2025年03月31日
2024年度最終日。ありがとうございました。【リンク集】
今日も、ブログ『集団「Emication」』を訪問いただき、ありがとうございます。
ブログを開設(2016年)し、先月末まで情報発信(更新)を続け、今月は5回の更新でした。
時おり、「このままでいいの…」と、現在の情報発信、ネット利用について思うことがあります。
年度末そして新年度と節目となる機会に、ブログやホームページ、SNSの利用(情報発信)を見直します。
今後、“おわり”に向けて閉じていきます。

当ブログについては、これまでの毎日更新は止め、不定期の更新(情報発信)にします。
Hatena Blog(はてなブログ)に置いていた『集団「Emication」別館』は、削除しました。
利用している SNS のアカウントは、継続します。
◇Instagram写真と動画 (@tsukude)
今後の図書紹介などは、こちらで発信する予定です。
◇Facebook
友人、知人からの情報を得て、学ばせていただきます。
◇X (@gakujii)
ネット情報の「備忘録」として。時にはポイ活のリポストも。
その他、ホームページやブログは、徐々に閉じて(削除して)いきますが、当面はそのままです。
以下、備忘録としてリンクを載せておきます。
◇note
当ブログで紹介した図書の記事を転載しています。しばらく転載を続けます。
◇Ronshi
備忘録、情報メモとして利用しました。432 の記事があります。
◇数楽チャレンジ
大会は、昨年の第26回で終了しましたが、過去の問題を公開しています。
◇つくでの昔ばなし
村制施行80周年を記念し1986年に発刊された『つくでの昔ばなし』を紹介。
挿絵は、中学生が版画を制作。
◇文集『こうやまき』
1970年に刊行された文集『こうやまき』。副題「子どもが綴った作手村風土記」を紹介。
◇発見!「つくでの草花」
1995年から『広報つくで』(旧・作手村)に連載された「草花アラカルト」を紹介。
◇作手見聞録
旧・作手村の公式ホームページがない頃に、地域の情報発信をしたサイト。
◇サイト『伝笑鳩』(1998/04/01~2001/03/31 閉鎖)
◇サイト『一粒の種』(2001/04/01~2005/03/31 閉鎖)
◇ブログ『ガク爺の一日』(2005/04/01~2007/03/31 閉鎖)
◇ブログ『福禄寿』(2007/04/01~2016/03/31 閉鎖)
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今後、“おわり”に向けて閉じていきます。

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◇note
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◇Ronshi
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大会は、昨年の第26回で終了しましたが、過去の問題を公開しています。

◇つくでの昔ばなし
村制施行80周年を記念し1986年に発刊された『つくでの昔ばなし』を紹介。
挿絵は、中学生が版画を制作。

◇文集『こうやまき』
1970年に刊行された文集『こうやまき』。副題「子どもが綴った作手村風土記」を紹介。

◇発見!「つくでの草花」
1995年から『広報つくで』(旧・作手村)に連載された「草花アラカルト」を紹介。

◇作手見聞録
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2025年03月30日
『アルプス席の母』(早見和真・著)

結果は…。
今日3月30日は、テレビアニメ「巨人の星」が1968年に放送を開始した日です。36.7%(1970年1月10日 第94話)の最高視聴率を記録した大人気アニメでした。
2025年本屋大賞の候補作の一冊『アルプス席の母』(早見和真・著)を読みました。
まったく新しい高校野球小説が、開幕する。
秋山菜々子は、神奈川で看護師をしながら一人息子の航太郎を育てていた。湘南のシニアリーグで活躍する航太郎には関東一円からスカウトが来ていたが、選び取ったのはとある大阪の新興校だった。声のかからなかった甲子園常連校を倒すことを夢見て。息子とともに、菜々子もまた大阪に拠点を移すことを決意する。不慣れな土地での暮らし、厳しい父母会の掟、激痩せしていく息子。果たしてふたりの夢は叶うのか!?
補欠球児の青春を描いたデビュー作『ひゃくはち』から15年。主人公は選手から母親に変わっても、描かれるのは生きることの屈託と大いなる人生賛歌! かつて誰も読んだことのない著者渾身の高校野球小説が開幕する。
スポーツや芸術をはじめ、その対象や場は、さまざまです。
そのなかで、高校野球は、世代を超えて関心が高いように思います。
題名の“アルプス”は、阪神甲子園球場び内野スタンドと外野スタンドの間にある観客席「アルプススタンド」が思い浮かびます。
物語の主人公は、“甲子園を目指し野球に熱中する中・高生”の母親 秋山菜々子 です。
物語は、その母親の見る世界、感じる世界が、彼女の語りで進んでいきます。
中学時代、リトルリーグの大会で注目された投手が、希望学園に進み甲子園を目指します。
ワケもわからないままエース番号を与えられ、試合でも投げさせてもらった一年生の夏。三年生の夏、甲子園に出場した希望学園。
肘を大ケガし、ベンチにも入れなかった二年生の夏。
胸の高鳴りはそのどちらともまったく違う。これが三年生という立場から来るプレッシャーなのか、菜々子にはわからない。
その応援で、アルプススタンドにいる母。
進学する高校、甲子園を目指す高校を決めるとき…。
野球部員の保護者として…。
甲子園までの日々…。
甲子園のグランドに立つ姿を見て…。
甲子園のマウンドから…
高校を卒業するとき…。
そして…。
素敵なドラマでした。
高校野球を、スポーツを、それを観る目が変わったように感じます。
お薦めの一冊です。
【関連】
◇早見和真 (@joeulittletokyo)( X )
◇アルプス席の母 (@saikyonaikaku)( X )
◇『小説王』(早見和真・著)(2016/09/14 集団「Emication」)
◇『店長がバカすぎて』(早見和真・著)(2020/04/17 集団「Emication」)
◇本屋大賞

