2024年12月18日
15-5 古宮城址(2) (作手村誌57)
天気がよく、乾燥した日が続いています。
今日、小学校を訪れ、学校のようす、これからの活動についてお話をうかがいました。そして、校内を案内していただきました。
かつてより児童数が減ったことで、空き教室がありました。工夫した活用をされていましたが、余裕のある贅沢な利用でした。
その一方、空き教室を利用した放課後児童クラブは、“満員”でした。複数の部屋を利用していましたが、さらに部屋を増やす必要がある状況だそうです。
子供の“生活の場”は、家庭と学校だけでなく、放課後児童クラブ”も大きなものとなっているようです。
そこが“満員”でよいのか…。
『作手村誌』(1982・昭和57年発行)から「第二編 歴史 - 第二章 中世」-「第九節 作手の城址」の紹介です。
「歴史」について、これまでに『作手村誌』(昭和35年版)の記事を紹介しています。
項目立てを変えて述べられいる本版から、執筆当時の“想い”や“願い”を感じながら、作手の歴史を辿っていきたいと思います。
********
第二編 歴史 - 第二章 中世
第九節 作手の城址
*古宮城址
〔所在地〕 作手村大字清岳字宮山 (図19)
〔西城〕
(つづき)
西城の本丸はほぼ正方形で、東西21m、南北20m、その東に東西19m、南北17mの二の丸が並び、その境に両端を明け長さ17m、高さ2mの土塁がある。この二郭を囲んで高さ2.4m、延長117.5mの土塁があり、二の丸東南隅と北方中央に虎口がある。二の丸の北方につづき緩やかに下って炒く将棋形の三の丸がある。長さ38m、幅は二の丸虎口で8.5m、肩部9mを測るが、土塁は虎口付近に5mあるだけである。
本丸及び二の丸の外側9m下に、第一空濠がある。幅平均4.5m、深さは外側土塁頂まで3.5~4.3m、延長145mに及ぶ。
第二空濠は大竪濠西の土塁下6.5mの虎口付近に起り、一旦上方に向うが13mで右折し、じょじょに溝底が上昇し36mの処で終る。ここは小稜線でこれを越すと今度は帯曲輪となり、33m行った処で第一空濠と合体し、最大幅15mに及ぶので、これを西城南西曲輪と呼ぶことにする。この東に高さ2m、長さ15mの竪土塁があり、それを越して空濠に沿う帯曲輪があって、南竪濠の土塁で終る。この曲輪下は屋敷造成によって生じた断崖で、下は老杉の林となっている。
第二空濠の下5.4mの処に、ほぼ9m平方の小郭があり、それにつづき延長29mの第三空濠がある。小稜線で一旦終るが、稜線を越るとこれに並行して再び空濠が始まり、7m行った処で南に曲り、帯曲輪となり約50mで終るが、そのうち末端20mに高さ50cmの土塁が残っている。
最下段に外側に高さ1.5-2m、幅15mの大土塁をもつ、濠幅11mの第四空濠が溜池から始まるが、西南ヘ24m行った処で幅は3~5mと狭まり、全長139mで終る。
この第四空濠と第三空濠との中間に、幅35m長さ31.5mの帯曲輪がある。第三空濠以下は、もとは南竪濠に向い伸びていたと思われるが、近世農家の出現により切崩され現状となった。
第四空濠のほかに、第五・第六の濠があったことは、現地をみれば明らかである。
(つづく)
********
注)これまでの記事は〈タグ「作手村誌57」〉で
注2)本文内で、縦書き漢数字で書かれている数値を横書きに改めて表記した箇所、年号に西暦を追記したところがあります。
注3)右図「作手村の城址・古石塔・寺院分布図」をクリックすると拡大表示します。
【関連】
◇古宮城址 (作手の名勝と史跡めぐり)(2021/05/11)
◇古宮城址 (作手見聞録)(2022/11/04)
《参考》◇「地域の話題」から(リンク集)(2024/10/04)
今日、小学校を訪れ、学校のようす、これからの活動についてお話をうかがいました。そして、校内を案内していただきました。
