2024年04月30日

連休? 9-1 “松の木”は知っていた (昭和に生きる)

花0430。 4月最終日。ゴールデンウイーク中の平日ですが、どのようにお過ごしでしたか。
 2019年も10連休となるゴールデンウイークでした。その連休の過ごし方を、大学生に尋ねています。
  ◇10連休,いかがでしたか?(2019/05/08)
 今での大学は、祝日にも授業が入るところも多く、社会人のような連休にはならにようですが、若者には“いつもと違う過ごし方”をして欲しいものです。



 故・渥美利夫氏が還暦の年に著した『昭和に生きる』(1987(昭和62)年刊)からです。
 渥美氏の教育実践、教育論は、“昔の話”ですが、その“”そして“”となるものは、今の教育に活きるものです。これからの教育を創っていくヒントもあると思います。

 この項は、「第四章 ハナノキの下で──教育断想」から構成されています。
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    ハナノキの下で──教育断想

    4 “松の木”は知っていた
      ──東郷東小学校前史
 校長として学校へ赴任すると、わたしは必ずその学校の歴史をていねいに調べることにした。そのおかげで、しばらくすると古いことについて一番くわしくなる──そのことを学区の人たちは見のがさない。それは、やがて学校への信頼として返ってくる。
 ──つぎは、学校文集「かんぼうの子」に連載したものである。
 まるい山や、とがった山が
 いくえにもいくえにも重なり合っている。
 そのわずかな平地をぬうように
 豊川がひとすじ南へと流れている。
 四反田の小川と併行して小高い穂陵が丘が
 その背後には雁峯の山々がそそり立っている。
 谷間、平地に、民家がはいつくばるように
 かたまっている。
 村人たちは、ほんとうに肩をよせあうように
 くらしていた。
 天正の昔、設楽が原に散った武田の武将の祠が
 そして村人の墓が、静かにねむっている。
 祠や墓をみおろすように
 大きな“松の木”が二本たっていた。

      明治六年の産声
 明治の新政府は、維新後の新しい日本を建設するため「富国強兵」のスローガンに、ヨーロッパの文明に「追いつけ追いこせ」を合言葉に力強い足音とともに歩み始めた。これが新しい日本の夜明けをつげる明け6つの鐘の音であった。
 教育政策の一つに、明治5(1872)年大政官布告とともに「学制」が発布された。それをみると新しい日本の教育体制の理想を「必ず邑に不学の戸なく、家に不学の人なからしむことを期す」と声高らかに歌いあげていた。世の中は明らかに、ここで江戸時代から続いていた寺子屋教育に別れを告げて、学校という義務的な教育施設ヘと移りかわり、まがりなりにも近代学校教育の基礎がそこにできあがるのであった。
 この新しい「学制」も実際には、明治6(1873)年に発足することとなる。“おらが学校”東郷東小学校の前身、浅木学校が、この世に産声をあげたのも、日本の多くの学校と同じように、今をさかのぽる百余年前の明治6年のことだった。
 ひなびた寒村、設楽郡浅木村は慈眼寺に、明治6年9月27日新しい学校が開設されたのである。「第二大学区第九番中学区第六番小学浅木学校」というまことに長ったらしい名称であったけれど、そのいかめしさは、当時の村人を驚かすにはそれで十分であった。
 新しい学校は、地形や交通などのことは考えないで、ただ人口割でいくつかの村に一つの学校をおくという、いわば地図上における形式的配置であったから、最初から通学は不可能な村々があったのも当然のことかもしれない。
 そのため、各地にひそかに開校するところができたり、それが出張所になり、さらに分校になったり独立したりしたようである。浅木学校からも清井田学校(7年)が独立し、川路学校(8年、草部学校から分離)も新しくできたのである。さらに教育令も明治12(1879)年、13年と改正があったので、学校の存亡の系譜はまことに複雑そのものであった。
(つづく)
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 注)これまでの記事は〈タグ「昭和に生きる」〉で
 注2)本文内で、縦書き漢数字で書かれている数値を横書きに改めて表記した箇所、年号に西暦を追記したところがあります。  


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2024年04月29日

「昭和の日」に

公衆電話0429。 曇り空の日で、暖かい一日でした。
 今日も、行楽地や街は賑わい、混んでいたようです。
 駅や街でトイレに行くと、そこには“長い列”ができており、それは違う場所でも同じでした。お子さんを連れた方や体調の悪い方は、先が見えない状況を苦悩しているようでした。

 こうした混んでいる状況、場所にいるとき、「もし、今、大地震が起きたら…」と思いました。
 人の多さ、場所の狭さ、そして避難は…。
 発災したときの行動を想像しますが、「どうする…」ばかりで…。
 今日のあなたは、“もしも…”のときを想像しましたか。