【教職員・公務員の異動検索】
あの先生は、どこへ
新しい先生は…
あの方は、どこへ
新しい担当は…
中日新聞・東京新聞に「教職員・公務員の異動」が掲載されるのに合わせ、ネット検索(先生サーチ・公務員サーチ)ができます。(4月31日まで)
これまでに発表されている県・市の職員・教職員の異動が調べられます。
(利用には、中日新聞プラスへの会員登録が必要。)

タグ :読書
2025年03月29日
『禁忌の子』(山口未桜・著)

2025年本屋大賞の候補作の一つ『禁忌の子』(山口未桜・著)です。
救急医・武田の元に搬送されてきた自身と瓜二つの溺死体。
彼はなぜ死んだのか、なぜ同じ顔をしているのか。
「俺たち」は誰なんだ。
救急医・武田の元に搬送されてきた、一体の溺死体。その身元不明の遺体「キュウキュウ十二」は、なんと武田と瓜二つであった。彼はなぜ死んだのか、そして自身との関係は何なのか、武田は旧友で医師の城崎と共に調査を始める。しかし鍵を握る人物に会おうとした矢先、相手が密室内で死体となって発見されてしまう。自らのルーツを辿った先にある、思いもよらぬ真相とは――。
過去と現在が交錯する、医療×本格ミステリ!
第三十四回鮎川哲也賞受賞作。
表紙は、何かを複数の手が抱えているような、ちょっと妖しい感じがします。題名の“禁忌”を表しているのか…。
最初に見開きで「主な登場人物」として18名が載っています。最初の 武田航 が主人公で、兵庫市民病院救急科医師です。
最後に キュウキュウ十二 があり、“謎の死体”と説明されています。
次のページに「生島リプロクリニック平面図」があり、この物語の舞台のようです。
そして、第一章へ。
2023年4月17日、午後8時15分。ホットラインが鳴った。現役の医師が描く“医療×本格ミステリ”の始まりです。
救急医 武田航のもとに、緊急で患者が運ばれてきましたが、残念ながら帰らぬ人となってしまいました。
その患者・死体は、救急医 武田とそっくりの外見で、“同じ顔”をしていました。
死亡した救急患者で済ますことができず、
彼はなぜ死んだのか。と、同僚で幼馴染の消化器内科医師 城崎響介 の助けを得て、調査を始めます。
なぜ同じ顔をしているのか。
調査を進めるうちに、武田の出生に関わるナゾ、それに関わるヒトが明らかになってきます。
ナゾに関わる人物として、生島リプロクリニック理事長を突き止めます。その面会の日…。
武田が辿り着いたナゾの答えは…。
“禁忌の子”とは誰だったのか…。
医現役医師の描く“医療×ミステリ”、引き込まれました。
最後の展開に…。
お薦めのミステリです。
目次
受賞の言葉
主な登場人物
第一章 発端
第二章 連鎖
第三章 密室
第四章 分数
第五章 真実
第六章 蜻蛉
第三十四回鮎川哲也賞選考経過
選評 青崎有吾 東川篤哉 麻耶雄嵩
【関連】
◇山口未桜 (@biliary_egg)( X )
◇「私が鮎川哲也賞を受賞するまで(第1回)」山口未桜(Web東京創元社マガジン)
◇第34回 鮎川哲也賞(東京創元社)
◇本屋大賞

