2021年08月23日

処暑。ひまわりの採種。 4.(1-2) 村の人々 (わたしたちの村)

ひまわり0823。 曇り,そして晴れの日でしたが,“突然”に強い雨が降ってくることもある不安定な天候でした。


 このところの雨続きの天候で,「えっ,もう…」という気がしますが,今日は二十四節気の一つ「処暑」です。
 立秋から半月が過ぎ,“暑さが和らぐ”という意味であり,萩の花が咲き,穀物が実り始める頃です。


 花壇で7月24日に開花してから“”を彩ってくれていた「はるかのひまわり奇跡のひまわり」の採種をしました。
 暑い日が続いていれば,もう少し先にしたいのですが,長雨のために傷みがあるようで,種を取りました。
 この向日葵は,阪神淡路大震災で「神戸の復興の花」として大切に育てられ,東日本大震災の後,東北へ届き,そして復興を願う方たちの手により全国へ広がったひまわりです。
 勤務した千郷中学校へ岩手県大船渡市から「奇跡のひまわりの種」が届きました。その後の交流そして育った向日葵から新たな種が増え,市内にも広がりました。



 郷土読本『わたしたちの村 つくで』(1995・平成7年 改定発行)の「四、住みよい村づくり」からです。
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地図0823。    (一) 村の人々

   2 へってきた人口
 日本の工業が発達するにつれて,人口が都市に集中するようになりました。
 作手村でも,1960年をすぎるころから人口はへりはじめ,1970年には約4400人,1994(平成6)年には約3400人になってしまいました。
 人口のへりかたの多いのは,守義・杉平・小林・木和田・東高松・荒原など,村の中心部からはなれた地区です。黒瀬・川合は一時的には人口がへりましたが,村へもどってくる人もいたり,村営往宅ができ(1983年)またふえはじめました。

   3 多いお年よりと少ない子ども
 作手村に往んでいる人の数を,男女別に,5才ずつに区切って表にしてみると,下の図のようになります。
 働きざかりの30代から40代の人たちに比べて,お年よりの数が多くなっています。そのため,高齢化社会,老人福祉にたいする問題が真剣に考えられています。
村営住宅0823。 また,20代の人が目だって少ないことや,15才以下の子どもの数が年々へってきていることも,大きな問題です。全国的に一家族の子どもの数がへってきたことも一つの原因ですが,子どもが少ないことはこれからの作手村の発展のためには,たいへん気がかりなことです。
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 注)これまでの記事は〈タグ「わたしたちの村」〉で
 注2)郷土副読本は,小学3,4年生に向けて「ふりがな・るび」がたくさん付いていますが,掲載にあたっては省いています。
 注3)多くの写真や図版が載っていますが,すべてを紹介(掲載)していません。ご了承ください。

人口ピラミッド0823。


【関連】
  ◇被災地から受け継いだひまわりを全国へ広める「奇跡のひまわりプロジェクト」 代表 紙谷充昭さん(穂っとネット東三河)
  ◇震災10年「はるかのひまわり」新城から釜石へ 愛知(朝日新聞デジタル)



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Posted by ガク爺 at 17:00│Comments(0)日記作手
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