2019年07月28日

梅雨明け。「長野山のお稲荷様」(つくで百話)

向日葵0728。 朝は雲が目立ちましたが,徐々に晴れてきて,青空になりました。
 今日,「東海地方が梅雨明けしたとみられる。」と名古屋地方気象台が発表しました。平年より7日,昨年より19日遅い梅雨明けです。
 日中は気温も上がり,暑い日でした。室内では,扇風機がずっと回っていました。
 明日も暑い日になりそうです。



 『つくで百話』(1972・昭和47年 発行)の「文化財と信心」から紹介です。
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    長野山のお稲荷様

 岩波部落の長野山高原は人里から四キロ以上離れている別天地でありました。周囲は小高い丘陵にとりかこまれ,中央の平坦部は広茫,二五ヘクタールの原野で,その一部が水田に開墾されておりましたが,広い原っぱの中に細い道ができていて,岩波,田原,善夫,木和田の四つの部落に通じることになっておりました。この四つ辻が,いくつかありましたので夜分に,ここを通行している人が,よく道を間違へて,何度も,同じ辻をぐるぐる回りしていて容易に目的地へ行くことができなかったそうです。こんな時,長野山狐にばかされたといって気味悪るく恐れておったものでした。
 事実,長野山には,野狐も沢山棲んでいたようです。この高原の東南方に小高い山があり,こんもりと杉檜の林におおわれておりますが,この山頂にお稲荷さまがおまつりしてあります。このお稲荷様は,豊川稲荷さんのお姉様にあたるといわれており,霊験あらたかなお稲荷さまとして,村人をはじめ隣村の人々の信仰をあつめておりました。
 五十年位前まで,長野山で瓦製造をしていた藤さという人がありました。この人は本職のかたわら易者をやっておりました。日頃,長野山のお稲荷さまを篤く信心しておりまして,お稲荷さまのお告げによって占いをしていたという噂さでしたが,この人の占判断は,ことごとく,適中するというので,多勢つめかけたものでした。藤さは長野山から退去するときに,お稲荷さまのご神体であった金の御幣を盗み去ったと噂されております。
 明治の初め頃には,この辺では,よく山焼きをしましたが,ある年,田原の人がそそうでつけた火がもとで大山火事となりました。この山火事を消すために隣接の村々から多勢の人々が馳けつけましたが,その中に田原の藤作という人がありました。藤作さんが,お稲荷さまの上の坂付近へまいりますと,大きな白狐が,あちこちとび回っておりましたが,さしもの大山火事の火勢も,この辺で急に衰えて,お稲荷さまの境内は安泰でした。藤作さんは素直な,心の正しい人でしたからお稲荷さまがお姿を現わされたものであろうと村の人たちは話し合ったということです。
 岩波部落の下手,彦坊山と相対して,浅間山という高い山があり,ここに浅間さまがおまつりしてあります。浅間山の麓,県道清丘鳳来寺線から百メートルくらいのところに出雲様がおまつりしてありまして,ともに村の人たちの信仰あついお宮さまであります。正月の元日早くお詣りすると運がよいというので,元旦は暗いうちから参詣人で賑っております。 (中沢直十郎)
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Posted by ガク爺 at 18:18│Comments(0)作手
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