2019年07月14日

「浮横手の古墳」(つくで百話)

花0714。 時々,雨の降ってくる湿っぽい一日でした。
 洗濯物は室内干しが続き,こもったような臭いを感じるのは気のせいでしょうか。



 午後,第25回 参議院議員通常選挙期日前投票に行ってきました。
 迷いながら,“消去法”で,愛知選挙区比例区に一票を投じてきました。

 「選挙権は,権利なのか? 義務なのか?」について,いろいろな考え方があるようですが,「棄権は放棄,それはしたくない。」と思います。
 みなさん,投票に行きましょう。選挙権のある方,行ってください。



 『つくで百話』(1972・昭和47年 発行)の「文化財と信心」から紹介です。
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    浮横手の古墳

 旧川尻地内から東田原へ通ずる道路の中央より少し東田原寄りの道上,約二〇メートルくらいの山腹に松の大木が現存していますが,此の松の木の根元に石の祠があります。(この山は私の所有になっています)「此の祠に触れるとおこりが立つ」と子供の頃からよく教えられたものです。
 伝説によりますと,戦国時代に奥平氏の部将がここで戦死して,仮埋葬されたということになっております。
 大正末期の頃,新城市有海の新昌寺(鳥居強右衛門の碑があります)で長篠合戦三百五十年祭が執行されました。この式典に参列された奥平子爵が,田原の総持院を訪ねられ,時の住職加藤麗州師に「田原地内のヨコテという所に先祖の墓があるから,其処へ案内をしてくれ」と申込まれたそうですが,和尚さんは,そこを知らなかったので,奥平子は空しく帰られたとのことです。
 その後和尚は「ヨコテといわれたのはウキヨコテの誤りであったから,その旨奥平家へ知らせてあげたい。」といっておられたが和尚も間もなく病を得て他界され,遂にそのことは奥平家へ通じなかったと古老から承りました。
 作手村誌編集委員の一人は,長篠戦記には松の木や石の祠は載っていないといっておられましたが,(註)大通寺の住職に照合いたしますと,その和尚さんは「戦記に松の木のこともあるが,その松の木は二股になっている。」といって,松の木の図を毛筆で描いて送ってこられました。この和尚さんの申された二股松もありますが,それは東田原から岩波に通ずる道路の傍らでウキヨコテの松より一〇〇メートルくらい北方になります。此の地はウキヨコテではなくて「南」地と思います。二股松の側にも矢張り何様かおまつりしてあります。(森 憲一)
(註)大通寺は設楽ケ原決戦の前日武田方の将星が水盃をした寺。
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注)これまでの記事は〈タグ「つくで百話」〉で


【関連】
  ◇第25回参議院議員通常選挙(総務省)
  ◇長篠・設楽原古戦場 いろはかるた巡り(JA愛知東)


タグ :つくで百話

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Posted by ガク爺 at 17:30│Comments(0)作手
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