2023年07月07日

小暑。七夕。 4-3.8 図書紹介 (昭和に生きる)

七夕飾り0707。 暑い日になりました。
 今日は二十四節気の一つ「小暑」です。
 小暑は、梅雨が明け、本格的な暑さが始まる頃とされ、蓮の花が綺麗に咲き始める頃とも言われます。この日から夏らしい暑さになる「暑気」に入り、暑中見舞いが出されるようになります。
 そして、五節句の一つ「七夕(たなばた/しちせき)」です。この日に「織姫と彦星が年に一度再会する」とされ、願いを書いた短冊を笹竹などに飾ります。願いは叶ったでしょうか。

 梅雨、不順な天候が続き、大雨・豪雨で大きな被害が出ていますが、この先は遠慮したいものです。



 故・渥美利夫氏が還暦の年に著した『昭和に生きる』(1987(昭和62)年刊)からです。
 渥美氏の教育実践、教育論は、“昔の話”ですが、その“”そして“”となるものは、今の教育に活きるものです。これからの教育を創っていくヒントもあると思います。

 この項は、「第二章 授業を考える──子どもにつきささる教師の目」から構成されています。
 この章では、実践者として、研究者として、「授業を創る」視点を具体的に述べています。若い先生にとって、これからの「授業を考える」ことができるといいなあと思います。
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    実践者の論理

    (3) しやべる授業から見守る授業ヘ
(つづき)
  図書紹介   鈴木仁志
 久しぶりに、現場における実践研究の手ごたえのある著書が渥美利夫先生によって著された。「しやべる授業から見守る授業ヘ──子どもの50パーセント発言をめざす」がそれである。
 現在、わが国の教育の主流が教師主体の一斉指導で占められているのに対し、教師の発言・発問の量を半分以下に減らし、子どもの自己表出を中心として活力あふれる授業への転換を志向した研究実践が、その内容である。
図書0601。 「50パーセント発言」とは一時間の授業で学級の半数の子どもが発言することをいう。「50パーセント発言」の推進は、教師臭さ、感動のない生気を失った決まりきったスタイル、筋書き通りの指導案から抜け切れない教師の姿勢に挑戦して、教師の意識の改革を迫ることである。伝統的、形骸化した授業を脱却し、「しゃべる教師」から子どもの声に耳を傾ける「うなずく教師」さらには、「子どもを見守る教師」への転換である。
 昨今、多くの教育現場で“ひとりひとりの子どもを大事にする授業”というテーマが氾濫し、ある種の流行語となっている。それは、単なる表面的な言葉のあやであり、内容の伴わない偶像である場合が多い。
 そのような風潮の中で、本書は学者の理論を単に受け売りすることなく、子どもをひとりの人間として育てるために、具体的な指導の方策を練り上げていく課程が実に克明に、鮮明に叙述されている。
 しかも、授業だけでなく、授業の周辺にも着目し、学校経営という視点から重層的・構造的な実践に裏うちされた論理が展開されている。
 上田薫先生は、本書の巻頭で次のように述べている。
 「この本のなかに埋めこまれているものは、まさに、渥美利夫という人のエキスであると思う。渥美さんはすこぶる学究的な人なのだが、もちろんその教育実践はすばらしい。ここに書かれたものを読めば、だれの眼にもそのことは明らかであると思う。が、それだけでなく渥美さんの知見は、個々の指導に対しすぐれた学校経営の視点からも奥行ある位置づけ裏づけがされているということに成り立っているから、とくに追随を許さないのである。いいかえれば、かれの指導も経営も局所的でなく重層的な構造をもっているということである。読者はぜひその点に心をとめてほしい」
と。
 本書は次の各章で構成されている。
序章  動く子どもを育てる──だれにもできる授業
第一章 ヤル気を育てる──個の確立
第二章 50パーセント発言をめぐって──朝の会を中心に
第三章 子どもの側に立つ──教師の挑戦
第四章 子どもが生きる授業──ふだん着の授業から
第五章 新城小の実践をめぐる考察──問題点と今後の課題

本0707。 本書の基底にある考え方は「子どものいる学校・子どものいる教室」を指標に、授業の主人公はいかなる場合にも教師でなく、子どもであるべきだというものである。
 そのために、授業を教師中心から子ども中心へ、教材中心から子ども中心へと考え方を逆転させている。したがっておのずと一時間の授業での教師と子どものしゃべる割合も教師三、子ども七にする枠が規定される。
 その結果、学級の人数の半分、すなわち“50パーセント発言”をめざす具体的な努力目標が必然的に定着されてくるのである。
 教育理論を具体的な数宇に置き換えて、実践を強化しようとする試みには、さすがに現場の教育実践がベースになっている重みを感じることができる。
 およそ現場の実践が、客観性に乏しく停滞している事実は、頭でっかちの理諭が先ばしり空転しているのが要因である。そこへいくと50パーセント発言は、確かな手ごたえをもって学級担任へ浸透していく魅力をもっている。
 “50パーセント”発言の根拠をあげれば次のことがいえる。
1 ひとりひとりの子どもが、その子なりに積極的にとり組まなくては、授業として成立しているとはいえない。
2 子どもがのびのびとして自己のカラを破るそのことが教育の第一歩である。
3 教師臭い教師が、いつも筋書き通りの授業を展開していたのでは、子どもはいつまでたっても自己のカラを破ろうとしない。
 “50パーセント発言”は、単なる到達点ではなく即、技術的な手法であり、教育的な手段でもある。ここに着目したことは、まさに渥美校長の卓越した教育理念の結集値として高く評価すべきであろう。
 新城小の実践の中核をなすのは「朝の会」と社会科である。
 朝の会は正味十五分であるが一人ずつ当番がお話をする。うれしかったこと、あれっと思ったこと、昆虫、鳥、歴史など様々である。朝から授業を子どもの手に委ね、ヤル気を起こさせる。
 指導者も一人ひとりの子どもをより深く知るため数人の抽出児にスポットをあてる。教師が描いた指導案に抽出児がどう反応するかを重ね合わせ子どもを中心として三枚重ねの指導案を作る。さらに授業分析など、ユニークな戦略が多く載っており、生きているひとりの人間育成の支援に本書は貴重な示唆を与えてくれるにちがいない。
   (愛知県教育委員会東三河教育事務所次長)
   (昭和六十二年「考える子ども」一七一号)
(つづく)
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 注)これまでの記事は〈タグ「昭和に生きる」〉で
 注2)掲載しているイラストは、学年通信(1993・1994年度)用に教員が描いたもので、図書との関連はありません。



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Posted by ガク爺 at 17:00│Comments(0)日記先人に学ぶ
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