 今日(4月29日)は、国民の祝日の一つ「昭和の日」です。
 国民の祝日に関する法律で、「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」日とされています。
 昭和時代は祝日「天皇誕生日」、その後、1989年から「みどりの日」、そして2007年から「昭和の日」で、「みどりの日」は5月4日に移りました。

 「昭和レトロ」が話題になり、そうした場所に若い世代が訪れたり、SNSで紹介(?)したりしています。
 昭和のダメおやじが令和にタイムスリップするコメディ番組『不適切にもほどがある!』(TBSテレビ)も話題になりました。昭和の学校、社会のようすに、令和との違いに驚いたようです。

 あなたにとっての「昭和」は、どんなこと(もの)でしょうか。



【関連】
  ◇【激動の時代を振り返る】「昭和の日」特集(NHKアーカイブス)
  ◇「昭和の日」に振り返る 昭和天皇が送った激動の生涯【画像100枚】(2016/04/28 ハフィントンポスト)
  ◇特定非営利活動法人 昭和の日ネットワーク | 4月29日は昭和の日です。

  ◇昭和あの日のニュース(YouTube)
    BS11と毎日映画社がお届けする「昭和あの日のニュース」より



【おまけ;子供の素朴な疑問】(2016/04/29掲載)
 三歳の娘に「浦島太郎」の絵本を見せると、「どうして龍宮城の絵が描いてあるの? 絵にも描けない美しさと歌っているのに。」と言って、私を困らせた。  


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2024年04月28日

『おしごとそうだんセンター』(ヨシタケシンスケ・著)

鯉のぼり0428。 天気のよい日で、気温が上がり、暑い日になりました。
 観光地や街は、多くの人出で賑わっていたようです。



 書架に並ぶ本の表紙に、四本足の家(?)から手を振る女性、階段の下には宇宙人(?)がおり、その家には『おしごとそうだんセンター』(集英社・刊)の看板がかかっています。
 表紙を開くと、メモを手にして「おしごとそうだんセンター」の案内を見る宇宙人がいます。次のページ、センターに向け街の中を歩き、3コマ目で表紙絵の場所です。
 次のページは、センターの受付で…。
 地球に不時着した宇宙人がやってきたのは、ちょっと風変わりな職業相談所
 宇宙人は相談所のスタッフと一緒に、この星で生きていくこと、働くことの意味について考えはじめる。
 「しごと」ってなんだろう?
 はたらくってどういうこと?
 自分に向いている仕事ってどうやって見つける?
 やりたい仕事をするためにはどうすればいい?…
 仕事を探す宇宙人と、係のお姉さんが考える「そもそもおしごとって…」のお話。

 誰もが避けて通れない「仕事」の意味を問い直し、明日をちょっと明るくする、すべての子どもと大人のためのヨシタケシンスケ版“ハローワーク”ストーリー!
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 本書は、文芸誌『小説すばる』(集英社)に連載されたものに、描きおろしを加えたものだそうです。
 最初に、見開きに縦3段で「おしごとって、何?」が語られます。他に「どうやってえらべばいいの?」や「なりたいおしごとになれなかったら?」など、7つのお話(物語? 解説?)があり、その間に、44種(個?)の「めずらしいおしごと」が図鑑の形で載っています。


 昭和レトロ(?)のタコのような姿の宇宙人が、「おしごとそうだんセンター」を訪れます。
 あの、ボク、こないだ宇宙船がおっこちちゃって、頭をぶつけて、どこの星から来たのかもおもいだせないですよね。
 たすけてくれた地球の人もこまっちゃって、ずっとボクをおいておくわけにもいかないからて、とりあえず地球でしごとをみつけて生活してみなさいって。
 続けて尋ねます。「あの「しごと」って、なんですか?」 初めて地球を訪れた宇宙人の質問に、受付の人は…。
 話を聞いた宇宙人は、
 んー。この星のことをよく知らないけど、なんか、せっかくだからちょっとめずらしいしごとをしてみたいかなー。
と思い、受付の人に「どんなのがありますか?」と尋ねると、
 ハイ! じゃあ第1問! これはどんなおしごとでしょうか?!
と、クイズ形式でカードを宇宙人に見せます。

 「めずらしいおしごと 001」のカードには、リモコンの付いた装置に4本の果樹、そしてアームに吊り下げられた子供…。
 ここには、文章による説明はありません。
 (ページをめくり)カード裏面には、「OSHIGOTO NAME」と簡単な業務紹介と一コマの絵(コメント)が…。

