2023年05月08日
3-1.27 「平野孫兵衛・他」 (作手村誌)

当地では、被害の出るような激しい雨ではありませんでしたが、今朝は国道に“雨量規制”が出ていたようです。
(作手中学校のホームページより)大型連休明け、元気に始まりましたか。
雨量規制が出ているのでバスの運行ができません
作手地区の菅守地区と協和地区は、昨夜からの雨が150mmを越えたため運行できない状況です。301号線でも、一部の区間で、倒木があったり水が大量に出ていたりしています。
状況判断をしっかりし、安全を第一に考え、登校の判断をしてください。
『作手村誌』(1960・昭和35年発行)は、「第一編 郷土と自然」から「第二編 村の沿革と歴史」へと続きます。
昨年の大河ドラマが鎌倉時代、そして今年は徳川家康を描いています。
『作手村誌』(1960・昭和35年発行)から「諸豪族勃興時代」の奥平氏についの紹介です。
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第二編 村の沿革と歴史
人物 奥平氏
(つづき)
平野孫兵衛
奥平氏譜代の臣、守義に住す。
桜井与右衛門
奥平氏の家老、木和田に住す、墓同所にあり。
木和田三郎右衛門
土岐光兼(美濃在住)の二男、木和田に住す。額田郡菅沼村に到り紺屋某方に宿りその娘と通じて一子を生む。三郎右衛門此の地に留まり近郷の嘱に応して公役の事を掌る。後今川氏、三郎右衛門の素行を聞き菅沼附近の地を与えて採用す。其の子菅沼三郎右衛門と称し、始めて菅沼に城を築く、これ菅沼氏の祖なりと「後菅沼伊賀守資長」其信濃守定直ならんか。
河合八度兵衛
奥平信昌の臣、木和田城ヶ根城に住す。毎戦克く戦功を顕わしたるも、(第百六代)正親町天皇の元亀三年三方ヶ原の戦(徳川織田の連合軍と武田信玄との戦)に武田軍の士落合某に殺さる。
河合十度兵衛正徳
奥平氏の臣、設楽郡河合村に生る、禄二十俵を食む。子勝十郎(亦十郎左衛門)正信(第百六代)正親町天皇の永禄七年五月岡崎に召出されて二十石を給与せらる(第百七代)後陽成天皇の慶長七年二月江戸に於て歿す、下谷本蔵寺に葬る。法号覚法院宗信日栄。
山田十郎左衛門
松平下総守忠明(奥平信昌の第四子)の臣、鴨ヶ谷に住す、後陽成天皇の慶長十九年大阪冬の陣に戦死したり。
兵藤太郎八
五老の一人、兵藤家初代安芸の子、北畑を領す、太郎八に至り始めて奥平氏(貞久時代)に従属す。一説によれば北畑の領主兵藤家二代太郎八の奥平氏従属は、貞昌(貞久の子)時代なりと、戦功により五老に列し出征中戦死す。
(つづく)
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注)これまでの記事は〈タグ「作手村誌」〉で
注2)本誌の本文内で、小文字や2行表記等されているものを、( )で示している。
【参考】
◇今朝までの観測所情報(雨量)より。

◇新型コロナウイルスの感染症法上の分類が変わって。発症後の療養期間。

◇児童・生徒の発症後の出席停止期間の扱い。(読売新聞オンラインより)

Posted by ガク爺 at 17:00│Comments(0)
│作手
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