2023年11月21日
7-4.2 地名の由来(1) (作手村誌)

事件や訴訟などを伝えるものですが、その“説明・コメント”に違和感をもつことがあります。
ハラスメントを捉えるとき、個人と組織のいずれを“上位”(?)にしているかで、受け取りは異なります。そうした違いはありますが、“組織が動く・組織で動く”には、ハラスメント的な号令や命令が存在するでしょうし、それを優先する“場・時”があると思います。
このニュースは、○○を優先する場のことでは…。
『作手村誌』(1960・昭和35年発行)から「第四編 文化 -第四章 俚諺・民謡・伝説」に再び戻り、「第四節 伝説」から紹介します。
作手地区に伝わる昔話や伝説、そして習わしがまとめられています。
この項では、地区名の由来などが紹介されています。
あなたも聞いたことがあること、知っていることがあることでしょう。
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第四編 文化
第四章 俚諺・民謡・伝説
第四節 伝説
(つづき)
◎ 地名の由来
◇多原郷…… 作手村大字田原がある、往古田原村と称し多原郷の本土である。其の境域は其の附近及び黒瀬の郷と同じく、民部式倭名抄等に載するを始めとするも其の彊域に関しては殆んど知ることが出来ない。本村須山善福寺の縁起及郷社白鳥神杜の旧記によると 「景行天皇の朝日本武尊東夷を征し給う砌り当所に至り見給うに八方峰高く中平なり、故に御名を多原と称し 後此の地一面(現作手村一円)の称となる云々」……と、叉後に原を耕して田とするところ多いから田原と改むとある。
◇作手郷…… 古文類従に云える如く作手郷は多原郷の改称であろう、その改称年代は詳かでない。善福寺縁起及び作手地方の口碑に依れば、善福寺の聖徳太子御彫刻の仏像の臂折れし故郷名を「割手郷」と改め、その後中興真済僧正自ら御手を作り往古の如く為し、それより作手郷と改めるとある。其の地域は広く作手村を中心にして鳳来町の愛郷・塩瀕・布里及び北設楽郡田峯地方にも及んでいる、又新城町の内臼子地区・宮崎村の千万町まで含んでいたことがあるようである。
◇菅沼…… 此の名は城主菅沼家より取ったものと思われる。この地は三河菅沼の最初の地にして定直公の代に田峯に移り後野田城主となる。
◇長者平…… 天文年中米福長者がこの地に居たところである。地名もこれより名付けたものと思われる。長者豪族にて繁栄すと別記古記参照されたい。
◇田原…… 田原は往古より大部分原野沼沢をもって成れる湿地にして西北に位置するところ大森林(先年発堀し実証)を為し想像するも物淋しい感じの土地であったと思われる。現在の田原の中心地は人口も稀であったが広く平坦なる地帯を有するのと用水も相応に良好であるところから次第に田地に開墾せられ現在の形態を成し来ったようである。中世に入り奥平家の一族が旺盛にこの土地を領していた頃を考察してみると現在と大いに地域を異にしている。城下より城下への道路も、菅沼より木和田を経て田原の大東を通って川尻方面に向って通じていたので、当時の田原の中心は大東にあったようである。中古の屋敷跡が同地に多く存在しているので推測せられる。
(つづく)
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注)これまでの記事は〈タグ「作手村誌」〉で
【参考;3か月予報】
◇3か月予報(2023年11月21日発表)の解説(気象庁)
◇気象庁3か月予報 冬も気温高(ウェザーニュース)

Posted by ガク爺 at 17:00│Comments(0)
│作手
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