2023年02月09日
3-1.1 「第三章 中世」 (作手村誌)

今日、名古屋に出かけました。日中の電車や地下鉄は空いていましたが、目的地や立ち寄ったところは“人がいっぱい”でした。
目的にしていたことは、とても充実し、楽しかったですが、「人混みに疲れました。」
普段と違うこと、新しいことをするのはわくわくしますが、新型コロナ禍で“混んでる”のは以前より辛さがあります。
『作手村誌』(1960・昭和35年発行)は、「第一編 郷土と自然」から「第二編 村の沿革と歴史」へと続きます。
昨年の大河ドラマが鎌倉時代、そして今年は徳川家康を描いています。
その時代そして人物について見ていきます。
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第二編 村の沿革と歴史
第三章 中世
鎌倉時代
源頼朝武家の棟梁として兵馬の権を掌り六十六国総追捕吏に任ぜらるるや、国に守護を置き荘園に地頭を置いた、次いで第82代後鳥羽天皇の建久三年征夷大将軍に任ぜらるるや幕府を鎌倉に開いて天下に号令するに及び、武家政治もここに始まるに至った。当時八名、設楽の郡領に伴助高と云えるものあり、地頭となる、設楽四郎と称した伴俊実の男で建久元年藤原泰衡の残党を計討伐して功あり、後仏道に帰依して大般若経六百巻を鳳来寺に献納した、其の奥書に
建久十(己未)年(設楽系図には四年とあり)十月三日(建久十年は四月二十七日正治と改元す)三州鳳来寺宝前安置之とあったが、明治八年五月火災の際焼失して今はない。
願主 設楽四郎 伴 助 時 藤 原 氏
足 利 堀 中 書
厳 勝 房

諸豪族勃興時代
平安朝時代末期より諸豪族勃興の機運に向い数多の豪族が各地に起った。鎌倉幕府の執権北条泰時の頃足利義民が三河の守護となり、幡豆郡東条に長男義継を、西条に次男長氏を居らしめた。長氏に満氏、国氏の二子あり。長氏次男国氏を伴いて駿河に移った。国氏始め三河の今川の荘に居った故に駿河に至っても今川氏を称した。これが今川氏の祖である。その後西条に居りし満氏はその地を吉良と呼びしより後吉良氏と改めた。第88代後嵯峨天皇の寛元年間源頼氏三河守(源義国の孫)となった。本郡に関係深きおもなものは、設楽氏、富永氏、奥平氏、千秋氏等である。
郡県の制漸く紊れ政治のこと全く武門に遷らんとするの際千秋三郎清季本郡野田郷に来りその附近を領したり(二葉松に千秋常陸介範勝大友氏次を討ってこの地に住す云々とあり)。その孫朝氏(三郎) 以降清氏(太郎) 範重(常陸介) 等相次いでその領を襲いだが後千秋断絶するに及び富永直郷(隠岐守) 信資(兵庫頭) 久兼(兵庫介) 千若丸代々その跡を継いだ。
(つづく)
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注)これまでの記事は〈タグ「作手村誌」〉で
注2)本誌の本文内で、小文字や2行表記等されているものを、( )で示している。
【おまけ】
今日、気になった投稿。
多くの方に伝えたい「学校のようす」。
※ 追記 23/02/11
Posted by ガク爺 at 21:00│Comments(0)
│作手
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