2019年12月27日

「奥平関係の城 木和田城・杉平城・岩波城」(続 つくで百話)

市1227。 朝,雪雲が広がっていて,「雨が降り出すの…。」と心配になる空模様でした。徐々に青空になり,晴れの一日でした。
 でも,“冬の強風”が吹き,厳しい寒さを感じました。
 いろいろな物が飛んだり,物が倒れたりしていました。

 暖かい冬が続いていましたが,この先寒くなりそうです。みなさん,温かくして過ごしましょう。



 朝,に寄りました。
 歳末の賑わいがありましたが,以前ほどは人がいませんでした。また,数年前から店が減ってきており,空いた場所目立ちました。
 少し寂しい気がしますが,“時代”なのでしょうね。

 市のもつ“価値”は,これからも“意味あるもの”のように考えますが,それを支えるものにはならない…。
 残念



 『続 つくで百話』(1972・昭和47年11月 発行)の「作手のお城物語(その二)」からです。
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    作手のお城物語(設楽町 沢田久夫)
      奥平関係の城 木和田城

 木和田部落の向側,善夫道から左へ少し入った山麓に小段地があり,二段に削平した外は土塁も空濠もありません。海抜五〇〇メートル。背后の山をのぼりつめると頂上が城ヶ峯で,二者は元来一体のものでした。
 「二葉松」は「涯田三郎左衛門次桜井与右衛門と載せていますが,涯田はキワダと読むのではないでしょうか。「菅沼記」は菅沼氏の祖木和田三郎右衛門ここに住し,後菅沼に移る」といいます。「郡誌」では桜井与右ヱ門を奥平の家老としており,上野国から貞俊に従ってきた桜井刑部大夫の子孫のようです。同地木和田薫氏の裏に与右ヱ門の墓があります。
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      奥平関係の城 杉平城

 杉平字登ヶ城にある山城です。部落の東方田代境にあり,海抜五二〇メートル,巴川からの比高二〇〇メートルと嶮峻ですが,田代側は五〇メートルそこそこです。山頂に約一千平方メートルの削平地があり,今は桧林となっています。この城は従来どの本にも出て居らず,従って城主も判明しませんが,南方新城方面への境の城として置かれたものでした。
 * * * 
      奥平関係の城 岩波城

 下岩波から大和田に越す茶屋坂の北方,城が峠の山頂に三段の小削平地がある外は,空濠も土塁もない素朴な山城です。ジョウの名で知れるように,恐らく南北朝から存在したと思われ,北方木和田城ヶ峯,西方本城山と呼応しています。城主は奥平出雲貞盛,其子出雲貞寄,其子定行で,同地に墓があり,塚に天保九年作の出雲明神という石祀を祭っています。「二葉松」の「岩波浅間山城」の名は,城ヶ峠の北に浅間神社を祭る嶺があり,その山顚を信号の中継に使用したため誤伝されたようです。
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Posted by ガク爺 at 19:10│Comments(0)作手
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