2019年08月15日
終戦記念日。「わんかせぶち」(つくで百話)
大型の台風10号がゆっくり進み,気象だけでなく交通や催し中止などさまざまな影響のある日でした。
今日は,74回目の終戦記念日(敗戦記念日)です。
1945年8月14日,ポツダム宣言を受諾し,翌15日正午,昭和天皇による玉音放送によって日本が無条件降伏したことが国民に伝えられました。
一昨年(2017/08/10)に,写真「焼き場に立つ少年」を話題にしました。この時期になると思い出す写真(資料)の一つです。
昨年,ローマ・カトリック教会のフランシスコ法王が,この写真をカードにして配付し,話題になりました。
先日,原爆忌に関わった「“焼き場に立つ少年”をさがして」が放送されていました。この写真は“裏焼き”だと言われており,カラー化に合わせて右側の写真が示されていました。
この少年の“体験”に思いを寄せ,あの時代とこれからの世を想う,盆の一日でした。
『つくで百話』(1972・昭和47年 発行)の「川に因んだ話」から紹介です。
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わんかせぶち
見代のたきばたというところを流れている巴川に,わんかせぶちという淵があります。まっ青にすんだ深い淵です。
むかしむかし,見代の部落にあまりくらしのらくでない人が住んでいました。おこうしん様をまつったり,おねんきをしたりしても,お客様に出すおぜんやおわんがありません。その人は大変困っていましたが,ある時,この淵に行って,おぜんの数とおわんの数をいって,どうかかしてくださいとたのみますと,おぜんとおわんが,いった数だけ浮びあがってきました。それからは,ほかの人達も,何かあると,その淵へ行って,おぜんやおわんをかり,すめばお礼をいって返しました。
ところが,村の中に心がけのよくない人がいて,かりたおわんを全部すまさないで,こっそり自分のものにしたのです。それからは,部落の人が,いくらお願いに行っても,おぜんもおわんも,一つもかしてもらえないようになりました。
そこは,今でもまっ青にすんだ,深い淵です。そして,その名は今も,わんかせ淵といいます。
(権田 早苗)
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先回も紹介した 文集「こうやまき」(1970年・刊)に載っている話は,
◇「わんかせぶち」《作手村のむかし 18》
ですが,似た話もあります。
◇「 こうしんぶちの話」《作手村のむかし 23》
今,膳や椀を貸してくれる淵があれば…。
【「つくでの昔ばなし」掲載】
◇「わんかせ淵」
注)これまでの記事は〈タグ「つくで百話」〉で
【関連】
◇『焼き場に立つ少年』。(2017/08/10 集団「Emication」)
◇終戦の詔勅 (玉音放送)(YouTube)
◇「大東亜戦争終結に関する詔書」(原文・pdf)(宮内庁)
【火おんどり2019】
設楽原の戦い戦没将兵鎮魂の舞い「火おんどり」。
台風10号接近の大粒の雨と強い風のなか無事に開催されたそうです。
天正3(1575)年以降,毎年開催されています。
※写真はSNSより借用
今日は,74回目の終戦記念日(敗戦記念日)です。
1945年8月14日,ポツダム宣言を受諾し,翌15日正午,昭和天皇による玉音放送によって日本が無条件降伏したことが国民に伝えられました。
一昨年(2017/08/10)に,写真「焼き場に立つ少年」を話題にしました。この時期になると思い出す写真(資料)の一つです。
昨年,ローマ・カトリック教会のフランシスコ法王が,この写真をカードにして配付し,話題になりました。
「写真を見て心が動かされた。私が唯一、付け加えられると感じたのは、『これが戦争の結末だ』という言葉だけだ」
「この写真はどんな言葉よりも人々の心を動かすことができるので、私はそれを印刷して配布したいと考えた」

先日,原爆忌に関わった「“焼き場に立つ少年”をさがして」が放送されていました。この写真は“裏焼き”だと言われており,カラー化に合わせて右側の写真が示されていました。

『つくで百話』(1972・昭和47年 発行)の「川に因んだ話」から紹介です。
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わんかせぶち
見代のたきばたというところを流れている巴川に,わんかせぶちという淵があります。まっ青にすんだ深い淵です。
むかしむかし,見代の部落にあまりくらしのらくでない人が住んでいました。おこうしん様をまつったり,おねんきをしたりしても,お客様に出すおぜんやおわんがありません。その人は大変困っていましたが,ある時,この淵に行って,おぜんの数とおわんの数をいって,どうかかしてくださいとたのみますと,おぜんとおわんが,いった数だけ浮びあがってきました。それからは,ほかの人達も,何かあると,その淵へ行って,おぜんやおわんをかり,すめばお礼をいって返しました。
ところが,村の中に心がけのよくない人がいて,かりたおわんを全部すまさないで,こっそり自分のものにしたのです。それからは,部落の人が,いくらお願いに行っても,おぜんもおわんも,一つもかしてもらえないようになりました。
そこは,今でもまっ青にすんだ,深い淵です。そして,その名は今も,わんかせ淵といいます。
(権田 早苗)
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先回も紹介した 文集「こうやまき」(1970年・刊)に載っている話は,
◇「わんかせぶち」《作手村のむかし 18》
ですが,似た話もあります。
◇「 こうしんぶちの話」《作手村のむかし 23》
今,膳や椀を貸してくれる淵があれば…。
【「つくでの昔ばなし」掲載】
◇「わんかせ淵」
注)これまでの記事は〈タグ「つくで百話」〉で
【関連】
◇『焼き場に立つ少年』。(2017/08/10 集団「Emication」)
◇終戦の詔勅 (玉音放送)(YouTube)
◇「大東亜戦争終結に関する詔書」(原文・pdf)(宮内庁)
【火おんどり2019】

台風10号接近の大粒の雨と強い風のなか無事に開催されたそうです。
天正3(1575)年以降,毎年開催されています。
※写真はSNSより借用
Posted by ガク爺 at 17:00│Comments(0)
│作手
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