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2025年03月13日
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タグ :教員
2025年03月11日
14年目の「あの日・あの時」。

「あの時」、2011(平成23)年3月11日 14時46分頃、マグニチュード9.0、最大震度7 の大地震でした。
今年2024(令和6)年1月1日 16時10分頃、マグニチュード7.6、最大震度7 を観測しました。これより前16時6分には最大震度5強 の地震があり、その後も6弱、5強の地震が続く能登半島地震が起こりました。
3月11日あれから14年、東北地方は“つくり直す”ことができているでしょうか。
ふつうに朝がきて、ふつうに一日すごして、ふつうに夜がくると思っていた。
地震と津波であっけなくこわされてしまった日常。
それをもう一度つくり直すのが、生き残ったわたしたちの使命だ。(中学生の言葉より)
東日本大震災から復興(福興・復幸)する東北に、縁をいただいた釜石、吉浜、南三陸などを何度か訪れました。
訪れるたびに街や野山の景色が変わり、そこに復興(福興・復幸)の姿がありました。そこで感じたことを、職場の人や子供達に語っていました。
○ 東北地方は「復興しなくてはならない地」である。被災地の生活を、早急に復旧しなくてはならないのは当然のことです。その上で、誤解を恐れずに記せば、「復旧に続く、復興の価値はどの程度か」を考え、判断、決断を迫られることがある、と話しました。
○ そのために、多くの資源(モノ、カネ、ヒト)が投入されている。
* もし、当地が被災地になったとき、「復興しなくてはならない地」であるだろうか。
* もし被災したとき、当地の「復興した後」は、どのような姿なのだろうか。
今の東北地方は…。
20年目の東北地方は…。
能登半島の今は…。
5年後、10年後の能登半島は…。
あなたの「防災、備え」は、5年後の暮らしに活きて…。
命を守りつなぐ「防災」、その先への「復興プラン・準備」は…。
10年後、あなたの暮らす地は…。
今日何を思い、明日何をする、その次は…。
【これまでの記事・3.11】
◇10年目の「3.11」を前に。(2021/03/09 集団「Emication」)
◇13年目の「あの日・あの時」、そして「今年」。(2024/03/11 集団「Emication」)
◇12年目の「あの日・あの時」。(2023/03/11 集団「Emication」)
◇11年目の「あの時」(2022/03/11 集団「Emication」)
◇10年目。(2021/03/11 集団「Emication」)
◇9年目の「3.11」に。(2020/03/11 集団「Emication」)
◇8年目。(2019/03/11 集団「Emication」)
◇「3.11」。「『東北お遍路』巡礼地めぐり」(2018/03/11 集団「Emication」)
◇『あきらめないことにしたの』(堀米薫・著)(2017/03/11 集団「Emication」)
【関連】
◇J-SHIS 地震ハザードステーション(防災科学技術研究所)
◇ハザードマップポータルサイト(国土交通省)
◇奇跡の集落 吉浜|津波記憶石 【大船渡市三陸町吉浜地区】
◇三浦 寛行(Facebook)
◇情熱カメラマン(@jounetsucameraman)(三浦寛行;Instagram写真と動画)
◇東北を忘れない。(Never forget Tohoku!)(Facebook)
◇気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館(@kesennuma_memorial)(Instagram写真と動画)
◇はまらいんや!気仙沼(@hamarainya_kesennuma)(Instagram写真と動画)
能登半島地震が発生し、被災者そして日本に希望と元気を届けるイラストを金沢市に住む知人が描きSNSで発信していたことを、以前紹介しました。
今日、改めて思いを込め掲載します。

「昇龍」
石川県の形は登っていく龍に例えるられることもあり、県の形をモチーフにして今年の干支の龍のイラストにしました。石川県の模様はよく見ると人々が、心を寄せて助けあって、集まっています。また背景の三角の鱗模様は厄除けの意味があり、石川県を包みました。
滝を登る鯉が、苦しみの流れにめげずに登りきれば、龍になれるという言い伝えがあるそうです。
みんなの心とちからを寄せ合うことで、被災した方々が苦難を乗り越え、滝を登りきり、龍のように天高く登っていくことを願っています。