 宇宙人に珍しい仕事を紹介しつつ、「仕事とは?」「なぜ働くのか?」などを教えています。


 とても楽しいお仕事ばかりです。
 子供向けの絵本ですが、大人の人も楽しめます。そして、今の仕事、働くことに悩んでいる方にも、ぜひ読んでみて欲しい絵本です。

   もくじ

おしごとって、何?
・めずらしいおしごと 001~007
どうやってえらべばいいの?
・めずらしいおしごと 008~014
なりたいおしごとになれなかったら?
・めずらしいおしごと 015~022
向いているおしごと? たのしいおしごと?
・めずらしいおしごと 023~030
もうないおしごと まだないおしごと
・めずらしいおしごと 031~037
おしごとしてないときもある
・めずらしいおしごと 038~044
じゃあ、どうしよう

【関連】
  ◇ヨシタケシンスケ公式web
  ◇『おしごとそうだんセンター』特設サイト(集英社)
  ◇『おしごとそうだんセンター』刊行記念インタビュー ヨシタケシンスケ「箸休めがたっぷりあるからこそ、 仕事にまつわる真面目なことが言えるんです」(集英社 文芸ステーション)


【関連;これまで紹介した本・絵本から】
  ◇『一年一組 せんせいあのね こどものつぶやきセレクション』(鹿島和夫・選/ヨシタケシンスケ・絵)(2024/03/10 集団「Emication」)
  ◇『日々臆測』(ヨシタケシンスケ・著)(2023/04/19 集団「Emication」)
  ◇『みらいめがね』(荻上チキ・ヨシタケシンスケ・著)(2022/11/19 集団「Emication」)
  ◇『かみはこんなに くちゃくちゃだけど』(ヨシタケシンスケ・著)(2022/09/04 集団「Emication」)
  ◇『その本は』(ヨシタケシンスケ・著/又吉直樹・著)(2022/09/02 集団「Emication」)
  *検索 「ヨシタケシンスケ」 集団「Emication」  
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2024年04月27日

『教養としての発酵』(村井裕一郎・著)

しらす丼0427。 サプリメント摂取による健康被害の拡大で、“紅麹”の文字や名を見聞きすることが続いています。
 「」は難しい文字ですが、馴染みのある文字になった方も多いでしょう。そのため、よく知らずに「麹=よくないもの」という印象をもってしまっていないでしょうか。

 麹をはじめ発酵について種麹屋29代当主が著した『教養としての発酵』(あさ出版・刊)を読みました。 X で著者が麹について、
(3/24) 今、報道に出ている『紅麹』は、『麹』と名前がついているだけで、酒、味噌、醤油、焼酎、甘酒、酢、味醂、など、幅広く日本の発酵食品に使われる『麹菌』とは、全く異なる菌です。
 一般的な麹菌はAspergillus属、今回話題になっている紅麹はMonascus属となり、全く異なります。
 いわゆる国菌としての麹菌は日本醸造学会により定義されています。また、麹菌はカビ毒を生産しないことが遺伝子レベルで確認されています。
 今回の件が麹菌の風評被害につながらないことを切に願います。
と発信していました。
 麹や発酵食品への間違った風評が出たり、嫌われたりすることのないように願っています。

 本書は、発酵という仕組みを、いろいろな角度から学ぶことができます。
 2013年に「和食」がユネスコ世界無形文化遺産に登録されました。
 和食に使われる、醤油、みりん、酒、味噌、酢など、その多くが発酵食品です。
 今や発酵は世界で注目を集めており、日本を代表する技術であり文化である発酵の知識は、ビジネスパーソンが身につけるべき教養の一つと言えるでしょう。
 発酵とはそもそも何なのか、なぜ発酵が今世界で注目されているのか、発酵の歴史や種類、知っていると一目おかれる知識などを、室町時代から600年続く種麹メーカーの29代当主が、わかりやすく伝えます。

 カバーの袖に
近年、発酵ビジネスは急成長を遂げており、世界でおどろくほど大きな注目を集めています。
日本を代表する技術であり文化である発酵の知識は、今やビジネスパーソンが身につけるべき教養の一つと言えます。
あり、続けてカラーページで「日本の発酵食品(Fermentaed foods of Japan)」と「世界の発酵食品(Fermentaed foods of the world)」が、それぞれ日本地図、世界地図に示してあります。
 “発酵”をよく分からないまま本書を開いた人も、この日本地図に載る“食品名”を見て、それぞれのイメージをもって本文へ入っていけるでしょう。

 最初に発酵を次のように定義しています。
 発酵とは狭くも広くも様々な定義がありますが、本書ではまず、
微生物の活動によって物質が変化すること
と定義します。
 発酵には微生物が欠かせないようです。
 人間は微生物たちの力を借りて初めて発酵食品をつくることができます。
 味噌の材料は、米、豆、麦などの穀物と、水と塩ですが、私たちにはこの材料を混ぜることはできても、これらを味噌に変化させることはでいません。味噌をつくっていくれるのは微生物たちです。

