2024年09月09日
重陽の節句。 9-4 林業(2)(生業と交易・交通) (作手村誌57)
「昭和99年9月9日」。「夏の暑さ」の1日でした。
秋なのに…。
今日9月9日は「重陽の節句」です。
陽の数である奇数、さらに最大の9が重なる日であることから「重陽」と呼ばれます。旧暦では菊が咲く時期であり“菊の節句”とも呼ばれます。
重陽の節句は、五節句の一つですが、他の節句のような「○○をする」といった事柄が思い浮かびません。
みなさんの地域では、この日に合わせてしていることはありますか。
『作手村誌』(1982・昭和57年発行)から「第四編 文化 - 第三章 民俗」-「第三節 生業と交易・交通」の紹介です。
“昭和レトロが若者に人気ですが、それとは違う内容になりそうです。しかし、昔の“文化を“今”に活かしていくヒントを探ってみたいと思います。
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第四編 文化 - 第三章 民俗
第三節 生業と交易・交通
*林業
(つづき)
〔伐採〕
立木を伐る人夫をキリコという。キリコは倒す方向を決めてキリヨキでイカリを削り取り、倒す方向ヘウケクチを切リ、その反対側から鋸を入れて伐り始める。鋸が締めつけられたり木が傾いていると、楔を打ちこんで起す。わずかにツリを残して鋸を納める。周囲の安全を確かめてヨキの頭でヤを打ちこみ木を倒すのである。これを根切りという。
伐倒した木は枝を払い、一定の規格に合わせて切断する。これを造材(玉切り)という。根元に近い丸太を根玉(元玉)といい次を二番玉という。そして最後に丸太の根部側の切り口に兜巾をつくる。
〔検尺〕
山元検尺のことで山検尺ともいう。造材された丸太を一定の場所又は造材現場で、樹種別、長さ、末口径を計測して帳付けし、丸太の切り口に所有別の刻印を打ち末口径を書く。
〔集・運材〕
集・運材には古来「山落し」、「修羅出し」、「木馬出し」、「土ずり」、「小谷狩り」、「大川狩り」、「鉄索」、「牛・馬車」、「トラック輸送」などがあったが、最近の山出しには発動機などを組合わせて、鉄索で吊り出す方法が多く行われている。またごく一部ではあるが、デルピスも使われて山仕事もチェンソーとともに進歩してきた。
〔炭焼き〕
昭和初期までは炭焼きといえば白炭(表面に灰が白く付着している)焼きのことであった。白炭は堅く火保ちのよい炭であるが出炭量が少なく、労働が過重であるので1935(昭和10)年代から黒炭生産に変ってしまった。戦中・戦後よく売れ特に終戦直後は飛ぶように売れたが、プロパンガスの普及とともに使用量が退化し、最近は自家用以外炭焼きをする人は皆無といえるほどになった。
〔薪〕
戦中・戦後木炭とともによく売れ、土積みにするのを待ちかねてトラックに積み替えて行くこともあった。特に自動車用ガス薪の需要が多く、そのために村内にガス薪長者が出現するほどであった。
〔椎茸〕
江戸時代、すでに椎茸を栽培した古文書が守義で発見されるなど、作手の椎茸栽培の歴史はかなり古い。薪炭が売れなくなった現在では雑木の利用法は推茸栽培以外にはないのが現状である。したがって栽培法も研究され改良されている。
(つづく)
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注)これまでの記事は〈タグ「作手村誌57」〉で
注2)本文内で、縦書き漢数字で書かれている数値を横書きに改めて表記した箇所、年号に西暦を追記したところがあります。
秋なのに…。
今日9月9日は「重陽の節句」です。
陽の数である奇数、さらに最大の9が重なる日であることから「重陽」と呼ばれます。旧暦では菊が咲く時期であり“菊の節句”とも呼ばれます。
重陽の節句は、五節句の一つですが、他の節句のような「○○をする」といった事柄が思い浮かびません。
みなさんの地域では、この日に合わせてしていることはありますか。
『作手村誌』(1982・昭和57年発行)から「第四編 文化 - 第三章 民俗」-「第三節 生業と交易・交通」の紹介です。
“昭和レトロが若者に人気ですが、それとは違う内容になりそうです。しかし、昔の“文化を“今”に活かしていくヒントを探ってみたいと思います。
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第四編 文化 - 第三章 民俗
第三節 生業と交易・交通
*林業
(つづき)
〔伐採〕
立木を伐る人夫をキリコという。キリコは倒す方向を決めてキリヨキでイカリを削り取り、倒す方向ヘウケクチを切リ、その反対側から鋸を入れて伐り始める。鋸が締めつけられたり木が傾いていると、楔を打ちこんで起す。わずかにツリを残して鋸を納める。周囲の安全を確かめてヨキの頭でヤを打ちこみ木を倒すのである。これを根切りという。
伐倒した木は枝を払い、一定の規格に合わせて切断する。これを造材(玉切り)という。根元に近い丸太を根玉(元玉)といい次を二番玉という。そして最後に丸太の根部側の切り口に兜巾をつくる。
〔検尺〕
山元検尺のことで山検尺ともいう。造材された丸太を一定の場所又は造材現場で、樹種別、長さ、末口径を計測して帳付けし、丸太の切り口に所有別の刻印を打ち末口径を書く。
〔集・運材〕
集・運材には古来「山落し」、「修羅出し」、「木馬出し」、「土ずり」、「小谷狩り」、「大川狩り」、「鉄索」、「牛・馬車」、「トラック輸送」などがあったが、最近の山出しには発動機などを組合わせて、鉄索で吊り出す方法が多く行われている。またごく一部ではあるが、デルピスも使われて山仕事もチェンソーとともに進歩してきた。
〔炭焼き〕
昭和初期までは炭焼きといえば白炭(表面に灰が白く付着している)焼きのことであった。白炭は堅く火保ちのよい炭であるが出炭量が少なく、労働が過重であるので1935(昭和10)年代から黒炭生産に変ってしまった。戦中・戦後よく売れ特に終戦直後は飛ぶように売れたが、プロパンガスの普及とともに使用量が退化し、最近は自家用以外炭焼きをする人は皆無といえるほどになった。
〔薪〕
戦中・戦後木炭とともによく売れ、土積みにするのを待ちかねてトラックに積み替えて行くこともあった。特に自動車用ガス薪の需要が多く、そのために村内にガス薪長者が出現するほどであった。
〔椎茸〕
江戸時代、すでに椎茸を栽培した古文書が守義で発見されるなど、作手の椎茸栽培の歴史はかなり古い。薪炭が売れなくなった現在では雑木の利用法は推茸栽培以外にはないのが現状である。したがって栽培法も研究され改良されている。
(つづく)
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注)これまでの記事は〈タグ「作手村誌57」〉で
注2)本文内で、縦書き漢数字で書かれている数値を横書きに改めて表記した箇所、年号に西暦を追記したところがあります。
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