2018年07月07日

小暑。七夕。

七夕0707。 今日は二十四節気の一つ「小暑」です。
 一年前の大雨で「線状降水帯」を知り,大変だと思いました。それが,今年は大雨警報が発令されたままであったり,命を脅かす危機を伝える大雨特別警報が各地で発令されたりと,自然の驚異の“異常さに困惑しています。

 “普通”の天候であってほしい。


 今日は五節句の一つ「七夕(しちせき)」です。
 7月7日の七夕といえば,この日に「織姫と彦星が年に一度再会する」とされ,願いを書いた短冊を笹竹などに飾ります。

 みなさんは,短冊を書きましたか。
*(写真右)お子さんを迎えに来たお母さんは,短冊を見て,「わが子かしら…」と名前を探した方が多かったそうです。



おまけ
 七夕は「七」の日の「夕」と書き,これは7月7日の夜のことです。十五夜になる手前の「上弦の月」を意味します。
 上弦の月の頃は,「あの世」と「この 世」が半分づつになる日と言われており,二つの世界の境目が曖昧になる日が7日なのだそうです。

 この日,1年に一度,牽牛 ひこぼしと織女 おりひめが会える日です。
 この話(織女牽牛伝説)は,いろいろあるようですが,よく聞く話を。
    織女牽牛伝説(しょくじょけんぎゅうでんせつ)

 むかしむかし,天帝という神様が星空を支配していた頃,天の川の西の岸に,織女という天帝の娘が住んでいました。織女は機織りが上手で,彼女の織った布は「雲錦」と呼ばれ,色も柄も美しく,丈夫で着心地も軽い,素晴らしいものでした。
 一方,天の川の東の岸には,牛飼いの青年 牽牛が住んでいました。牽牛は,毎日,天の川で牛を洗い,美味しい草を食べさせたりと,牛の面倒をよくみる働き者でした。

 天帝は,くる日もくる日も働いてばかりいる娘を心配して,娘の結婚相手を探すことにしました。
 そして,天の川の向こう岸に住む牽牛を見つけると,二人を引き合わせました。
「おまえたち二人は,まじめによく働く。牽牛よ,私の娘 織女と夫婦にならぬか?」

 牽牛は恐縮したようすで,
「天帝様,私のような者には,夢のようなお話しでございます。ありがたくお受けさせていただきます。」

 織女も,働き者の牽牛をたいへん気に入り,二人はめでたく夫婦となりました。

 ところが,一緒に暮らすようになると,二人は,朝から晩まで天の川のほとりでおしゃべりばかりをしています。
 これを見た天帝は,
「おまえたち,そろそろ仕事を始めたらどうだ?」
と戒めますが,牽牛と織姫は,
「はい,明日からやります。」
と答えるばかりで,いつになっても仕事を始めるようすがありません。

 織女が布を織らなくなってしまったため,機織り機には埃が積もり,天界にはいつになっても新しい布が届きません。
 また,牽牛が世話をしていた牛たちも,やせ細って,次々に倒れてしまいました。

 業を煮やした天帝は,とうとう二人を引き離し,1年に一度,7月7日の夜だけ,天の川を渡って会うことを許しました。

 今でも二人は,7月7日に会えるのを楽しみにして,天の川の両岸でまたたいているとのことです。




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Posted by ガク爺 at 17:30│Comments(0)日記
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