2020年09月15日
つくで百話こぼれ話(1) (続 つくで百話)

終日,教育実習の準備をする大学生のお手伝いをし,中学校,高等学校の数学の授業づくりの相談をしました。
一昨日の記事のように,「個人で学ぶ…」「ペアで学ぶ…」「グループで学ぶ…」,そして「教師が指導する…」ことについて,それぞれの意味を考え,数学の内容,授業技術を学ぶ機会でした。
充実した教育実習となり,教師になろうという意志が明確になることを願う一日でした。
『続 つくで百話』(1972・昭和47年11月 発行)の「つくで百話こぼれ話」の項からです。
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つくで百話こぼれ話 峯田通俊
巴山水源碑

私が使用した歌詞は,作手村誌より転載したものであるが,星野孝先生のとられた拓本をみると,歌碑の文字は,変体仮名や萬葉仮名の草書体があちこちに散在しているので,村誌編集委員諸氏も判読に苦心されたであろうし,濁音は読み易くするために,わざとつけられたものと考えられる。ついでに,星野先生の文章の一部を借用すれば。
「皇太后太夫俊成卿は,平安末期の歌人で,千載和歌集の選者,そして三河国司でもあった。
(中略) 徃古の街道が,たとえ,この辺りを通っていたとしても,国司藤原俊成か,ここを訪れたかどうか。また俊成の歌であるかどうかは別としても,わが町の先人が,巴山の山頂に巴山にふさわしい歌を石に刻んで建てた心のゆかしさを思わずにはおられない。」云々と
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注)これまでの記事は〈タグ「続つくで百話」〉で
注)『つくで百話』の記事は〈タグ「つくで百話」〉で
Posted by ガク爺 at 21:00│Comments(0)
│作手
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