2023年04月05日
清明。 3-3.1 小学校の校長として(1) (昭和に生きる)
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今年は、すでに暦より早く“春”がやってきており、桜が散り始めています。なかなか「暦のように…」とはいかないこの頃です。
ゆっくりと車を走らせていると、道路に垂れてきている“藤”を見つけました。美しく咲いていました。
季節は春。草木の若葉が輝いています。草木の勢いを得て、日々の暮らしをしていきましょう。
故・渥美利夫氏が還暦の年に著した『昭和に生きる』(1987(昭和62)年刊)からです。
渥美氏の教育実践、教育論は、“昔の話”ですが、その“根”そして“幹”となるものは、今の教育に活きるものです。これからの教育を創っていくヒントもあると思います。
本書のなかから、“その時”に読んで学んだ校長室通信を中心に紹介していきます。「考える」ことが、若い先生に見つかるといいなあと思います。
この項は、「小学校の校長として」から構成されています。
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戦後教育史の片隅に生きる
小学校の校長として
校長としてわたしは四校に勤めた。大野小一年・東陽小二年・東郷東小三年・そして新城小四年の計十年である。偶然のことであるが、一・二・三・四と妙な校長略歴となってしまった。
新生の大野・東陽小学校へ
大野小学校の教頭から教育事務所の生活が八年、出戻りというかたちで、ふたたび大野小学校に赴任した。昭和五十年四月のことである。はじめての校長ということであるが、大野・富栄・能登瀬・細川・阿寺の五つの小学校の統合ということで、大野小学校跡に新しく東陽小学校が計画され、校長の寿命一年という発令であった。この辞令を書いたのは管理主事であったわたしのしごとであったので、自分で書いて町教委の教育長から自分の書いた辞令をいただくというまことに気妙な気持ちだった。いわば大野小学校の幕引き役であり、新設東陽小へのワンポイント・リリーフということだった。辞令こそでなかったが開設準備のしごとが待ちかまえていたので、なんだか校長になったという実感は、さしてともなわなかった。
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このころの様子を当時の「考える子ども」誌の編集後記に、つぎのように書いた。
ロッキード事件に目を奪われて一か月余たった。もう外は春の訪れがかけ足でやってくる時期となってしまった。卒業式を間近に控えて、学校もあわただしさの度をましてきた。学校はこの三月で長い学校の歴史を閉じ、四月から近隣の学校五つが統合して新設校となるので、さらに忙しさは倍加されることはまずまちがいなさそうである。わたしと一緒に同校に赴任した校務主任の渡辺富士男氏は、開校当初の姿を「考える子ども」誌につぎのように報告している。
百余年続いた小学校が過疎の波に洗われて、適正規模という名において統合がなされるわけであるが、閉校への思いは、学校が地域の文化の中心であっただけに、村びとにとってはなんともいえないもののようである。新しい校舎がわたしたちの学校の横にりっぱに出来上がっていくにつれて、子どもたちはその喜びをかくしきれないようであるが、まわりの四つの学校の子どもたちは、見知らぬ土地の学校に通学して勉強するのであるから、小さな胸をきっと痛めているにちがいない。統合、そして分離独立、あるいは新設とことしも各地に多くの学校がなくなったり、できたりすることであろう。高度成長時代の一つのしわよせかもしれないが、そこで学ぶ子どもたちが、スムーズに新しい環境に移行できるように願いたいものである。(一〇六号)
“なたね梅雨”とやらで、雨の日がかなり続く。新しく一年生に入学した子どもたちが、雨がさをさしての登下校は、なんだか危なかしくみえるが、またかわいらしいものでもある。かさに気をとられて、事故に遭わなければと願わずにはいられない。先号で編集子のいる学校が閉校になることを伝えたが、この三月末の異動で統合校─鳳来町立東陽小学校へ転勤することになった。五校が統合したのであるから、必然的に通学距離が遠くなり、電車、バスの通学者が全校児童三四〇名中、一四四名ということである。したがって雨の一年生の登下校には、ほんとうに心身ともに疲れてしまうというところである。
ところで学校は、こだま駅豊橋から飯田線で約一時間、湯谷温泉、鳳来寺山のある景勝の地にあるから、おでかけの節はぜひお寄りいただければと思う。(一〇七号)
『むかしむかし その昔 椎の木林の すぐそばに(つづく)
小さなお山が あったとさあ あったとさあ
まるまる坊主の はげ山は いつでもみんなの 笑いもの
これこれ杉の子 おきなさい
お陽さま にこにこ 声かけた 声かけた』
きょうも、山の子どもたちの元気な朝の歌で、三年花組の一日が始まります。
ここ東陽小学校は、近くに鳳来寺山、長篠城址、湯谷温泉をひかえた豊川の清流のほとり、大野の町を見下ろす小高い丘に、この四月統合新設された学校です。もっとわかりやすく言いますと、本会運営委員の渥美利夫先生が校長として鋭い感覚で独創的、人間的な教育を始めたばかりの学校なのです。
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注)これまでの記事は〈タグ「昭和に生きる」〉で
注2)掲載しているイラストは、学年通信(1993・1994年度)用に教員が描いたもので、図書との関連はありません。
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