2025年03月01日
「弥生」のはじまり
今日3月1日、「弥生」の始まりです。
旧暦では、「和風月名(わふうげつめい)」と呼ばれる月の“和風の呼び名(和名)”を使用していました。日本書紀から使われ、起源は分からないほど昔から日本人が使ってきたものです。
1月は睦月、2月が如月、そして弥生、これに続けて…、12月の師走まで。
そして、それぞれに由来があり、弥生は「木草弥生ひ茂る月(きくさ いや おひ しげる づき)」という言葉が起源です。「弥(いや)」は“いよいよ”という意味があり、「草木がいよいよ生い茂ってくる」という意味です。
何かと世間が騒がしく、社会や経済の動きから目が離せませんが、これからの“いよいよ”を楽しみたいものです。

旧暦では、「和風月名(わふうげつめい)」と呼ばれる月の“和風の呼び名(和名)”を使用していました。日本書紀から使われ、起源は分からないほど昔から日本人が使ってきたものです。
1月は睦月、2月が如月、そして弥生、これに続けて…、12月の師走まで。
そして、それぞれに由来があり、弥生は「木草弥生ひ茂る月(きくさ いや おひ しげる づき)」という言葉が起源です。「弥(いや)」は“いよいよ”という意味があり、「草木がいよいよ生い茂ってくる」という意味です。
何かと世間が騒がしく、社会や経済の動きから目が離せませんが、これからの“いよいよ”を楽しみたいものです。

2025年02月28日
6-09 南部地区の古石塔(2) (作手村誌57)

城址に続き、作手地区に残る古石塔についての記録です。
現在では、記事にある状況とは変わってしまっている場所もありますが、石塔が建てられた当時の“想い”や“願い”を感じながら、作手の歴史を辿っていきたいと思います。
********
第二編 歴史 - 第二章 中世
第十節 古石塔
(つづき)
*南部地区の古石塔
〔和田出雲守墓〕 大字保永字エマツ(山林) (図35)
佐宗候計宅裏に2基の宝篋印塔があり、双方の間に「出雲明神」と記された石碑が祭祀されている。出雲明神というのは奥平貞俊の二男貞盛で、貞盛が出雲守貞盛と称したところから、後世、石碑の建立に際し、「出雲明神」と記されたものである。この出雲守貞盛は最初岩波に居住したが、1537(天文6)年石橋館の戦で、亀山城主奥平貞勝を援け、その功により和田城主となった武将である。宝篋印塔は建立以来幾星霜も経過しているにもかかわらず、損傷はほとんどなく、往時の姿をそのまま伝えているかのようで、村内の宝篋印塔のうちでは、保存状態の良い方である。

総高は70cmで、基礎19cm×23.8cm、笠14cm×26.3cm、相輪37cm×12cmである。
左側のものも右側同様に塔身が無い。そのうえ相輪の宝珠部分が欠落しており、右側に比較して総体的に小柄である。
総高は51cm、基礎17cm×19.2cm、笠11cm×24.5cm、相輪23cm×11cm
○ 出雲明神祠(1基) 砂岩製で江戸時代中期以降と推定される。全体的にしっかりしているが、前の柱二本が紛失している。
総高は4.8cm、基礎10cm×20.5cm、祠の総高38cm、屋がい幅25cmである。
〔黒谷久助墓〕 大字高松字松葉沢30番(山林) (図32)
この墓所について、『旧作手村誌』には、「大字高松北赤羽根黒谷源造氏の宅地の地端山林に…」とあるが、現在は同地には無く、字松葉沢のものを、その墓と称し、松尾大明神として祀っている。久助は奥平氏に仕官として、1573(天正元)年8月21日の打木の戦いで武田勢と激戦の末戦死した。

○ 宝篋印塔(3基) 室町時代中期末と江戸初期のもので砂岩製。3基いずれも完全なものは無い。
総高50cm、基礎21cm×21cm、塔身は無く、笠14cm×26cm、相輪も無く、宝珠15cm×10cmである。他は省略。
○ 一石五輪塔(3基) 砂岩製の室町後期と推定されるもので、2基は完全だがいずれも粗雑である。
全高51cm×幅20cmである。
(つづく)
********
注)これまでの記事は〈タグ「作手村誌57」〉で
注2)本文内で、縦書き漢数字で書かれている数値を横書きに改めて表記した箇所、年号に西暦を追記したところがあります。
注3)古石塔の所在記号が付されたものは、前項の分布図に表記されている箇所です。
《参考》
○ 古石塔とは、古くからある石造りの仏塔や石の塔を指します。
○ 石塔の種類?
層塔、宝塔、宝篋印塔、五輪塔、板碑、笠塔婆、無縫塔、石幢 など
○ 石塔の建立目的
仏塔は、仏教の開祖であるお釈迦様のお骨である舎利を納め供養する建物であるストゥーパ(サンスクリット語)に由来するといわれてます。
タグ :作手村誌57