2021年06月06日

清掃作業。2.(1-3) 作手のあけぼの (わたしたちの村)

作業0606。 朝,雨が降っていましたが,強く降ることなく過ぎました。午後には晴れました。心配した雨の影響はありませんでした。

 午前中,城山の会の皆さんで,忠魂碑や軍務で亡くなられた方々の石柱が建てられている創造の森 城山公園の清掃・草刈りをしました。
 昨年は,新型コロナウイルス感染症の影響で中止しましたが,今年は,感染予防に努めるとともに,無理せず参加できる方々で作業を行いました。
 手際よく作業をしていただき,短時間で綺麗になりました。
 ありがとうございました



 郷土読本『わたしたちの村 つくで』(1995・平成7年 改定発行)の「二、作手のうつりかわり」からです。
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    (一) 作手のあけぼの

   4 小さな国から大きな国へ (古墳時代)
白鳥神社0605。 弥生時代にできた小さな村は,しだいに合わさって大きな村になり,支配する人の力も大きくなりました。そして,日本中に,たくさんの小さな国ができました。それは今から1900年くらい前のことです。それから300年から400年の間に,それらの小さな国々は統一されていき,大和(奈良県)を中心とする日本の国のもと「大和朝廷」ができました。
 大和朝廷が日本を統一していったころ,日本武尊という人が各地に出かけていって,多くの地方をしたがえたという話が,古い本(古事記・日本書紀)に書かれています。その日本武尊をまつる神社(白鳥神社)が作手には,大和田,荒原,南中河内,清岳,明和,田原,黒瀬,守義,木和田,鴨ヶ谷,相手などに11もあります。このことは,作手が大和朝廷ど関係があったことのあらわれではないかと言われています。
 大和朝廷は,大王(のちの天皇)が中心となって日本の国を治めました。大王にしたがえられた小さな国々の支配者たちは,それぞれの地方の豪族となりました。大王や豪族が死ぬと,土を高くもり上げた墓をつくりました。このような墓を古墳と言い,この時代を古墳時代と言います。
古墳0606。 古墳は全国に一万基もあり,図のように,200メートルをこえる大きなものもつくられました。内部には,死んだ人といっしょに,鏡や刀剣,王などがうめられました。また,ねん土で作られた埴輪などもうめられていて,そのころの生活や文化のようすを知ることができます。
 古墳時代は,今から1700年くらい前から始まり,400年から500年くらい続きました。やがて,仏教の広まりや朝廷の命令により,あまりつくられなくなりました。
 作手にも「古墳ではないか」と言われているものがありますが,まだはっきりしていません。ほかの地方のような古墳は見られませんが,その時代に使われていた土器(土師器や須恵器)は,村のあちらこちらで見つかっていますから,そのころも作手に人が往んでいたことはたしかです。
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 注)これまでの記事は〈タグ「わたしたちの村」〉で
 注2)郷土副読本は,小学3,4年生に向けて「ふりがな・るび」がたくさん付いていますが,掲載にあたっては省いています。
 注3)多くの写真や図版が載っていますが,すべてを紹介(掲載)していません。ご了承ください。


【参考・先人の願い】
  ◇城山公園清掃。先人の願い。(2018/06/10 集団「Emication」)



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Posted by ガク爺 at 17:00│Comments(0)日記作手
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