2023年02月20日
1-7 少年の日の“ひがみ”(3) (昭和に生きる)

気温が上がり暖かくなったところも多かったようですが、当地は寒かった。
故・渥美利夫氏が還暦の年に著した『昭和に生きる』(1987(昭和62)年刊)からです。
渥美氏の教育実践、教育論は、“昔の話”ですが、その“根”そして“幹”となるものは、今の教育に活きるものです。これからの教育を創っていくヒントもあると思います。
本書のなかから、“その時”に読んで学んだ校長室通信を中心に紹介していきます。「考える」ことが、若い先生に見つかるといいなあと思います。
この項は、「昭和62年『考える』116号」から構成されています。
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昭和に生きる
少年の日の“ひがみ”
青春時代
青春時代は、太平洋戦争のまっ只中にあった。教職を志して師範学校に学んだのであるが、あの大正・昭和元年生まれと、昭和二年の早生まれとのちがいは、徴兵検査、入隊といったときにも頭をもたげてきた。
昭和十八年九月、全国の大学における法文科学生の徴兵延期が認められなくなって、十二月一日には、第一回の学徒出陣で三万五千人の学生が兵営に送りこまれた。師範学校の学生は、この年はまだよかったが、翌年には徴兵延期が認められなくなった。
したがって学び舎は、そのまま兵営につながることになる。流れてくるものはすべてのみこんでしまいそうな暗い不気昧な洞窟がぽっかりと口を開けて待っているという様相になってきた。
その洞窟の前に立たされてみると、戦争に勝つということや負けるということよりも、まずは避けがたい死ということがつねにまつわりついて、わたしたちを苦しめていた。だれもが何年か先の自分はどうかと考えるよゆうなどあろうはずがなかった。それよりも、わたしたちには国家の運命とか、勝利のために身命を投げうつことのみが、神州護持の旗じるしのもとに要求されていたのである。そのような要求に無条件で応ずることは、社会の激しい流れにそのまま身をゆだねるということで、それはかんたんなことだと思い、だれもがそうなるんだという気易さも手伝って、それなりに感動的なことでさえあった。しかしながら、それはそうなんだが、その反面、どうかして自分だけはその枠外においてもらえないものかという思いが、心の奥底にあることはどうしようもないことである。妄想にかられながら、ときにハッとして自分にかえったことがしばしばであった。死とか生とかをぎりぎり自分に引きよせてみるとき、どうしても避けて通ることのできない問題点と思うのだが、なにかやましい思いにかられ、一種悲痛な思いがともなうのは、どうしようもないことである。けれどもそれらもしょせんは運命の瞬間が刻々と迫っているのだ、ということを思い出すきっかけになるにすぎなかった。

(つづく)
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注)これまでの記事は〈タグ「昭和に生きる」〉で
注2)掲載しているイラストは、学年通信(1993・1994年度)用に教員が描いたもので、図書との関連はありません。
【おまけ】
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