」)
【関連】
◇J-SHIS 地震ハザードステーション(防災科学技術研究所)
◇ハザードマップポータルサイト(国土交通省)
◇奇跡の集落 吉浜|津波記憶石 【大船渡市三陸町吉浜地区】
◇三浦 寛行(Facebook)
◇情熱カメラマン(@jounetsucameraman)(三浦寛行;Instagram写真と動画)
◇東北を忘れない。(Never forget Tohoku!)(Facebook)
◇気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館(@kesennuma_memorial)(Instagram写真と動画)
◇はまらいんや!気仙沼(@hamarainya_kesennuma)(Instagram写真と動画)
能登半島地震が発生し、被災者そして日本に希望と元気を届けるイラストを金沢市に住む知人が描きSNSで発信していたことを、以前紹介しました。
今日、改めて思いを込め掲載します。

「昇龍」
石川県の形は登っていく龍に例えるられることもあり、県の形をモチーフにして今年の干支の龍のイラストにしました。石川県の模様はよく見ると人々が、心を寄せて助けあって、集まっています。また背景の三角の鱗模様は厄除けの意味があり、石川県を包みました。
滝を登る鯉が、苦しみの流れにめげずに登りきれば、龍になれるという言い伝えがあるそうです。
みんなの心とちからを寄せ合うことで、被災した方々が苦難を乗り越え、滝を登りきり、龍のように天高く登っていくことを願っています。

Posted by ガク爺 at 14:46│Comments(0)
│防災
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。