2019年06月16日

父の日。「甘泉寺夜話(3 茶壺)」(つくで百話)

花0616。 朝,小雨があり雨の日を予想しましたが,雲が切れ日差しのある晴れた日になりました。
 ただし,“暴風”と言えるような強い風が吹き,屋外のものが飛ばされそうな日でした。



 今日は6月第3日曜日で「父の日」です。
 5月の「母の日」に対し,「父親への尊敬と感謝の気持ちを伝える日」として「父の日」が制定されました。

 1909年に,アメリカのソノラ・スマート・ドッド(Sonora Smart Dodd)が,男手一つで自分を育ててくれた父を讃えて,教会の牧師にお願いして父の誕生月である6月に礼拝をしてもらったことが由来とされています。お願いから7年後(1916年)に,「父の日」が認知されるようになりました。
 1972年,アメリカでは国民の祝日となりました。

 毎年,日本ファーザーズ・デイ委員会が中心となって,さまざまなキャンペーンを行っているようです。
 今日,どんな一日でしたか。



 『つくで百話』(1972・昭和47年 発行)の「文化財と信心」から紹介です。
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    甘泉寺夜話
三 茶壷

 赭い禿頭の和尚さんは,急須に新らしく茶の葉を入れながら,お小僧に話しかけました。
「昔 秀吉公が伏見に城を築かれて,其処でお暮しなさる頃にな,北野で大茶会を催しなされた其時はな,公家衆でも,さむらいでも,町人百姓でも,上下の差別なく仲間入りが出来るというのでな,吾も吾もと大勢押寄せて,大賑いの茶会になったわけだな。
 それまでは,茶の湯などというのは上っ方のものでな,下々のものには及ばなかったことだな。
 其頃,千利久と申されるお方が居られて,このお方がいつも秀吉公のお茶の相手をなされた。茶道というて,お茶のいれ方,客への出し方,飲み方,茶器の遣い方,つまり作法じゃな,其 茶道を完成なされたお方なのじゃ。
 ある時 利久さまが伏見の陶工に命じてな,三つの茶壷を焼かせたと思うがよい。
  一つには 祖母懐
  二つには 母懐
  三つには 乳母懐
と申すのじゃった。
 利久さまは出来上った茶壷の中,母の懐を秀吉公に献上した。祖母の懐を近江の国の水源寺へ納められた。つまり此の甘泉寺の本山じゃな,永源寺の長老さまと仲がよかったからじゃろうな。そして姥の懐は手許え残してご自分の用になされた。
 元禄十四年に,春山和尚さまが此の甘泉寺を再建なされた時に,永源寺の長老さまからお祝いと寺を作りなされたご褒美に,祖母懐を下されたのだ。
 それ,お前がいつも茶の葉を出して来る押入れの茶壷よ。
 そんな由緒ある大事の壷じゃによって,お前も転がして壊さぬようにの,栓ポの抜きはめにも気をつけてくれや。」
 和尚さまは茶も出頃と急須を取り上げました。
 青坊主のお小僧はコックリ頷いで上眼で和尚の皺の深い顔を見上げました。
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Posted by ガク爺 at 17:00│Comments(0)作手雑記
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