2023年04月27日

3-3.8 しろあとの新城小学校へ(2) (昭和に生きる)

宮島0427。 青空が綺麗な晴れの日でした。
 午前中は、天気は良いけれども風が冷たく肌寒かった。昼が過ぎ、気温も上がり暖かくなりました。



 故・渥美利夫氏が還暦の年に著した『昭和に生きる』(1987(昭和62)年刊)からです。
 渥美氏の教育実践、教育論は、“昔の話”ですが、その“”そして“”となるものは、今の教育に活きるものです。これからの教育を創っていくヒントもあると思います。

 本書のなかから、“その時”に読んで学んだ校長室通信を中心に紹介していきます。「考える」ことが、若い先生に見つかるといいなあと思います。

 この項は、「小学校の校長として」から構成されています。
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    戦後教育史の片隅に生きる

    小学校の校長として

  しろあとの新城小学校へ
 新城小学校での実践をまとめた『しやべる授業から見守る授業へ』(黎明書房)の序章の中で、これまでのわたしを支えてきたもの、わたしの立場について述べている。

   わたしの立場
 校長になってほぼ十年、どのようにしたら先生方が子どもとともに社会科にとりくんでくれるか、また、ひとりひとりの子どもを生かす指導をしてくれるかに腐心しながら歩んできた。少なくとも新しく教師になった先生が、「子どもたちの切実な問題解決を核心とする学習指導によってこそ、新しい社会を創造する力をもつ人間が育つのだ」という理解のもとに、日々の実践を行なってくれるようになることを夢みて、学校体制の整備をはじめ、研究と実践にあけくれる生活をしてきたのである。それはまことに時代遅れの愚か者の道であったかもしれない。まわりには時代の流れをいち早くかぎとって教育界の流行を追う人たちがいたし、また、上ばかり向いて現場をかえりみないという偉い人たちもいた。いわば、ねらいとした“社会科の初志”に忠告をしてくれた親切な人もあった。けれどもわたしは“社会科の初志”とともにつまずき、悩み、そしてよろめきながら歩きつづけてきた。そのようにしか歩くことができなかったという方が正しいかもしれない。
イラスト0427。 事実、幸か不幸か、わたしにはそれ以外に歩む道はなく、ただ思うがままに歩んだだけである。歩みながらその考え方の広さと深さにおどろき、かえって勇気づけられながら、孤独なはてしない道を歩んできてしまったようである。“初志の会”の理論的支柱である上田薫氏の教育哲学に導かれ、名古屋大学の三枝孝弘氏、日比裕氏、石川英志氏、横浜国大の市川博氏、愛知教育大学の霜田一敏氏のあたたかいご指導と励ましによって、研究と実践が進められてきたことを感謝しなければならない。それらの指導陣と現場の先生方とのかけ橋になることが、わたしの重要な役割であると思いつづけてきたのである。
(つづく)
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 注)これまでの記事は〈タグ「昭和に生きる」〉で
 注2)掲載しているイラストは、学年通信(1993・1994年度)用に教員が描いたもので、図書との関連はありません。



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Posted by ガク爺 at 17:00│Comments(0)先人に学ぶ
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