2017年03月17日
昭和の『先生のいろは』 11
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明日も,よい天気になりそうです。
今日,愛知県公立高校の合格発表がありました。
今回から入試制度が変更されていますが,「合格」を素直に喜べなかった子は出ていないものと思います。
合格されたみなさん,おめでとうございます。
新しい生活に,大きな“夢”を描きましょう!
冊子『先生のいろは』の11回目です。年度末に向けて集中して紹介しています。
1977(昭和52)年頃と現在とは,社会のようすは大きく変わっていますが,「今も変わらず…」という内容もあります。年度末の今,改めて“今の先生方”にお伝えします。何か参考になることがあれば幸いです。
8 授業
(6) 仕事をする
仕事には色々ある。書写,考えをまとめて記録する。観察,実験,描写,工作,手芸,作図,測量,調理,製作,作曲,演奏,音楽鑑賞……
ア 仕事をする時はほとんどの場合に,何か道具,器具がいるものだ。この道具のいかんによって能率がちがい,作品のできばえが大変ちがってくるものである。そればかりか身体的な害さえあることになる。
例,音程のくるっている楽器や毛がすりへってしまった毛筆は駄目であるが,切れ物は切れなくてはいけない。レンズは倍率がよく面がきれいでなくてはならない。彫刻などは彫刻刀が切れれば作品もよく早くできるが,切れない時は無理をして,よく負傷したりするものである。
イ アに記した器具と同様に,影響の大きいのは,場の有無であり,学習環境のよしあしであろう。
特別教室の有無,学習のための各種器具,けんび鏡,ステレオ,画架,視聴覚・教育機器の有無やその新旧の程度なども,授業の形をかえる因となる。
ウ アよりも,イよりも,最も大きなものは,よき指導者の有無である。技(うで前)と熱意である。
言葉であれこれ説明して指導するよりは,教師みずからが子供の前で技を示したらいかが,模範演技である。
指導の実をあげることの最大の基盤は,何といっても教師自身が子供達から信頼され尊敬されることである。
エ 学習意欲を高め,ひいては効果をあげるのに服装の問題がある。養教の先生,理科,家庭科の先生が白衣を着ているとか,体育の先生はいうまでもないが,技術の先生がよごれてもいたんでもという気持ちで作業衣を身につけるなどは,美術の先生が絵の具のついたコートを着ているのにも似て,いずれも結構である。
同じことが子供についても言える。
しかし,この服装が,次の時間の別の授業にまで及ぶのはよくない。例えば,外で着ていたジャンパーのままで社会科の指導に立つなどです。
一般に言って若い先生ほど,ノーネクタイで丸首シャツやTシャツを着,カラフルなものが多い。必ずネクタイをつけ上着を着て……などというのではないが,何でもよい,どうしていてもよいと言う程の気持ちには,私はなれない。原則は原則としてほしい。服装いかんで気持ちが変わると思うんです。
オ 無精ひげ,手入れの悪い頭髪をした男の先生,爪や唇を真赤にしたり,極端に髪の色をかえている女の先生など,どちらも私はあまり気分がよくない。
授業中子供の心を散らしたり,保護者にとやかく言われるようでは,理屈ぬきで好ましいことではない。又,いくら暑いからといってランニングシャツや袖なしを着て,脇毛が見えるなどは困ったものである。古い考えなんですかね。
ちょっと,わき道へそれたようである。もう一度授業へ話をもどすことにする。
カ 授業の徹底をはかるには,こどもが使う学習器具がまちまちでない方がよい。ノート,絵具,色鉛筆,学期,辞書などいろいろあろう。中には高価な物もあるので無理にそろえることは困難であろうが,考えてよいことである。
キ 道具は本来の目的にあった使い方をしたいものである。指示棒はこどもの頭をたたくものではないし,跳び箱は腰掛けではない。ほうきははたきではないし,バケツは楽器ではない。
ク 農具,車輌,体育器具など,すべての施設備品について言えることであるが,破損したらすぐ修理して,いつでも使えるようにしておくこと。破損物は使えないし,無理に使うと負傷しやすいものである。
ケ 毛筆での線の引き方,マジックで太く細く書く方法,ものさしで紙を切る,厚紙へ字や絵を書く,刃物のとぎ方,ナイフの使い方など,中学校を卒業するまでにはおぼえさせておきたいものである。
記号 1 (1) ア a (a) 。 . ~ 中点 , 「 『 ( ) 〔 〕 → 〃 } 々(漢字一字)とΛ(かな二字)くり返し くとう点 等の正しい使い方と書き方を
コ 見学とは,見て学習することである。体育の時間に実技指導も見えない教室にいることは,見学ではなく欠課(欠席)である。せめて見て先生のことばを聞くことが必要である。
授業中忘れ物をしたこどもを家へ帰したり,教室の外へ出して授業を受けさせない等は,正当なことではない。
「今とは違う…」ということもありそうですが,“思い”は伝わりそうです。
先生,いかがですか。
次回は,「8 授業 (7)学習形態」です。
【昭和の『先生のいろは』】
○昭和の『先生のいろは』 「校門を入って」(2017/02/16)
○昭和の『先生のいろは』 2 「玄関や子供の昇降口に立って」(2017/02/18)
○昭和の『先生のいろは』 3 「校長室や職員室を眺めて」(2017/02/21)
○昭和の『先生のいろは』 4 「廊下や土間廊下を歩いて」(2017/02/23)
○昭和の『先生のいろは』 5 「便所」
○昭和の『先生のいろは』 6 「各種の室(教室を除く)」
○昭和の『先生のいろは』 7 「教室(前半)」
○昭和の『先生のいろは』 8 「教室(後半)」
○昭和の『先生のいろは』 9 「授業(1)~(4)」
○昭和の『先生のいろは』 10 「授業 (5)書くこと」
○『先生のいろは』 その8-3 「授業 3 仕事をする」
○『先生のいろは』 その8-4 「授業 4 学習形態」
○『先生のいろは』 その8-5 「授業 5 先生よ くり返して述べよう」
○『先生のいろは』 その9 「??」
○『先生のいろは』 その10 「あたたかい先生に」
○『先生のいろは』 おわりに
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