2019年07月01日
「空沢のお地蔵様」(つくで百話)
今日から文月(7月)。“もう”一年の後半です。
午後に雨の上がった時間帯もありましたが,梅雨の蒸し暑い一日でした。
線状降水帯の発生で,九州では非常に激しい雨がふり,土砂災害警戒情報【警戒レベル4相当情報】が発表されているようです。
当事者となった時,適切な判断ができるか自信はありませんが,「これくらいは…」「まだ…」と思わずに,まず身を守ることを第一に安全を確保していただきたいと思います。
被害の広がらないことを切に願います。
『つくで百話』(1972・昭和47年 発行)の「文化財と信心」から紹介です。
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空沢のお地蔵様
空沢山には,いくつかの断崖絶壁が聳えたっておりますが,その中の一つに水晶山というのがあります。この山の岩肌には無数の水晶の結晶がキラキラときらめいております。小さい結晶で五,六ミリのものが多く,特に大きいものでも一〇ミリ内外に過ぎませんが,兎に角水晶山といわれるだけに,水晶が沢山あります。この水晶山の下手の崖下に一基の石のお地蔵様がおまつりしてあります。
毎年,春と秋のお彼岸には,お地蔵様のお祭が行なわれ,村の人たちは,老若男女こぞってお詣りしたものでございました。大和田ばかりではなく,近郷近在からも多勢のものが,集まりましたので,当日は屋台店もでて,菓子や酒などを売っておりました。また参詣者には甘酒のお振舞いもありました。近ごろは,お地蔵様もさびれてしまい,お祭りの日に,村の弥宜さんとお寺の和尚さんが代表で参詣して,供花読経をする程度でとても昔の面影はありません。
お地蔵様の付近から,ちょろちょろと岩清水が湧きでております。この清水で風呂を沸かして入浴すると眼病,梅毒,ふきで,ひぜんなどの病気によく効くといわれ,昔は風呂場の設備もあり,長く滞在して,自分で風呂を沸かして湯治療養をつづけお地蔵様に祈願をする人もありました。
お地蔵様の傍らに,木和田村の光林寺の幡明和尚の墓もあります。この和尚さんは,当時高名な高徳達識の僧侶として知られておりましたが,一念発起して,このお地蔵様の境内で長い間風雨にたえて座禅をつづけているうちに脚腰が腐って動けなくなりました。そのころにはこの辺に沢山の山猿が住んでおりましたが,山猿が,和尚をいたわって,柿の実や栗の実など,いろいろの山の食べものを集めてきては和尚を養っておりました。村の人たちも,交代で,お粥や蕎麦粉お茶などを持参して,お見舞をつづけました。和尚の死後,骸は,ここに葬られましたが,その一部は木和田の寺の境内へ運んで埋葬しました。
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注)これまでの記事は〈タグ「つくで百話」〉で
午後に雨の上がった時間帯もありましたが,梅雨の蒸し暑い一日でした。
線状降水帯の発生で,九州では非常に激しい雨がふり,土砂災害警戒情報【警戒レベル4相当情報】が発表されているようです。
当事者となった時,適切な判断ができるか自信はありませんが,「これくらいは…」「まだ…」と思わずに,まず身を守ることを第一に安全を確保していただきたいと思います。
被害の広がらないことを切に願います。
『つくで百話』(1972・昭和47年 発行)の「文化財と信心」から紹介です。
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空沢のお地蔵様
空沢山には,いくつかの断崖絶壁が聳えたっておりますが,その中の一つに水晶山というのがあります。この山の岩肌には無数の水晶の結晶がキラキラときらめいております。小さい結晶で五,六ミリのものが多く,特に大きいものでも一〇ミリ内外に過ぎませんが,兎に角水晶山といわれるだけに,水晶が沢山あります。この水晶山の下手の崖下に一基の石のお地蔵様がおまつりしてあります。
毎年,春と秋のお彼岸には,お地蔵様のお祭が行なわれ,村の人たちは,老若男女こぞってお詣りしたものでございました。大和田ばかりではなく,近郷近在からも多勢のものが,集まりましたので,当日は屋台店もでて,菓子や酒などを売っておりました。また参詣者には甘酒のお振舞いもありました。近ごろは,お地蔵様もさびれてしまい,お祭りの日に,村の弥宜さんとお寺の和尚さんが代表で参詣して,供花読経をする程度でとても昔の面影はありません。
お地蔵様の付近から,ちょろちょろと岩清水が湧きでております。この清水で風呂を沸かして入浴すると眼病,梅毒,ふきで,ひぜんなどの病気によく効くといわれ,昔は風呂場の設備もあり,長く滞在して,自分で風呂を沸かして湯治療養をつづけお地蔵様に祈願をする人もありました。
お地蔵様の傍らに,木和田村の光林寺の幡明和尚の墓もあります。この和尚さんは,当時高名な高徳達識の僧侶として知られておりましたが,一念発起して,このお地蔵様の境内で長い間風雨にたえて座禅をつづけているうちに脚腰が腐って動けなくなりました。そのころにはこの辺に沢山の山猿が住んでおりましたが,山猿が,和尚をいたわって,柿の実や栗の実など,いろいろの山の食べものを集めてきては和尚を養っておりました。村の人たちも,交代で,お粥や蕎麦粉お茶などを持参して,お見舞をつづけました。和尚の死後,骸は,ここに葬られましたが,その一部は木和田の寺の境内へ運んで埋葬しました。
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注)これまでの記事は〈タグ「つくで百話」〉で
Posted by ガク爺 at 18:45│Comments(0)
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