 微生物の力を借り“人に役立つ変化”をさせていく技術、歴史、文化の視点から解説しています。
 もしも“人に役立たない変化、害になる変化”をしたら…。
 見方でも変わってくる発酵が…。

 ビジネスパーソンでも、そうでなくても、発酵について深く知ることができる一冊です。
 発酵食品を、楽しく美味しく食べましょう。


   目次

はじめに
第1章 なぜ今、ビジネスパーソンが発酵を知るべきなのか
第2章 発酵の基礎知識
第3章 発酵の歴史と日本の発酵食品
第4章 世界と日本の発酵
第5章 ビジネスパーソンが知っておきたい日本の発酵業界について
第6章 発酵を生活に取り入れる
おわりに
参考資料
付録 麹のつくり方

【関連】
  ◇村井裕一郎/種麹屋29代当主(創業600年) (@ymurai)( X )




  
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2024年04月26日

4-9 子供の遊びと植物(5) (作手村誌57)

宮島0426。 『作手村誌』(1982・昭和57年発行)から「第一編 第三章 自然と人間のかかわり - 第一節 子供の遊びにみる自然物」の紹介です。
 標高500mの高原、素朴な風土で、そこで培われた文化そして子供達の遊びは、自然とともにありました。
 そのような子供の遊びから“ふるさとの自然”の記録です。
 今に残るものもありますが、社会活動などの変化により、失われたものも少なくありません。“”と比べ、調べながら読み、“これから”を考える参考にしたいと思います。
 そして、これらの遊びを知る大人には、今の子供達に楽しさを伝えていただきたいものです。
********
    第三章 自然と人間のかかわり
     第一節 子供の遊びにみる自然物

  *子供の遊びと植物
(つづき)
〔カラスノエンドウ〕 田んぼのあぜ道や土手などの陽当たりのよい場所に、小さな紅色の花をつけ、他の植物にからみついている蔓性の草で、えんどう豆とよく似た小さな豆をつける。
カラスノエンドウ0426。 ●笛〈豆ザヤ〉=さやの腹のほうを爪で裂き、中のマメを全て取り除き、萼の方を切りとり先の方から吹くと「シビビービー」と面白い音がする。

〔カンゾウ(カブレノハナ・《オ》ダイリグサ・オデイリグサ)〕=初夏になると、赤黄色でニッコウキスゲにも似た花をつけるこの草は、根元の部分を笛にして遊ぶことができ、また若芽は味噌和えなどにして食べると美味しい。(オ)ダイリグサとかオデイリグサと呼ばれているのは、女の子が人形遊びをすることから付けられたものである。また、カブレノハナと呼ばれているのは、梅雨時は草刈の時期であり、草刈の後はよくかぶれる(梅雨かぶれ)。原因を究明してみると、ちょうどこのカンゾウの花が咲いていたことに気付き、かぶれの犯人にされてしまったわけである。カンゾウにとっては非常に迷惑な話である。
 ●人形〈葉〉=カンゾウは生える時から、着物を着込んだように葉を交互に出して伸びてくる。十二単同様、一枚一枚を重ねて作り、坐らせるためには下の葉を切りそろえる。
 ●笛〈葉〉=葉の先をちぎり、折り重なっている方を口にくわえて、息を強く吸うと「ピイヨピイヨ」と高い音がする。他にこの吹き方でショウブでも鳴らすことができる。
カンゾウ0426。

〔イタドリ(イタンドリ・イタンバ)〕雄株・雌株があり若い茎はやわらかく食べられる。
 ●笛〈茎〉=茎をななめに切り、切れ目を入れササの葉をさし、切り口にそってササの葉を切って作る。
 ●その他=ままごと遊びの道具として、ひしゃく・おけ・コップ等が作られた。
(つづく)
********
 注)これまでの記事は〈タグ「作手村誌57」〉
 注2)本誌の本文内で、縦書き漢数字で書かれている数値は、本稿では横書きに改めて表記している。  
タグ :作手村誌57


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2024年04月25日

消滅可能性自治体…。 4-8 子供の遊びと植物(4) (作手村誌57)

桐0425。 10年前、日本創成会議が、896自治体を“消滅可能性と位置付けた”発表を行いました。
 今回、それより少ない744自治体ですが…。
 民間組織「人口戦略会議」は24日、全体の4割に当たる744自治体で人口減少が深刻化し、将来消滅する可能性があるとの推計を発表した。
 今回、1729自治体・地域を大きく4分類し、前回とは異なっています。
 今後、人口減少は進んでいくと思われます。それに抗っていくのか、それに合わせていくのか、どのような政策が示され、社会が動いていくのでしょう。
 いずれにしても、一人一人の行動・変化にかかっています。
 あなたは…