かつてより児童数が減ったことで、空き教室がありました。工夫した活用をされていましたが、余裕のある贅沢な利用でした。
その一方、空き教室を利用した放課後児童クラブは、“満員”でした。複数の部屋を利用していましたが、さらに部屋を増やす必要がある状況だそうです。
子供の“生活の場”は、家庭と学校だけでなく、放課後児童クラブ”も大きなものとなっているようです。
そこが“満員”でよいのか…。
『作手村誌』(1982・昭和57年発行)から「第二編 歴史 - 第二章 中世」-「第九節 作手の城址」の紹介です。
「歴史」について、これまでに『作手村誌』(昭和35年版)の記事を紹介しています。
項目立てを変えて述べられいる本版から、執筆当時の“想い”や“願い”を感じながら、作手の歴史を辿っていきたいと思います。
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第二編 歴史 - 第二章 中世
第九節 作手の城址
*古宮城址
〔所在地〕 作手村大字清岳字宮山 (図19)
〔西城〕
(つづき)
西城の本丸はほぼ正方形で、東西21m、南北20m、その東に東西19m、南北17mの二の丸が並び、その境に両端を明け長さ17m、高さ2mの土塁がある。この二郭を囲んで高さ2.4m、延長117.5mの土塁があり、二の丸東南隅と北方中央に虎口がある。二の丸の北方につづき緩やかに下って炒く将棋形の三の丸がある。長さ38m、幅は二の丸虎口で8.5m、肩部9mを測るが、土塁は虎口付近に5mあるだけである。
本丸及び二の丸の外側9m下に、第一空濠がある。幅平均4.5m、深さは外側土塁頂まで3.5~4.3m、延長145mに及ぶ。
第二空濠は大竪濠西の土塁下6.5mの虎口付近に起り、一旦上方に向うが13mで右折し、じょじょに溝底が上昇し36mの処で終る。ここは小稜線でこれを越すと今度は帯曲輪となり、33m行った処で第一空濠と合体し、最大幅15mに及ぶので、これを西城南西曲輪と呼ぶことにする。この東に高さ2m、長さ15mの竪土塁があり、それを越して空濠に沿う帯曲輪があって、南竪濠の土塁で終る。この曲輪下は屋敷造成によって生じた断崖で、下は老杉の林となっている。
第二空濠の下5.4mの処に、ほぼ9m平方の小郭があり、それにつづき延長29mの第三空濠がある。小稜線で一旦終るが、稜線を越るとこれに並行して再び空濠が始まり、7m行った処で南に曲り、帯曲輪となり約50mで終るが、そのうち末端20mに高さ50cmの土塁が残っている。
最下段に外側に高さ1.5-2m、幅15mの大土塁をもつ、濠幅11mの第四空濠が溜池から始まるが、西南ヘ24m行った処で幅は3~5mと狭まり、全長139mで終る。
この第四空濠と第三空濠との中間に、幅35m長さ31.5mの帯曲輪がある。第三空濠以下は、もとは南竪濠に向い伸びていたと思われるが、近世農家の出現により切崩され現状となった。
第四空濠のほかに、第五・第六の濠があったことは、現地をみれば明らかである。
(つづく)
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注)これまでの記事は〈タグ「作手村誌57」〉で
注2)本文内で、縦書き漢数字で書かれている数値を横書きに改めて表記した箇所、年号に西暦を追記したところがあります。
注3)右図「作手村の城址・古石塔・寺院分布図」をクリックすると拡大表示します。
【関連】
◇古宮城址 (作手の名勝と史跡めぐり)(2021/05/11)
◇古宮城址 (作手見聞録)(2022/11/04)
《参考》◇「地域の話題」から(リンク集)(2024/10/04)
Posted by ガク爺 at 17:00│Comments(0)
│作手
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