2019年09月25日

「狼の話」(つくで百話)

花0925。 朝から青空の綺麗な日でした。よい天気ですが,以前の“暑さ”はありません。
 気持ちのよい秋の一日でした。



 外に出る予定がなかったので,NHK「落語ディーパー!」の聴いてなかった落語を楽しみました。
 番組では,9月になって
○「怪談 牡丹燈籠」 柳家喬太郎
○「死神」 柳家わさび
○「船徳」 春風亭一之輔
○「時そば」 立川吉笑
を取り上げており,今は「船徳」と「時そば」がホームページで公開されています。

 ネットで落語を聴くこともできますが,テレビ番組の落語研究会(TBS),日本の話芸(NHK),演芸図鑑(NHK)などで,新しい演目や演者を知るのも楽しいです。

 みなさん,落語は好きですか。落語を聴いていますか。



 『つくで百話』(1972・昭和47年 発行)の「怪奇物語」から紹介です。
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    狼の話

 明治二十年代のことでありました。上小林の源造さんが,作造(地名)の奥の一つ田へ田回りに行くと,田の傍らで,狼がお産をしているのを見付けました。源造さんは,家へかえって赤飯をたいて,塩をタップリかけて,作造へ行って狼のそぱへおいてかえりました。
 それから,暫らくしてからのことでした。ある朝,戸間口の大戸をあけると,大きな馬の脚が,転がりこんできました。これは,狼が,赤飯のお礼に,馬捨場(死んだ馬を埋める墓地)から掘り出して運んだものと思われました。源造さんは,この馬の脚を狼のとこへ持って行って「ようくれたが,これは,おらたべないから,お前くってくれ。」と返してやりました。それからまた暫らくたったある朝,鹿の脚が届けられましたから,これは,家で料理して食べました。
 その頃には,作手地方にも,狼が相当いたようです。夜道を歩るいていると,道の真中に,チョコンとすわっている狼がありました。人が近づくと山の中へとび込んで,また前方の道路にすわって待っておりました。これは迎え犬といわれました。
 また歩るいている人の後から,ついてくるのがありました。これは送り狼といって,ぽんのくぼ (頭の後部)がぞぐぞぐしたといわれております。中には,人家まで送ってくるものもありました。こんな時には,狼の好きな塩をやると,ペロリとたべて帰って行きました。
 明治四十三年頃に,恐犬病が流行したことがありました。この時,飼犬は,予防注射で助りましたが,狼は殆んど全滅してしまいました。それ以後日本の狼は,姿をけしたといわれております。
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注)これまでの記事は〈タグ「つくで百話」〉で



【関連】
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Posted by ガク爺 at 17:00│Comments(0)作手
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