2023年02月23日
天皇誕生日。2-1.1 青年教師時代(1) (昭和に生きる)

故・渥美利夫氏が還暦の年に著した『昭和に生きる』(1987(昭和62)年刊)からです。
渥美氏の教育実践、教育論は、“昔の話”ですが、その“根”そして“幹”となるものは、今の教育に活きるものです。これからの教育を創っていくヒントもあると思います。
本書のなかから、“その時”に読んで学んだ校長室通信を中心に紹介していきます。「考える」ことが、若い先生に見つかるといいなあと思います。
この項は、現代の教育へ続く「戦後教育史」を見ることができます。
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戦後教育史の片隅に生きる
教科書の「仏法僧」の教え方に疑問をもったわたしは、成長して学校の先生を職業に選んだ。教える立場になったとき、当時の担任の先生の苦しい胸の内がなんだかわかるようになった。
そして、“ひとつの想い”をふくらめていくことになった──。
青年教師時代
偉大なる師との出会い──東郷東小学校
昭和二十二年、新制中学校の発足と同時に長篠中学校へ赴任した。三年間で東陽中学校へ転出したが、わずか一年で、昭和二十六年四月、東郷東小学校へ転任することになった。建設そして創設途上の中学校生活にわずか四年で別れをつげて待望の小学校の教師になった。かねて抱懐していた“生活教育の実現”のため社会科教育を正面にすえて挑もうと決意をしたのであるが、そこには当時、東の校長であった田中清一先生の助言があったことを忘れることはできない。田中校長は新進気鋭の若手のヤリ手という評判のほまれ高い名校長であった。わずか一年二か月お世話になっただけで、先生は県教委の学校指導課の指導主事にご栄転になられてしまった。その田中先生が赴任早々のわたしをとらえて、つぎのようにおっしやられた。
「よくみるがよい。この新城地方には、国語では井上、理科では中島というように、ずばぬけた教員が各教科にはいる。しかし、お前がしようとしている社会科にだれがいるかね。歴史ならだれ、地理ならだれといっても社会科といえばいない。それは社会科の歴史が浅いからといってもよかろう。お前は一年で学校のなかで認められ、五年で新城地方で頭角をあらわすようにせよ、おれはお前ならできると思う。

社会科教育の理論の勉強とともに、真剣に子どもたちと社会科学習にとりくんだ。問題解決学習の実践に体当リの日々が続いた。東小学校へ移って三年目、わたしは、“人生の偉大な師”とめぐり会う幸運に恵まれるのであった。それは、わたしの教員生活にあってきわだった曲がり角であり、しかも“生涯最良の日”であったことは、たしかなことである。
(つづく)
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注)これまでの記事は〈タグ「昭和に生きる」〉で
注2)掲載しているイラストは、学年通信(1993・1994年度)用に教員が描いたもので、図書との関連はありません。
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