2021年03月20日

春分の日。彦坊山の山姥 (つくで百話 最終篇)

 今日は,国民の祝日の一つ「春分の日」,「春分日,自然をたたえ、生物をいつくしむ」日でした。
 「春分」は二十四節気の一つであり,太陽が真東から昇って真西に沈み,昼と夜の長さがほぼ同じになる,と言われますが,当地では先日(17日)「日の出が午前6時1分,日の入が午後6時1分」となり,昼と夜の長さが同じでした。
 春分には,真東や真西ではなく少しずれており,すでに昼の方が数分長くなっています。
新城ラリー2021。
 また,「寒さ暑さも彼岸まで」といわれ,「冬の寒さ余寒)」は,この頃までに和らぎ,凌ぎやすくなります。さらに,この時期の気候を「三寒四温」と言うこともあります。

 気候の変化に留意しながら,春の陽気を楽しみましょう。



 今日,明日と「全日本ラリー選手権第2戦 新城ラリー2021」が無観客で開催されています。
 会場での観戦はできませんが,ネットのライブ配信やテレビ中継で競技を観ることができます。また,お近くの方なら,リエゾン(移動)区間を走るラリーカーを見かけることもあるでしょう。



 『つくで百話 最終篇』(1975・昭和50年7月 発行)の「昔話と伝説」の項からです。
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    彦坊山の山姥

 昔,むかし,大和田村に半助さという鉄砲うちの名人があった。
 ある秋のことであった。
「今日は彦坊の暗がりの洞へ行ってくるぞ。」と,言って家を出た。
 彦坊山は,大和田からも岩波や木和田の村からも,四キロメートル以上離れた深山で,殊に暗がりの洞というのは雑木や松の原始林が欝蒼と繁っていて,昼なお暗いところから,暗がりの洞と呼ばれていたのであった。洞の中にある洞窟には熊の寝床もあった。猪・鹿なども沢山棲みついていたし,狐・狸・兎・山鳥・雉子なども無数にいたので,猟師にとっては涎の垂れる程魅力のある狩場であった。
 半助さは頑固一徹の我侭もので,日頃腕自慢を鼻にかける癖があったので,猟師仲間からはとかく敬遠される気味があった。また猟犬は持っていなかったので,猟にでる時も大抵単独行動をとることが多かった。
 その前日に,鹿の大群が暗がりの洞へなだれ込んだという情報があったから,大猟を予想して山へ出かけたのであった。
 しかし,その日はどうしたことか,兎一匹見あたらなかった。半助さはだんだんあせってきた。あちらのクボ,こちらのクボと獲物をもとめて歩き廻ったが,皆目獲物は見つからなかった。大分時間は経ったらしいが,相憎,空が曇っていたので,太陽の位置がわからない。したがって方角も見失ってしまった。あたりはだんだん薄暗くなってきた。どちらへ行っても道がない。とかくするうちに,短い秋の日はとっぶりと暮れてしまった。こうなれば仕方がない。
「今夜は野宿だ。」と,覚悟した半助さは,ある尾根に登って大きな松の根方に腰をおろし,煙草に火をつけた。背負袋から握り飯をとり出して,三つばかり頬ばつた。
彦坊山0320。 ふと前方の尾根を見ると,かすかに灯が見える。
「はて,あんなとこに炭焼は居なかった筈だが,なんだらァ。なんにしても人が居るとみえる。一緒に一晩あかすか。」と,半助さは道もないボロウをかきわけて,灯の見える方角に向って遮二無二歩いた。茨にひっかかり,藤づるに足をとられ,難行苦業の末,漸く灯のある所へ辿りついた。半助さが炭窯と思っていたのは,小さい山小屋であった。灯はその中からもれていたのであった。半助さが入口に辿りついて,
「今晩は」と,声をかけたが返事はない。すき間から中をのぞくと,一人の老婆が糸車を廻していた。二度,三度,声をかけてみたが更に返事をしない。老婆の様子を見ると,着物はボロボロだが,上品な容貌の女性である。格別,敵意をもっている様子もないので,入口の垂れ菰を押しあけて小屋の中へ入った。
「おらァ,道に迷ったもんだが,今夜泊めておくれんかい。」と,言うと,コクリとうなずいて,承諾の意志表示をしたようであった。手振りで招いたので,半助さは囲炉裡ばたに上った。炉の中には榾火が赤々と燃えていた。よく見ると,老婆とみえた女はまだ中年の姥であったが,全然口をきかない。半助さは気昧悪くなってゾクゾクしてきた。こりゃァ狐かと思うと逃げだしたくなったが,外は真の闇だから行き場もない。
「ままよ,万一の時は鉄砲をブツ放すだけだ」と,度胸をきめた半助さは,鉄砲を側へ引きつけて榾火にあたりながら夜明けを待つことにした。
 東の空が薄明るくなるのを待って,半助さは山姥に挨拶をして外へ出た。
 二十年ばかり前に,大和田村の旧家に一人の娘さんがあった。隣り村から婿さんを迎えて睦まじい家庭をもっていたが,この娘さんが子供を産んでから三・四日たった後,気が狂ったような事をわめきながら家をとび出して,山の中へ逃げこんでしまった。それから四・五年経過したある日,この娘が髪をふり乱し,ボロボロに破れた着物姿で帰ってきた。
「おっかァの顔が見たくなったでけえってきた。」と言う。死んだと思った娘が生きていたので,家の人達は喜んで家の中へあげようとしたが,「山のおっとうが待っとるでかえるぞ。」と,言い終ると,風のように山の方へ走り去ってしまった。それからは,この娘さんの姿を見かけた者はトントなかった。
 山男の話は全国各地に残っている。赤い顔・高い鼻・濃い髯・大きい体などと,いろいろ言われている。それは天狗だと言われ,日本原住のアイヌ族とか,海外からの漂着人とも言われているが,中部日本の山岳地帯にも山男の存在したことは間違いないようである。山男は,つれ合いの女性が世間の男と話し合うことを嫌い,生れた子供は「俺に似ていない。」と,言って殺したり,食ってしまったと言われている。
 半助さが一夜を過した彦坊の山姥は,大和田村から山へ入った娘のなれの果てではなかったろうか。半助さが山小屋へ行った夜,山男は段戸山あたりの仲間の処へ出かけて留守だったのであろう。山男が,いつ帰ってくるかも知れないので,山姥は半助さと口をきくのをはばかって,黙っていたものと思われる。
 半助さが,しばらくたってから彦坊山の山小屋があったらしい辺へ行ってみると,山小屋は見あたらず,囲炉裡跡らしい炭や灰が残っているだけであった。
   (峯田通悛)
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【「つくでの昔ばなし」掲載】
  ◇彦坊山の山姥

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  ◇新城ラリー2021
  ◇激走!新城ラリー2021/新城ラリー2021 LIVE配信(テレビ愛知)



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Posted by ガク爺 at 17:00│Comments(0)日記作手
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