2018年05月15日
「子守地蔵」《作手村のむかし 6》

初夏の気持ちのよい一日でした。
先週末,初物の青梗菜(チンゲンサイ)がありました。
中国から伝わった野菜ですが,今では日本各地で育てられる野菜となっています。
茹でただけで,素材の味わいを楽しみました。
今日は別の調理がしてありました。美味しゅうございました。
自然の恵みに感謝
文集「こうやまき」(1970年・刊)から紹介を続けています。
「作手地区の記録」を残していくものの一つです。お付き合いください。今日も「作手村のむかし」の一話です。
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『子守地蔵』 (文・作手中1年 男子)
高里の郷ノ根に子守地蔵が祀られている。このいわれについて書きます。
これは作手農林の先生の奥さんに先妻の子がいました。自分の子でないので何につけても,こ憎らしく感じ少しのことでも,なぐる,ける,あるいは,縫い針を刺すなど,残酷な育て方をしていました。近くの人達は毎晩,この子の鳴き声を聞かない日はなかったと言っていました。
ある寒い冬の朝,この子は,そそうをし,寝小便をしてしまいました。日ごろからきびしいせっかんを,続けてきた母親は,そうとうひどいせっかんをした後,全身冷水を浴びせかけ,寒空へほうり出しておいた。そのためにその子は,かわいそうに凍え死んでしまいました。母親は,残虐な殺人犯として検挙されました。部落の人達は母親に対する,憤りと,子に対する,慈悲の心から,子守地蔵を祀られたといわれます。
そして,通りすがりの人々に,当時のむごたらしさを思い出させ,子どもを育てる教訓として,今なお高里の郷ノ根に,祀られています。毎朝この前を通学しますが,この話を思い出しては,子守地蔵の顔を,眺めますが,地蔵様の顔は,残酷な母親の顔とは,うって変わった,慈しみのあるまなざしで,かわいらしいあかちゃんを抱いています。
ぼくも,こんな話にでるような,醜い家庭に生まれてこなかったことを幸せに思います。
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この話を読むまで,このような悲しい話が子守地蔵にあることを知りませんでした。
次に子守地蔵の前を通る時は,新たな気持ちになれそうです。