2023年05月25日
生成AI。 4-1.5 全体のけしき (昭和に生きる)
晴れた天候を予想していましたが、朝から雲に覆われ、昼前から小雨が降り出しました。
ChatGPTをはじめ生成AIが、生活(仕事)の中で活用されることが増え、合わせて課題も広がっています。G7広島サミットでも“国際的なルールづくり”が取り上げられました。
生成AIによる間違いやフェイクの広がりは“問題”ですが、活用により生まれる“新たな世界”に期待したいと思います。
先日、音楽を生成するAI「MusicLM」を知りました。もやもやしていたイメージや感覚を“形”にできることで、これまでと違う“その先”を創り出せるでしょう。
これから、どのような AI が登場し、どのように世界が拡がっていくでしょう。
故・渥美利夫氏が還暦の年に著した『昭和に生きる』(1987(昭和62)年刊)からです。
渥美氏の教育実践、教育論は、“昔の話”ですが、その“根”そして“幹”となるものは、今の教育に活きるものです。これからの教育を創っていくヒントもあると思います。
この項は、「第二章 授業を考える──子どもにつきささる教師の目」から構成されています。
この章では、実践者として、研究者として、「授業を創る」視点を具体的に述べています。若い先生にとって、これからの「授業を考える」ことができるといいなあと思います。
********
実践者として
ひとりひとりを生かす授業
子どもの生きる計画を
(つづき)
4 全体のけしき
単元の目標を達成するために、いかなる内容を、どのような方法でするのか、それを構想するのが指導計画です。単元は数時間のものから数十時間にわたり指導がなされます。ある単元全体の指導の全容を把握しようと授業案を図のかたちで描き、教師の視野のなかに具体的に入れようとしたものが、“全体のけしき”あるいは“単元の構想”とよばれるものです。
目標が構造的であるのに対応して、指導内容も構造的であることが必要なことです。子どもがのびるために教材があるのであって、教材があるのでそこに子どもがいるのではありません。教材が固定的に枠づけされているところでは、子どもはのびようにものびることはできなくなってしまいます。その意味では教材は、いわば流動的であるべきといわなければなりません。
教材を固定的に枠づけしないということは、一般の考え方からすれば、かなり考え方を変えなければならないことですが、ここはだいじなところです。全体を構想するにあたって、教師は子どもをいくら知っているといっても、それには限度があって、さらに深くとらえなければならないので、計画を複線的にし、計画を変更できるようにして、それに対応できるようにします。
全体のけしきを描くうえでだいじなことは、教材をただ羅列するだけでなくて、個々のなん人かの子どもが図に登場するようにしなくてはなりません。子どもがでることによって、全体のけしきは立体化され“教材の配置図”ではなくなるのです。
また、この全体のけしきができ上がっていると、その一時間の授業の内容にこだわらないで授業中に計画を動かすのも楽というものです。ゆとりをもって授業にのぞむという利点もあります。
国語の酒井さんは、「子どもを生かそうとするための教材研究をしたり、教材を再構成したりしてできあがったものである」といい、この全体のけしきは、「子どもを生かすという地道な研究」が必要であると訴えています。抽出児はもちろんですが、ほかの子どもも多く登場しているそのなかみをよく読みとってほしいと思います。国語の大石さん、社会の植田さん、若林さん、理科の木内さんの実践も、子どもの疑問を、目標の具体化したのと照らし合わせながら全体のけしきへと進んでいます。そのブロセス、そして抽出児の位置づけは、さすがにベテランであるなと感じさせられるものです。
(つづく)
********
注)これまでの記事は〈タグ「昭和に生きる」〉で
注2)掲載しているイラストは、学年通信(1993・1994年度)用に教員が描いたもので、図書との関連はありません。
ChatGPTをはじめ生成AIが、生活(仕事)の中で活用されることが増え、合わせて課題も広がっています。G7広島サミットでも“国際的なルールづくり”が取り上げられました。
生成AIによる間違いやフェイクの広がりは“問題”ですが、活用により生まれる“新たな世界”に期待したいと思います。
先日、音楽を生成するAI「MusicLM」を知りました。もやもやしていたイメージや感覚を“形”にできることで、これまでと違う“その先”を創り出せるでしょう。
これから、どのような AI が登場し、どのように世界が拡がっていくでしょう。
故・渥美利夫氏が還暦の年に著した『昭和に生きる』(1987(昭和62)年刊)からです。
渥美氏の教育実践、教育論は、“昔の話”ですが、その“根”そして“幹”となるものは、今の教育に活きるものです。これからの教育を創っていくヒントもあると思います。
この項は、「第二章 授業を考える──子どもにつきささる教師の目」から構成されています。
この章では、実践者として、研究者として、「授業を創る」視点を具体的に述べています。若い先生にとって、これからの「授業を考える」ことができるといいなあと思います。
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実践者として
ひとりひとりを生かす授業
子どもの生きる計画を
(つづき)
4 全体のけしき
単元の目標を達成するために、いかなる内容を、どのような方法でするのか、それを構想するのが指導計画です。単元は数時間のものから数十時間にわたり指導がなされます。ある単元全体の指導の全容を把握しようと授業案を図のかたちで描き、教師の視野のなかに具体的に入れようとしたものが、“全体のけしき”あるいは“単元の構想”とよばれるものです。
目標が構造的であるのに対応して、指導内容も構造的であることが必要なことです。子どもがのびるために教材があるのであって、教材があるのでそこに子どもがいるのではありません。教材が固定的に枠づけされているところでは、子どもはのびようにものびることはできなくなってしまいます。その意味では教材は、いわば流動的であるべきといわなければなりません。
教材を固定的に枠づけしないということは、一般の考え方からすれば、かなり考え方を変えなければならないことですが、ここはだいじなところです。全体を構想するにあたって、教師は子どもをいくら知っているといっても、それには限度があって、さらに深くとらえなければならないので、計画を複線的にし、計画を変更できるようにして、それに対応できるようにします。
全体のけしきを描くうえでだいじなことは、教材をただ羅列するだけでなくて、個々のなん人かの子どもが図に登場するようにしなくてはなりません。子どもがでることによって、全体のけしきは立体化され“教材の配置図”ではなくなるのです。
また、この全体のけしきができ上がっていると、その一時間の授業の内容にこだわらないで授業中に計画を動かすのも楽というものです。ゆとりをもって授業にのぞむという利点もあります。
国語の酒井さんは、「子どもを生かそうとするための教材研究をしたり、教材を再構成したりしてできあがったものである」といい、この全体のけしきは、「子どもを生かすという地道な研究」が必要であると訴えています。抽出児はもちろんですが、ほかの子どもも多く登場しているそのなかみをよく読みとってほしいと思います。国語の大石さん、社会の植田さん、若林さん、理科の木内さんの実践も、子どもの疑問を、目標の具体化したのと照らし合わせながら全体のけしきへと進んでいます。そのブロセス、そして抽出児の位置づけは、さすがにベテランであるなと感じさせられるものです。
(つづく)
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注)これまでの記事は〈タグ「昭和に生きる」〉で
注2)掲載しているイラストは、学年通信(1993・1994年度)用に教員が描いたもので、図書との関連はありません。
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