2019年01月31日

組織論(?)。「むかしの小学生の服そう」《生活の移り変わり 20》

カエル0131。 “暗い朝”でした。小雨が降り,日差しを感じられない天候です。
 その後も,しっかりと雨が降りました。久しぶりの雨は,乾燥した空気に潤いを与えてくれました。
 “困った雨”ではなく,“待っていた雨”の一日でした。

 明日の朝,路面凍結した所もあるかもしれません。気をつけて通行しましょう。



 最近,「組織」について考える機会と事柄が続きました。
 今日伺った話では,「誰が“リード”するのか」ということの“立場”と“分掌”が混乱し,組織のなかで“責任(者)”が理解されていないようでした。
 組織運営・マネジメントが機能してないまま,年度末を迎えているようです。

 組織の代表(管理職?)に伝えた方がよいのか,お節介なのか…。


 また,別の組織では,1月の「○○への対応10%」でした。
 その組織運営にとって“欠かせない○○ではない”ので,これで構わないのでしょう。
 ただ,自分の感覚では,“10%しか結果の出ない組織”との判断です。

 偶然知った結果ですので,お節介は止めておきます。



 文集「こうやまき」(1970年・刊)から,「生活の移り変わり」の一話です。
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   『むかしの小学生の服そう』 (文・菅守小5年 女子)

 わたしは,おばあさんに,話をききました。その話とは,おばあさんの小学生の頃の服そうについてです。
 おばあさんの小学生の頃は,今のわたしたちのように服などはきたことはなく,きものばかりだったそうです。
 日常は,きものにさんじゃくをしめていて,冬は,「はんてん」といって,わたのはいったのをうえからきていったそうです。
 式とか,おいわいごとがある時は,はかまをはき,はおりをきていったそうです。
 この話をきいて,わたしは,きものは,どのようにして買ったのかなあとおもい,おばあさんにきいてみました。
 できたきもの,できた反物は,ほとんど買ってもらったことはなかったよ。どこの家でも,ほとんど,かいこをかっていた。そのかいこの糸をとり,それを,家でおって反物にしたのだよ。反物をおる時に,しまもようにしておったのだから,今から考えると,気のとおくなるような話だね。
 今,わたしたちのきものの柄は,赤,黄,みどりと色とりどりの柄で,しかもそれはほとんどそめてつくってあるけれど,昔は,じみというのか,黒や白のいろが多く,時代の流れとともに,はでになってきたのではないでしょうか。今では,おばあさんが小学生頃きていた柄が,ちょうど おばあさんに また にあうぐらいだね。と,母が横から説明してくれた。
 この間,お針りをしていたおばあさんが 小さな布きれを わたしにみせてくれたことがある。
「これ おばあちゃんの小さいときの きもののきれだよ。」
 わたしは,
「これがあー。」
と,おどろいた。
 小さい一センチぐらいと,二センチぐらいの黒白のような,小さなしまもようであった。「こんなのをきていたのだなあ。」と思いました。
 今のように,きれいなきものをきないでしまった祖母が,なんだか,かわいそうな気がしました。
 きものをきる時は,今のおかあさんたちがきるようでなく,ひざの少し下のへんまできもののたけがあるように,みじかくきたそうです。
 きものをみじかくきり,くつ下などもなかったので,冬などは,さむかっただろうと思います。

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【おまけ】
 今日の新聞,テレビ欄。
嵐0131。

  


Posted by ガク爺 at 19:00Comments(0)作手