 『作手村誌』(1982・昭和57年発行)から「第一編 第三章 自然と人間のかかわり - 第一節 子供の遊びにみる自然物」の紹介です。
 標高500mの高原、素朴な風土で、そこで培われた文化そして子供達の遊びは、自然とともにありました。
 そのような子供の遊びから“ふるさとの自然”の記録です。
 今に残るものもありますが、社会活動などの変化により、失われたものも少なくありません。“”と比べ、調べながら読み、“これから”を考える参考にしたいと思います。
 そして、これらの遊びを知る大人には、今の子供達に楽しさを伝えていただきたいものです。
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    第三章 自然と人間のかかわり
     第一節 子供の遊びにみる自然物

  *子供の遊びと植物
(つづき)
〔フキ〕(フウキ)、春先に根茎から多数の包葉に包まれた花茎を出す。うす黄色は雄花で、白色は雌花である。これをフキノトウ(フキノハナボウズ・フキコゾウ)と呼び、遊びに使われたのは茎が多い。
 ●お面〈葉〉=目になる部分を手でちぎり、穴を開けて裏を向けてかぶる。強烈なフキの香りが鼻をつく。
 ●ちょうちん〈葉・茎〉=茎を一つに皮を残して、中ごろまで折り分けてつくる。
 ●その他=ひしゃく・コップなどがある。また、野山で大便をした時に紙代わりとしても使われた。

シロツメグサ0425。〔シロツメグサ〕(レンゲ・レンゲソウ・クローバー)=ヨーロッパから入って野生化したもので、この植物ほど子供達に親しまれた植物は他にないだろう。持ちきれないほどに花を摘み、花輪を作る子供達は幸せそのものである。
 ●占い(四つ葉のクローバー〈葉〉=シロツメグサの葉は普通3枚であるが、4枚のものを四つ葉のクローバーと呼び、これを持っていると幸せが訪れるという。
 ●冠・首飾〈花〉=3、4本を芯にして、一本づつずらしながら長く編んでいく。
 ●なわ飛び〈花〉=冠・首飾と同様に編み、4、5m位の長さにしてなわ飛びをする。
スズメノテッポウ0425。
〔スズメノテッポウ(ヒューヒューグサ・ヒョウヒョウグサ・ピィーピィーグサ)〕
=水田や湿地の至る所に群生し、春の耕期には手伝いの子供達が口にくわえて吹く。音色は「ピイー」ともの悲しい感じがする。
 ●笛〈葉〉=花(穂)をぬき取った葉柄をロにくわえて吹く。

〔サウラ〕 春の花の代表といえばさくらである。子供達は枝を析ったりはせず、舞い落ちる花びらを拾い集めたものを遊びに使った。
 ●花輪〈花びら〉=舞い落ちた花びらを一つ一つ丁寧に針と糸で通していく。
 ●やに遊び〈ヤニ〉=桜の木の幹には無臭で透き通ったヤニがある。このヤニには適当な粘りがあり、指の腹でつけたり離したりしていると真白い糸を引くようになってくる。途中で乾いて来ると時々舐めて湿しながら、一方の手の指にからめて行くと次第に指が真白になってくる。それを外すと、ちょうど美しい真綿のようなものができる。だれのが真白で上等であるかなどと比べ合ったりして遊ぶ。また木の葉などにもからめたりした。
 ●笛〈花びら〉=花びらを両手で持ち軽く吹く、あまり強く吹くと破れてしまう。
(つづく)
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 注)これまでの記事は〈タグ「作手村誌57」〉
 注2)本誌の本文内で、縦書き漢数字で書かれている数値は、本稿では横書きに改めて表記している。  
タグ :作手村誌57


Posted by ガク爺 at 17:00Comments(0)日記作手

2024年04月24日

夜の高速で…。 8-10 教師への“原点” (昭和に生きる)

花0424。 昨夜、高速道路を使って移動しました。久しぶりに夜間の走行で、「あれっ…」「凄い…」と、以前との違い(変化?)を感じることがありました。
 一つは、走行する大型トラックに点くライトのようすです。前方を走るトラックを見て、日中には気づかなかったライトがありました。ほとんどの大型トラックに点くライトですが、点いてない(付いてない?)トラックもあります。
 日中に気づく「Gマークのある、なし」とは関係ないようです。
 この違いは…。

