2024年03月05日
啓蟄。 7-1 教科書の中の“新城” (昭和に生きる)
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「啓」は“ひらく”、「蟄」は“土の中で冬籠もりしている虫”という意味です。
今まで土の中にいた虫たちが、春の到来を感じ、草木の芽吹きとともに、地上へ這い出してくる頃です。
今週の天候は、晴れた“春の陽気”ではなさそうです。寒暖の変化に、体調を崩さないようにお過ごしください。
故・渥美利夫氏が還暦の年に著した『昭和に生きる』(1987(昭和62)年刊)からです。
渥美氏の教育実践、教育論は、“昔の話”ですが、その“根”そして“幹”となるものは、今の教育に活きるものです。これからの教育を創っていくヒントもあると思います。
この項は、「第四章 ハナノキの下で──教育断想」から構成されています。
この「教科書の中の“新城”」は、社会科教科書の執筆で担当した内容からです。若い先生にとって、“教材を考える”ことや“教材を研究する”ことの視点に触れ、これからの「子供を育む」・「授業を考える」ことができるといいなあと思います。
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ハナノキの下で──教育断想
2 教科書の中の“新城”
昭和44(1969)年からであるが、わたしはある社会科教科書の執筆にかかわることになった。担当した内容から、農山村と大都市の中間の位置にある「市のうつりかわり」ということで、郷土“新城”をとりあげた。改訂をふくめて前後6年間、“新城”を素材として取り扱ったのであるが、その内容の構成は次のようであった。
単元 市のうつりかわり(三年 下)
三郎のべんきょう(序章)
(1) 年表づくり
1 小学校のあゆみ(明治の小学校/大正の小学校/戦争の頃/戦後の学校)
2 むかしのもの(道しるべ/古い家/記念碑/年表を書く)
(2) むかしのようす
1 くらしと楽しみ(年よりの話/昔の農家/綿つくり/養蚕/食べもの/農家の楽しみ)
2 どうぐときかい(古い道具と新しい道具/ランプと電灯/脱こく機/ラジオとランプ)
(3) 市のはってん
1 鉄道がしかれて(二つのできごと/鉄道のつく前/鉄道がついて)
2 大きくなった町(変ってきた町/耕地整理/有線放送/工場ができる)
3 これからのわたしたちの市(みんなの願い/市の計画)
◎ 市のうつりかわり
小学社会三年 下「五、市のうつりかわり」は、52頁から96頁までの内容であるが、ここでは、その一部をとりあげる。
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おとうさんやおかあさんの子どものころの、わたしたちの市のようすをきくと、そんなだったのかなあとおどろくことがたくさんあります。ため池があって、さかなつりをしたというのに、今は池などは何もなくて、じゅうたくがたちならんでいます。
きいたことやわかったことを、何年に何があったとか、何年ごろはどういうようすであったとか、というふうに、せいりしてみようとおもいます。そして、わたしたちの市の大きくなってきたようすをしらべます。市の地図もつかって考えます。
また、それぞれの土地を、今のようにするまでに、どんな人たちがくろうしたのか、しらべます。
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しらぺたことは、いくつかの文に書いてみるつもりです。
(つづく)
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注)これまでの記事は〈タグ「昭和に生きる」〉で
注2)本文内で、縦書き漢数字で書かれている数値を横書きに改めて表記した箇所、年号に西暦を追記したところがあります。
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