2024年10月17日
12-1 社会教育 (作手村誌57)

いろいろな種類があって、なかなか決まりませんでした。その中に「東海道新幹線弁当 60周年記念ver.」があり、開業60周年でもあり、それを選びました。
東京の郷土料理「深川めし」、静岡県産かつおぶし粉入りの薩摩揚、名古屋の「みそかつ」…
なかに、ノベルティーカードも入っていました。
美味しゅうございました。
『作手村誌』(1982・昭和57年発行)から「第四編 文化 - 第一章 教育・文化」-「第三節 社会教育」の紹介です。
“昭和レトロが若者に人気ですが、それとは違う内容になりそうです。しかし、昔の“教育を“今”に活かしていくヒントを探ってみたいと思います。
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第四編 文化 - 第三章 民俗
第三節 社会教育
近世の庶民教化は寛永5(1628)年の「御当家令条」にはじまった。明治になって河合為三郎(菅沼)妻コウが「孝貞慈愛」の廉で政府より表彰されたが、日清・日露の戦争を契機に学校という教育機関を核として官民一致、富国強兵、殖産興業の意図をもった民衆教育が行われるようになった。その一つが明治20(1887)年代に始った青年夜学会の急激な隆昌である。大正期に入ると通俗教育と地方改良講習会に力点をおき作手農林学校を会場として行われ、通俗教育が社会教育の官用語となったのは大正10(1921)年で本村では民力推進のため、衣食住改善、時間尊重、消費の合理化、礼儀重視を中心課題として取り上げている。

昭和になると、農村更生と国民精神作興に対処するため、各小学校ごとに成人教育講座を開き新しい動向を示した。同10(1935)年ごろより社会教育は軍国主義化の役割を持ち国家主義の方向に統一、戦争遂行にむけて組織化と制度化を強固なものとした。同15(1940)年に地区会、隣組を作り村民の相互教化、自主的実践の深化を図り、各小学校に「母の会」を開設して全村を戦時色に染め上げた。

*公民館活動
本村には独立公民館は存在しない。従来役場を本館とし4小学校を分館として活動を続けていたが、1975(昭和50)年開発センターが竣工しこれを中心的機関として公民館活動をすることとなった。この運営は社会教育委員で構成した審議会が当り、成人式、村政功労者の顕彰をはじめ、各団体が各種の研究活動をつづけ、また結婚式、披露宴等も行われている。分館活動は各小学校長を軸として地域住民の参加しやすい独自性をもって運営されている。地区によっては従来の集会所を廃し独力で公民館を新築した所もあるが、最近は「老人憩の家」を助成金を受けて建設し、公民館的機能を発揮している地区も増してきた。
(つづく)
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注)これまでの記事は〈タグ「作手村誌57」〉で
注2)本文内で、縦書き漢数字で書かれている数値を横書きに改めて表記した箇所、年号に西暦を追記したところがあります。
《参考》◇「地域の話題」から(リンク集)(2024/10/04)
Posted by ガク爺 at 17:00│Comments(0)
│作手
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