 もう一つは、サービスエリアやパーキングエリアへの進入路で見かけたことです。日中、進入路や本線合流路に立つ“注意看板”を見て、「そんなことしないでしょ」と思っていましたが、その意味が分かりました。
 夜間に何度も走ったわけではありませんが、かつては注意看板もなかったし、この光景も見なかったと思います。
 走行した間のすべてのSA、PAが同じ状況でした。いつからなのでしょう。

 この二つも、「物流の2024年問題」の影響あるいは関係があるのかも…。



 故・渥美利夫氏が還暦の年に著した『昭和に生きる』(1987(昭和62)年刊)からです。
 渥美氏の教育実践、教育論は、“昔の話”ですが、その“”そして“”となるものは、今の教育に活きるものです。これからの教育を創っていくヒントもあると思います。

 この項は、「第四章 ハナノキの下で──教育断想」から構成されています。
 この「少年の日のため息」は、渥美氏の生き方に影響を与えた少年時代のできごとを綴っています。
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    ハナノキの下で──教育断想

    3 少年の日のため息
      ──CK「ブッポウソウ」放送をめぐって
(つづき)
      教師への“原点”
 昭和12(1937)年の初夏、「ブッポーソー」の鳴き声が村を訪れるころだから門谷小学校の子どもたちが、「仏法僧」の授業をしていたころ、鳥博士の黒田博士から鳳来寺村加藤村長のところへ返事が届けられていた。それによると、全体としては訴えをすべて斥けるというものであった。
※昭和12年7月7日、蘆溝橋での一発の銃声から日華事変が始った。政府・軍部は「事変不拡大」の方針を表明したが、戦況はそのタテマエとは正反対に進み、華北一帯から上海にも飛び火して、日本は大陸全土に兵を進めた。
 「自分もコノハズクを飼育して、その声を聞いた」「日本において名のわからない鳥が住んでいるとは思われない」「鳥の命名は、なき声のような無形のものを基準にしない」などと指摘し、国定教科書の件については「文部当局の仕事で、自分たちの関与したところではない」という回答であった。
 加藤村長の主張は、無残にも受け入れてもらえなかったが、誠実に書かれた黒田博士返書には、さすがの文人加藤淳もグウの音もでなかった。それでもといらごつのであったけれど、世の中の流れは、戦時色一色にぬりつぶされて、もうブッポーソーか、コノハズクかという論争の時代ではなくなっていった。
 
 「仏法僧」の教え方に疑問をもった竜介少年は、それがきっかけで、学校の先生を職業に選んだ。後になって考えてみれば、「仏法僧」の授業に失望して疑問をもったことがよかったのかもしれない。この疑問をもったということが、教師としての“原点”となったのである。
 竜介少年は、「仏法僧」が村に波紋を投げてからちょうど10年後の昭和22(1947)年、新しい教師を夢みて教壇に立つ身となった。“生活と遊離しないで、子どもが中心となり、そこから生まれる疑問をだいじにしたい”を信念として教えの道を歩むことになる。
 5年生だったときの残念だった思い出が脳裏に焼きついて離れないままに──。
(つづく)
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 注)これまでの記事は〈タグ「昭和に生きる」〉で
 注2)本文内で、縦書き漢数字で書かれている数値を横書きに改めて表記した箇所、年号に西暦を追記したところがあります。  


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2024年04月23日

8-9 避けて通った授業 (昭和に生きる)

花0423。 今日は「子ども読書の日」です。
 子どもの読書活動についての関心と理解を深め、積極的に読書活動を行う意欲を高めるために、「子どもの読書活動の推進に関する法律」により定められました。
 保護者のみなさん、どんな本が好きですか。お子さんと、どんな本を読んでいますか。



 故・渥美利夫氏が還暦の年に著した『昭和に生きる』(1987(昭和62)年刊)からです。
 渥美氏の教育実践、教育論は、“昔の話”ですが、その“”そして“”となるものは、今の教育に活きるものです。これからの教育を創っていくヒントもあると思います。

 この項は、「第四章 ハナノキの下で──教育断想」から構成されています。
 この「少年の日のため息」は、渥美氏の生き方に影響を与えた少年時代のできごとを綴っています。
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    ハナノキの下で──教育断想

