2024年05月20日
小満。情報交換会。 9-7 修学旅行、はじまる (昭和に生きる)
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「万物盈満すれば草木枝葉繁る」と言われるように、すべてのものが満ちあふれ、草木に枝葉が茂る頃です。
先日、教員からお尋ねがありました。
今年度のモーニング情報交換会をホームページで確認したところ、実施されると知りました。手元の案内(予定表)をお伝えし、いくつか情報交換をしました。
zoomのIDとパスコードは昨年度と変更ありますか?
◇未来を拓く学校づくり研究会
昨夜、第1回の開催日が変更(5/25→6/15)されたと連絡があり、改めてお伝えしました。
教育に携わるみなさん、ご参加いかがですか。
故・渥美利夫氏が還暦の年に著した『昭和に生きる』(1987(昭和62)年刊)からです。
渥美氏の教育実践、教育論は、“昔の話”ですが、その“根”そして“幹”となるものは、今の教育に活きるものです。これからの教育を創っていくヒントもあると思います。
この項は、「第四章 ハナノキの下で──教育断想」から構成されています。
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ハナノキの下で──教育断想
4 “松の木”は知っていた
──東郷東小学校前史
(つづき)
修学旅行、はじまる
ところで“修学指導のための旅行”といういわゆる修学旅行が始まったのも明治二十年代の終りである。4年生を中心に補習の5、6、7、8年で一泊の豊橋の歩兵十八連隊の見学に出かけているのである。どうやら明治27、28年の日清戦争で日本が勝利を収めた直後のこととて、軍隊見学ということになったのであろう。十八連隊にはススメススメ、ヘイタイススメの軍隊で、「ロから死ねまでラッパをはなしませんでした」の木口小平とならび称せられる日清戦争の英雄、「玄武門一番乗り」の原田重吉兵卒がいた。それだけに子どもたちははやる心を小さな胸に秘めて修学旅行を待ちわびたことであろう。軍旗にモデルをもとめて新しい校旗を作った。校旗はメリンスで作られているため、その重量に閉口しながらもみんなで交替して風になびかせそれを先頭に、学校で初めて買ったラッパをピープーふきならしながら、村びとの盛大な見送りのなかを威風堂々と修学旅行に歩いて学校を出発したのである。
まず新城町に出、豊川稲荷に参拝し、あこがれの十八連隊の営門をくぐったのである。子どもたちの修学旅行に対する興昧関心は、兵隊さんを見ることとともに、海を見るということ、東海道本線を煙をはいて走る陸蒸気──汽車を見ることができるということであった。交通機関のまだ発達していない明治二十年代の後半のこと、ほとんどの子どもは、自分の村を離れるということはなかった。それだけに“海と汽車”を見ることができる修学旅行というものは、なにものにもかえがたい楽しみであり喜びであったにちがいない。どの子もどの子も夢にみては声をたて狂喜したという。
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はじめてあの広大な荒波のさかまく太平洋を見たとき子どもさちのなかには腰をぬかし、卒倒したものもあったと伝え聞いたが、その真偽のほどはつまびらかではない。けれども、なんだかそれもわかるような気がするではないか。
また一方の関心事であった汽車であるが、この白煙をはいて疾走する汽車こそ、なによりも近代文明のシンボルであった。汽車は東海道本線が明治22(1889)年開通で、見たことのない大人でさえ大ぜいいたころであるから、どんなにあこがれと驚異の目でみられたかは想像にかたくはない。子どもたちが初めて汽車を見たときの光景をつい聞きもらしてお伝えすることができないのはまことに残念というほかはない。
いずれにせよ、有史以来、それは初めての大がかりな旅行であったといってよい。たしかに当時の常識を破る破天荒な企てであっただけに、その計画を知った村びとたちはびっくり仰天、あいた口がふさがらなかった。けれどもそれはまた逆に学校というものへの期待をいやがうえにも高らしめ、学校が郷土の物心両面において中核的存在にのし上がった契機であり、“おらが学校”へのステップともなったのである。
(つづく)
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注)これまでの記事は〈タグ「昭和に生きる」〉で
注2)本文内で、縦書き漢数字で書かれている数値を横書きに改めて表記した箇所、年号に西暦を追記したところがあります。
注3)掲載しているイラストは、学年通信(1993・1994年度)用に教員が描いたもので、図書との関連はありません。
【関連】
◇浜田護国神社 木口小平(依代譜)
◇原田重吉(日清戦争錦絵美術館)
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