2020年04月19日
穀雨。作手の剣道(15)(続 つくで百話)
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今日は,二十四節気の一つ「穀雨」でした。春のやわらかく温かい雨が降って,穀類の芽が伸びてくる頃です。この時期に種蒔きをすると作物の生長に欠かせない雨に恵まれと言われます。
最近の暴風や激しい雨に,暦の「やわらかく…」が遠くのことに感じます。また,新型コロナウイルス感染症によるギスギス,ピリピリした雰囲気が,春の愉しみを弱めているようです。
今朝読んだブログに,こんな記事がありました。
本日は、1時間散歩した以外は巣ごもりしました。この方が見たホームページのことは分かりませんが,同じことを感じる学校ホームページがあります。
休日で外出を自粛している多くの方がみえるのに、なぜ、わざわざ学校に出勤して、雨の運動場の写真を広報する意味があるでしょうか、と言いたくなる学校ホームページを見ました。
この学校は、子どもの様子よりも(略)
土日も働いていますというアピールが通用するのは昭和の時代までです。学級通信をとにかく毎日発行することで、自己満足していた教師に似ています。しかも内容は、どうでもいいようなものばかり…。
今はまるで逆で、「どうして外出自粛の中で出勤しているの。そこまでブラックなの?」と疑念を抱かれますよ。
雨の日に運動場が水浸しになることなんて、学校ホームページ見なくても、わかり切っていることです。(略)
多くの学校が〈自宅で“学ぶ”児童生徒〉に向けた情報発信で,子供達の意欲を高めたり,安心を与えています。
保護者は,学校ホームページや学びサイトなどの“ネット情報”を,これまでよりも多く見ており,それを参考にしています。
そのなかで“比較”が起こるのは必然です。保護者が大切にする情報は…。
保護者のみなさん,お子さんの学校から“素敵な情報”はありますか。
先生,学校ホームページや連絡メールの情報は,保護者のみなさんが求めているものですか。子供が次の情報を待っていますか。
『続 つくで百話』(1972・昭和47年11月 発行)の「作手の剣道」の項からです。
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剣道を実生活に活かす阿部金重
太平洋戦争から終戦へ
支那事変の膠着状態を打開するためと称して決行された仏印進駐に伴って,東亜の戦雲は愈々急を告げることになりました。昭和十六年十二月八日,仏印カムラン湾に停泊中,大東亜戦争の宣戦大詔を奉受して戦争状態に突入しました。彼の所属していた南方燃料廠長直轄野戦作井第一中隊は,同月二十日石油戦争のため英領北ボルネオに敵前上陸を敢行して,石油施設の復旧や製油作業にとりかかりました。この時から彼の研究蘊蓄を傾けて,その本領を発揮する段階にはいったのであります。上陸直後,渇を癒やすために,椰子の樹によじ登って,頭部大の実をもぎとって果汁を一息に飲みほした時に,思わず口走った一句に“頭大の椰子の実から汁五合”というのがあります。
昭和十七年五月二十五日,大戦開始後第一回目の原油を大阪の乾汽船のタンカーに搭載して内地へ出航させる指揮をとった彼の感激は言語に絶するものがあったときいております。
その年六月三日には,総司令部の命令で,単身飛行機でビルマに飛び,エナンジョ付近の採油,送油施設の復旧やラングン製油所の復旧作業などを現地人の協力を得て完遂しております。かくして,昭和十八年頃に,現地軍が給油を支障なくやれるようになったのも,彼に原住民がなついて協力を借しまなかったからであります。この間彼はビルマの青少年に日本語と技術を教える中等程度の教育機関を設立して,その育成に努力いたしました。
昭和十九年には第二〇野戦道路隊長に転出してビルマ──ベンガルに通ずる作戦道を完通させました。途中にある大山脈を突破横断した,この道路貫通については軍司令部から賞詞を受ける光栄に浴しております。この道路ができておりましたために昭和二十年四月二十六日ビルマ軍の反乱に際して,日本軍が転進するのに大きな貢献をしております。
昭和二十年八月十五日ビルマ,タイ国境付近の山中で終戦の大詔をうけた時は,一時失神状態に陥りましたが心気一転,タイ集結の準備に着手して,翌二十一年一月一日,目的地に到着いたしました。そして間もなく二十四ヶ年続いた彼の軍隊生活に終止符がうたれました。
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注)これまでの記事は〈タグ「続つくで百話」〉で
注)『つくで百話』の記事は〈タグ「つくで百話」〉で
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