    3 少年の日のため息
      ──CK「ブッポウソウ」放送をめぐって
(つづき)
      避けて通った授業
 5年国語の教科書にあって「仏法僧」の項目は、28単元中13番目である。それは、ちょうど門谷に鳴き声が下りてくる季節に勉強をすることができる。お国じまんではないけれど、授業でどう先生が教えてくれるのか楽しみだった。先生は鳳来寺村ということを、門谷ということを話してくれるのだろうかと想像すると、竜介少年の胸は期待でふくらんで
くるのだった。
 期待して迎えた「仏法僧」の授業に、竜介少年はすっかり失望してしまった。子どもたちの望んでいた「それは鳳来寺山の仏法僧のことです」ということにふれた説明がないばかりか、それには故意に避けて通るという感じであったからである。
 先生は、必要以上に詳しく教えれば、村びとの反発を招く心配があって、「臭い物にはふたをせよ」の訓えにしたがったのであろうか。教えてくださった先生は、まったく板ばさみの苦しい状態であったのかもしれないと思う。子どもたちに教えるべき教科書には、声の主は「コノハズク」と、はっきり書いてある。ところが村びとの感情は、コノハズクに強い反感をもっている。だからうかつに教えられなかったということだったのかもしれない。いま、教えてくださった先生は、すでに亡くなっていて聞くよしもない。
 かわって昭和12年当時、隣の学年の先生だった菅野静雄は、次のように説明をする。
「「問題の国語教科書が届いて校長先生も担任の先生もたいへん困られて相談をなされたようである。門谷の村人は、鳴く鳥が不細工なあのコノハズクとされて残念がっていたし、なにも知らない学者のごときものがなにをいうのか、という反感の気持ちが強かった」
と、村民感情を説明し、さらに授業のあり方について
「ブッポーソーと鳴くのは、コノハズクではないと、子どもたちに教え、作文も、そのように書かせていた」
と、証言し、さらに語をついで、
「今、ふりかえってみると、教科書の方が正しかったけど、当時の村は、コノハズクを認めない空気が支配的であった」
と、回想される。
 竜介少年と菅野先生の証言とは、根本的にくいちがっている。
 もし、菅野先生の記億にまちがいがなければ、一山村の小さな学校が今よりはるかに権威をもった文部省に“反逆”した教育をしていたこととなる。どちらにしても、国定教科書の「仏法僧」が、仏法僧の里の騒ぎに油をそそいだことだけはたしかなことであった。
(つづく)
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 注)これまでの記事は〈タグ「昭和に生きる」〉で
 注2)本文内で、縦書き漢数字で書かれている数値を横書きに改めて表記した箇所、年号に西暦を追記したところがあります。  


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2024年04月22日

8-8 加藤村長の対応 (昭和に生きる)

花0422。 故・渥美利夫氏が還暦の年に著した『昭和に生きる』(1987(昭和62)年刊)からです。
 渥美氏の教育実践、教育論は、“昔の話”ですが、その“”そして“”となるものは、今の教育に活きるものです。これからの教育を創っていくヒントもあると思います。

 この項は、「第四章 ハナノキの下で──教育断想」から構成されています。
 この「少年の日のため息」は、渥美氏の生き方に影響を与えた少年時代のできごとを綴っています。
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    ハナノキの下で──教育断想

    3 少年の日のため息
      ──CK「ブッポウソウ」放送をめぐって
(つづき)
      加藤村長の対応
 騒ぎがおこった昭和十年代のはじめ、山々に囲まれたひなびた寒村であった鳳来寺村は青年村長・加藤淳の指揮のもと、新農村建設の槌音が高らかに響いていた。この仏法僧問題が、青年村長であり、文人村長でもあった加藤淳の前に大きく立ちはだかっただけに、加藤は人知れず苦しみ、悩みぬいたのであった。
 加藤淳は、コノハズクではないと信じていた。あの小さなコノハズクがあんな大きな声で鳴くはずがない。ラジオ放送のおかげで観光地として有名になったのはよいが、鳴く鳥がコノハズクと断定され、教科書に載ったのを見ては怒り心頭に発した。村人たちは“声の主は、ブッポウソウ”と信じていただけに教科書から受けた衝動を、村長としてどう和わらげるのか、真剣に対策を考えなければならなかった。
 そこで加藤村長は起死回生の二つの手を打った。そこには文人加藤の面目躍如たる妙案が練られていた。一つは鳥類学会への直訴であり、二つには学校教育への対応であった。
直訴
 学会長黒田博士ヘ鳳来寺村全村民の意見として、長文の手紙を書いた。
 昭和12(1937)年の春までに発表された“仏法僧”にかかわる論文や雑誌の記事をすべて集めて、徹底的に研究分析を試みたのである。そのなかから
・ブッポーソーと鳴くは、コノハズクより大きな鳥ではないか。
・教科書には、「夜鳴く」とあるが、鳳来寺山では昼間も鳴く。
と、いくつかの疑問点をはっきりさせながら問題点を浮かびあがらせる作業を続けたのである。
 この問題点に、さらに鳥類学者が来村してよく調査をすることや、ブッポーソーと鳴く鳥こそ、仏法僧と命名すべきではないかと建設的意見を書き加え、最後に日本で一番よく鳴く鳳来寺山が、教科書から除かれているのでは承服できないとしたため、大人も子どもも含めて村びとの心情をことこまかと書類にして鳥類学者たちに直訴したのである。
 昭和12年4月のある日、鳳来寺村役場の薄暗い狭い村長室に、村内の校長先生が加藤淳村長をはさんで鳩首会議を行なっていた。
※門谷小の岩瀬義三、鳳来小の山本隆次郎、布里小の宮本沢次郎、愛郷小の横井一雄の先生であった。
 新しい教科書の「仏法僧」を、子どもたちに“どうように教えたらよいか”の相談であった。加藤村長の一番頭を悩ませていた子どもについての対策を講じてもらうために集まってもらっていたのであった。
 どのような相談がなされたのか、どのような方針が出されたのか、当時の校長たちは、すでにこの世を去り、学校が当面した苦脳のなかみはうかがい知ることはできない。半世紀の歳月の流れの壁は厚くどうすることもできない。
(つづく)
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 注)これまでの記事は〈タグ「昭和に生きる」〉で
 注2)本文内で、縦書き漢数字で書かれている数値を横書きに改めて表記した箇所、年号に西暦を追記したところがあります。  


