2020年08月13日
昔話「葦道山夢不動尊」 (続 つくで百話)

雨は短時間で済みました。
その後は晴れて暑さが戻りましたが,今日も気持ちのよい風が吹き,日差しを避ければ過ごしやす“田舎の夏”でした。
昨夜,ペルセウス座流星群がピークを迎えるというので,外に出て夜空を眺めました。
「これが流星!」と言い切れる知識を持ち合わせていませんが,天空を流れる星,綺麗な星空を楽しみました。
ところで,ニュースが「3大流星群の一つ…」と言っていましたが,その3つをご存知でしたか。
「三大流星群」とよばれるのは,毎年ほぼ安定して多くの流星が流れる「しぶんぎ座流星群」,「ペルセウス座流星群」,「ふたご座流星群」の3つです。でも,しぶんぎ座…,ペルセウス座…,ふたご座…,どれだ?
『続 つくで百話』(1972・昭和47年11月 発行)の「昔話」の項からです。
村制施行八十周年を記念して発刊された『つくでの昔ばなし』に,同名でお話が掲載されています。
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昔話「葦道山夢不動尊」 中河内 佐宗寸花
この伝説発祥地中河内は,作手村の最西部に位いして,南に霊峯獅子ヶ森を仰ぎ,北に御岳山がそそりたち,その間を東西にのびる部落のほぼ中央を流れている姉川の支流が,元の郡界線でありました。部落の中央部辺に,獅子ヶ森を水源とする細沢連川の渓流が流れこんでいます。この細沢連川に沿った山道を,約一,五キロメートルくらい登ったところに,昔,お寺があったという葦道山の泉が湧いております。
明治三十四年五月,今からざっと七十年ばかり前のことでした。佐宗とくという病弱な老婆が中河内に住んでおりました。とく婆さんの右手は,くの字形に曲り,その上,手首に大き々瘤ができて,これが疼ひので,毎日苦しんでおりました。時は初夏,春眠暁を覚えずといわれる頃でしたので,とく婆さんも,日頃の苦痛も忘れて,グッスリ寝こんでしまいました。その暁方近く一人の坊さんが,不動様の身変わりとして夢枕に現われました。
「わしは,五百年前,葦道山の寺にいたが,井戸に落ちこんででられないでいるから助け出して呉れ。そうして呉れたら,井戸水でもって,お前の病を治してやるし,諸願何んでも聞き屈けてやるぞ。」といい終わると共に,かき消すように立ち去りました。
その朝,とく婆さんは,近所の子供を道連れにして,杖をつきつき葦道山の方角へ山を登って行きました。夢のお告げを頼りに山の中を,あちこち探しましたが,寺屋敷らしいものは,中々見当たらないので途方に暮れておりましたが,漸く陽も西に大分傾いた頃,屋敷跡らしい石垣をみつけました。「ア,あったぞ。」という大きな叫び声が,あたりの山に谺しました。子供たちもみんな馳けよってきて,井戸らしいものの中に,たまっていた落葉をとり除いたり,埋まっていた砂を掘りとりますと,下の方から右の不動尊が現われました。

せめて一合でもお水を迎えたいという人。体を清める人。様々な病気平癒を祈願する人。美人になれるからと顔を洗う人。盲の眼が見えるようになったとか。戸板に乗ってきた人が歩いて帰ったとか。この水を売って一儲けしようと樽ヘ一杯つめて持ち帰った人が蓋をとると一滴もなくなっていたとか。いろいろの話がパッと燃えあがりました。不思議な不動様の水だという噂は電波の如くに遠近各地に伝わりました。遠くは名古屋,静岡県,長野県からも参詣者が続々と押し寄せてきました。東京歌舞伎の名優が大入叶の祈願にやってきたという噂もありました。
あの山道,この峰づたいにと,参拝の人波は珠数を連ねたようにつづきました。菓子屋,飯食店の小屋は幾十となく建ち並び,酒に酔う者,歌を歌う者,踊る者など,ひしめき合って,この山奥も,僅かの間に繁華街のような賑いとなりました。遠方からも線香の煙が棚引くのがみられ,沿道には不動尊の幟旗がギッシリたち並び,毎日毎日,お祭りのような大騒ぎで,夢不動尊は大繁昌となりました。中河内部落では賽銭当番をきめて交代でつとめることにしました。
遠来の参拝者のために宿屋を建築することになりましたが,その建築工事にからんで,木材盗伐問題が起こりました。当時の高里駐在所の本田巡査は,絹篩という綽名の男でしたから,こんなことを見逃がす筈もありません。事件を取調べている中に「こんな不動様などかついでの迷信はよくない。大体,この泉の水は不衛生だから禁止する。」といって停止の標札を建てました。そして,泉の周囲は頑丈な竹矢来で囲み,近寄れないようにしてしまいました。村人たちは,降って湧いたような事態にあわてふためきました。
「ひどいことをするお巡りだ。今に罰が当たるぞ。」といって竹矢来に縋りついて怒りましたが,官憲の威力の前には全く手も足も出ませんでした。間もなく本田巡査に不幸が降りかかりました。不動尊の罰だと村人は留飲の下がる思いでした。
夢不動尊が繁昌殷賑を極めたのは,僅か半歳くらいの間だけでしたが,その間に集った賽銭の莫大さに村人は驚きました。この賽銭を基金として明治三十五年十二月に細沢連川の下流の観音堂境内に石造の不動尊を建設いたしました。台石とも約三メートルの不動尊像は,風雪七十年の変遷をみそなわしながら,そのかみの泉を偲ばせ給うかの如く,細沢連川のせせらぎを俯瞰しつつ安座ましますのでございます。
葦道山の不動尊には,今も日参する人,時折,左繩で不動尊をしばり,「祈願を叶えて下され」と頼んでいる人をみうけます。これを,一途に,迷信とけなしさることはできないためらいの心が,私共の心奥にひそんでいることを否定することはできません。摩詞不思議の霊魂の世界を頭に描きつつ,ありし日の葦道山不動尊の繁昌をふりかえる,今日此頃の私でございます。
追記
一、葦道山 昔の寺屋敷の呼名,作手村大字中河内字南細沢連一-一六山林
二、佐宗とく 中河内字西貝津十七番地,国道三〇一号線の北側。元屋敷に白椿の大木あり,毎年見事な花を開く。
三、取材協力者 荻野三郎,佐宗波公丸,筒井運一,佐宗しゅん,加藤しげ,佐宗きく,佐宗のぶ,荻野ちか
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【「つくでの昔ばなし」(昭和61年11月発行)掲載】
◇『葦道山夢不動尊(あしどうさんゆめふどうそん)』
注)これまでの記事は〈タグ「続つくで百話」〉で
注)『つくで百話』の記事は〈タグ「つくで百話」〉で
【知人の一言】
暇にまかせて / マスクして フェイスガードに 手に袋。/ コンビニ強盗 紙一重ガラスに映った自分の姿を見て,「ぎょっ!!」としたことありませんか。
Posted by ガク爺 at 17:00│Comments(0)
│作手
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