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2024年04月21日

記念硬貨。 『山の上の家事学校』(近藤史恵・著)

記念硬貨0421。 雨になる予報でしたが、曇りで日が射さして、“ちょっと得した気”のした一日でした。


 資源回収に合わせて片づけをしていて、いろいろな記念硬貨が“ざっくざっく”と出てきました。
 記念硬貨は、1964(昭和39)年の東京オリンピック記念で発行された千円と百円の銀貨幣が最初で、その後、イベント記念で発行されてきました。
 「プレミアが付いて…」と期待しますが、記念硬貨の多くは流通量が多く、額面通りのようです。
 法律で、記念硬貨も“通常の貨幣と同じように使用できる”ことになっていますが、買い物に使ったら、受け取った人が戸惑うでしょうね。
  ◇財務省「過去に発行された記念貨幣は、現在でもお金として使えますか」
 さて、これらの記念硬貨、どうしようか…。



 帯の「家事ができる人もできない人も、すべての人に読んでほしい。……あなたの人生を奪われる前に。」に誘われて読んだ『山の上の家事学校』(中央公論新社・刊)です。
 離婚して一年。荒んだ生活を送っていた幸彦は、ある「学校」を紹介される。そこには様々な事情を抱える生徒たちが通っていた――。
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山の上の家事学校 (単行本) [ 近藤史恵 ]
価格:1,760円(税込、送料無料) (2024/3/28時点)


 ドアを開けた瞬間、少しかびくさいような臭いがした。
と、主人公 仲上幸彦 が自分の部屋に戻ったところから物語は始まります。
 この臭いは、「つまり二週間分のプラゴミが、臭いはじめているのだろう」と思われ、“ゴミ屋敷”となり始めた部屋のものです。
 仕方ないじゃないか、と。自分に言い訳をする。朝は起きてすぐ出かけていく。新聞記者という仕事柄、休日出勤も多い。布団を干す暇などない。
 こうなった部屋に住むことになったのは、「離婚したから…?」なのか…。
 結婚していたとき、“家事”をしていたのは…。
 妻からファイルを差し出された、そこには離婚届レポートがあり、レポートに書かれていたことは…。

 幸彦は、家事を教える学校「山之上家事学校」に通うことにします。
…校長は話を続ける。
「家事とは、やらなければ生活の質が下がったり、健康状態や社会生活に少しずつ問題が出たりするのに、賃金が発生しない仕事、すべてのことを言います。多くが自分自身や、家族が快適で健康に生きるための手助けをすることで、しかし、賃金の発生する労働と比べて、軽視されやすい傾向があります。」
 家事学校で学ぶこと、実習で料理を作ること、出会う人…、その一つ一つが、これまでの“取り返せない言動”に気づかせます。
 それを繰り返すうちに、幸彦の“暮らし”が少しずつ変わって…。


 “旧い人間”には、チクチクする話が続くが、「その時は気づかなかった。確かにその通り。」という事ばかりです。

 暮らしのなかに“家事”のあるすべてのみなさんにお薦めする一冊です。


   目次

第一章 悔恨
第二章 家事ってなんだ?
第三章 猿渡の抵抗
第四章 鈴菜のSOS
第五章 それぞれの事情
第六章 家事と愛
第七章 聞くレッスン
第八章 ほころびを直す
第九章 失望
第十章 新しくはじめられる場所

【関連】
  ◇近藤史恵 (@kondofumie)( X )
  ◇つながる文芸Webサイト「BOC」ボック  
タグ :読書


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